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068 神々の戦いが終わる

 



 屋上の扉を抜けた先――そこには見たことのない夜空があった。




「何、これ……」




 そこにあるのは、普通の光景ではないはずだ。


 そう覚悟を決めていた私ですら、思わずそうつぶやいてしまう、異様な空。


 黒をベースにしたキャンバスには、輝く星や渦巻く銀河を集めて一つに固めたシャボン玉が、無数に浮かんでいた。


 私たちのいる屋上も、そんなシャボン玉同様に、真っ暗な空間に浮かんでいる。


 そして目の前には巨大な――見上げたって一番上が見えないぐらい、本当に大きな白い塊があって。


 それが界魚の牙だと理解するまでに、しばしの時間を要した。




「依里花、あれって!」




 見とれていた令愛が、急に大きな声をあげ、前方を指差す。


 そこには半透明になった女の子が浮かんでいた。




「夢実ちゃんだ……夢実ちゃんっ!」




 私はそう叫び、少しでも夢実ちゃんに近づこうとフェンスまで走りだす。


 彼女はまるで眠ったように目を閉じていて、私の声に反応しない。


 だったら近づいて呼びかければ――そう思って足を前に進めるけれど、そんな私の足元に何かが飛んできた。


 カンッ! という音と共に床に突き刺さったのは金属製のカードだ。




「邪魔するんじゃねえ!」


「瀬田口先生……!」




 こちらを睨みつける瀬田口を、私も睨み返す。


 彼はフェンスを乗り越え空中に浮かんでおり、私たちより先に夢実ちゃんに近づこうとしていた。




「瀬田口、どうするつもりだ。そんなものに近づいたところで貴様も腐るだけだぞ」




 真恋が彼に告げる。


 その敵意にもはや躊躇いはない。




「真恋……お父さんにそんな目を向けるなんて悲しいぞ。そんな子に育てた覚えは無いんだがなあ!」


「私は貴様を父だとは認識しない。そう決めた」


「血の繋がりを否定すると?」


「血の繋がりだけで父親ぶれると思ったら大間違いだということだ」


「ちっ……生意気な物言いを。まあいい、ここまで来た以上お前たちがどうなろうと、俺がやることは変わらない!」


「何をするつもりなの、瀬田口っ!」




 令愛がそう問いかけると、瀬田口は歯を見せて笑い、夢実ちゃんに向かって再び走りだした。




「お前たちが教えてくれたじゃあないか! 俺は神の一部になる、そして誰に頼るのでもなく、自分の力で真の世界を生み出すんだ!」


「曦儡宮はもう死んだんだよ。神に縛られる必要なんて無いはずだろう」


「違うな日屋見。俺はあの曦儡宮の無様な最期を見て気づいたんだ、神とは何か」


「その答えは、君程度が導き出せるものだったのかい」




 まったくもって日屋見さんの言うとおりだ。


 曦儡宮だって、彼の言い分を聞く限りでは、最初から神と呼ばれる存在だったわけじゃない。


 ただ異空間で静かに生きていただけの存在だったはずだ。


 人が求め、餌の味を教えてしまったから――魂を食らう邪神に成り下がり、挙句の果てに界魚に腐らされてしまっただけで。




「違うな、俺の答えは俺にしか出せない。人は信じたい神を信じる。利己的で都合のいい妄想――それが神という存在だ」


「信仰の否定だね。では戒世教は妄想の集合体だと?」


「たとえそれが妄想だったとしても、集まれば力を持つ。そして共有された幻想に“近い”存在があれば、人は妄想をそいつに憑依させる。認知を歪めて、同一視しようとするんだ」


「まるで曦儡宮は神様なんかじゃなかったとでも言いたげだね」


「正確にはどうでもよかったんだろう。妄想を憑依させるにふさわしい媒体であれば」


「……もういいよ、瀬田口先生」


「倉金依里花。生贄になるはずだった女が……まさかお前がここまで生きているとは思わなかったよ」


「お褒めの言葉どうも。小難しい理屈をこねくり回したところでさ、要するに先生は長いものに巻かれたいって話でしょ? 曦儡宮が思ったより弱っちかったから、界魚に鞍替えしようとしてるわけだ」


