エリアボス(中)
エリアボス――
それはそのまま、特定エリアのボスだ。
エリアボスが発生すると、その空間は隣接空間から半透明のもやによって区切られる。
もやの中に誰かが入ると、もやは固形化して外に出られなくなる。
中にいるエリアボスを倒さない限りは。
エリアボスが厄介なのは、その領域にいる一般モンスターよりもかなり強いことだ。
一般モンスターに対して適正レベル帯のパーティーが挑めば確実に全滅する。
なので、冒険者ギルドでもかなりの注意を払っている存在だ。
エリアボスの発生が確認されると周辺は通行止めとなり、確実に勝てる高レベル冒険者が派遣されて駆除をおこなう。
幸運なことにエリアボスは同じ場所に一定周期で発生する。
つまり、注意を払えば回避することが可能なのだ。
よって、冒険者ギルドはエリアボス発生の確率が高まってくると、冒険者たちに警告を発する仕組みになっている。
だが――
今回そんな警告はなかった。
……周期が何かしらの理由で乱れたのか、あるいは、新規に出現したエリアボスなのか。
何にせよ――
「運がないな……」
俺はほろ苦い笑みを浮かべた。
出現したばかりのエリアボスにいきなり突っ込んでしまったのだ。あと1分遅く到着していれば余裕で回避できただろうに。
「……ミーシャが巻き込まれなくてよかったか……」
俺はちらりと背後に視線を送る。
顔面を蒼白にしたミーシャが透明の壁に貼り付いて俺の名前を呼んでいる。
「大丈夫。生きて帰るからさ」
強がりではない。俺は諦めていなかった。俺にはミーシャが揃えてくれた強力な装備がある。
E層のエリアボス――どれほどのものかはわからないが、必ずしも届かないとは言い切れない。
俺は前に視線を向けた。
濃い瘴気から、それが完全に姿を現す。
それは緑色の鱗を持つ2足歩行のトカゲ――リザードマンだった。だが、その大きさが異常だ。
3メートルは超えているだろうか。普通は2メートル弱のはず。
びっしりと鱗に覆われた膨張した筋肉と丸太のような両腕と両足を窮屈そうに革の鎧に押し込めている。
手に持っている大きな棍棒を振り上げ、リザードマンが吠えた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
びりびりと俺の肌が震える。
ジャイアント・リザードマン。生半可な相手ではない。
たまたまだが、俺はその平均ステータスを知っていた。
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名前 :ジャイアント・リザードマン/C
攻撃力:900
防御力:750
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Cランク相当の敵。
かなりの強さだ。ハンターリザードの1.5倍ほど強い。
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名前 :イオス
レベル:21(戦士)
攻撃力:820
防御力:637
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……もちろん、俺よりも。
これはかなり覚悟を決めなければならない。このステータス差は単純に脅威だ。
救いは俺の攻撃力が相手の防御力を超えていることか。
少なくとも刃は通る。
昔の――強い装備を揃える前の緊張感が俺の奥底から目覚める。
それは恐怖心となって俺の心を――
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
俺は叫んだ。
恐怖心を振り払うかのように。いや、振り払うために。
呑まれるな。震えるな。
臆す暇など、ありはしない!
俺の声に呼応するかのようにジャイアント・リザードマンが俺へと向かってくる。
その巨大な棍棒を無造作に振り上げて――振り下ろす。
どがっ!
大きな音ともに、しかし、棍棒は床を叩いただけ。
俺はかわす。かわして踏み込み、そして。
鎧に守られていない足下へ魔狼ブロードソードを一閃!
「つあっ!?」
俺は思わず口から声を漏らした。
俺の右腕に痺れのような痛みがほとばしる。この3ヶ月間あらゆるものをたやすく切り裂いた刃が弾かれたのだ。
硬い――!
なんて硬さだ。もちろん、魔狼ブロードソードもただでは弾かれない。その硬質な鱗を打ち破り、斬撃を届かせている。
しかし、浅い。
とんでもなく硬い鱗だ。こんな鱗が全身を覆っている? 革の鎧を着ている必要があるのか?
「オオオオオオオオオオ!」
リザードマンが激怒の咆哮をあげて俺を蹴り飛ばした。
俺はラージシールドを滑り込ませてガードする。
ぐん、と視界が動いた。
ハンターリザードの体当たりなど比較にならない。強力な『圧』が盾の向こう側から容赦なく俺を押し込む。
俺は数歩ノックバックしてから態勢を整えた。
……強い。
……強すぎる……。
今の俺で本当に勝てるのか? 圧倒的なステータス差に心が折れてしまいそうだ。
今はまだ五分?
