第15話 ザテラ38(下)
俺とミーシャ、クルーガーとニャンコロモチの3人と1匹は絨毯を進んだ。
足元に仕切りのついた長いテーブルを迂回して段差を上り、入り口正面にある大きな柱時計の前に立つ。
……まるで柱時計たちのボスのように感じてしまうな――この柱時計は周りの柱時計よりも明らかに大きく作られているからだが。
あの日、ここに入るなり、グレイルはこう言った。
「気味の悪い場所だな! おい、お宝だ! まずはお宝を探すぞ!」
とりあえず、俺たち6人はグレイルの指示に従って部屋をうろうろと歩き始めた。
俺は絨毯をそのまま歩き、この大きな柱時計の前に立つ。
柱時計は1秒ごとに、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッと定期的に音を刻み続けている。俺は特に考えることもなく無意識のままに手を伸ばした。
そっと触れたとき――
背後で物音がした。
いきなりの音で思わず俺は身体をびくりと振るわせてしまう。
なんだろう?
そう思って振り返ると、そこには想像もしない生き物がいた。
猫だ。
柱時計の手前に置いてあった長いテーブル。その下に猫がいたのだ。
猫はあまり元気がなさそうだった。ぐったりとした様子で床に倒れている。だが、眠っているわけでも気を失っているわけでもなく、身を起こそうとゴソゴソと動いている。
弱っている猫――
こんなところで?
放置するわけにもいかないと思った俺は猫に近づいた。
猫は近づく俺に警戒の視線を投げつけていたが、力尽きてしまったのだろう、そのままグラグラと身体を揺らして倒れてしまった。
……俺はそっと猫を抱き上げた。
そのとき、立ち止まっている俺にグレイルが近づいてきた。
「おい! イオス! なにサボってんだ!? ああん? そいつぁなんだ?」
「猫がいたんだよ」
「猫ぉ!? そんなの捨てちまえ! それよりお宝探しだ!」
「弱ってるんだ、可哀想だろう?」
「ちっ、お人好しめ! 両手が塞がっていたら――」
グレイルはそう言った後、だが、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。
「イィィィィィオオオオオス……俺はいいことを思いついちまったぞ……! そいつを袋に収めてしまえ! それでお宝探し再開だ! お前のシュレディンガーの猫が役に立つぞ! よかったなああああ! 役に立つ瞬間が来てよおおおおお!」
グレイルの物言いは不快だったが、正しい意見ではあった。
俺は素直に従い、猫を袋に入れたのだった。
「――それが俺とニャンコロモチの出会いだな」
「へえ、そんな感じだったんだ」
ミーシャがテーブルの足元に視線を向ける。
「ここにニャンコロちゃんがねえ……」
のんびりと言いつつミーシャがニャンコロモチに視線を向ける。
ニャンコロモチは興味などございません、終わった話です、過去など振り返りません、という様子でぼーっと突っ立っていた。
一方、クルーガーが驚いたような声を上げた。
「ここで猫を拾ったのか!? 聞いてないぞ!?」
「え、そうなんですか?」
「ああ。グレイルからは何も宝は見つからなかった、って報告だったぞ」
「……グレイル的には報告するまでもないものだと思ったのかもしれませんね……」
確かに、宝じゃないし。
ちなみに、財宝の類は何も見つからなかった。
ここにいたのは猫1匹だけ。
宝はない――学校がグレイルの報告を疑わなかったのには理由がある。嘘をつくメリットがグレイルにないからだ。冒険者が見つけたものは冒険者のものである以上、嘘をついてまでポケットに入れる必要がない。正直に話して自分のものにしたほうが楽なのだ。
クルーガーはため息をつきつつ頭をかいた。
「……ま、猫1匹くらい別にいいけどさ……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
宿屋の部屋に帰り着くなり、ミーシャは自室のベッドに座り込んだ。
まるで時間が静止したかのようにミーシャは動かない。そのままじっと壁を見つめている。厳密には壁のほうを向いているだけだが。
何も見えていない――思考の海に深く潜るとき、よくミーシャはこういう状況に陥る。
どれくらいそうしていただろうか。
「……その猫1匹が問題かな……」
やがて、ミーシャはぽつりとつぶやいた。
グレイルが報告し忘れた、多くの学者たちに届かなかった『猫がいた』という情報。
それはとんでもない矛盾をはらんでいる。
もしも、その報告が上がっていれば、優秀な学者たちはその異常さに即座に気付いていただろう。
報告書によると『あの部屋の出入り口は生徒たちが入ってきた1箇所のみ』と書かれている。そして、その出入り口はイオスたちが入ってくるまで『閉ざされていた』。
つまり、ザテラ38は完全に『閉じられた空間』なのだ。
そこでありえない事実が浮かび上がる。
もうずっと発見されなかった密室で――食事も水も摂らずにニャンコロモチはどうやって生き延びていたのだろうか?
「……報告していても、そこ止まりかな……部外者だとピースが足りない……謎は解けない……」
部外者だとピースが足りない。
だが、ミーシャは違う。
「……シュレディンガーの猫、かな……」
足りないピースをミーシャはぼそりとつぶやいた。
閉じられた世界であれば――
イオスの『シュレディンガーの猫』が発動する。消えていた猫を出すことができるのだ。つまり、ニャンコロモチは『消えた状態』でそこにいた、とすれば――
密室でニャンコロモチがどうやって生きていたかを考える必要はない。
だが、それだけだと説明できないこともある。
イオスに『シュレディンガーの猫』を発動する動機がないことだ。本人もそんなものを使ったとは一言も言っていなかった。
おまけに、ニャンコロモチが消えていた理由も不明だ。
うーん、とミーシャは考えるが、名案は浮かんでこない。やがて、
「あーあ」
ため息が口からこぼれる。
「……うまくおさまらないなあ……他にも知らないピースがあるんだろうねえ……」
だけど、スキル『シュレディンガーの猫』が鍵という仮説にミーシャは自信があった。あながち、こじつけとも思えない。なぜなら、ザテラ群の構成物は『聖人シュレディンガーが生きていた時代』のものと推定されているのだから――
「ちょっと間を置くかー」
ミーシャの意識が思考の海から現実世界へと浮上してくる。
頭に痛みを覚えたミーシャはばたりとベッドに倒れ込んだ。三角帽子が飛んで、ふらりと宙を舞う。
「ま、どうにも君が鍵を握っているのは間違いないと思うけどね、イオスくん?」
壁の向こう側にいる同居人に小さい声で語りかけると、ミーシャは、ふふふと笑った。