「学のない表現だ」




 吐き捨てるように瀬田口は言った。


 その歪んだ顔はやっぱり大木に似てて、真恋よりもあっちの方と実は血が繋がってるんじゃないかって疑うほど。




「品のない先生よりマシだって自負してる」


「馬鹿とは対話ではわかりあえんらしい」


「最初からわかりあうつもりなんて無いじゃん」


「命乞いをして忠誠を誓うのなら、生かしてやらんこともないぞ」


「自分が神にでもなったつもり? 宙に浮かんだだけで?」


「俺は神の力を手に入れる。勝利という名の未来はすでに確定している!」




 彼はそう言って、空中に浮かぶ見えない道を駆け抜け、牙に近づいた。


 その目は欲で濁っている。


 私に学が無いとか言うぐらいだし、今日まで狡猾に生きてきたんだから、きっとそれなりに頭は回る方なんだろう。


 だから本来なら、とっくに気づいてるはずなんだ。


 でもこの異常な世界と、疲弊した精神と、汚濁した視界が全てを覆い隠して――己の愚かさに気づけない。




「さあ界魚よ、俺を核にしろ! 魂だけではない完全な人間を取り込むことで、真の力を発揮するんだ! そして俺と共に、真の世界を――!」




 瀬田口がそう呼びかけると、ついに夢実ちゃんの魂が牙から離れた。


 半透明の魂は、引き寄せられるようにふわふわとこちらに近づいてくる。


 その先にいるのは私ではなく――ネムシアだ。


 彼女は不安げな表情で、自分に接近する夢実ちゃんの魂を見つめる。


 一方、瀬田口の体は牙から伸びた触手のような物体に絡め取られていた。


 確かにその触手は、私の視界に写っている。


 だがそれが黒なのか、白なのか、はたまたそこに存在しているのか――それすら疑わしくて。


 界魚は暮らす次元の異なる存在。


 リブリオさんからそんな話を聞かされたけど、頭では理解しても、具体的にそれがどういう現象かまでは理解できていなかった。


 それが今、目の前にあるわけだ。




「いいぞ……俺を受け入れろ。俺なら完璧な核になってみせるぞ、界魚よ……!」




 瀬田口の顔に笑みが浮かぶ。


 まあ――あっちは放っておいてもいいだろう。


 それより、夢実ちゃんとネムシアの方が問題だ。


 夢実ちゃんの魂は、肉体の前までやってくると一旦止まる。


 私はネムシアに歩み寄ると、彼女の手を握った。




「いざその時が来ると、怖いものだ」




 ネムシアの声が震えている。


 当たり前だ。


 一人の人間の中に、二人の魂が入る瞬間――たぶん、この世の誰もが体験したことのない“実験”を、身をもって成そうとしているのだから。




「わかっているのだ、何もかも。我は本来、死んでいたはずの人間。それが例外的に生きながらえているだけ。仮に我の魂がこの肉体から追い出されたとしても、郁成夢実が死ぬよりよほど自然の摂理に則っている」


「こんなことに正しいとか間違ってるとか無いって」


「だがお主は、我が残ることよりも、郁成夢実が生きることを望んでおるだろう?」




 女王ではなく、不安に揺れる少女の瞳が、まっすぐに私を見た。


 さすがに胸が痛む。


 でも、それは一瞬のことだ。


 だってわかりきったことだから。


 ネムシアは自分の言葉を後悔したのか、すぐさま口を開いて『すまない』と言おうとした。


 けど私はそれより先に、こう答える。




「そうだよ」




 ネムシアの目が見開かれる。


 空気が凍った気がした。


 たぶん、令愛や真恋あたりも、驚いているんだろう。


 でも否定しない。


 否定できるはずがない。


 愛すべき親友の夢実ちゃんと、命を預けあった仲とはいえ、出会って数日しか経っていないネムシア。


 そこを比較しなければならないと言うのなら、そういう答えになってしまう。




「聞かれたなら嘘はつけない。優先順位を付けるならそうなっちゃうよ」


「そう、か……いや、そうだな。我も、わかった上で問いかけたのだ」


「でもそれって、ネムシアが死んでいいなんて意味にはならないでしょ。私はまだまだネムシアと一緒にいたいよ。いなくなったら悲しいし、せっかく夢実ちゃんが戻ってきても心から喜べないし。リブリオさんからもネムシアのこと頼まれてるのに、約束だって破っちゃう」


「す、すまぬ……その、別に嫌味を言いたかったわけではなく……」


「わかってるよ、怖いんだよね。別に責めてるんじゃないよ。ただ――無理に比較したら夢実ちゃんの方が好きってなっちゃうけど、ネムシアがいなくなっていいだなんて、誰一人としてそんなの思ってないってこと」




