067 天国にさよなら
瀬田口は、どうやら戦いのどさくさに紛れて逃げるつもりのようだった。
もっとも、城の周囲は草原と街道。
瓦礫や掘に身を隠すといっても限界がある。
でも――逃げるということは、戦う意思が無いとみなしていいだろう。
大木とつるんでいたようだし、他人の家庭を壊すことを楽しんでいた節もあるってことは、おそらくは彼女と同じタイプだと考える。
自己保身のためなら信仰も二の次、とっとと逃げ出してしまうはず。
日屋見さんの方を見ると、彼女も瀬田口の存在に気づいたようだった。
二人で動きを追っていれば、完全に見失うことは無いだろう。
となると、目下の問題は石暮校長と曦儡宮だ。
校長はさっそく黒い皮膜で全身を多い、顔に現れた無数の瞳から光線を放とうとしているけれど――
「人間よ……我をどこまで愚弄するつもりだ!」
当然ながら、曦儡宮はキレる。
そりゃ、儀式とか言って呼び出された挙げ句に、界魚に食われてゾンビにされたわけだしね。
人間全体を憎んでると言っても、一番憎たらしいのは戒世教の連中なはずだ。
ぶよぶよの体を変形させ、触手のようなものを振り上げると、勢いよく校長に向かって叩きつける。
すると背後からの殺気を感じた彼は、その場から飛び退いて攻撃を避けた。
「まさか、この期に及んで曦儡宮様に反抗する意思が残っているとは」
勝手に戦い始めた両者を前に、私たちは顔を突き合せて困惑した。
見守るべきか、介入すべきか――最終的に私に視線が集中したけど、私もどうするべきかなんてわかるはずがない。
「我こそは曦儡宮。我を呼び出したのは、他でもない貴様らであろう!」
「曦儡宮様がそのような醜い体をしているはずがない。道具が神を自称するとは、なんと無礼な」
「貴様あぁぁああああ!」
……ほんと噛み合わないな、こいつら。
校長も曦儡宮に向けてビーム飛ばしはじめちゃったし。
「な、なんか……あたしたち、蚊帳の外だね?」
そりゃ令愛も戸惑う。
あまりに馬鹿らしすぎて。
でも結局のところ、この学校に起きた出来事は、最初からずっとずっと、どこまでも愚かだった。
校長ってことは、その元凶とも呼べる存在なわけで。
彼には、全てを知る義務がある。
「ねえ校長、ちょっといいかな」
「お前たちの相手は後だ! まずはこの魂の成れの果てを破壊する!」
言い回しが自分に酔ってる上に、辻褄を合わせるためにわけのわからない設定を作り出してるみたいだ。
「いや、それが曦儡宮だから。あんたたちが呼び出した神様は、別の神様に負けて腐った体に変えられた挙げ句に操られてるの」
「そのようなはずがなかろう。曦儡宮様は光によって世界を浄化し、我々を真なる世界に導いてくださる存在っ! 負けるはずなど――」
「でも戒世教は、黒いスライムを使って顔を変えたりしてたわけじゃん。まさにその通りの姿じゃないの」
「それは違う。我々はここで真実を知った。我々が分け与えられていたあの黒い液体は、曦儡宮様に捧げられた魂の成れの果て! それを己の力と変えて利用しておられたのだ! 真の曦儡宮様の姿とは、天より現れるあの巨大な少女――」
「あれは夢実ちゃん――郁成夢実だから」
「そうか、なるほど、我々と対話するために生贄に捧げた少女の姿を模倣してッ!」
振り回される曦儡宮の触手を避けながらも、饒舌な校長。
私はやれやれと首を振る。
「ダメだ、あいつ話が通じない」
「どうせ全員消すのであろう。一緒に始末してしまえばよいだけだ」
「そーだね」
私は狙いを定め、校長の足にナイフを投げつけた。
回転する刃は、さながらドリルのように彼の脚部を穿ち、動きを鈍らせる。
「しまった――」
生じた隙を利用し、曦儡宮は彼の体に触手を巻き付けた。
そして己の最も大きな眼球の目の前まで持ってくる。
「人間よ……我に人の味を教えておいて……この世界に引きずり出しておいて、なぜこのような……このような目に……!」
「離せ、お前は曦儡宮などではない! 我々の信じた曦儡宮が、このような腐った醜い肉塊であるはずが! 少女に千切られ、道具として利用される矮小な存在であるはずがッ!」
