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038 みんな嘘つきだ

 



 私はネムシアを追って走った。


 けど彼女は思ったよりも遅く、すぐに追い抜いてしまう。


 素早さに振ってないだけ? それとももしかして、能力を持ってないの?


 これじゃあ私が抱えて走った方がずっと早い。


 校舎の崩落も加速してるし、ネムシアが向かってる場所にたどり着けるかもわからない。




「ネムシア、私が抱きかかえるから行き先だけ指示して」


「何だと? なぜ我がお主のような平民に抱えられなければ――ってぬわーっ! 何をやっておる! 離せぇ!」


「暴れないで! ほら、どこいけばいいの?」


「むぅ……あちらだ。我がアドラシア王国に戻ったら、不敬罪で裁いてやるからな!」




 ……戻れると思ってるんだ。


 私が思うに、彼女が生きてるだけでも奇跡的な状況だと思うけど。


 とにかく今は、ネムシアが案内してくれる通りに走る。


 そしてたどり着いたのは、様々な道具が置かれた倉庫のような場所だった。




「ここなの? でもこんな場所、すぐに崩れるんじゃ」


「いいから入るのだ! 我が間違ったことを言うわけなかろう、女王なのだぞ?」


「はいはい」




 まあ信じるしかないか。


 歪んで開かなくなったドアを蹴飛ばして、部屋に入る。


 揺れはさらに激しくなり、床にヒビが入るだけでなく、天井が崩れ、壁も今にも崩れそうになっていた。


 するとネムシアは私の腕から降りる。


 そして部屋の隅に置かれた棚を動かしはじめた。


 何やってるのかわかんないけど、とりあえず手伝う。


 すると想像よりも簡単に棚は動き――というか動くように最初から作られてたみたいで、その先には地下に続くはしごが隠されていた。




「この下に地下室がある」


「地下なんかに逃げ込んだって閉じ込められるだけなんじゃ」


「空気も淀んでおらず、化物も現れぬ“腐蝕”の届かぬ場所でな。それに脱出する方法にも心当たりがある、とにかく行くぞ」




 はしごに足をかけるネムシア。


 すると、その頭上から瓦礫の塊が落ちてくる。


 私はとっさに彼女に覆いかぶさって庇った。




「く……いったぁ……」


「お、お主……あんなものを受けて大丈夫なのか!?」


「いいから早く行って、もうこの部屋も持ちそうにない」


「うむ――ん? しまった、はしごが腐っておる」


「じゃあ飛び降りればいい」




 私は強引にネムシアの体を抱き上げ、穴に飛び込んだ。




「あっ、お主またっ! そのようなことをせずとも一人で飛び降りうひゃぁぁあああっ!」




 突然のフリーフォールに、情けない悲鳴をあげるネムシア。


 穴を進むほどに、あれほどうるさく響き渡っていた地鳴りは遠ざかっていき、やがて視覚、聴覚ともに無に包まれる。


 まるで異空間に飛ばされたかのような感覚。


 かと思えば、急に視界は開け、私はライトで照らされた明るい部屋に着地した。


 床は石で作られているけど、学校の床とは材質が違う。


 もっと自然の石に近いものだ。


 地下にあるせいか、漂う空気もひんやりしていたが、腐敗臭がしないだけ校舎よりは何倍もマシだった。




「おい依里花よ」




 ネムシアはふくれっ面で私の頬をつねる。


 いたい。




「にゃに」


「観察する前に我を降ろすのだ。無礼にも程があるぞ」


「はいはい」




 さっきまで涙目になってたくせに、生意気やなつ。


 ネムシアは自分の足で立つと、「まったく」と唇を尖らせ軽く私を睨んだ。


 でも別にいいじゃん、こうして安全な場所に逃げ込めたんだから。


 そう、私は生きてる。




「すぅ……ふうぅ」