 そう言って、私はネムシアの体を抱き寄せる。




「わかってくれた?」


「うむ……依里花の優しさは、痛いほど伝わってきたぞ」


「優しさと倉金依里花は水と油ぐらい相性が悪いはずだったんだけどね」


「復讐を経て変わったのだろう。そして我は――そんなお主がたどる道を見ていたい」




 ちなみに、このやり取りをしている間も、瀬田口と牙の融合は進んでいるし、夢実ちゃんの魂はずっと待ってくれていた。


 声は聞こえてこないけど、彼女は微笑みながら、暖かな眼差しでこちらを見ている。




「待たせて……しまったな」




 ネムシアは私から離れると、改めて夢実ちゃんと向き合った。




「というか待てるのだな」




 それは私も思った。


 意外と融通は効くらしい。




「お主を受け入れる――いや、違うな。お主に体を返す準備はできた。どのような結果になったとしても、我は誰かを恨んだり、後悔したりはせん。さあ、入ってくるがよい」




 そしてネムシアは両手を広げ、目を閉じる。


 すると夢実ちゃんの魂がさらに近づき、その胸に向かって手を伸ばした。


 そのまま体に沈んでいく。


 まるで心臓こそが魂を納める器だと言わんばかりに、そこに収まっていく。


 瀬田口のうめき声が聞こえる以外は、あたりは静かだった。


 その静寂の中で、緊張した面持ちの令愛がごくりと生唾を飲み込む。


 ギィや井上さんたちも、真剣な眼差しをネムシアに向けていた。


 そしてゆっくりと、彼女は目を開く。




「……ん、あの、言いにくいのだが」




 その口調ですぐにわかった。




「まだ、我のままだ」




 うん、ネムシアだ。


 ちゃんと、彼女は残っている。


 その喋り方を聞いて、一段階緊張がほぐれた。




「何というか、拍子抜けするぐらい……普通でな。どうやら我は、この肉体に残っていいようだ」


「よかった」




 私がそう笑いかけると、ネムシアの表情も緩む。


 すると、令愛が大きめの声で言った。




「うんうん、よかった! それにその言い方、ちゃんと夢実さんの魂も戻ってきてるんだよね?」


「うむ、今は我が残っていることを伝えるために、先に表に出ただけなのでな。今から郁成夢実――ん、フルネームは長いな。夢実に変わるぞ」




 そう言って目を閉じるネムシア。


 次の瞬間、彼女の髪の色が黒く変わった。


 まぶたが上がる。


 現れた瞳の色も、ネムシアのものではなく――日本人の、夢実ちゃんの色をしていた。


 まっすぐに、私に視線が向けられる。


 目が合った途端、胸がどくんと跳ねて、言おうとしていた言葉が全部どこかに飛んでいく。




「あ……あの、えっと……」




 でも、言わなきゃ。


 夢実ちゃんが言う前に、私が先に。




「夢実ちゃんっ!」


「ん?」


「あの……ごめんなさいっ!」




 私は勢いよく頭を下げた。


 本当は、最初は感動の再会らしい言葉とかあるとは思うんだけど。


 けど、これは絶対に、私にとって必要なプロセスだったから。


 すると、夢実ちゃんも同じく、私に向かって頭を下げる。




「私こそ、ごめんなさい」


「……え?」


「いくら依里花ちゃんが気づいて(・・・・)くれたからって、復讐の道具として利用してきたから。あんなに辛く苦しい世界で、命を危険にさらさせて……私、絶対に許されないことやってる」


「そんなのっ! 界魚に取り込まれた時点で――夢実ちゃんは、その中の最善策を取っただけだよ」


「どんなに“仕方ない”って知ってても、罪の意識は消えないよ」




 夢実ちゃんの声が震えている。


 私の目も潤んでいた。


 私たち、一緒だったんだ。


 最初からわかってた。


 私が『夢実ちゃんは裏切り者だ』って思い込んで憎んでたこと――本人に話したら、きっと許してくれるだろうって。


 それでも私は私を許せなかった。


 だからこうして謝った。


 夢実ちゃんが言っているのは、それと同じこと。


 だから、求めているものも一緒なんだ。


 それを互いに与えあって、初めて私たちは“元”に戻れる。




「わかった、じゃああえてこう言うね。私は……夢実ちゃんを許すよ」




 許しを。贖罪を。


 こうしてはっきりと口にすることで、完全ではないけれど、私たちは罪の意識から解き放たれるから。




「ありがとう、依里花ちゃん。そして――私も依里花ちゃんのことを許すね」




 そうやってわだかまりを消して。


 私たちの間にある壁はもう何も無くて。


 だから――引き寄せられるように、私たちは手を合わせた。


 指を絡めて、顔を近づけて、こつんと額を額を触れ合わせる。




「夢実ちゃん」


「依里花ちゃん……私、ずっと、会いたかったよ。依里花ちゃんに会うことだけを夢見て、やっと、やっと叶った」


「これからはずっと一緒だよ。もうどこにも行かないから」


「うん、うんっ! 依里花ちゃん……ただいま」


「おかえり、夢実ちゃん」




 二人してぼろぼろと涙を流しながら、私たちは硬く抱き合う。


 周囲の目なんて気にせずに、感情のまま声をはりあげ、まるで子供みたいな泣き声をあげながら。


 ようやく人と人として、元の形に戻れた喜びを、こうしてふれあい、体温を感じ合える幸せを、心の底から噛み締めて。




「本当に良かったね、依里花……」




 令愛も、涙ぐんでまで喜んでくれてる。


 ギィもその横で、「ギシシ」と控えめに笑いながら拍手していた。


 真恋や日屋見さん、井上さんたちも祝福してくれて――私みたいな人間が、こんな風に誰かに祝われる未来なんて、想像したこともなかった。


 これが復讐の果てにあるものだ。


 ごめんなさい、なんて本当は必要ないんだよね。


 あれは夢実ちゃんだけの復讐じゃなかった。


 私にとっても、前に進むために必要な殺戮だったから。




「――なア、もういいか?」




 そんな感動的な空気をぶち壊すように、瀬田口の声が響いた。




「いいわけ無いじゃん。そのまま黙ってくれればよかったのに」




 私は露骨に嫌そうな顔を作りながら、彼を睨みつける。


 夢実ちゃんも同様だった。


 というか、この場にいる大半の人間が瀬田口を睨んでいる。




「釈然としないな。見ろ、俺は界魚の核になったんだぞ。界魚とつながった今は理解できる。俺はこの腐敗の力を、ある程度は操れる」


「へえ、すごいね」


「そして理解した。曦儡宮を召喚した際、光乃宮学園はある種の異界と化していた。曦儡宮の領域だ。そのせいで界魚の腐敗は学園の外まで影響を及ぼすことができなかった」


「やっぱそうなんだ。ありがとう瀬田口先生、外の世界が無事だって教えてくれて。希望が出てきたよ」




 今まで確証は無かったからね。


 これで安心して外を目指せるって寸法だ。




「何が希望だ! これからそれを潰すって言ってんだよ。俺は魂だけの半端な存在じゃない、完璧な“核”だ。この力があれば、俺は俺の望むように世界を腐らせ、滅ぼすことができるッ!」


