第1話 氷の衛士ラルゴリン
「休憩所に到着しました! 三〇分後に出ますので定刻通りにお集まりください!」
馬車の車掌が大声で言った。
スペースの広いAランク馬車とはいえ、ずっと座りっぱなしの旅は身体に悪い。こうやって休憩を挟みながら進むのだ。
他の乗客たちとともに俺とミーシャは馬車から降りた。
「うーん! 日差しが気持ちいいねえ!」
「にゃあん」
叫んだミーシャの足下で、ニャンコロモチが気持ちよさげな声で鳴く。
「にししし! ニャンコロちゃんもお外がいいよね!」
ミーシャはしゃがみ込むとニャンコロモチの頭を撫でた。
力場をまとう謎の猫――ニャンコロモチの手がかりを調べるため、俺たちはピプタットを出て旅に出た。
目指す先は、俺が学んだ冒険者学校のある街。
そこで俺とニャンコロモチは出会った。ひょっとすると何かわかるかもしれない。
「……しかし、懐かしいな……」
俺は周囲を見渡して感慨を口にした。
ミーシャが俺を見上げる。
「懐かしい?」
「ああ、ピプタットに来たときのことを思い出してね……」
あのときもこうやって馬車に乗ってやってきた。
前のパーティーから追い出された暗い気持ちを抱えて。
だけど、今は違う。
俺はピプタットで、いや、あの馬車の旅で『俺自身の運命』にたどり着いた。
おかげで今の俺がある。
自分自身に誇らしい気持ちを抱えた俺が。
ミーシャがニャンコロモチを抱いて立ち上がった。
「あのとき、大道芸人みたいに頑張ってるイオスは面白かったなー」
「え、思い出すところ、そこ!?」
「せっかくだから、初心に返ってやってみる?」
あの、ニャンコロモチの高速出し入れ芸か……。
俺は頬をかきながらぽつりと言った。
「いや……いいかな……」
成功したからお高くとまっているわけではない。
単に恥ずかしいのだ。
あのときはミーシャに乗せられて、やけくそになってやっていただけだからな……。
「にししし! このこの! お高くとまりやがって!」
言いながら、ミーシャが杖で俺をつんつんついてくる。
「いや、いや、違う、違うって!」
俺はミーシャの攻撃を避けて逃げ出した。体力のない魔術師ミーシャが俺に追いつけるはずが――
「ああ! 逃げた! 行け、隊員ニャンコロモチ!」
「にゃああああ!」
「ええええええ!?」
さすがに猫相手は大変だ。俺はわりと必死に逃げた。
その逃げている最中――
「氷の衛士ラルゴリンが出る山ってあれだよな」
「ああ、そうだよ」
二人の男がそんな話をしているのが耳に入った。風体からして冒険者だろうか。
……ラルゴリン?
その不思議な響きに俺は思わず足を止めてしまった。
その隙をついて――
「にゃあああああ!」
ニャンコロモチが俺の脇腹に突っ込んできた。
おま、ニャンコロモチ――力場を展開して……本気!?
俺は悲鳴を上げてそのまま倒れた。ニャンコロモチが俺の胸にすたっと立って、勝利の雄叫びを上げている。
「よしよし、よくやったぞぉ、ニャンコロモチィ!」
駆け寄ってきたミーシャが俺を杖でつついてくる!
そんな俺たちを、騒動に気づいた二人組が見つめている。
「すみません、うるさくして――!」
俺はそう言いながら、好奇心に任せて質問をぶつけた。
「あの、さっき聞こえちゃったんですけど、ラルゴリンってなんですか?」
「ん? ああ、ネームドのことだよ」
ネームド!?
その言葉に俺の身体がこわばる。
そんな俺を見て、男が苦笑した。
「気合いが入ったのはいいけどさ、ちょっと状況を整えなよ。それで真剣な顔をされてもね」
……状況?