「深呼吸などして、すっかり安心しておるな。まあここは化物も出ぬ安全な場所であるからな。しばらく落ち着いて休んで」




 生きてるから――叫ばずにはいられなかった。




「あいつらッ、ふざけんなあぁぁぁああああッ!」


「ひいぃっ!?」




 拳を壁に叩きつける。


 壁が砕けた。びっくりさせてごめん、ネムシア。


 でも我慢できない。


 続けて額を何度も壁に打ち付ける。


 その壁をあのクソ共と思いながら、叩き殺すつもりで、何度も何度も。




「母親だか何だかしらないけど令愛を傷つけてぇッ! 真恋を殺しやがってぇぇええッ、日屋見さんまで巻き込んでさぁああッ! 助けらんなかった私にも嫌気がさすけど大木ィィ! あいつは殺す! 絶対に殺す! 何をしてでも殺すッ! うわあぁあああああああッ!」


「お、おい依里花、急にどうしたのだ? その、自分の体はあまり傷つけない方が……」


「あの中見って女もそうだ! 何年もかけて令愛の心を裏切りって気持ち悪いんだよ! 戒世教のやつら、やることなすこと気持ち悪すぎるッ! 曦儡宮だか何だかしらないけど勝手にやってりゃいいじゃん、ごっこ遊びなら自分たちだけでさああぁあッ!」


「う、うぅ、よほど我慢しておった……のだな」


「白町も須黒も何で平然と生きてるわけ!? ああいうやつらに限って生きてる上に力まで手に入れてさあ! 都合悪すぎるんだよこの世界! 死んどけよ! なんで真恋を殺すんだよ白町がァ! お前が死ね! 無様にゾンビになって私に大人しく殺されろぉおおおッ! 死ね! 死ね! 死ねえぇぇぇええッ!」




 自分への怒りも含めて――私は壁に大きな穴が空いて、顔が血まみれになるまで額をぶつけ続けた。


 ネガティブに落ち込むのではなく、こんなにも怒り狂うのは始めてだった。


 それだけ、あの待ち伏せは不愉快だった。




「はあぁぁ……はぁ……ふざけんな……ふざけんなあぁ……ッ!」


「まあ、その……なんだ、元気を出すのだ……」


「元気だけなら……はぁ……死ぬほどあるんだけど……!」


「それでその、誰か……亡くなったのか?」


「私の妹が死んだ」


「それは悲しいのう……」


「憎んでた妹だけどね。まだ色々仕返しできてないから、死なれちゃ困るってのにッ!」


「そんな理由で怒っておるのか!?」


「パーティのリーダーだったから、メンバーになってた日屋見さんも道連れになってね。跡形もなく消えちゃった」


「パーティというのがよくわからぬが、道連れになって死ぬものなのだな。しかも消える、のか。不思議なこともあるものだ」


「……」


「何だ? なぜ黙る? 何か気に障ったか?」


「いや、知らないのかなと思って。私の勘違いでなければ、ネムシアの世界もカイギョに襲われてると思うんだけど」


「む……うむ、おそらく……はな」


「女王なんて一番色々知ってそうなのに、なんでそんな微妙な答え方するの?」




 仮に、私たちの得たこの能力が、カイギョに襲われた全ての世界に与えられるなら――ネムシアも知っているはずなのだ。


 管理媒体がスマホじゃなかったり、こんなゲームみたいなシステムじゃないかもしれないけど、他の形で。


 そういや、前に合ったときも、アドラシア王国の人間っぽいのがゾンビとしてこの校舎に現れてるって言ったのに、中途半端な反応してたよね。




「実は……どうやら我は、記憶が無いらしいのだ」


「記憶が?」


「平和だったアドラシア王国のことは覚えておる。しかし、お主がいうカイギョがどうとか、ゾンビがどうとか、そういうのは全然知らぬ。いや――知らなかった、というべきなのだろうな」


「過去形ってことは、今は多少は思い出してるんだ」


「ここで生活しておるうちに、少しずつ思い出してきたのだ。元より我が国には“魔法”と呼ばれる、体内の魔力を使用して行使する特殊な技能が存在しておった。だが最近になって、魔法とは異なる特異な能力を持つ者が現れ始めた」


