さらば、ピプタット
名探偵グレイルはこう考えた。
あのとき――足を滑らせたと。
足を滑らせたせいで視界が揺らいだ。そのせいでイオスを見失った。えっちらおっちら走っていたであろうイオスの姿を。
その隙をつき――
卑怯にもイオスはグレイルの腹に一撃を叩き込んだ。
おかげでグレイルはさらに体勢を崩して反転、きりもみ落としで頭を打って気絶した。
まったく矛盾のない推理だった。
こうでなければ説明がつかない。
あれではまるで噂に聞く剣聖の『縮地』の動きではないか。そんな可能性はゼロなので、合理的に説明するのなら――
「そうだよなあ、俺が足を滑らせたしかないよなあ……」
くっくっくっく、とグレイルは笑った。
勝ち逃げされたのは事実だが、実力で負けたわけではない。少なくともグレイルのプライドは守られた。
「まったく卑怯なやつだよ、イオス! くそが!」
いらいらした気分を吐き散らすかのように地面を叩く。
「けっ! 最後の最後までクソな場所だったな、ピプタットは!」
グレイルはそう吐き捨てた。
グレイルもまた決めていた。ピプタットを出ていこうと。
冒険者ギルドでは鼻つまみ者。このままここの街に残っても飛躍は期待できないだろう。
新しい場所で再び始めるのだ。
伝説の冒険者グレイルの英雄譚を。
どこに行くか決まっていなかったので何となくピプタットにいたが、今日イオスを見て決めた。
「戻るか……始まりの地――冒険者学校のあった街に」
冒険者学校。
グレイルとイオスが冒険者としての基礎を学んだ場所。
あそこでグレイルは輝いていた。
剣術スキル。その圧倒的な高性能で他の生徒たちから羨望のまなざしを向けられていた。
学校のトップグループに所属して最高の日々を過ごしていた。
「くっくっくっく……そうだよな。やっぱり場所との相性ってのはある……困ったときは原点回帰だ。俺みたいなビッグな男はよ、どうしてもステージを選んでしまうんだなあ……」
グレイルは立ち直ると同時に立ち上がる。
そして、声高らかに叫んだ。
「イィィィィィィオオオオオオオオオス! 俺は先に進むぞ! お前はこのピプタットで永遠にグレイゴーストを狩っておけ! 俺に勝てた――運よく偶然が味方しただけの勝利を抱いてな! くだらないお前にふさわしいたったひとつの勲章だ! 大事にしろ! お前が想い出にふけっている間に俺は先へ――最強への道を進む!」
まだ足りない。
そう思ったグレイルは誓いの言葉を口にした。イオスとは圧倒的に違う格を誇示するため。
「剣聖になるのは俺のほうが先だ!」
グレイルは歩き出す。
まさにこの一歩が伝説への一歩だと強い意志を込めた一歩を。
そして、最後にこう吐き捨てた。
「あばよ、最低最悪のクソ街ピプタット! 二度と来るかッ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
グレイルと決着をつけた翌日――
俺たちはピプタットを出ることにした。
俺たちは乗合馬車へと向かっていく。俺の隣を歩くミーシャの肩にニャンコロモチが気持ちよさげな様子でしがみついている。
「……ねえねえ、イオス」
「うん?」
「今度はイオスの古巣に向かうんだよね?」
「ああ、そうだな」
俺たちは俺が通っていた冒険者学校がある街に向かうことにした。
まあ、どこでもよかったのだが――
「お前の謎がわかるかもな? ニャンコロモチ?」
俺がつんとニャンコロモチの頬をつつくと、ニャンコロモチはにゃあ! と抗議の声を上げた。
とりあえずニャンコロモチの謎を追ってみることにした。
俺とニャンコロモチが出会ったのは冒険者学校だ。調べてみれば何かわかるかもしれない。
「にししし! 面白そうだね!」
「俺は別にミーシャみたいに特殊なコネはないから。期待するなよ」
「いいよいいよ! イオスの学生時代に想いをはせるからさ!」
「名所案内くらいは手伝うよ」
「やったあ!」
そこで俺は話題を変えることにした。
「とはいえ……いろいろ寄り道しながらだろうけどな」
「いいんじゃない? そのほうが旅って感じだしね!」
「そうだな。まずはどこかのタイミングで転職してみよう」