「ならば見よ」
曦儡宮の中から、人間の顔が浮かび上がる。
それは校長と同い年ぐらいの女性のものだった。
「これは貴様が捧げた妻の魂だ、そしてこちらは娘の魂。我が喰らった。お前が捧げ、我が吸い尽くした!」
「ふ、ふはは……そこにあるのは当たり前だろう。なにせお前は魂の残り滓の集合体。自らを神だと思い込んだゴミなのだから!」
「人間、どこまで醜き存在かッ!」
曦儡宮は触手に力を込め、校長を締め付ける。
彼の体から、ミシッ、バキッという音が鳴り、口から血を吐き出した。
「がぁぁぁあああっ! こ、これが試練……これを乗り越えなければ、私は……真の、世界に……」
「真の世界など存在せぬ! 貴様らが作り出した御伽噺に過ぎぬ! ここで朽ち果てろ、人間!」
「おお、曦儡宮様……ご覧になられて、おりますか……! 私は、私は真の世界にたどり着くことは、できませんでしたが……胸を張って、最期の瞬間まで、あなたの敬虔な信者で――」
曦儡宮の気持ちはよくわかる。
校長の心を折りたいんだ。
間違いを認めさせ、自分がやったことの重大さを思い知った上で、失意の中で死んでほしい。
でも、自己満足の妄信に浸りきった彼は、他の人間の声に耳を貸さない。
一体、誰ならその心を壊せるのか。
すると、突如として空に穴があいた。
見上げると、そこから巨大な少女の顔が現れた。
「夢実ちゃん!?」
「アレが……イクナユメミ」
「で、でっかい……」
地下で姿を現していたとは聞いたけど、まさかここまで直接的に出てくるなんて。
やっぱり、ここが核から近いからなのかな。
夢実ちゃんのことだ、もし私たちに干渉できるのなら、最大限そうしていたはず。
でも今までは、声すら聞こえることはなかった。
おそらくは、いくら界魚による侵食が不完全だとはいえ、力を使えば意識が界魚に持っていかれてしまうからだ。
ちょうど、二階でフロアの主に取り込まれていた緋芦さんと同じように。
だから、ここで出てきたとしても――彼女がやることは最低限、一つだけ。
今、一瞬だけ目が合ったけど、言いたいことはよくわかる。
(寂しがらなくても大丈夫、どうせすぐに会えるから)
そう伝えたかったに違いない。
私も同じだよ、夢実ちゃん。
あと少し。
もうちょっとで、また会えるはずだから。
「おお……曦儡宮様。私の信仰に応えてくださるのですね。そうやって、自ら姿を現してまで、私に報いて――ああ、ああぁあ……よかった。たとえこの生命が尽きるとしても、一目だけでも貴方様に会えて、私はっ!」
涙を流す石暮校長。
その声を遮って、夢実ちゃんは口を開いた。
『私は曦儡宮じゃない、郁成夢実』
「……何を、おっしゃって」
『お前は今から、自分が呼び出した、曦儡宮に、殺される』
顔は無表情なまま。
声にも抑揚は無い。
しかし、その場にいる誰もが、その言葉に込められた強い憎しみを理解した。
そう、これもまた、復讐なのだ。
「そんな……馬鹿な。本当に、郁成――夢実、が――」
当然、校長も理解する。
目の前にいる腐り果てた黒いヘドロの塊こそが、真の曦儡宮だと。
曦儡宮の瞳が校長を見つめた。
両者の視線は、ここでようやく噛み合った。
このとき、曦儡宮は満足気に笑ったようにも見えた。
「死ね」
彼はそう一言告げて、校長の体を握りつぶす。
ぐちゃっ、と潰れたトマトのように中身が飛び出て、もはや確かめる必要もないほど、完全に絶命していた。
そのとき、ギィが前に出て、曦儡宮に近づく。
「アワレだね。ギシシ」
彼女が笑うと、曦儡宮の瞳がそちらを向いた。
「お前は……」
「アタシはお前の一部だった。一部にされた」
「我の指先。我の口。全て消えたと思っていたが、腐らずに残っていたか。これは都合がいい」
曦儡宮は体をうねらせながら、ギィに迫る。
「我は肉体を捨てる。心臓を受け取れ。我はお前から再生を――」
「ナナセアサミはアタシの中にもう残ってない」
「当然だ、我の糧となった」
「でも彼女の憎しみは、まるで疼く傷跡のように残っている」
それは記憶ではなく、“記録”。