「滅ぼすのが目的だったの? 変えたり、真の世界にたどり着くのが望みだったんじゃないの?」


「滅せる力があれば、新たな世界を生み出すことだってできる。違うか?」


「別にどうでもいいかな、どうせ成功しないんだし」




 私がそう言うと、今度は瀬田口が「あぁ?」と私を睨んでくる。


 今度は全能感に酔っちゃって、自分の立場に気づけてないのか。




「まだわかんないの? さっき曦儡宮を倒したあと、私たちが界魚の核になるための方法とかをペラペラ喋ってたのは、隠れてる瀬田口先生に聞かせるためだったの」


「……何だと?」




 余裕に満ちていた瀬田口の表情が、わずかに曇る。


 すると、彼をいじめる流れに参加したかったのか、日屋見さんがさらにこう付け加えた。




「曦儡宮を倒したことに浮かれ、あんなうかつな会話をしていたら、誰かが止めるとは思わなかったのかい? 私のことを知る君なら、本来はそう考えたんじゃないかな、瀬田口くん」


「それは……確かに日屋見ほど冷静な人間なら……」


「日屋見さんとかと話し合ってああするって決めたわけだけどさ、ちょっとわざとらしすぎて、バレるんじゃないかってヒヤヒヤしてたんだけどな」


「だがっ、俺はこうして核になった! お前たちの敵が力を手に入れたんだぞ!?」


「まず、界魚の牙本体がある時点で、この屋上が人間にとって安全な空間かどうかわからなかった。こっちには何の力も持たない普通の人だって大勢いるわけだし」


「俺を毒見役にしたのか……!」


「次に、界魚の牙が魂だけの夢実ちゃんを捨て、肉体を持った人間を核として求めた場合、私たちの味方がその核に選ばれる事態だけは避けたかった。もしネムシアの体が持っていかれたら、核が完全な状態になってしまう危険性もあったからね」


「じゃあ、俺がこうして核になったのは――お前たちに、都合がよかったから……?」


「ああ、あと屋上に続く階段の場所もわかってなかったから、案内役も兼ねてたよ」




 真相を知った瀬田口の顔が、みるみる赤くなっていく。


 怒りからか、恥ずかしさからか。


 どちらにせよ、その感情の行く先は、私たちへの八つ当たりだ。




「馬鹿にしやがってえぇぇぇえっ!」


「そりゃ馬鹿にもするでしょ。アドラシア王国を真の世界と思い込んで、大好きな曦儡宮様をただの道具扱いして、夢実ちゃんを神様として崇めてたんだから。ねえ?」


「うん、あれは結構楽しかったかな。儀式が台無しになったことを知らずにはしゃいでる大人たち……ふふっ、本当に醜くて愚かだったよ。愚かすぎて、人間を食べ始めたのは本当に気持ち悪かったけど」


「しかも今だって、自分が完全な核になれたと思い込んでる」


「思い込むも何も、俺には肉体と魂がある! これが、完全な核になるための条件じゃなかったのか!」


「界魚がどうして私を核に選んだのか知らないんだね」


「教えろ……なぜ界魚はお前を選んだ、郁成夢実!」


憎しみ(・・・)。界魚は、強い憎悪を抱く人間を核に選ぶんだよ。そうしないと、自分の毒を世界にばらまくことができないから」




 界魚が次元が異なる世界に干渉するためには、人間という緩衝材が必要。


 そして界魚の腐食もまた、次元の異なる世界に効果を及ぼすためには、憎悪というフィルターを通す必要があった。




「瀬田口先生ってさぁ、顔もいいし、女の人にもモテるし、他人の家庭をめちゃくちゃにして壊すっていう欲望も満たして生きてきた。憎悪とは程遠い人生を送ってきてるよね」


「はっ、はは……憎しみか。なら俺にもあるぞ。そうだ、俺はこの世界を憎んだからこそ、真の世界を求めたんだ! そして何より、今、この場所でお前たちを憎んでいる! 俺を弄んだお前たちをなあ!」


「だったら見せてみなよ、瀬田口先生の“腐食”を」




 そして夢実ちゃんぐらい強いのを見せてくれたら、ちょっとぐらいは褒めてあげるよ。


 どうせ大したことないだろうけど。




「舐めやがって――奴らを一人残らず殺し尽くせ、俺の憎悪よ!」




 瀬田口の周りに、無数の“黒い顔”が浮かび上がる。


 いわゆる怨念や怨霊みたいな見た目をしたそいつらは、一様に気持ちの悪いうめき声をあげていた。




「汚らしいな」




 真恋が一言でそう切り捨てる。




「ギシ、でも怖さは感じない」


「我らが対峙してきた壊疽に比べれば、大したことは無かろう」




 うわ、急にネムシアになってる。


 こんなにすぐ入れ替われるんだ……びっくりしたあ。




「依里花先輩、総出で迎撃するかい?」




 瀬田口の腐食はすでに放たれた。


 奴らは高速で私たちに迫る。


 一匹でも逃せば、後ろにいる何の力も持たない人たちの命が奪われる。


 あいつは私たちを憎んでるとか言いながら、無関係な人間も平気で――なんなら優先して巻き込もうとするだろう。


 そういうことをしてくる人間性だ。




「いや――私だけで十分だよ」




 設定。


 威力は最小限。


 数に特化する。




「スマホなんていじってんじゃねえぞ倉金依里花!」




 発動時に標的を指定、発動後にほぼ同時に切断。


 あ、完全に同時である必要はないから。


 間隔は限りなく0に近く、しかし0ではない――要するにソードダンサーの進化系で。


 ランク6なんだから、それぐらいできるよね?