そう、前に決めたように俺は各職の上級スキルをシュレディンガーの猫で集めるのだ。
「ふーん。何に転職するかは決めているの?」
「まだ悩んでいるけど、斥候を考えているんだ」
斥候は剣が使える職業だ。俺の剣聖スキルが活きてくる。
「暗殺者系のスキルをとろうかなと思って」
「暗殺者!? おっかない!?」
「いや、それを目指すわけじゃないんだけどね……」
斥候の上位職のひとつ、暗殺者。
短剣について強力な攻撃補正を持っている。短剣もまた剣。つまり、剣聖と暗殺者によるダブル補正がかかるわけだ。
普通ならば、両方を極めるなんて時間的に不可能だ。だが、俺のシュレディンガーの猫ならばその不可能を可能にする。
俺の攻撃力はどこまで高まるのだろうか。
それに他にも斥候には調査系の便利スキルがたくさんある。当面はこのメンバーで動くのだからできることを増やしておくのは悪くないだろう。
ミーシャが口を開く。
「ふっふーん♪ じゃあ、わたしも何に転職しようかなー?」
「え? ミーシャも転職するの?」
「するよ! だって転職しないとイオスと一緒にレベリングできないじゃん!」
「確かにそうだな……」
レベル差が大きいと経験値が入らなくなるのだ。なので、パーティーを組む場合はなるべく近いレベル同士で組むようにする。
「なんにしよっかなー♪ 楽しみだなー♪」
そんな話をしていると、俺たちは乗合馬車のカウンターにたどり着いた。迷いなくAランク座席を買って集合場所へと向かっていく。
すると――
「おや、君たちは?」
と言って中年の男性が話しかけてきた。
俺は誰なのかすぐ思い出せなかったが――
「あ、半年前に馬車で一緒だったライアンさんですね! お久しぶりです!」
とミーシャが即座に反応した。
すごいな、覚えているのか。ミーシャ。
「ははは、覚えていてくれたんだね」
「記憶力には自信があるんですよ! むしろライアンさんこそ、よくわたしたちのこと覚えてくれていましたね?」
「戦士風の男と、三角帽子をかぶった魔術師、それに猫。なかなか忘れられない取り合わせだよ」
ライアンは笑いながら肩をすくめた。
「君たちもピプタットを出るのかい?」
「はい。新しい冒険の旅へ!」
「楽しそうでいいね! ピプタットはお気に召したかい?」
「ええ、とても。イオスは?」
ミーシャからいきなり話を振られたが、特には困らなかった。
その答えはすでに俺のなかででているから。すらすらと自然な気持ちが口から出た。
「本当にいい場所でしたね。ここに来てよかったと心の底から思っています。感謝だけしかありません」
「ははは! いいね! 私もこの街はとてもいい街だと思っている。この街を悪く言う人間の気が知れないね。それに――」
ライアンは俺の胸をとんとんと指で叩いた。
「商売人として言うけどね、その気持ちは大切にしなよ。成功するのはポジティブに楽しめる人間だ。呪いを口にする人間ってのは幸運が逃げていくものだからね」
ライアンは俺たちに向かって手を振り、
「じゃ、私は別の馬車だから。お互いに幸運を!」
そう言って立ち去っていった。
「俺たちも行こうか、ミーシャ、ニャンコロモチ」
「にしし! うん!」
「にゃん!」
俺たちは一歩を歩き出す。きっと未来にある『素晴らしい瞬間』へとたどり着くために。
本当にそんなものはあるのか?
根拠などないけれど、俺にはできる自信があった。
とても曖昧で不確実なもの。
だけど、だからこそ――俺はつかみ取れる。
俺のスキル『シュレディンガーの猫』は曖昧から有と無をすくい上げる。
曖昧でも存在するのなら――
この俺がすくい上げてみせる。
存在しうる状況を具現化すること――決して諦めないことが俺のスキルの本質なのだ。
興奮気味にミーシャとニャンコロモチが口を開いた。
「よーし、やるぞ! わたしたちの戦いは始まったばかりだ!」
「にゃあああああああ!」
さあ、次はどんな世界が広がっているのだろう。
胸の昂揚を信じて俺たちは進む。
世界と未来がどんなに不確定でも――きっと輝きに満ちた喜びと幸せがどこかに転がっているのだから。