「壊疽――ゾンビが出てくるのと同時に?」


「我が国は広い。我の記憶に残っている限りでは、まだそういった化物と遭遇したという報告は出ておらんかった。思い出せば、そういう記憶もあるのかもしれぬがな」




 確かにこの校舎は広いから、すぐに人間とゾンビが遭遇した。


 仮に“世界ごと”カイギョに襲われるのが正しい姿なのだとしたら、ゾンビの存在に気づくまでに時間を要しても仕方がない。


 だったら何で私たちの世界だけ特殊なのかっていう疑問が出てくるけど。




「我々はそういった人間のことを“勇者”と名付け、調査をしておったのだ。勇者たちは冒険の書と呼ばれる本を使い、次々と未知の技能を身につけていった」




 そこはかとなくゲームっぽいな……もしかしてこのシステムを作ったやつの趣味だったりする?


 あとネムシアの世界じゃスマホじゃなくて本で能力の管理してたんだ。




「要は世界が腐る前夜の記憶ってことね」


「アドラシア王国は滅びておらぬっ!」




 ネムシアは両手をきゅっと握り、必死の形相で力説した。


 なるほど――何で最初に合ったとき、片っ端から教室の扉を開いて回ってたのかやっとわかった。




「ごめん、デリカシーなかった。だから探してるんだ、王国の場所を」


「あ……我の方こそすまぬ、そちらも被害者だというのにな。我の目的に関しては、お主の言うとおりだ。もし国難が迫っておるのなら、女王たる我がこのような場所で油を売っているわけにはいかぬ」


「そんなに若いのに女王ってすごいね。私と変わんないぐらいでしょ?」


「少し前に前王が死に、兄上も行方不明になってしまった。我以外には王を継げる人間がおらぬのだ」


「苦労してるんだ……」




 やたら強気な物言いも、そのせいだったりするのかな。


 強がらないと舐められるから、みたいな。




「とりあえず、王国を探したいっていうネムシアの目的はわかった。じゃあ話を戻すけど、勇者ってやつにもパーティ――要するに同じ力を持った仲間を増やす力があったんじゃないかと思うんだけど」


「うむ……言われてみれば確かにあったな。使徒と呼ばれておったはずだ」


「そこまで覚えてるなら、その勇者ってやつが死んだとき、使徒がどうなるかも覚えてるんじゃないの?」


「要は、消えたかどうかという話だな」


「そうそう」


「勇者が死ねばもちろん使徒は力を失う、だが死ぬことはないはずだ。無論、消えることも。戦いの最中に力を持たぬ普通の人間に戻れば、死ぬ可能性はぐっと高まるが」


「……」


「なぜ黙る。ああ、そうか、依里花の妹は消えてしまったのだったな……我らの世界でいう勇者とは仕組みが違うのか? それとも何か別の原因が――」


「いや……何が起きたのかわかったからいいよ、大丈夫」




 元々、手札の全てを晒すようなタイプの人間じゃないとは思ってたけど――真恋の親友なだけあって、やっぱり日屋見さんも油断ならない存在だ。




「まったく、あんな妹のために少しでも落ち込んだ私が馬鹿みたいじゃん。まったく、ほんっと嫌なやつら! ははっ」




 そりゃあさあ、死ぬにしたってあっさりすぎるとは思ったけど、実際に人が死ぬときなんてあんなもんじゃん?