そんなことが言えるのか? まともに刃すら通らない相手に? 完全に防ぎきっても衝撃だけでここまで吹き飛ばす相手に?
……いや、ダメだ。
『イオス! 頑張って! 頑張って! 死なないで!』
ドアの向こう側から俺を応援してくれるミーシャの声が聞こえる。
俺が倒れれば彼女は――
「簡単に負けてやるわけにはいかないんだよ!」
俺は勇気を振り絞り、リザードマンへと襲いかかる。
斬撃を!
1回の斬撃で浅いのなら、2回3回と積み重ねろ! 100の斬撃を喰らわせて斬り伏せろ!
一撃が致命傷なら避け続けろ!
集中力と体力の限りを尽くせ!
俺はその想いのままにリザードマンに挑みかかった。無数の斬撃がリザードマンの身体に刻まれていく。
いける!
そんなことを思いもしたが。
だが結局のところ、それは圧倒的なステータス差をくつがえすには至らなかった。
俺の体力も集中力も無限ではないのだから。
そんな根性論で覆るほど――
ステータスの存在は軽くない。
「はぁ、はぁ、はぁ……くおおおおおおお!」
息を切らしながらも挑みかかろうとする俺にリザードマンの棍棒が襲いかかる。
かわさないと――!
俺の頭は指示した。後ろに退けと。だが、もう重くなった身体はすぐ反応できなかった。
その遅れは――致命的だ。
棍棒が俺の腹を強打した。青火鳥チェインメイルはよく俺の身体を守ってくれた。普通のチェインメイルだったら、今の一撃で俺の身体はきっと肉片になっていただろう。
俺の身体は派手に吹っ飛んだ。
まるで風に舞う枯れ葉のように。
そのまま地面ごろごろと転がって壁に激突する。衝撃で内臓が揺れ、頭がぐらぐらとする。
『イオーーーーース!』
ミーシャの悲鳴のような声が聞こえた。
聞こえた?
どうだろう。気のせいかもしれない。頭がぼうっとする。
クリーンヒットをもらったのは今の一撃が最初だが――クリーンヒットでない攻撃なら大量にもらっている。身体中のあちこちが痛い。……もう限界だ。
「ガアアアアアアアアアアアア!」
リザードマンが吠える。まるで己の勝利を喧伝するかのように。
そして、ゆっくりとした足取りで俺へと近付いてくる。
……ここまでか……。
ごめん、ミーシャ……。
だけど、最後に……やり残したことがある……。
俺はバックパックのショルダーベルトを外した。どさりと落ちたバックパックに手を突っ込み、袋を取り出す。
「ニャンコロモチ……お前をそのままにしちゃダメだよな……」
俺が死んだ場合、シュレディンガーの猫で消えていたニャンコロモチはどうなるのだろう?
もちろん、俺は知らない。
普通に考えれば自動的に解除だろうが――そうならない可能性もある。
わからない以上、死ぬ前に俺自身の手で解除しておくべきだ。
――シュレディンガーの猫。
スキルの発動とともに、もこりと袋がふくらむ。
……これで大丈夫。
俺が死んだら部屋の外に出ていけよ、ニャンコロモチ。
……問題は、この部屋がニャンコロモチを認識しているかだが。閉じたときには俺しかいなかった。だから、俺が死ねば空間は元に戻るはずだ。
たぶん。
ひょっとするとニャンコロモチの存在に反応して元に戻らないかもしれない。
だが、そこまで責任は取れない。
そうなってくれと祈るばかりだ。
ジャイアント・リザードマンの巨体がすぐそこまで迫っている。
「うおおおおおおおお!」
俺は剣を支えに立ち上がった。
最後に一撃を食らわせてやる!
ジャイアント・リザードマンが棍棒を振り上げた。
そのとき。
かさりと音がして――
ニャンコロモチが袋から出てきた。
「――なッ!」
まだ早い!
いきなりのニャンコロモチの行動に俺は固まってしまった。
動けない俺目がけて棍棒が振り下ろされる。
しまっ――!?
「にゃん!」
ニャンコロモチがぴょんと飛んだ。振り下ろされる棍棒めがけて。
直後――
まるで透明な壁でも殴ったかのようにジャイアント・リザードマンの棍棒が後方へと弾かれた。
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