第29話 最後の一刺し
「ふいー……やったねー……」
ミーシャの杖にまとわりついてた『天の宝錫』の輝きがほどけていく。足下にある大きな魔術陣も粒子となって溶ける。
最後に、空に展開していた光刃たちの姿を映していた映像もかき消えた。
杖を雪にさし、ミーシャは両膝をついてうなだれた。放ったのはたった一撃だったが、精も根も尽き果てていた。
なぜなら、ただ一撃にすべての魔力を注ぎ込んだから。
超長距離からの狙撃を可能にするためだ。
すべてミーシャの予想どおりに展開した。
女の職業が怪盗なのはブレンネン・ティーゲル荒しのときに集めた情報からわかっていた。
怪盗であれば、厄介なのは『ミラーリングカバー』。
レッドベリルを防ぐには鉱石を積み上げた燭台を破壊する必要がある。防衛に力を発揮するミラーリングカバーを展開してくるのは間違いない。
ミーシャは『4大を極めしもの』で超長距離から狙撃ができるが、その前にミラーリングカバーをはがす必要がある。
なので3段構えの作戦をとった。
・フィラルドとアイリスで陽動をかねて正面から挑む。
・続いてダリルだけで不意打ちする。
・もしミラーリングカバーで防がれていれば、露出した本体をミーシャが狙撃する。
「Aランクの俺たちを前座に使うとは豪勢だな、お嬢ちゃん」
ミーシャの作戦を聞いたとき、ダリルは苦笑いしながらそう言った。だが、その表情はまんざらでもない。
ミーシャは臆せずにこう応じた。
「陽動は本気だと思わせないと。派手なら派手なほど、本命をうまく隠してくれますから」
ふふっと笑ってこう続ける。
「最後の一刺しだけなら、無名で充分です」
今回の作戦、肝はダリルだろうとミーシャは思っていた。
ダリルの不意打ち――それが光刃側の勝負カードだと商会は必ず錯覚する。
錯覚すれば、それを防いだ瞬間に油断が生まれるはず。
もう光刃に次の手はないと。
そこにこそ弱者のつけいる隙が生まれる。
あの女の能力の高さは異常だ。隙のない状況で撃てば高速で飛来する魔力エネルギーすら防ぎきるかもしれない。
燭台の露出と、油断。
慎重なミーシャはその2枚のカードを静かにたぐり寄せたのだ。
ミーシャはばたりと背中から雪に倒れる。
「ふいー、疲れたー……」
「にゃあん」
そこへニャンコロモチがやって来て、ミーシャの頬に手を置く。
「おお!? お疲れ様って言ってくれた気がする!」
「にゃん!」
てしてしと肉球がミーシャの頬を叩く。
「頑張ったからさ、ちょっと癒やしになっておくれよ!」
ミーシャはニャンコロモチに抱きつくと、そのまま雪の上をごろごろと転がった。
「ににゃにゃにゃにゃにゃ!?」
「にしししし!」
ミーシャは転がるのをやめて空を見上げた。夜明けは近いのだろうか、厚い雲の向こう側がぼんやりと輝いている。
「イオス! 頑張ってね!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺は炎虎ダガーを握り、息を潜めていた。
俺が隠れている壁の近くでラルゴリンが気配を探っている。
ずっとこの状態だ。
すぐに戻るかと思ったが、ラルゴリンは意外と粘っている。
本当にすぐそこで。
それはピンチではあったが、逆に言えばチャンスだった。
一瞬だ。
一瞬だけでいいからラルゴリンが『何者かの気配』を忘れてくれればいいのだが。その一瞬があれば、俺はラルゴリンの背中にバックスタブを叩き込むことができる。
だが、その一瞬が果てしなく遠い……。
そうやってじりじりと時間を消費していたときだった。
足下で輝いていた魔術陣の光がふいに消えた。いや、光が、ではない。魔術陣そのものが消えている。
……!?
ミーシャは言っていた。鉱石魔術の狙撃ポイントには巨大な魔術陣が浮かび上がると。
それが消えたということは――
つまり、ミーシャたちは妨害に成功したのか?
俺の胸に喜びが広がる。
こんな状況でなければ声を上げて喝采したのに。
やったな! ミーシャ!
そんなとき。
ぶおん、と不意に風が鳴いた。
その直後――
ごん!
「――!」
俺の隠れている壁の一部が爆ぜた。ラルゴリンが戦鎚を振り抜いたのだ。
……もう少し手前に立っていたら危なかったな……。
奥歯をぐっと噛みしめて、漏れそうになる驚きの声を押し殺す。
ラルゴリンの気配は動かない。
気づいている……わけではないか。それならこんなまどろっこしいことをしないだろう。
確証はないが、疑っている。
そんなところか。
俺は首を振った。
落ち着け、イオス。ミーシャたちの成功は素直に嬉しいが、浮かれている場合じゃない。
目の前のことに集中しなければ。
少なくとも今は絶体絶命の一歩手前くらいなのだから。
短剣を握る手に力がこもる。
嫌な予感が頭をよぎった。このまま諦めて戻ってくれればいいが、このまま壁を破壊し始めたらどうする?
隠れることしかできない俺には手詰まりなのだが――
あっちに行ってくれ。
一瞬だけでいい、背中を向けてくれ。
祈るような気持ちで俺はラルゴリンの行動を待つ。
待つ、待つ、待つ。
やがて、ラルゴリンが動――
「クルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
いきなり夜の山に響く絶叫が響き渡った。
あまりの驚きに俺はうっかり身体を動かしてしまった。ざし、と小さな雪を踏む音が響く。
……しまった!
だが、ラルゴリンの気配は俺に近づいてこなかった。
氷のきしむ音を聞こえる。ラルゴリンが方向転換している。
俺以外の何かに気を取られている……!
ざっざっざっざっざっざっざ!
雪を蹴るように走る音がラルゴリンへと近づいていく。
「クルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
再び絶叫が響いた。
……不思議と聞き覚えがある声だ。調子っぱずれているのでよくわからないが。
俺は意を決して壁からのぞき見る。
ラルゴリンはもう俺を見ていなかった。絶叫を上げて近づいてくる誰かを見ていた。
ラルゴリンの、背中が見える――
来た。
チャンスだ。
俺は忍び足で飛び出す。短剣を握りしめて。
「クルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
3度、何者かの絶叫が響き――
同時、硬いものがぶつかる音がした。
ラルゴリンはその巨大な盾を振りかぶり、斬りつけてきた何者かを思いきりぶん殴る。
ごん!
鈍い音が響き渡った。
充分だった。
充分すぎるほどの時間だった。
俺はすでにラルゴリンの背後に立っている。右手に握った炎の短剣を突き出す――氷壁を思わせるラルゴリンの背中にある、まるでクレバスのような傷跡めがけて!
強打! 速剣!
ずっと短剣が突き立つ。
バックスタブ!
剣聖と短剣術によってブーストされた攻撃力を叩き込む。さらに背後からの不意打ち、バックスタブによる補正、炎による属性攻撃が加わり、膨大な火力がこの瞬間に炸裂する。
「オオオオオオオオアアアアアアアアアアアア!」
ラルゴリンが絶叫し――
そのぶ厚い氷の身体に蜘蛛の巣のようなひびが走った!