 どんなトリック――いや、スキルを使ったのか知らないけど、状況が不利だと判断して死んだふりをしてみせるなんて。


 イチかバチのギャンブルもいいとこだよ。


 パーティのリーダーが消えたとき、メンバーがどうなるのかあの場にいる人間が一人でも知ってたら、ハッタリは通らないんだから。


 しかもそれを私に教えてなかったってことは、ひょっとすると騙されてたのは私だったかもしれないわけだし。




「反撃のための爆弾は一個だと思ってたけど、二つもあるんなら心配する必要も無いかもね」


「さっきより表情が明るくなっておるな」


「心が少し軽くなったから」


「爆弾か……何か罠を仕掛けておるのだな。まさか、先ほど我のことを“ギィ”と呼んだのもその仕込みか?」


「犬塚って呼ばれてた女の子がいたでしょ。あれ、見た目が犬塚さんなだけで、中身はギィっていう私の仲間なの」


「変装しておるのか。はたまた、あの大木や中見という女が使っておったのと似たような術か?」


「似てるけど、あれとは違う。ギィは人間じゃなくてスライムみたいな生き物だから、全身の形を変えられるんだ」


「意思疎通が可能なモンスターということか。この世界にもそういった生命体がいるのだな」




 いないけど、まあ今はいるってことにしておこう。


 説明めんどくさいし。




「でさ、今さらなんだけど」


「なんだ?」


「ここって何なの?」


「本当に今さらな質問をするのだな」




 そりゃ今までは溜め込んだもの吐き出す時間だったからね。


 落ち着いたなら、聞かずにはいられないよ。


 こんな遺跡じみた、そのくせ割と新しく作られたような不思議な空間。




「とはいえ、むしろ我がそれを聞きたいぐらいだ。お主らの学舎の地下室であろう? 何が目的で、このような悪趣味な空間を作っておるのだ」


「悪趣味……ってことはここ、やっぱり戒世教の施設なんだね」


「本当に詳しくは知らぬようだな」


「だから前も言ったじゃん、私は敵対してるって。戒世教は何も知らない生徒を曦儡宮っていう邪神の生贄として捧げてるの。私たちは被害者側」


「では先ほど相対しておったあの男どもが、戒世教側というわけか?」


「たぶんね。学校の教師の大半は信者なはずだから、大木は間違いなくクロ。中見も一緒。白町くんと須黒くんも、事情を知った上で手を組んでそうではあるかな」


「理解できぬな、自分の友が生贄に捧げられるかもしれぬのだろう? なぜ手を組む」


「あいつらは生贄にはならない。捧げられるのは、虐げられる側の弱い人間だからね」




 だからこそ余計に、私たちは迫害される。


 “自分はあいつらとは違う”という意思表示さえ続けていれば、生贄になることは無いから。


 そうやって区別するために、彼らの行動はエスカレートしていって、やがて死に至る。


 本来はそこで表社会に問題が露呈して止まるんだろうけど、この学校に関しては例外だった。


 全てはもみ消され、教師はそんな生徒たちを褒め称え、悪意は留まることなく増幅していく。


 この地下空間が曦儡宮のために作られた祭壇だって言うんなら、いわばここは悪意の中心地だ。


 反吐が出るような事実が残されているに違いない。




「弱いものが虐げられるのはどこの世でも同じなのだな……」


「そういやネムシアさ、前に会った時点で戒世教や曦儡宮の名前を知ってたよね。もしかしてアドラシア王国にも戒世教があったとか?」


「そんなわけなかろう」


「じゃあやっぱ、この地下に資料とかが残ってたの?」


「いかにも。王国にいたはずの我は、なぜかこの場所で目を覚ました。そして状況を把握するために、ここを調べ回ったというわけだ。調べれば調べるほどに、気分の悪くなるものばかり見つかったがのう。しかし一番驚いたのは資料よりも鏡を見たときだ」


「鏡? 自分の顔ってこと?」


「最初は驚いたぞ、我の顔が見知らぬ他人に変わっておるのだからな」


「……は? なにそれ、初耳なんだけど」




 ネムシアが急に変なことを言い出すので、どくん、と心臓が跳ねた。


 だってさ、ネムシアが別世界にいる夢実ちゃんのそっくりさんじゃないって言うんなら――おかしな部分、出てくるでしょ。




「そういえば言っておらんかったな。この顔は我の顔ではない。お主も我が王国の民に似たゾンビを幾度となく遭遇したと言っておったが、そもそも顔の造りが違うのだ。可愛げがある顔なので気に入ってはおるが、さすがに違和感は拭えぬな」


「な、なんでそんなことがあったのに、平然としてんの?」


「平然とはしておらぬ。何日もこの体を見て、付き合うしかないと割り切ったのだ。何より大事なのはアドラシア王国に帰ることなのだからな」


「じゃあ、その体は……何? 誰のなの?」




 ネムシアは気まずそうに私から目をそらした。




「お主と遭遇したあとに思い出したが、確かにここにある資料に“夢実”という名前が記されているものがあった。ひょっとすると、その少女の体、なのかもしれん。それならば、こうして未知の言語でお互いに意思疎通できている理由にもなる。はっきりしたことはわからぬが」




