第14話 ザテラ38(上)
隠し通路の奥にある部屋は、俺が前に見たときから何も変わっていなかった。
そこは大きな教会を思わせる、白くて天井の高い部屋だった。真っ赤な絨毯が部屋の中央を走り、その左右に長いベンチが置いてある。
絨毯の向こう側は少しだけ高くなっていて、足元に仕切りのついた長いテーブルが置かれている。その向こう側には普通ならば祭壇や崇めるべき御神体があるのだろうが、代わりに見上げるほどに大きな柱時計が置かれていた。
ごっ、ごっ、ごっ、と秒針が時を刻む大きな音が聞こえる。
ひとつだけではなく――複数の。
柱時計は1台だけではなかった。部屋の壁には等間隔で無数の柱時計が並んでいる。ざっと見た限り、どの柱時計もばらばらの時間を指していた。
その光景を見るなり――
「うそ、ここって『ザテラ38』なの?」
隣のミーシャがそんなことを言い出した。
ザテラ38?
聞いたことのない不思議な響きの言葉だった。それについて聞こうと思ったら、クルーガーが俺より先に口を開いた。
「お。ここを知っているのかい? そのとおり、ここは確かにザテラ38だ。どこでそれを?」
「学生時代に報告書を読んでまして……」
「ほほー、優秀だね……どこの学校を卒業したのか訊いてもいいかい?」
「ピプタット魔術学院です」
「ピプタット! おお! すごいじゃないか! ……ん? ミーシャ……ミーシャ……ひょっとして、バルタン教授を知っているかい?」
「はい。指導を受けていました」
「おお! あのミーシャくんか! 教授から噂はかねがね!」
「え、えええ? ……跳ねっ返りとか勝手なことばかりしているとか、そんな感じですか?」
「いやいや、君が冒険者になったことを悔やんでいたよ。魔術の進歩が遅れてしまう、人類の損失だって!」
「あっはっはっはっは! 大袈裟だなー、バルタン教授は!」
ミーシャすごいな……。
一方、俺はザテラ38って何? で頭の中がいっぱいだ。
……いいのだろうか、この空気の中で『ザテラ38ってなんですか?』なんて頭の悪そうな質問をしてしまって……。
ミーシャの知性に対する評価が光り輝いているぶん、辛い……。
いやいや! 気になる! 気になるから知ったかぶりはやめておこう!
話題が尽きた瞬間を狙って、俺はおずおずと質問した。
「なあ、ミーシャ。ザテラ38って、なに?」
「ん? ……えーっとね……ここって不思議空間じゃない?」
「……まあ、こんなに柱時計があるとか不気味だよなあ……」
「もちろん、それもあるけど――」
ミーシャはそう言うと、入り口付近にある壁を手で触った。
「妙にツルツルスベスベで変な質感なんだよね。これは謎物質だったりする」
続いて、ミーシャは足元の白い床も音高く踏みつける。
「この床も同じ謎物質。……でね、これと同じ謎物質でできた建物や大きな柱時計の残骸が発見されることがたまにあるんだよ」
「へー」
「その残骸を『ザテラ』と呼んでいて――ここは38番目に見つかったので『ザテラ38』と呼ばれている」
「なんでザテラなの?」
「最初の発見者がザテラさんだったから」
わかりやすい理由だ……。
さらっと答えてから、ミーシャは話題を元に戻す。
「さっき残骸って言ったけどさ、ザテラ37までは残骸でしか発見されなかった。それがさ、こーんなに大きくて、はっきりと形が残っている状態で発見されたのがザテラ38。学会が大騒ぎだよ」
「ここ、そんなにすごいのか……」
そう言えば、発見後しばらくは多くの学者さんたちがひっきりなしに来ていた気がする。当時は、ふーん、くらいの感じだったけど、そんな大きな発見だったのか……。
「で、そのザテラとやらは、なんなんだ?」
俺の質問に、ミーシャはふわりとほほ笑んで肩をすくめた。
「じぇーんじぇんわかりましぇーん」
あはははは! とミーシャが笑う。
「モンスターの生態と同じでさ、その真実を突き止めた人間は1000年後の未来まで語り継がれるかもしれないね!」
「なるほど……」
とりあえず、ここは全人類が頭を悩ませる謎空間ってことはわかった。
そこでミーシャがいきなり深刻な声を出した。
「あのさ、イオス――」
「うん?」
「ザテラ38の報告書にあった『発見した学生たち』ってイオスなの……?」
「みたいだね」
その瞬間、ミーシャの顔がぱーっと明るくなった。なんだか、歴史上の人物に会ったときのような表情をしている。
