034 生死混濁
「やらせるかあぁぁああッ!」
目の前に迫る肉の剣に向けて、私はドリーマーを突き出す。
相手は肉体を硬化しているのか、まるで金属とぶつかり合うように、ギィィッ! という音が鳴り火花が散った。
ホームシックの引き寄せる力は強力で、私の腕力だけでは押さえきれない。
押しつぶされて貫かれる前に、この肉塊を潰すしかないのだ。
「近いとグロいし臭いしで――とっとと壊れちゃえッ!」
一か八かでデュアルスラッシュを放つ。
すると刃は砕け、まるで割れた風船のように肉塊は血を噴き出してしぼんでいく。
耐久性はそこまで極端に高いわけじゃないみたいだ。
私以外の引き寄せられた他の面々も――真恋と日屋見さんは私同様に力で抗い、令愛は盾で防いだ上で押しつぶし……ギィは体を変形させて避けていた。器用だなあ。
でもそれも、島川くんの犠牲があったからこそ対応できたもの。
何も知らずに無防備のまま引き寄せられていたら、彼と同じように串刺しになってただろう。
島川くんのHP確認――【9/30】。
動いてるから即死してないのはわかってたけど、もう一発はさすがに耐えられないか。
「ぐ、がふっ……ぐうぅ、あに、き……!」
島川くんは腕の力を使って必死に引き抜こうとしているけど、肉塊の引力がそれを許さない。
先に敵を倒すしかない。
イリュージョンダガーを投げつける。
すると島川くんから少し離れた天井に肉塊が生え、そちらに引き寄せられてしまった。
「そういうこともしてくるんだ……」
あの感じだと、魔法を使っても捻じ曲げられちゃいそうだな。
私が直に助けにいくしかない――そう思っていると、先に真恋が動き出す。
彼に駆け寄ると、机を足場にして高く飛び上がる。
そして刀を振り上げた瞬間、彼女の真下に肉塊が生えてきた。
「チッ、意地でも近づかせないつもりか!」
見えない力に強引に向きを変えられ、急降下する真恋の体。
それを見て、失敗は承知の上でで私と日屋見さんも島川くんに向かって駆け出す。
やはりホームシックは複数の肉塊を生み出し、私たちの動きを封じた。
日屋見さんは拳で迫る刃を叩き潰しながら、ため息交じりにつぶやく。
「レディに対して容赦がないな。さすがに彼がこのまま体力を消耗するとまずいね」
出血するほどに、HPはじわじわと減少していく。
すると島川くんは串刺しになったまま、スマホを操作しはじめた。
そして手のひらを、自らの腹を穿つ刃に向ける。
「ファ、ファイア……!」
ゴオォッ! と燃え盛る火球が肉塊に命中する。
だが着弾と同時に飛び散る火花は、彼の肉体をも焦がした。
それでもあそこから脱するには、自分の力で抜け出すしかないのだ。
苦痛に顔を歪めながらファイアを連発する島川くん。
すると、ついにホームシック・レプリカの形が崩れ、彼の体が解放される。
自由落下する彼を受け止めようと、一番近い真恋が駆け出す。
しかし誰もが思ったはずだ。
このまま敵が見逃してくれるはずがない、と。
案の定、部屋に無数の肉塊が生えてきて、私たちは全員そちらに向かって引き寄せられる。
体が浮かび上がり、急加速して予想外の方向に飛ばされる。
「きゃあぁああっ! またなの!?」
「しつこすぎるやろ……ッ!」
私たちは対処方法がわかってきたから問題は無いけど、島川くんはあの体じゃまた串刺しになるだけだ。
すると、空中を舞いながらギィは体の一部――もとい鞭を変形させて伸ばし、彼に絡みつけた。
「ぬおぉおおっ!? と、止まったんか……!」
「ギィ。別方向に引き寄せる力を拮抗させてる」
私は自分を引き寄せる肉塊を潰しながら、空中で静止する二人を観察する。
ギィの言う通り、拮抗してるから止まってるんだろうけど――私の予想が正しければ、あの状態は長くは続かない。
「今のうちに回復する。ヒーリング!」
「おぉ……おおきにな。でもこのまま止まっとったら、少なくとも串刺しにされる心配は無いんやないか?」
「それは――」
「ギィ、早く手を離してッ!」
令愛が叫ぶ。