感情そのものは死んでも、憎しみを抱いた事実は消えない、ということだろう。
「我が体の一部よ、この対話に何の意味がある」
「それに、アタシ自身もお前がキライだ。母体を名乗りながら、アタシたちを意思ある存在として認めなかったオマエが。道具として使ってきたオマエが」
「もうよい。心臓を受け取れ、端末よ。我が肉体の一部として、その責務を果たせ!」
曦儡宮の体内から、ぬるりと触手が伸びる。
その先端には、赤い球体のようなものが埋もれていた。
それが“心臓”なのだろうか。
「ギシシ、アタシのこと、まだ“端末”だと思ってるんだ」
ギィは笑うと、自らの触手を伸ばし、その心臓に突き刺した。
「馬鹿な。なぜ我に逆らうことが――」
「シャイニング」
ギィの触手の先端から魔法が放たれ、曦儡宮の心臓が内側から破壊される。
「グアァァァァアアアアッ!」
神と呼ばれた者の、痛々しい叫び声が響き渡った。
それを真正面で浴びながら、ギィは高らかに笑う。
「ギシシッ、ギシッ、ギシシシシッ! アタシはギィ! エリカのギィ! オマエの名前はもうアタシを縛らない。それにすら気づけなかった、アタシたちを見ようとしなかったオマエは、その盲目さに殺されるのさ!」
「グゥ、グウゥゥゥッ!」
「ギシシ、折角学んだヒトの言葉を忘れるぐらい痛かったの? アタシは最高の気分だよ、ギライグウッ!」
曦儡宮やギィたちが人間の言葉を理解しているのは、昔から人間と接触していたからだ。
それ以前は、ギィだのグゥだの、最低限の単語だけしか存在しなかった――そう考えると、曦儡宮という名前も人が付けたものになる。
その名前が、人と別次元の曦儡宮とを繋ぐ何らかの儀式的な意味を持っているのだとしたら。
ギィが個体としてその名前を得たことには、私が思うよりも、ずっと大きな意味合いがあるのかもしれない。
それはさておき――曦儡宮は、己の心臓を破壊されたことで苦しんでいる。
でも死ぬわけじゃない。
それはあくまで“曦儡宮”の心臓。
界魚の壊疽に呑まれた島川優也や大木に、人としての心臓以外の“弱点”があったように、腐敗した曦儡宮にも壊疽としての弱点があるはずなのだ。
「ギィ、もう私たちが参加してもいい?」
「ありがとエリカ、気を遣ってくれたんだね」
「私も家族と色々あったからね」
令愛の方を見ると、彼女も「うんうん」とうなずいていた。
「家族……なのかなあ。アタシは、アイツから離れて初めてそれを得られる気がする。アタシという個が、完全なる確立を迎えたときに」
「というか依里花よ」
「どうしたの、ネムシア」
「先ほどの時間は、ギィが決着をつけるのを待っておったのだな? 正直、我はついて行けずに呆然と見ておっただけなのだが」
ネムシアがそう言うと、真恋、日屋見さん、井上さんあたりも同意したような顔をしている。
まあ、そうなるのも仕方がない。
「私も校長が死ぬまではそうだったけど、ギィが前に出てからは、なんとなくそうなのかなって」
「そのあたりの細かい話は、こいつを倒してから聞かせてもらおうじゃないか」
日屋見さんの言うとおりだ。
曦儡宮はずっと叫びながら苦しんでいたわけだけど、徐々にそれが落ち着きつつある。
いや、というよりは――
「アイツ、死んだカモ」
そう、曦儡宮は界魚の壊疽に呑まれた。
神と呼ばれた存在だけあって、今まではそれなりに自我を保っていた。
だから、夢実ちゃんが直に拘束して、千切ったり痛めつけたりしてたんだろう。
まさかその千切れた断片を利用して、教師たちまで化物に変わるとは想像してなかったとは思うけど。
でも今は、心臓を潰されたことで曦儡宮としての意識が弱まり、完全に人を殺すためだけに存在する壊疽へと成り果てている。
「じゃああとは潰すだけってことで。みんな、さっきと同じ要領でやっちゃお!」
こうなった曦儡宮は、もはや腐ったただの肉塊だ。
ならやることは一つ。
圧倒的な火力をぶつけて、ねじ伏せるだけ。
◆◆◆
粉々になった城の瓦礫――その影に身を潜め、どうにか城を囲う掘まで移動してきた瀬田口。