 トータル合計してもメテオダイブ並の威力なんて求めないから。


 うん、行ける。




「……依里花先輩、本当に任せてよかったんだな!?」




 日屋見さんが焦るぐらい、敵はもう目の前まで来てた。


 でも大丈夫、言ったからにはやるよ。




「撃ち落とせ、ソードバラージ!」




 それは一瞬の出来事だった。


 きっと知覚できたのは私だけだろう。


 圧縮された時間の中で、私は腐食を切りつけ、さらに次の腐食へと移動、再び斬りつける。


 対象ひとつにつき、斬撃は一度。


 だから威力は大したことがない。


 けれど指定できる対象数は視界に入っているのなら、限りなく無制限。


 ゆえに瀬田口の薄っぺらい憎悪ぐらいなら、簡単に打ち消せるというわけだ。


 事を終えた私は、最初と同じ場所に着地した。


 正常な時間の流れが追いついたのは、その少し後のことだった。


 腐食たちはようやく自分たちが斬られた(・・・・)と気付き、空中で爆散する。


 一つ残らず。


 跡形もなく。


 瀬田口ご自慢の界魚の壊疽は、消えて無くなった。




「何だ……今のは……」




 お手本みたいなリアクションありがとう。




「集堂くんに始まり、白町くん、須黒くんに、中見さん、大木、そして瀬田口先生」


「何のことだ。なぜそこに俺の名前が並ぶ!」


「界魚から直に(・・)力を与えられた人間だよ。瀬田口先生は、三階にいた他の先生たちと違って、曦儡宮の断片を身につけなくても高い身体能力を得ていた。そうでしょ?」


「そうだ……だが、それは俺が選ばれたから!」


「そう、選ばれた。どうしてかわかる?」




 瀬田口は答えられない。


 私はふっと笑い、夢実ちゃんの方を見た。


 彼女も顔をわずかに傾け、くすりと笑う。


 再び彼の方に向き直すと、私は答えを告げた。




死ぬべき人間(・・・・・・)だからだよ。大義名分って大事だからね。それに化物を倒せば、私も強くなる。そうだよね、夢実ちゃん」


「余剰した界魚の力を有効活用するための手段、なんだけども。それでも、道標にはなるかなって。だってあの人たちはみんな、力を与えたら他人を虐げて、支配しようとするはずだから」


「勝手に悪役になってくれる。操るのは簡単だったんだね」


「……選んだのは、郁成夢実だったと」


「そうだよ、私が選んだ」


「殺すために、選んだと」


「そうだよ。あなたもわかってるんじゃないかな、殺されるだけの理由があるってことを」




 彼が戒世教の幹部だというのなら、夢実ちゃんの儀式にも深く関わっていたはずだ。


 恨まれて然るべき存在。


 ひょっとすると夢実ちゃんは、生贄として苦しめられている間に、瀬田口と倉金家の間にも関係があるって知ったのかもしれない。


 だから優先して復讐の対象に選ばれた。


 私に殺されるために、彼は力を与えられた。




「んだよ……なんだよそれ! 幹部ですら無い生贄にっ、俺は……踊らされてたっていうのか!」


「そうやって立場で人間を選ぶから、貴様は見誤るんだ」


「真恋ッ! お前の名前は俺への愛情を現したものだろ!? お前ぐらい愛せよ、俺のことを!」


「押し付けるな、反吐が出る」




 刀を天にかざす真恋。


 そこから半透明のオーラが放たれ、巨大な刃を形作った。




「月影の太刀――依里花よ、あの男は私がやっていいんだな」


「もちろんいいよ」


「あ、待って真恋ちゃん。そのまま攻撃してもっ!」


「死ね、瀬田口ぃぃぃぃッ!」




 真恋が、牙ごと瀬田口を断ち切ろうとする。


 でも夢実ちゃん、止めてたな。


 もしかして効かないの?


 彼自身、その結果がどうなるかわかっていないのか、迫る刃を見て焦っているようだけれど――真恋の斬撃は、まるで実体が存在しないかのように、瀬田口を通り抜けてしまった。




「手応えが無いだと!?」


「は……はは……っ、そうか、そうだったな。俺は核になった時点で、違う次元の存在になったんだ。界魚が直にお前たちに触れられないように、お前たちも俺には触れられないんだよぉ!」




 核って、“向こう側”にいっちゃってるんだ。




「やっぱり……」


「夢実先輩は知っていたのか」


「誰かに攻撃されたわけじゃないから、実際に体験したわけじゃないよ。でも、感覚として“そういうもの”になった気はしてた」


「ははははっ! 打つ手なしだな! 確かに俺の憎悪は郁成夢実には及ばないかもしれない。だが、核になった時点で俺の勝ちは確定してたんだよ! お前たちは、失敗したんだ!」