ギィの体――しかもちょうど島川くんから見えない背中側に異変が起きていた。
裂け目が生じてぱっくりと割れ、そこから内臓が引きずり出されようとしていたのだ。
彼女はその声を受け、すぐに絡めていた触手をほどく。
「結局こうなるんやな!」
「グゥ……体から何か出てる」
あれがギィじゃなかったら、とっくに死んでそうなぐらい中身が飛び出している。
本当に半分スライムで良かった。
彼女は肉体をヒーリングで癒やし、難なく次の肉塊も回避する。
一方で島川くんは、ミラージュスティングの連続攻撃で肉塊を破壊し、串刺しから免れていた。
だが被害を受けなかっただけで、何かが進展したわけじゃない。
教室中央に座る、未だ顔も見えない男子生徒を睨みつつ、令愛が声をあげた。
「これどうしたらいいのかな。全然あの人に近づけないよ」
「遠距離攻撃も通用しない……しかもあれを倒したところで終わるかどうかわかんないもんね」
正直、今のところ私もどうしていいのかいい案は浮かんでいない。
「私たちの体力も消耗している、長期戦になると分が悪いよ」
「しかも、先ほどの赤い廊下と違ってここには逃げ場も無いようだからな」
真恋の言う通り――あの赤い廊下なら、逆方向に全力で逃げれば保健室に戻ることができた。
しかし、この教室の扉を開いても保健室に繋がっている保障は無い。
むしろ、窓の外に広がる赤い巨人がのたうち回っているような光景を見るに、余計に追い詰められる可能性すらある。
結局は、ここであの島川優也らしき何者かを倒すしかないのだ。
「やれることを試してみるしかない」
私は一人、敵に向かって走りだした。
机を踏み台にして、滑空するイメージで加速しながら標的に急接近する。
だが当然、それを止めるべく肉塊が生えてくるわけで――足がふわりと浮かび、私は天井に引き寄せられる。
それと同時に、私は“移動を伴う”スキルを発動した。
「ソードダンスなら――ッ!」
ターゲットはもちろん、島川優也。
スキルを発動すると、私の体は自動的に狙った場所に向かって前進する。
見えない力に引き寄せながらも、それを強引に振り切るように前へ、前へと。
「がっ、ぐうぅぅううッ!」
先ほどのギィ同様、強引にホームシックの力に抗っているからか、肉体に大きな負荷がかかる。
骨が軋み、内臓が背中側に寄っていく気味の悪い感覚――
「こんのおぉぉおおおッ!」
着実に標的には近づいている。
だけどソードダンスの歩数上限が訪れ、私の足は数メートル手前で止まってしまった。
そこからは今まで通りだ。
急速に肉塊に引き寄せられて、鋭く尖った刃がそんな私を待つ。
私は天井に張り付くその肉の刃を破壊し、自由落下して床に着地した。
『モンスター『ホームシック・レプリカ』を殺害しました。おめでとうございます、レベルが51に上がりました!』
着地と同時に、背中に熱を感じる。
「え、依里花っ、背中に血が!」
令愛の声が震えていた。
手で触れると、制服がべっとりと血で汚れている。
どうやら内臓が引きずり出される寸前だったようで、背中がぱっくりと裂けているようだった。
「レベル上がるのはありがたいけどさ……たったあれだけで殺されかけるなんて、たまったもんじゃないね」
ヒーリングで傷を癒やす。
でもさっきのは惜しかった。
もうちょっと移動距離のあるスキルを使えば、届くかもしれない。
ただ令愛やギィ、真恋、日屋見さんは武器の特製から言っても、あんまりそういうタイプのスキルは持ってなさそうだ。
あるとすれば――
「俺の出番みたいやな」
槍を武器とする島川くん。
レイドスティングという移動を伴うスキルがすでに存在している。
そして彼の自信ありげな口ぶり――おそらくは上位のスキルを習得すれば、さらに機動力を高めることができるのだろう。
「自分でお兄さんのこと殺すことになるかもしれないけど、いいの?」
「前に言うたやろ、兄貴を解放してやりたいって。まあ、見た目は思ったよりそのまんまやったから、正直しんどいけどな」
島川くんは以前、完全に化物になった姿を見れば諦めもつく、と話していた。