彼は遠くへ逃げるための水路を探したが、そこも瓦礫に塞がれており、脱出路としては使えそうになかった。
真恋たちが使った地下道を使うという案もあったが、すでに一度ルートを把握されているため、仮に出口で待ち伏せされるようなことがあれば完全に終わりだ。
となると、逃走するためには地上を使うしか無かった。
「チッ、戦闘のどさくさに紛れて離れるしか……」
果たしてそれがうまくいくのか――彼が見た限り、依里花たちは戦いに慣れているように思えた。
しかもいつの間にか校長まで死に、曦儡宮も何やら追い詰められているではないか。
「曦儡宮様……あの悪臭を振りまきながら暴れる、ただのヘドロの塊が、俺たちが信じてきた神だと?」
振りまく悪臭は堀の中まで漂ってくる。
あれが曦儡宮が使っていた“道具”ではなく、曦儡宮当人だと知ると、自分が身にまとうあの黒い皮膜ですら汚らしいものに思えた。
それもそのはず。
瀬田口丁という男は、親の代から戒世教の信者である。
幼少期から信者になるべく育てられ、そして実際に幹部となり、その期待に応えてきた。
だから、彼は神秘に惹かれて信者になったのではない。
親から、曦儡宮がいかに素晴らしい存在で、崇拝すべき大いなる存在であるのかを説かれてきたからこそ、信者になったのだ。
だが実際に遭遇した神は、憧れたような姿ではなかった。
「違うだろう。俺があんたを崇拝したのは、強かったからだ。ちょっと口説かれただけで家族すらも裏切る腐った人間ども――そいつらのいる世界をぶち壊して、新しい世界を見せてくれるって信じてたからだ」
強すぎる憧れは、ときに容易に憎しみへと変わる。
瀬田口は曦儡宮に向けて手を伸ばしたかと思うと、その拳を強く握った。
「なのにあんたが腐ってどうするんだよ。真の世界は存在しないなんて、そんな冗談アリかよ」
声が震える。
存在意義が揺らぐ。
そんな彼の目の前で、空から無数の光が降り注いだ。
巨大な光の球体が、曦儡宮の体にぶち当たり、その肉体を蒸発させた。
塔のように大きな剣が、曦儡宮を真っ二つにぶった切った。
一筋の刃が神を貫き、土手っ腹に大きな穴をあけた。
「は……はは……」
瀬田口は、もう笑うしかなかった。
倉金依里花が生贄になるはずだった、ということは彼も知っている。
なにせ自分は真恋の実の父親なのだ、その哀れな姉のことぐらい調べていた。
そして、そのあまりに惨めすぎる人生を想像して、ときに嘲笑ったりもしていた。
だが今はどうだ。
その依里花が、神を殺そうとしている。
贄として、社会の最底辺とも呼ぶべき扱いを受け、その通りの運命を辿って死のうとしていた女が放った刃が、多くの人間を犠牲にしてまで呼び出された神を討とうとしている。
それを支えるのは、戒世教の幹部となるはずだった少女たち。
なんなら、曦儡宮の一部を名乗る者までいる。
「神なわけがない。あいつらに負けるような存在が、神であるはずが」
空を見上げる。
依里花が高く飛び上がっている。
「やっちゃえ、依里花あぁぁぁあああっ!」
令愛が叫んだ。
依里花は顔に笑みすら浮かべる余裕を見せながら、天からの裁きを神に下す。
「これで終わりだよ、曦儡宮!」
「人間め……よく、よくもただ生きたかっただけの、我をぉおおおおおお!」
「メテオダイブッ!」
その名にふさわしい、さながら隕石のような勢いで曦儡宮の急所を刺し貫く。
曦儡宮は負け惜しみにも似た断末魔の叫びを響かせながら、完全な液体となり、どろどろに溶けて地面に染み込んでいった。
少女たちの勝利に湧く声が聞こえる。
一方で、瀬田口の体からは、どろどろの黒い液体が流れ落ちていった。
腐臭があたりに漂う。
これが敗者の惨めさか――そんな言葉が脳裏によぎったが、すぐさま彼は首を振り否定した。
「違う、俺は負けちゃいない。俺たちが信じた曦儡宮はあれじゃあなかったんだ。俺が信じていたのは――」
空を見上げる。
不気味なほど黒い大きな穴と、天を貫く巨大な牙がある。
先ほどはそこに、巨大な少女の姿もあった。
瀬田口は手を伸ばし――己の信仰すべき対象を確かめる。