 勝ち誇る瀬田口がうるさい。




「ちっ、一度やり過ごしただけで浮かれ過ぎだ、瀬田口!」




 真恋も同じことを考えていたらしい。


 今のところ攻撃が通らないってだけで、向こうも別に私たちを倒す方法があるわけじゃないのに。




「三階はすでに崩壊した。お前たちに退路は無い。ここから先は消耗戦だ――限りなく無限に近い力の供給がある俺と、所詮は人間でしかないお前たち。さて、どこまで耐えられるかな!」


「また仕掛けてくるわよ、依里花ちゃん。あの悪霊みたいなの、今度はあたしたちで撃ち落としていいのね」


「お願い、井上さん。その間に私がどうにかするから」


「次もどうにかする方法があるんだね?」




 日屋見さんの問いに、私はうなずく。




「さっきのがその実験だった。あれがうまくいったなら、たぶん――」


「なら任せよう。真恋、それまでは依里花先輩のサポートだ」


「……ああ」


「瀬田口を殺せなかったのが悔しいのかい?」


「私の手で終わらせたいと思っていたからな」


「じゃあそうできるように頑張る」


「できるのか?」


「それを試すの。それまでお願い、真恋」


「ああ、わかったよ姉さん」




 また姉さんって言った。


 まだぞわっとするけど……まあ、最初よりは慣れたかな。




「私もネムシアと変わって戦うね」


「あ、待って。一応夢実ちゃんもパーティに入れとくから。魂と繋げるっていうんなら、たぶん別枠だよね」


「でも今さら入ったって――いや、そっか、必要なのか」


「そうだよ、必要なの」


「じゃあお願いしよっかな」




 夢実ちゃんをパーティに加入させる。


 直後、彼女はネムシアと入れ替わり、瀬田口に向き合った。




「我の出番か。託されたからには暴れようではないか!」




 ネムシアの放った大規模魔法が、瀬田口の放つ腐食を薙ぎ払う。




「ギシシ、こういう相手はアタシの得意分野!」




 ギィは触手をいくつにも別れさせ、迫る攻撃を撃ち落としていた。


 分身した上に、あれだけうねうねと大量の触手を操っているのだ、確かにこういう“多い”敵には有効だろう。




「ほんとギィは頼りになるよね」


「エリカに頼りにされるのが今のアタシの存在意義。一生エリカを支える!」




 さらっと一生とか言われちゃった。


 夢実ちゃんが戻ってきたからアピールしてる……とかじゃない、よね。


 いや、ギィの場合はありえる。


 一歩引いた場所に立ってるように見えて結構肉食というか、意外と嫉妬してそうだから。




「くぅ……数が多い。これだけ増えるとやっぱり撃ち漏らしちゃうよね」




 一方、令愛は私の近くに立って盾を構えている。


 戦えない人たちを含めた全員を、防壁で守っているのだ。


 そして守りながら、私の手元を覗き込む。




「さっきから何やってるの?」


「話し合い」


「……誰と?」


「中の人」


「中の人なんていたんだ……」


「界魚から力を掠め取って、自己進化していくソフトウェア――それが私たちに与えられた力だった」


「ギィがそんなこと言ってたね」


「つまり作った誰かがいるんだよ。そして進化してくってことは、ある程度は考える頭もある。どういう風に成長してくか決めないといけないからね」




 たぶん、最初はウォーターとか、イリュージョンダガーとか、初歩的なスキルすら存在しなかった。


 ってことは、力を与えられても、ゾンビにすら勝てない時代だってあったのかもしれない。


 でもそんな世界を何億、何兆、何京と経ていくうちに、ついに界魚の牙にたどり着くだけの力を得た。




「その人と、話してるんだ」


「現状、私たちにはランク6のスキルまでしか解放されてない。ううん、そのランク6ですら存在しない場合すらあった」


「そうだったんだ。その場合、どうするの?」


「話し合って作る。さっき使った“ソードバラージ”がそうだった。連撃系統のスキルだから、その方向性ってのは最初から決まってたんだけど、どんな技にするかは話し合って決めてたの」


「そんなことできるんだ……」


「まあ、私もスキルを覚えようとしたときに初めて気づいたけど」




 三階で教師たちを一掃したとき、私たちには大量の経験値がなだれ込んできた。


 屋上で界魚と相対するのなら、その前にスキルぐらいは習得しておきたい。


 そう思って、屋上に移動するまでの間にスマホをいじってたんだけど、そのときに今まで見たことのないアナウンスが頭に響いてきたんだよね。




「そして私はランク6のスキルを全部覚えたことになるんだけど……」


「じゃあ、ランク7が?」


「そう。解放されるかも、と思ってランク6を全部Lv.10まで上げてみたの。そしたらまた“話し合い”できたからさ」




 覚えるというより、作るんだ。


 この場で、絶対に攻撃が届かない瀬田口を、殺すためのスキルを。


 でも、新しいスキルだからって何でもできるわけじゃない。


 設定できる効果の許容量は決まってる。




「まずは次元を越えること」




 困ったことに、これだけでかなりの容量を食う。


 でも不可能じゃない。




「私自身が次元を越える……負担が重いな。刃が次元を越える? いや、もっと絞っていい。斬撃――ううん、むしろ“斬る”という結果だけでいい。白町くんが似たようなスキル使ってたんだよね、絶対に命中する銃弾、イベント・ホライズンとか言ったっけ。あんな感じでいいんだ」