「握手して!」
「え!?」
「握手!」
「う、うん……」
俺はよくわからず、ミーシャと握手した。
それで満足したのか、次にミーシャは俺たちが入ってきた両開きのドアに目を向ける。
「うーん、ここがザテラ38だとしたら、あのドアは――あ、ひょっとして、報告書にあった『いきなり出現したドア』ってやつですか?」
「そうだ。あれが『いきなり出現したドア』だな」
答えたのはクルーガーだ。
「もともと、あそこはどん詰まりだった。でなければ、学生が探し出せる程度の隠し部屋を見逃しているはずがない。が、あの日、あのとき――そこは両開きのドアに変わっていた」
「ふふふ、面白いですよねえ、ほんと。壁が、ドアに――」
ミーシャはドアをこんこんと叩いた後、あ、と音を漏らした。
「報告書だと、発見者の学生Aが『最初は壁だったけど、急にドアに変わった』って証言していたけど、それってイオス?」
「え、いや――」
俺なのか? 答えに困っているとクルーガーが助け舟を出してくれた。
「学生Aはグレイルだな」
おそらく、そうだろう。
あのとき、俺はグレイルと他4人のクラスメイトともにダンジョンに潜っていた。で、このどん詰まりにやってきて――両開きのドアに気がついた。
リーダーはグレイルだったので、教師陣の聞き取りにはグレイルが対応していた。
「そうなんですね」
そう応じてから、ミーシャが俺を見た。
「イオスも壁がドアになる瞬間を見たんだよね、どんな感じ?」
「……いや、見てないんだよ」
「え?」
「俺は最後尾を歩いていたんだけど、俺が曲がり角を曲がったときにはもう壁はドアになっていた」
記憶をたどってみるが――間違いない。
俺が曲がり角を曲がったときには、もう壁はドアになっていた。俺は壁の状態を見てすらいない。そして、前を進んでいたグレイルたちが驚きの声をあげて興奮していた。
「珍しいものを見逃して残念だったよ」
俺は小さく笑って肩をすくめた。
「……ふーん」
ミーシャは小首を傾げる。
「ところでさ、このドアは報告書の少年Aによると『最初は開かなかったけど、みんなで押したら開いた』ってなっていたけど……当時はどんな感じだったの?」
「ああ、えーと――報告の通りで間違いないと思う」
「……ドアが閉まっていたんだよね? そこで諦めずにみんなで押そうとしたのはどうして?」
俺は当時を思い返す――
ドアを最初に開こうとしていたのは行動が早いグレイルだった。
ドアは開かなかった。
ミーシャの考え通り、普通ならここで話は終わる。
だが、グレイルはそんなことで諦めなかった。壁がドアに変わるのを見た以上、そこが普通ではないと――未到の地だと確信していたからだ。
「ここにお宝があるかもしれねえんだぞ? 諦められねえだろ!?」
その言葉は俺たちの胸を小さく高揚させた。
ダンジョンで見つけた宝は冒険者のもの――それは学生であっても変わらない。ならば、ここに眠る宝があれば、それは俺たちのもの!
「ダンジョンにある時代物だ! 鍵もぶっ壊れかけているかもしれねえだろ!?」
グレイルの煽りに押されて、俺たち6人はドアをこじ開けることにした。
どうせダメだろう……。
そんなふうに思っていたのだが、ドアはあっさりと開いた。
「さすが俺だ! ドアの鍵が劣化していることを見逃さないとはなあ!」
グレイルが上機嫌に大笑いしていたのを覚えている。
俺の説明を聞いた後、ふふふふ、とミーシャは笑ってドアを撫でた。
「……ま、このドア、鍵穴はなくて、かんぬきも留め金もない――閉まりようがないドアなんだけどね」
「え!?」
俺は慌てて視線をドアに向ける。確かにざっと見た感じ、ドアにそれらしきものはなかった。
「ホントだ……どうして開かなかったんだろ……?」
「魔力か何かでなら閉められるけどね。ロックの魔術とか」
そう言った後、ミーシャはこう付け加えた。
「だけど、その場合は力で押しても開かないけどね」
「確かにそうだな。じゃあ、どうして?」
「……うーん」
あごに手を当てて、ミーシャはふふっと続けた。
「面白いね。やっぱり現場で本人に話を聞くのが一番だ」
「そう?」
そんなに面白い話だったかな……。
「じゃ、次の話をお願い。この閉じられた空間で、君とニャンコロモチが出会ったときのことを」
ミーシャの足元で、ニャンコロモチが興味なさそうに、にゃあ、と鳴いた。