一方、曦儡宮を倒した依里花たちは、その喜びを分かち合いながら、すでに次の戦いへと意識を向けていた。
「あとは界魚のいる屋上へ続く道を探すだけだね」
依里花の言葉に、瀬田口はぴくりと反応する。
「界魚……真恋が言っていたな、そいつが全ての元凶だと」
曦儡宮すらも腐らせる界魚なる存在に、彼は興味津々だった。
「フロアの主を倒したことで、壁が消えたはずだもんね。でも依里花、屋上に向かうための場所はわかってるの?」
「みんなで手分けして探すしかないよ。それに、屋上にたどり着いたからって全部が解決するわけじゃないし」
その会話を盗み聞きする口元に、彼は笑みを浮かべる。
「屋上へ道……俺は知っている、知っているぞ。以前に見たときは、確かに黒い壁に阻まれて扉の先に進むことができなかったが――そうか、主とやらを倒すことで壁が消える仕組みだったのか」
先回りして屋上に向かえば――瀬田口は、依里花たちよりも早く界魚と邂逅することができる。
「界魚の元にたどり着いたとて、郁成夢実を取り戻せるのか――それが問題なのだな」
「界魚は現状、魂だけになった夢実さんを核にしてるわけだよね。肉体が欠けてるせいで全力を出せない」
真恋と日屋見が、丁寧に界魚の現状について説明してくれる。
瀬田口はそれに、疑いもせずに聞き入っていた。
「アタシなら、もっといい核をほしがる」
「我もギィに同意であるな。肉体と魂、その両方を揃えた人間が目の前に現れれば、界魚は夢実を捨て、そやつを核として選ぶかもしれぬ」
核、それが郁成夢実の現状。
つまりそういう存在になっているからこそ、巨大化して姿を現したりできるわけだ。
「核になれば……俺も、神の力の一部を扱える」
瀬田口は、ごくりと喉を鳴らす。
「神すらも殺す神……圧倒的力を持つ存在。なら、それが俺にとっての曦儡宮様なんじゃないか? 俺が信じてきた神は、界魚だったんじゃないか?」
信仰とは、人智を超えた力を持つ存在に出会うための手段に過ぎない。
ならば、彼にとって曦儡宮は曦儡宮である必要などなかった。
「あの少女が郁成夢実だって言うんなら、核になった人間はある程度だが意識を保てるわけだろ。だったら、世界を変えることだって――」
曦儡宮に委ねる必要すらない。
己の手で、己の望む形に、世界を変えられる。
瀬田口はそんな夢を見た。
「俺が、先に屋上にたどり着く。そして贄の少女に変わって核になる……それこそが、俺がたどり着くべき、信仰の果て。俺にとっての、真の世界を作るために……!」
目的は決まった。
彼は堀から飛び上がると地上に出る。
そしてちらりと後ろを振り返り、依里花たちとの距離を確かめると、街道を全力で走りはじめた。
◆◆◆
「かかった」
ついに姿を現した瀬田口を見て、私はにやりと笑う。
「あの男、曦儡宮は死んだはずだというのにやけに速いな」
真恋の言う通り、人間のスピードじゃない。
曦儡宮がいない今、あの黒いスライムの力は借りられないわけだから、あれは自前の身体能力ってことになる。
「選ばれてたんでしょ」
「何に?」
「夢実ちゃんに」
首を傾げる真恋。
まだわかんないかな――って仕方ないか、夢実ちゃんのこと知らないわけだし。
「戒世教の中でも地位も高そうだし、儀式にもがっつり関わってたわけでしょ? だから大木たちと同じく、私たちを模倣した力を与えられてたんじゃないかな」
「郁成夢実は何のためにそのようなことを」
「まあ、上に行けばわかるよ。ギィ、あいつのこと追えてる?」
「ギシシ、問題ない。小さいアタシがくっついてる」
ギィが双生鞭で作る分身は、サイズの調整も可能らしい。
そこで最も小さなサイズまで縮めてもらって、気づかれないよう瀬田口の肩に乗ってもらっているというわけだ。
屋上に続く扉の場所へは、彼が勝手に案内してくれる。
するとそのとき、激しく地面が揺れはじめた。
「きゃあっ!」
悲鳴を上げよろめく令愛の体を抱きとめ支える。
「ありがと。ここも揺れはじめたってことは……」
「曦儡宮が死に、フロアが壊れておるのだな。ついにアドラシア王国が完全に消滅するときがきたのだ」