 さらに心音がうるさくなる。


 体が熱くなって、呼吸も浅くなっている。


 ネムシアはなぜそんなことを言うのか。


 ありえないのに。


 絶対、絶対に。




「そんなわけないじゃんっ! だって夢実ちゃんは――夢実ちゃんはここにいるはずがなくってッ!」


「我のことを“夢実ちゃん”と最初に呼んだのは依里花ではないか」


「それはそうだけどっ! あんまり似てたからそう呼んだだけで――でも、ここの資料に書いてあったってことは、夢実ちゃんはここにいた? ずっと?」


「うむ。しかし、この女神のように透き通った金色の髪や、翡翠のように美しきこの瞳は、紛れもなく母上から受け継いだものだからな? その夢実という少女のものではないはずだ」


「……それは、そうだと思う。夢実ちゃんは黒髪だったし、目の色も普通の日本人と同じだったから」




 混ざっている――もしかして融合?


 ギィと犬塚さんと同じような現象が、夢実ちゃんとネムシアにも起きたっていうの?


 いや、でも結局、どうして夢実ちゃんはここに――だって、私に送られてきた写真や動画は、確実に夢実ちゃんから送られてきたもので。


 ああ、でも、わかってる、わかってるよ。


 それが可能な人間が身近にいたことを、私はついさっき知ったはずだ。


 大木藍子。中見月。


 あるいは戒世教の信者たち。


 あのクズどもなら、夢実ちゃんになりすまして私のスマホにメッセージを送ることはできる。


 じゃあ、本物の夢実ちゃんは、一体どこで、何をしているのか。




「依里花、お主顔色が悪いぞ?」


「……そりゃ気分も悪くなるよ」


「念の為聞いておくが、その夢実という少女とは、どのような関係だったのだ?」




 関係、か。


 何だったんだろう、あのふわふわとした、ただ一緒にいるだけで幸せな関係。


 すべてを捨てても一緒に生きていきたいと思えるような関係。


 そこに具体的な名前を付けることを、私は恐れていた気がする。




「親友以上、恋人未満、みたいな」




 もっと早くに中途半端な関係に終止符を打っていれば、何か変わったんだろうか。


 いや――むしろ、傷は広がっただけだったのかもしれない。


 だって私の心の中には希望があって。


 こんなふうに駆け落ちしてくれるぐらい私を想ってくれるんだから。


 近いうちに、そういう関係になれるんだろうなって。


 そんな、甘い夢を、抱いていたから。




「そうか。ならば……見ないほうがいいかもしれぬな」


「ここにある資料を?」


「お主は間違いなく傷つく」


「だったら、なおさら見ないと」




 私は地下室の探索を始める。


 はしごを降りた場所は廊下のような空間で、突き当りには大きな扉があった。


 そして通路の左側にも、二個の扉がある。


 一つ目を開く。


 そこは大量の本やファイル、そしてパソコンの置かれた部屋だった。


 デスクに置かれた書類に目を向けると、そこには生徒の死体の画像が大きく印刷されていた。




「三年前……事故死に見せかけて殺害。遺体を市外より集めた死体と入れ替え、校舎に埋める。術式完成まであと五人」


「なあ依里花よ、なぜ自ら傷つくような真似をする」


「必要だから」


「その……我は鏡を見て、この顔が自分のものではないと気づいた。しかし、紙に描かれた夢実という少女の姿を見ても、我の顔と一致するとは思いもしなかった。その意味がわかるか?」