しかし今の島川優也は、背中だけとはいえ学校に通っていたときと何ら変わりはない。
“ひょっとしたら”――そんな希望を抱いたまま貫くのは、確かに辛いだろう。
それでも彼は前に踏み出す。
「行くで、兄貴!」
槍を手に駆け出す島川くん。
するとそれを妨げるように、真横に肉塊が生えてくる。
「ミラージュスティングッ!」
彼は冷静に、まずはその肉塊を威力の高い連撃で破壊する。
引力から解放された彼は、従兄弟に向けて前進を再開した。
するとすかさず、今度は島川くんの真後ろに肉塊が生成される。
後ろに引き寄せられそうになった瞬間、
「レイドスティングやッ!」
突進を伴うスキルを発動。
引力を振り切って相手との距離を詰める。
だが、それだけでは先ほどの私と同じだ。
じきに限界が来る。
「まだまだァ、今の俺は二段ロケットやからなァ!」
しかし、彼の使えるスキルは一つだけではない。
二つ目――しかもミラージュスティングよりも上位のスキルで、さらに加速する。
「チャリオットスティング――これで終わりや、兄貴ぃぃぃッ!」
槍を中心とした力場を発生させながら、スキル名そのまま、さながら戦車のように突進する島川くん。
「ぬおぉぉおおおおッ!」
背中から血を噴き出しながら、ついに彼の穂先は敵を捉えた。
ザシュッ、と槍が背中からその心臓を貫き、島川優也は血を吐きながらのけぞる。
するとまるで鏡が割れるように景色にヒビが入り、砕け散った。
◇◇◇
目を閉じて再び開くと、そこには違う光景が広がっていた。
元の校舎に戻れたのか――一瞬そう思ったけど、どうやらまたしても違う空間にいざなわれたらしい。
「ここは……体育館?」
それは異界化もしていない、ごくごくありふれた体育館の風景。
しかし窓の外は漆黒に包まれており、元の世界に戻ってきたわけではないことがわかる。
さらに、一帯がゾンビを思わせる悪臭に包まれていた。
いつの間にか隣に来ていた令愛が、私の袖をくいっと引っ張る。
「依里花、あれ見て」
彼女が指をさした方には、壁に張り付く巨大な化物の姿があった。
「あれが……“ホームシック”の本体なのかな?」
「何重にも重なった殻を壊して、やっと本命に辿り着いたのかもね」
それはあまりに言葉で形容しがたい――異様な形をしていた。
強いて例えるとするなら、人間で作られた壁画、だろうか。
蠢く肉のキャンバスの各部に人の姿を保ったゾンビが埋め込まれているのだが、それらは首を吊られていたり、頭が弾けていたり、腹を貫かれていたり、台の上で体を開かれていたりと、まるで処刑でも受けているような姿をしていた。
しかも、そのゾンビの全てが学校の制服を纏っている。
中でも頭が弾けたものは、よく見ると龍岡先輩を思わせる身体の特徴を持っていた。
「明らかに島川優也の意思が混ざってる」
左上には太陽の形を模した人間の内臓の塊が配置されており、何となく勘でしか無いけれど、明治先生の死体なんじゃないかと思う。
そして中央上部には、人間の脳と眼球、口、そして脊椎が埋め込まれていた。
こいつは他のゾンビとは違い、腐っておらず、生きている。
眼球はぎょろりと周囲を見回し、そして島川くんを見つめて止まった。
「……嘘やろ」
彼の声が震える。
私ですら理解できたのだ、彼にわからないわけがない。
「それが今の兄貴なんか」
「大地……生きてたんだね」
その口から発される男性の声は、まるでスピーカーから流れるように体育館全体に響き渡った。
「そっちこそ生きてて何よりや。意識があるんなら、そっから出てくることもできるやろ?」
「不可能で、だよ。肉体が無意味だ」
「体なら魔法でいくらでも再生できる。そうや、倉金先輩にパーティに入れてもらえばええ! そしたら最悪、肉体が死を迎えても蘇生できるやろ」
「死。蘇生。命は軽いね、大地。そう思うと随分と楽になった。お母さん、お父さん。楽になった」
「何を言っとるんや。叔父さんと叔母さんが死んでもうて、俺も辛かった。兄貴のほうがもっと辛かったことも知っとる。だからこそ、兄貴は生きて幸せになるべきなんや!」