「グゥ、なら急いで聖域の中の人タチを連れてこないと」
「瀬田口の居場所を追えてるのなら慌てることはない、全員で行動しようじゃないか」
フロアの崩壊もこれで三度目、もう慣れたものだった。
地形は端っこから徐々に崩壊をはじめ、数時間後には完全に虚空へと消える。
けど逆に言えば、数時間は猶予があるということ。
私たちは集落まで戻ると、待っていた人々と合流。
彼らを連れて、瀬田口の後を追った。
◇◇◇
ただの草原のど真ん中に、階段が生えていた。
階段を上った先には踊り場があって、その奥に扉がある。
「ついに最後かあ……」
扉を見上げながら、私はしみじみとつぶやいた。
「依里花と出会った頃のこと、ずいぶん前のように感じる」
すると令愛が私に腕を絡め、その話題に乗っかってくる。
「私も。そんなに経ってないはずなのに、令愛とずっといっしょにいる気がする」
「アタシもずっとイッショ」
軽く嫉妬するように、ぬるりと私たちの間から顔を出すギィ。
私は苦笑いして答えた。
「わかってるって。ちゃんとギィと出会ってからの時間も、短いはずなのに長く感じてる」
ぽんぽん、と彼女の頭を撫でると、その表情が緩む。
今もその顔が犬塚さんのものであることに変わりはないんだけど、慣れてきたおかげか、はたまた中身が違うから顔つきも変わっているのか、素直に可愛いと思う。
「我は二人に比べれば短いが、しかしその間に色々なことが起きすぎたな」
ネムシアは、少し疲弊した様子だ。
無理もない、現在進行系で故郷が崩壊しているのだから。
いくら覚悟を決めようとも、削れるものは削れていく。
ましてや、この先に待つのは――
「そしてここからも、色々起きてしまうのだろう」
「私は……ネムシアともっと一緒にいたいと思ってるよ」
「浮気者め」
「……ここでそれ言う?」
「その反応は、自分の気が多いという自覚があるようだな。実際どうするつもりなのだ。外に出ればこの異常な環境は終わる。日常に戻れば、もはや逃げられぬぞ」
「全部抱えるつもり」
「言ったな」
「言ったねぇ」
「イッタ」
三人に言われてしまった。
まあ、言っちゃったんだけど。
「今までさんざん不幸な人生送ってきたんだもん。取りこぼしたくないし、そのつもりもないよ」
「だ、そうだぞ。どう思うのだ二人は」
「あたしは……」
「待ってよネムシア、それこそ外に出てからでよくない? 落ち着いた場所で話す内容だって。少なくとも、こんな大勢に聞かせる話じゃない」
「まったくだな」
真恋は腕を組み、細目で私のことを見ている。
吹っ切れたからって生意気な顔して……。
すると、日屋見さんが揉めそうな私たちの間に割って入った。
「いざここにたどり着いたら、話し込みたくなる気持ちもわかる。でも、その積もる話も外に出てからにしようじゃないか」
続けて巳剣さんが苦言を呈する。
「ここまで来て、痴話喧嘩なんて聞いてらんないわ」
そこに牛沢さんと緋芦さんまで乗っかってきた。
「でも会衣が思うに、倉金さんが誰かと深い関係になれたことは、素敵な進歩だと思う」
「そうね……大切な人がいるって素敵なことだもんっ」
そういう方向性のコメントは別の意味で私にダメージが入るから勘弁してほしい。
「とにかく、全ては界魚との決着を付けてからよ」
そして最後に、いいところを井上さんが持っていく。
ぐうの音も出ない正論だった。
そう、全てはこの復讐の舞台に幕を引いてから。
それでも精算しなければならないことはたくさん残っているのだから、ある意味でそれは終わりではなく、始まりでもある。
「じゃあ行くよ、夢実ちゃんのところに」
私たちは最後の階段を上り、扉を開く。
夢実ちゃん。
最初にあなたにあったら、まずは言わなきゃいけないことがある。
ちゃんと伝えられるかな。
今だって、足を前に出すことすらうまくできなくなるぐらい緊張してるっていうのに――
面白いと思っていただけたら、↓の☆マークから評価を入れていただけると嬉しいです。
ブックマーク登録も励みになります!