 次元を越えるのはごく一部のみ。


 こうして効果を削ることで、容量を減らす。


 そして残った部分を、牙を断ち切れるだけの威力に注ぎ込む。




「相手の硬さを無視して絶対に両断する。フルメタルエッジが可能なら、これもセットできる。そう、次元を越えて、防御不可能な攻撃を放つ……これなら、どんなに界魚の牙が頑丈だろうと関係は無い」




 設定完了。


 ライブラリに新たなスキルが刻まれる。


 このスキルも、他の世界で、いつか誰かの役に立つ日が来るんだろうか。


 私たちみたいなイレギュラーじゃなくて、普通に界魚の牙を撃退できる未来が来たら、私も嬉しい。


 習得完了。


 ドリーマーを強く握りしめる。


 私と夢実ちゃんが見た夢。


 復讐のためだけに存在する舞台。


 その幕を落とそう。


 夢を終わらせ、目を覚まそう。




「依里花……できたんだね」




 ドリーマーが、白いオーラのようなものを纏っている。


 すでにスキルは発動していた。


 あとは、振るうだけだ。




「倉金……何だその力は。なぜ、それを見ているだけで俺は恐怖しているッ!」




 それは、本能的な感情だ。


 異なる次元にいる彼は、見て気づいてしまったのだろう。


 それが、己のところまで届き得る力なのだと。




「やめろ、そんなものを俺に向けるな! 神の力を手に入れたんだぞ。世界を作り治せるだけの力を! そんな俺を――」




 いい命乞い。


 終わりを彩るBGMとしては、上出来だよ。


 さあ、そろそろこんな夢は終わりにしよう。




「アウェイクン」




 私はドリーマーを横に薙ぎ払い、空を断った。


 手応えは無い。


 当然だ、それはどんなに堅い物体でも、空気と同じように切断する刃なのだから。


 界魚であろうと。


 神であろうと。


 全て、等しく殺す。




「瀬田口の放った悪霊が消えたわ……」


「奴は、力を失ったのか」




 界魚の牙に一本線が入り、そこから下の部分が落下していく。


 紫色の糸を引きながら、私たちの世界に食い込んでいた壊疽の供給源が、奈落へと消えていく。




「力が、抜けていく……返してくれ、俺の、俺の神の力ぁっ! 俺を人間に戻すな、界魚おぉぉおおおおッ!」




 瀬田口の必死の叫びも虚しく、彼は牙から切り離され、普通の人間に戻った。


 異なる次元からこちらに戻ってきて、私たちと同じ学校の屋上に投げ出される。




「瀬田口」




 そんな彼の前に、真恋が立っていた。


 右手には刀――そう、無銘の刀を持って。


 依里花を含め、それぞれの武器には名前が付けられている。


 ドリーマー、イージス、ギュゲス、グレイプニル――だが、真恋の刀にはそれが無かった。


 彼女が、己の名を嫌っているから。


 この瀬田口という男に向けられた、母からの愛の言葉。


 それこそが、倉金真恋を縛ってきた呪いそのものだったから。




「真恋……俺は、父親だ。そう、そうだ、外に出たら、ちゃんとした親子にならないか? 倉金の家を出て、瀬田口になるんだ。金もある、地位もある。あんなどうしようもない家にいるよりは、ずっと幸せに――」


「助かったよ」


「へ?」


「貴様が殺しやすい人間で」




 名もなき刃は、彼の首を落とした。


 静かに、虚しく、呆然としたまま固まった瀬田口の頭部が、ごろんと屋上に転がる。


 そして断面から噴き出す血に背を向けて、真恋は彼と決別した。


 そんな真恋を迎えたのは日屋見だ。


 彼女が両手を広げると、真恋は恥じらいもせずに、素直に胸に飛び込んだ。




「日屋見真恋になる日も遠くなさそうだね」




 調子に乗る日屋見さん。


 しかし真恋は諌めない。




「倉金真恋にケリを付けられたらな」




 そう言って、背中に腕を回した。


 直後、界魚の牙や核を失った空間が、激しく揺れはじめる。


 さらには天井から『ウオォォォオオオオンッ!』という獣じみた咆哮まで響いてきた。




「グゥ……何この声、遠いのに……すごく大きく感じる」


「なんだか、お腹の奥底から恐怖がこみ上げてくるよな感覚だわ……」




 ギィや井上さんまで怯えている。


 牛沢さんや緋芦さんは耐えきれなかったのか、思わず井上さんに抱きついた。


 かくいう私も、聞いているだけで右手が震えている。


 すると、夢実ちゃんがその手を両手でぎゅっと握った。




「怖がるのは仕方ないけど、これは私たちに向けられたものじゃないよ」


「界魚の声……?」


「うん、歯が切り落とされて『痛いよお』って泣いてるんだと思う」




 そう聞くと、急に怖くなくなってくる。


 そうして夢実ちゃんと話していると、いつの間にか左手を令愛が握っていた。


 ……対抗してる?




