第22話 聖人シュレディンガーの執務室(上)
真っ赤な炎の柱が消えたとき――
そこには焼き焦げた箱型モンスターが立っていた。とんでもない熱量だったが、まだ死んではいないようだった。
ぎ、ぎ、と鈍い音を立てて足を、腕を動かそうとする。だが、果たせない。
やがて、その小さな動きも止まる。
広間が、しん、とした静寂に包まれた。
緊張感で針のようになっていた俺の胸に温かい感情が広がる。はあ、と息を吐いた。隣にいるミーシャの顔を見る。ミーシャもまた俺の顔を見る。
「「おおおおおおおおおおおおおお――」」
そして、俺たちは同時に叫んだ。
「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」
勝った!
なんだかよくわからんが、勝った!
「勝ったああああああああ!」
「やったああああああああ!」
俺とミーシャは声の限りに叫び、お互いの手を叩き合って大喜びした。
ひとしきり喜んだ後、俺はミーシャに尋ねた。
「……なんで俺はプロミネンス・フラッシュが使えたんだ?」
「ぬっふっふっふっふ! それはミーシャさんが魔力電池になったからだよ!」
「魔力……電池?」
「覚えてる? 前にイオスが剣聖でファイアアローを撃ったときさ……魔力が微妙だって問題にぶち当たったじゃない? あのとき、わたしはわたしで考えている案があるって話」
「……ああ、そんなこと言っていたな」
「それが魔力電池。魔術師のスキルなんだけど、身体に触れることで自分の魔力を相手に使わせることができるんだよね」
「そんなのがあるのか……! すごいじゃないか!」
「いやあ……どうなんだろう……。微妙スキルって言われていたんだけどね、実は」
「そうなの?」
「受けわたす魔力の効率が悪すぎるんだよね……わたしのも、さっきの一発でがっつり持ってかれたし……。そもそも魔力を必要とする人って、普通は一定量の魔力を自分で持っているから、他人から借りることってそんなにないし……」
つまり、戦士のくせにレベル5魔術を覚えている、俺みたいなのがいないと役に立たないのか……。
「……なんか、俺のために変なスキル取ってもらってごめんな……」
「にししし! そうだよー! 感謝するんだよ、ミーシャさんに! なーんてね!」
あはははは、とミーシャが笑う。
「まあ、役に立ったからよかったよ。死んでいたかもしれないしね。それに劇的なシーンでお披露目できたから、ミーシャさんは満足しているよ!」
ああ、ミーシャ言ってたな……。
――絶体絶命のピンチでいきなり開陳して、一発逆転につなげる展開を目指したいね! 何事も演出が大事なんだよ!
「この上なく、本気の本気で絶体絶命だったなあ……」
「あはははは! やったねえ!」
そんなことを言いながら、俺たちはよろよろと立ち上がる。ミーシャの麻痺もどうやら回復したようだ。
箱型モンスターに近づいていく。
「すごいな、プロミネンス・フラッシュ。一発か」
「いや……あれはしょぼしょぼだよ?」
「え、そうなの!? 一発でこいつを倒したのに?」
「一発で倒したんじゃなくて、トドメの一撃って感じかな。それまでの攻撃で98%削って、最後の2%を削り殺したみたいな」
「そうなんだ。レベル5なのに?」
「発動ぶんの魔力は渡したけどさ、ダメージ計算はイオスのしょぼしょぼ魔力量で決まるから、ほとんど最低ダメージなんじゃないかな。ま、レベル5の魔術だから、それでも威力はかなりあるんだけどね」
「ふぅーん」
箱型モンスターの近くにニャンコロモチが倒れているのが見えた。……さっきのプロミネンス・フラッシュで巻き込んでなくて本当によかった。
ニャンコロモチを介抱してやらないと……あと、遠くで倒れている冒険者も。やることが多い。さっさと箱型モンスターをリトリーバーで消そう。
俺とミーシャが箱型モンスターの前に立っ――
そのときだった。
箱型モンスターの、箱の辺りからいきなり無機質な女性の声が聞こえた。
『個体識別U2Y367AR――確認、無資格者。
個体識別H496ETKG――確認、有資格者。確認、有資格者。確認、有資格者――』
……いきなりの声で固まった。
何を言っているんだ?
あっけにとられている――いや、あっけにとられている暇などなかった。
がぱん!
急に大きな音を立てて箱型モンスターの胴体――箱の部分が開いた。まるで両開きのドアが押し開かれたかのように。
その奥は――ただ、闇だけがあった。
「なっ!」
驚く俺の声にかぶさるように無機質な女の声がこう言う。
『シュレディンガーの猫を確認。有資格者を転送します』
「うわああああ!?」
その瞬間、すごい勢いで『俺の身体が開いた箱に向かって引っ張られた』。踏ん張っても抗えない、とんでもない力が俺の身体に働きかける。
「イオス!」
箱に飲まれようとする俺の手をミーシャがつかんだ。
そこまでだった。
その瞬間、俺の意識も見えていた風景も深い闇に飲まれてしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
遠くから声がする。
「――ねえ、イオス――きて、起きて――」
「う、ううん……」
目を覚ますと、心配そうな顔で俺を見下ろしているミーシャと目があった。
「ミーシャ?」
「よかった、元気そうで!」
俺は痛む身体に顔をしかめながら、身を起こす。そこは部屋だった。膨大な本のある部屋だった。壁という壁に本棚が並んでいて本が限界まで詰み込まれている――のみならず、床にまで溢れ出た本の山に侵食されている。
「……すごいな、ここは……」
表紙には見慣れない文字が並んでいる。
「ミーシャ、読めそうか?」
「……ううん、無理。むしろ、わたしはイオスに期待していたんだけどね」
「俺だったら? どうして?」
「ここに入るとき『シュレディンガーの猫を確認』って声がしたよね? だから」
「……ああ……」
そう言えばそうだった。
どうしてそんなことになったのかさっぱりわからないが。
「それにさ、あれを見る限り、やっぱり君は無関係ではないと思うんだよね」
そう言って、ミーシャの指がすっと向こう側をさす。
そちらに視線を向けると――
そこには大きな絵画が掛かっていた。
青と白を基調としたローブを羽織った人物が描かれている。フードを深々とかぶっていて顔はよくわからない。椅子に座っていて、膝の上には1匹の猫が座っていた。
「うーん?」
俺は首を傾げる。妙に見覚えがあるからだ。
ミーシャもまた、首を傾げる。
「うーん……」
と言いながら、その視線を下に向けた。
「なーんか、この猫、見覚えがあるんだけどねー……」
「俺もあるんだよなあ」
この、白と黒のハチワレの猫に。
俺とミーシャは顔を見合わせて同時に言った。
「「ニャンコロモチ?」」
絵の中にいる猫はとてもニャンコロモチに似ていた。まあ、さすがに猫の個体差はわからないので毛並みが一緒というだけなのだろうが。
そこで俺はふと思い出した。
「……あ、そうだ。ニャンコロモチはどこにいるんだ?」
振り返って部屋を見渡す。そこには散乱した本と隙間からのぞく床しか見えない。
一緒に振り返ったミーシャが目をすがめる。
「うーん、どこにもいないねえ……」
「まさか、本の下敷きか?」
「いやー……たぶん、外じゃないかな。吸い込まれるイオスを捕まえたからわたしもこっちに来たけど、あのときニャンコロモチは意識を失っていたからね」
「……ああ」
気絶しているのを放置しているのはよくない。早く戻って介抱してやらないとな。
そんなことを俺たちが話していると――
『ようこそ、君』
突然、横合いから声がした。