第26話 戦い終わって
今日はいろいろとありすぎた。
思考を止めて、静かに瞳を閉じれば1秒後には眠りの世界に旅立てるだろう。だが、ミーシャはそうしなかった。
ベッドに横たわりながら出来事を思い返す。
得た知識は博識なミーシャでも知らないことばかりだった。
頭の中に詰め込まれたそれを整理せずにはいられなかった。
アルファはこう言った。
――起こりえる全事象は重なって存在し、観測されることで正しい状態に収束する。
例えば、単一のミーシャが存在するのではなく、魔術師としてのミーシャ、戦士としてのミーシャ、軽戦士としてのミーシャが同時に存在しているということだ。
それだけでも頭が痛いのに、観測、すなわち外界からの働きが介入することによって、いずれかのミーシャに決まるらしい。
それがアルファの言うところの『存在』なのだ。
(……マジで何を言っているんだろう)
常識から外れすぎている。さすがのミーシャであってもすぐに理解できなかった。
だが、正しいのだろう。ついさっき体験した『とんでもない出来事』を引き起こすほどの力を持つのだから。
正しいのはアルファの言葉で、間違っているのはミーシャの常識だ。
だが、それは決して不快ではない。
(……面白いねえ!)
結局、それがザテラ38でイオスに起こったことの説明になるのだろう。
ザテラ38を隔てていた壁は曖昧で――壁とドア両方の可能性を与えられていた。
それゆえに、スキル『シュレディンガーの猫』を持つイオスが観測した瞬間に壁はドアへと変化した。
ザテラ38のドアには2つの仕掛けが施されていた。
スキル『シュレディンガーの猫』を持つイオスが触れれば開くようになっていて、さらに触れた瞬間に無自覚のままスキル『シュレディンガーの猫』を発動するのだ。
それは、アルファがそう設定していたからだろう。
なぜなら――
スキル『シュレディンガーの猫』は閉鎖空間でしか機能しないから。
ドアが開く前にニャンコロモチの存在を出現させるには、そうするしかない。
かくして、ザテラ38に侵入したイオスはニャンコロモチと出会ったのだ。
「……いやあ、最初に発見したのが口うるさいグレイルじゃなくてよかったねえ……」
くくく、とミーシャは笑う。
だけど、その可能性もあったわけだ。あの瞬間に6人の学生がここに入ってきて、イオスが第一発見者になる確率はそれほど高くはなかった。
だけど、
「いや、必然なのかもね」
あの優秀なアルファが猫を託そうとするのだ。スキル『シュレディンガーの猫』持ちが第一発見者になるような仕掛けを用意していてもおかしくはない。
仕掛けがしていなくても――
やっぱり今の形に収束していたとミーシャは思いたかった。
悠久の牢獄に閉じ込められていたニャンコロモチ。
ようやく脱出したと思ったら、俺様最強グレイル様に拾われるなんて悲劇もいいところだ。
苦労した猫オメガにはハッピーエンドしか似合わない。
きっと、心優しいイオスが拾ったのは必然だったのだ。
非論理的だけど、ミーシャはそう思いたかった。
「お疲れさま、ニャンコロちゃん」
そんな世界を救った猫ニャンコロモチに――
一度は世界を揺るがしたスキル『シュレディンガーの猫』を受け継いだイオス。
彼らと一緒に旅をできることがミーシャにはたまらなく幸せなことだった。この先には何があるんだろう、この先にはどれだけの未来が広がっているのだろう、この先にはどんな驚きがあるんだろう、この先には――
「にししし!」
ミーシャは笑った。
未来の輝きがあまりにもまぶしかったから。
「……いやあ、君は面白いねえ、イオスくん! 君についてきて本当によかったよ! これからももっともっと冒険を続けようね!」
小さな笑いはやがて、静かな寝息へと変わった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ダンジョンから生還したグレイルは、こちらも無事に生還したピーターセンたちと合流した。
「グレイル、帰りが遅いから心配したぞ?」
「悪い。ちょっとばかし、箱型モンスターに絡まれちまってな」
「そうなのか!?」
「ああ。少しばかりヤバかったが、なんとか助かった」
「さすがだ、グレイル! それでこそビッグ4だ!」
うんうんとうなずいたピーターセンはそこでいぶかしげな表情を作った。
「……グレイル、その頬の傷は?」
「頬の傷?」
「猫に引っ掻かれた感じの傷だよ」
「ああ」
グレイルは左頬に触れた。
それは『青火鳥チェインメイルの男の飼い猫』に引っ掻かれた傷だ。
……あの後、目覚めたグレイルが目にしたのは、ボロボロになって停止している箱型モンスターと、その足元に横たわる『あの人の猫』だった。
グレイルが箱型モンスターに近づくと、箱型モンスターが耳障りな音を立てて倒れた。
グレイルの反射神経と運動神経なら簡単に避けられただろう。
だが、そうしなかった。
なぜなら、気づいてしまったからだ。
このまま倒れることを許せば『あの人の猫』が下敷きになってしまう!
だから、グレイルは両足を踏ん張り――
両手を伸ばした。
迫り来る重量を両手で受け止め、全身の筋肉を波打たせて箱型モンスターの巨体を押しのけた。全身の筋肉が痛むほどの重量だったが、それを根性と意地でやり遂げた。
ただ、そのお返しは痛烈だったが。
気がついてボンヤリする猫にグレイルが顔を近づけて挨拶したところ、驚かせてしまったようだ。猫は悲鳴とともに爪を閃かせて、グレイルの頬を攻撃して逃げ出した。
しかし、グレイルは怒らない。
なぜなら、あの人の猫だから。
あの人の猫を助けられた事実だけで、グレイルの胸は満足でいっぱいだった。
見返りを求めるなんて、とんでもない。
誇らしい気持ちを抱きながら、グレイルは己の頬を撫でた。
「名誉の負傷ってやつだ。気にするな」