「じゃあこれは、終わりの合図なんだね」


「そうだね、仰木さんの言う通りかも」


「令愛でいいよ」


「なら令愛さんで。私も夢実さんって呼んでね」


「うんっ、末永くよろしく」




 私を挟んで、挨拶を交わす二人。


 バチバチ……はしてないし、普通に良い雰囲気なのに、なぜか私の心臓だけがバクバク高鳴っていた。


 なおも地震は強まり、ついに“空”が壊れる。


 落下してきた破片が、ずしりと私たちの真横に突き刺さった。




「空間は崩壊してるけど、出口らしき場所はどこにも無いわ!」


「この崩壊を乗り切れば外かもしれない――とはいえ、この調子だと乗り切る前に押しつぶされてしまいそうだね」


「あたしの防壁で守るから、みんなできるだけ集まって!」




 数十名が一箇所に集まり、令愛の防壁の中で身を寄せ合う。


 落下してきた破片をバリアが弾くたびに、人々から悲鳴が漏れた。




「倉金さん、めちゃくちゃ怖いんだけど本当にあと少しで出られるのよねっ!」




 巳剣さんが声をあげる。


 そう言われても、絶対的な方法なんて私にわかるはずがないんだよね。


 私はそうなるって信じてるけど。




「たぶんね!」


「たぶんって――」


「どうせこれ以外に方法なんて無いんだから、我慢するしかないって!」


「それはそうでしょうけど――って足元まで崩れ始めたわよっ!」


「会衣たち、落ちる?」


「しっかり捕まってて! 防壁の中にいる限り、押しつぶされることは無いから!」




 令愛が大きな声でみんなを勇気づける。


 けど、さすがに床が崩れて、落下が始まるとそうはいかない。


 ほぼ全員が悲鳴をあげて、あたりは混乱に包まれた。




「お姉ちゃんっ、お姉ちゃんっ!」


「芦乃おねーさんっ!」


「大丈夫よ、ほら見て。下に光が見えてきた」




 緋芦さんと牛沢さんを抱き寄せながら、井上さんが微笑む。


 私の目にも見えている。


 遥か下にある光。


 そしてそこに見えるのは――




「外の世界……!」




 あまりいい思い出がある場所じゃないけど、それを見た時、私は思わず声をあげた。


 あたりに散らばる瓦礫と、それを撤去する重機や、人間の姿。


 ついに、“終わり”が見えてきたのだ。


 いや――“始まり”と言うべきかもしれない。




「ねえ依里花」




 令愛が私の腕に抱きつきながら、耳元で囁く。




「外に出たら、何かしたいこととか、ある?」


「したいことっていうか――しなきゃいけないこと。両親のこととか、戒世教のこととか、色々あるかな」


「あ、そっか。まだ、全部終わったわけじゃないんだよね」


「でも……令愛のお父さんに会ってみたいかも」


「お、お、お父さんっ!? お父さんに挨拶を!?」


「なんで焦って……っていや、そういう意味じゃないけど」


「あ、そうなんだ。でもどう紹介しよっか。友達……では、ない、よね」




 頬を赤らめ、照れる令愛。


 確かに――友達って言うのは、逃げだ。


 しかし全てをオープンに話すと、それこそ本当に“ご挨拶”になってしまうわけで――




「じゃあそのときは私もついていこうかな」


「いや何でっ!?」




 思わず声をあげて突っ込む。


 すると夢実ちゃんはいたずらっぽく笑った。




「依里花ちゃんの恋人は一人じゃないですよって」


「そ、そんなこと言ったらお父さんの頭爆発しちゃうよっ!」


「ギシシ、問題ない。アタシも行くから」


「ギィまで!?」


「エリカのシモベでドレイですって挨拶する」


「そんなことしたらもう……もうわけわかんないよぉ! ねえ依里花、なんとかしてぇ!」




 泣きつく令愛も可愛いなあ。




「お主、現実逃避しておるな」


「痛いとこ突かないでよネムシア」




 まあ、夢実ちゃんもギィも、そんなとんでもないことしないとは思うけど。


 ……。


 ……。


 ……いや、ギィはギリギリするかもしれない。


 でも、そんなことで悩めるのも、全てはようやく普通の世界に戻ってこれたからで。


 私は自分の手のひらに視線を向け、軽く拳を握る。


 まだ力は残っている。


 ううん、界魚と完全に切り離されてもなお消えないってことは、残り続ける可能性が高い。


 井上さんもちゃんと生きてるからね。


 光が近づいてくる。


 景色が鮮明に見えてくる。


 開いた穴からまた新たに大量の瓦礫が落ちてきたからか、作業していた人たちは慌てて逃げ出していた。


 その中に、妙に落ち着いた集団がいるのを見つける。


 目つきがおかしい。


 格好も、作業員に混ざるにしては不自然だ。




「落とし前、つけないとね」




 こうして――私たちの戦いの舞台は、外の世界へ移った。




次回から最終章です。


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― 新着の感想 ―
[一言] まあ当然宗教は皆殺しにしないとまたやるだろうしなあ・・・神殺しという意味では織田信長とか先駆者だもんなあ
[良い点] 面白過ぎて一気読みしてしまいました 読めば読む程楽しくなってしまって気がついたら日を跨いでいました 表現が秀才ですぐに映像化できる文章で とても読みやすかったです バトルも凄い大迫力で読む…
[一言] 鳥肌やべぇ(語彙力)
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