横に倒れて、胸に猫が乗っかっていて、三角帽子をかぶった女魔術師が杖で俺を突いている――
顔を真っ赤にした俺はぼそりと言った。
「す、すみません……」
立ち上がった俺たちは自己紹介をした後、男の話を聞いた。
「あの山にはね、氷の衛士ラルゴリンが出るんだよ――ネームドのモンスターがね」
ネームド。
それは『珍しいモンスター』の総称だ。だいたいは特定の場所の特定の時期にしか現れない。同じ名前を持つモンスターは決して同時にポップしない、世界で1体だけのモンスターだ。
それを倒すのは冒険者としての誉れ。
ネームド、か……。
ミーシャが質問する。
「どれくらい強いんですか?」
「B級上位くらいかな……ネームドの中では弱いほうだけど、防御力がすごくてね、そこはA級相当らしい」
「防御力が高いのはきついですね」
この世界では攻撃力が防御力を超えない限り、ダメージが通らない。それが絶対のルールなのだ。
「ああ、だけどね、背中が弱点らしい」
「背中?」
「背中に『バックスタブ』を叩き込むと一撃で倒せたことがあるらしい。……かなり大変らしいけどね」
バックスタブ。
斥候の上位職である『暗殺者』が使えるスキルだ。その名の通り、後背からの一撃にスペシャルボーナスが付与される。
俺は二人に質問を投げかけた。
「……お二人はラルゴリンを狙うんですか?」
俺の質問を二人は一笑に付した。
「弱いつっても、C級の俺らじゃ命がいくらあっても足りないよ」
「それに『宵闇の光刃』が狙っているらしいしな」
「宵闇の、光刃――!」
思わず俺は男の言葉を繰り返してしまった。
『宵闇の光刃』とは有名パーティーの名前で、多くの冒険者は彼らのことを知っている。平均年齢30の若さでA級の実力を誇る、とても優秀な冒険者たちだ。
そのレベルは――70を超えるはず。
いまだ30にすら達していない俺からすれば雲の上のような存在だ。
「ま、俺たちは光刃の連中がうまくラルゴリンを狩るのかどうか酒の肴にして楽しもうってところかな」
男たちはそう言うと、別れを告げてどこかに言った。
俺はすぐ動かず、山をじっと見た。
あそこにいるのか――ネームド、氷の衛士ラルゴリン。
そして、ここにくるのか。あの宵闇の光刃が。
胸が熱くなる。こぼれた息すら熱を持っているかのようだった。
「もしもーし?」
ニヤニヤ顔のミーシャが俺の顔をのぞき込む。
「1人で興奮しないでもらえますかぁ?」
「え?」
「ちょっとカッコつけた顔してましたよー、イオスさん?」
「え、いや……」
気勢を削がれた俺は自分の顔をごしごしこすった。
「そんな感じだった?」
「うん。男の子って感じの顔だね」
にししし! とミーシャが笑う。
「じゃあさ、ちょっと寄り道してさ、ここを拠点にしよっか?」
「……いいのか……?」
「いいも悪いもないよ! もともと急がない旅だったでしょ? 別に寄り道くらい好きにしてもいいんじゃない?」
「それもそうか」
ミーシャの言葉は俺の心を軽くしてくれた。
……行きたかったからな。
そうそうお目にかかれないネームドの存在。それを狙う最高峰パーティーの噂。そんな話を聞いて立ち去る気にはなれなかった。
心の高揚を抑えることができない。
もちろん、そんな場で俺が場の中心になれるとは思わない。
あくまでも端役、いや、端っこにすらいるかどうかもわからない登場人物だろう。
だけど、そこにいたいと思った。
何も得ないかもしれないけれど、その空気を肌で感じられる場所にいたかった。
きっと何も起こらないだろうけど――
夢くらい見たっていいじゃないか。
何か起こるかもしれない、そんな希望を胸に抱いて。
「ここで馬車を降りようか、ミーシャ」
「うんうん! 車掌さんに言わなきゃね!」
俺たちは降車の意志を告げると、山のふもとにある街に向かって歩き出した。
ここから2巻分となります。
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