「わかんない」


「それだけ変わり果てておったのだ。しかも、開頭までされておった」




 開頭。


 頭蓋骨を開かれ、脳をさらされていた。


 夢実ちゃんが。


 あの、夢実ちゃんが。




「切除した頭蓋骨は透明の、ガラスのような容器に入れ替えられておった。おそらくは脳を目視して観察する必要があったのだろう」




 私はネムシアに歩み寄ると、おもむろに手で前髪を持ち上げた。


 そして額を観察する。




「何か……見えるのか?」


「切れ目がある」


「そうか……まあ、そういうことなのだろうな」




 失われた部位は、“ネムシア”の肉体で補完される。


 ある意味でネムシアと夢実ちゃんは融合していると言えるだろう。


 私のスキルと同じ方法ってわけじゃなさそうだけど。




「他に同じような状態になってる部位は?」


「腕と脚にも同じ切れ目があるはずだ。しかし我は――悲惨な事実を告げて、お主を止めるつもりだったのだが」


「だから絶対に見るって言ってるじゃん。何を言われたって」


「どうあっても傷を負うつもりなのだな」




 私は手を降ろして、強く拳を握った。


 胸の奥底から溢れ出る感情が大きすぎて、そうせずにはいられなかった。


 さっきから感情の振り幅が大きすぎて、情緒がめちゃくちゃだ。




「私はずっと、夢実ちゃんに裏切られたと思ってた。本当は二人で一緒に逃げるはずだったのに、私を一人置いて、楽になる道を選んだんだから。そして向こうから一方的に連絡することで、楽になった自分を誇示して、自分を不幸にした私への復讐をしてるんだ……って」


「詳しい事情は知らぬが、そのようなことがあったのだな。だがそれも戒世教による偽装工作、ということか?」


「だとしても、戒世教の存在すら知らなかった当時の私にわかるわけがない。送られてきたメッセージには夢実ちゃんの顔が確かに写ってるんだから。裏切られたんだって、夢実ちゃんを憎むことしかできなかった」




 失踪者だとわからないよう整形したという話も、やけに生々しく聞こえて。


 私はあれを信じ込んだ。


 いや、信じるしかなかった。


 夢実ちゃんの両親は、彼女の失踪を私のせいだと言って糾弾した。


 だったら私は、誰のせいにしたらいい?


 そんなの、いなくなった夢実ちゃん以外にいないじゃないか。




「でも、もし、夢実ちゃんも被害者だとしたら。私を裏切ってなんてなかったとしたら」




 なのに、私が夢実ちゃんを恨んでしまっていたというのなら。




「私は、私自身で、誰よりも大切だと思ってた夢実ちゃんを汚してたことになる! 裏切ってたのは、他でもない私だって!」


「お主のせいではなかろう。背負い込みすぎではないか?」


「いいやそんなことはない。少なくとも私には、どれだけ傷ついたとしても、苦しんだとしても、夢実ちゃんが受けてきた痛みの全てを知る義務があるッ! そうしないと――他の奴らに憎しみを向けるところまで、進めない」




 自責の念だけで留まっていてはならない。


 まずは自分を断罪する。


 仮に、夢実ちゃんを傷つけた人間たちがいるのなら――私はそいつらのことを、夢実ちゃんのぶんまで殺さなければならないのだから。




「何を言っても無駄らしいのう。仕方ない、これを見るがよい。だが、気分が悪くなったら止めるのだぞ」




 どうやらネムシアは、夢実ちゃんの名前が記された資料の場所を最初から知っていたらしい。


 棚から一冊のファイルを取り出し、私に手渡す。


 私は部屋に置かれていた椅子に腰掛け、ファイルをデスクの上で広げた。


 そこには、地下に連行された経緯から、贄として捧げられるその日まで、報告書には全てが詳細に記されていた。




「この日付、二人で逃げるはずだったあの日だ」




 私が集堂くんや浅沼くんたちに暴行を受け、動画を撮影されたあの日――夢実ちゃんに裏切られたと思い込んでいたその時。




「夢実ちゃんは裏切ってたんじゃない。私のところに来る前に、連れ去られてたんだね」




 大木や白町、須黒を中心とする“別グループ”が、夢実ちゃんを誘拐(・・)した。


 そう記された文字を指先でなぞりながら、私の視界は怒りと後悔の涙で滲んだ。




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[一言] ネムシアはヒロインかな?立ち位置はややこそうだが
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