「みんな楽になる。考えるのは無駄だ。楽になったほうがいい。聞いてくれ大地、明治先生も楽になった。楽ってどういうことか知ってるか? 楽っていうのは死だ。楽と死って同じ文字で書くだろう?」
「先生もそないなこと言っとったな……その気持ちはわからんでもない。でも生きて帰れるなら、それに越したことは無いやろ。だから、な? 一緒に帰ろうや、兄貴」
「大地……楽ってことは無意味という意味なんだよ。生も死も意味がない。人の生き死にに、どんな意味があるっていうんだい?」
「兄貴?」
さすがにその違和感から目を背けられなかったのか、島川くんも首を傾げる。
だが島川優也がその疑問に答えることはなく、彼は意味不明な言葉を早口でまくし立てる。
「Kαい魚の前には全てが無意味じゃないか。カ異儀ょに呑まれた時点で全ては終わりなんだよ。可異形は全てを腐らせて等しく食らってくださる、るるる。るー、るるるーっ、はは、楽死いね大地! 頭から脳を歌うのは大好きなんだ七瀬さーん! オ頭さーん! お母さん! うわあああああ! 熱いよお! 熱いよおおお!」
「な、何を言ってるんや」
「歌を聞いてください、タイトルは僕たちの世界は界ギョの3京9487億1237万9984番目の牙に捕食されたんだ。空を貫いた牙は無数に存在する牙の一つに過ぎずその存在の巨大さに人類はもはや無価値。無意味だよ。その時点で。です。全ては。僕が僕であることも、贄が僕を選んだことも、明治先生の生き死にも、贄がイクナが全てを箱庭であああイライラするどうしてこんなに狭い箱庭ががががあ、あ、あ、人の命に意味はないんだ!」
「もう、やめてくれへんか」
「無意味だ。無意味。無意味。無意味いいいいいい。だったらここは何のための舞台? 君のためのミュージカル? 島川優也のため? ノー、ノー、ノー! 君だ、お前だ、倉金依里花あああああ! ああああ、ごめんなさい無意味な文字列情報量存在が無意味なのに羅列してしまう羅列」
「なあ兄貴、兄貴ィッ!」
「界魚にちっぽけな負担を羅列つつつつ無意味だった無意味だったやった嫌だ良かった全て平等に死ぬ死ぬ死ぬここなら平等に死ぬ死にたくない寂しいよおかあさあああああん!」
「やめてくれぇぇえええええッ!」
島川くんは涙を流しながら、槍を持って敵に突っ込んでいく。
止めようと私は走り出したけど、思ったより彼の全力疾走は速い。
どうやら素早さのステータスに大量にポイントを注ぎ込んだらしい。
だからスキルの威力も低かったんだ!
「大地いい、おうちに。おうちを、お前が、おうちいいいいい!」
体に埋め込まれていたゾンビがずるりと這い出してくる。
そいつらの体はなぜか十字架に縛り付けられており、さらにその十字架は管で本体とつながっていた。
その管に操られるように、ゾンビは空中から島川くんに飛びかかる。
「島川くん、避けてッ!」
「兄貴ぃぃいいいいいッ!」
駄目だ、頭に血が上って声が届いてない!
ナイフを投げて足を切り落としてでも止める? それとも諦めて蘇生に賭ける?
決断を迫られたそのとき、背後から知らない声が響いた。
「優也くんっ」
令愛でもギィでも真恋でも日屋見さんでもない、もちろん私でもない――少女の声。
それを聞いた途端、島川くんに襲いかかろうとしていたゾンビがべちゃっと床に落ちる。
「……どうして?」
そして、急に理性を感じさせる声で、島川優也は困惑した。
島川くんも足を止めて、そちらに視線を向ける。
「久しぶりだね。君に恩返しがしたくて戻ってきたよ」
「七瀬……」
「そう、アタシ。七瀬朝魅ですっ」
とても自殺したとは思えない、明るい笑い声を振りまく七瀬さん。
その立ち位置から、おそらくはギィが変形してなりすましているのだろう。
でも私たち――七瀬さんの外見も声も、フルネームすらも知らなかったはず、だよね。
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