エリアボス(上)
俺は目を覚ますと、ふぁ~あ、とあくびをした。
俺がいるのはピプタットに来てからずっと泊まっている宿の一室。ベッドと小さなテーブルしかない狭い部屋だ。
今日も一日が始まる。
日課のグレイゴーストを倒して――E層まで潜る。
……そろそろD層も考えるべきかな……。
そんな風に俺が考えていると、
「にゃあん」
ベッドの下から声が聞こえる。
俺はひょいと顔をのぞかせて挨拶した。
「おはよう、ニャンコロモチ」
「にゃあ」
ニャンコロモチが機嫌よさそうに挨拶する。俺はベッドから身を乗り出してニャンコロモチを抱え上げた。
柔らかな毛並みが心地よい。
はあ……今日は一日こうしていたい……。
「ににゃにゃ」
そんなうっとりとした俺の気持ちなどお構いなしに、ニャンコロモチがてしてしと小さな手で俺を叩く。
「……ああ、腹減ったのか? ちょっと待ってろよ」
俺はニャンコロモチを床に下ろすと、バックパックから干し肉を取り出して目の前に置いた。
ニャンコロモチがかぶりつく。
そして、満足げな顔で俺を見上げて、
「にゃあ」
と嬉しそうな声で鳴いた。
「そりゃうまいだろー。その干し肉、かなり高いんだからな!」
そう、前までは安物の干し肉だったが、ここ最近かなり上質なものに変わっていた。
もちろん、金に余裕があるからだ。
俺自身は腹がふくれればいいんじゃないの? と思うのだが――
「ニャンコロモチの食生活の改善を要求します!」
一緒に干し肉を買いにいったとき、ミーシャがそんなことを鼻息荒く提案してきたからだ。
「え?」
「これは虐待だよ、イオス!? ぎゃ、く、た、い! ほらほら! お金があるんだから、こっち買いなよ! この秒給11万ゴールドの男め!」
秒給11万――
確かにグレイゴーストを倒すのはそれくらいだけど、一応、移動時間もあるからなあ……。
時給11万でもたいがいぶっとんでるけど。
そんなわけでニャンコロモチの食生活は大幅に改善された。
猫に味がわかるのか? という気もするが、前のよりは食いつきがいい気がする。
「よかったなあ、お前。この幸せものめ!」
言いつつ、俺はニャンコロモチをつんつんする。ニャンコロモチは俺を無視して干し肉をがつがつ食べた。冷たい。
食事が終わったニャンコロモチの前に俺は袋を落とした。
「ほら、入れ」
腹が膨らんで満足げなニャンコロモチはのっそりとした動きで袋へと入る。
「シュレディンガーの猫」
発動と同時、しゅん、と袋のふくらみが消える。
俺は袋をバックパックに収めた。
これは昔からの習慣だった。狩りに出かけるときはニャンコロモチをシュレディンガーの猫で隠す。外に出していると危ないからだ。
俺は支度を調えると宿の1階へと降りた。
「ういーっす、イオスー」
パンを食べながら、軽い調子でミーシャが手を振ってくる。
俺は朝食を注文し、ミーシャの前に座った。
「おはよう、ミーシャ」
「ニャンコロモチは食生活の改善を喜んでいるかい?」
「猫語は理解できないが、食いつきはよくなってるぞ」
「にししししし!」
嬉しそうにミーシャが笑う。
「ニャンコロモチの代弁者としては嬉しい限りだね!」
「いつの間にそんな立場が……」
「鈍い鈍ぅーい飼い主に、ニャンコロモチの気持ちを伝えてあげなくちゃね!」
それから、ミーシャが何かを求めるように右手を伸ばした。
「あのさー、後でニャンコロモチをもふもふしたいんだけど……」
「いいんじゃないか。帰ってきたらいくらでもやってくれ」
俺がそう言うと、ミーシャは嬉しそうな笑みを浮かべた。
それから俺たちはダンジョンへと向かった。
ざくっ。
一撃でグレイゴーストをぶち倒し、錬金の石をゲットする。
「じゃあ、E層へと降りるか」
E層へと降りて、俺はハンターリザードと対峙した。
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名前 :イオス
レベル:21(戦士)
攻撃力:820
防御力:637
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名前 :ハンターリザード/E
攻撃力:610
防御力:400
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昔の強敵も今では敵ですらない。
俺の防御力はすでにハンターリザードの攻撃力を上回っている。よほどの油断をしない限り、俺に敗北はない。
積み上げたレベルは俺を裏切らない。
……まあ、装備が良すぎるのも事実なのだが。標準的な戦士なら、せいぜい攻撃力450、防御力400くらいだろうから。
ハンターリザードが突進してくる。
俺はこともなげに盾で受け止めた。腕に伝わる衝撃はとても軽い。まるでゴブリンを相手にしているかのようだ。
ぶん、と盾を振るう。
ハンターリザードが態勢を崩した。俺はすたすたと近付いて剣を一閃する。
ざしっ。
ただの一撃でハンターリザードは死んだ。
……簡単な仕事だな……。
それでもレベル的にはまだ稼げる場所なので、それなりの経験値は入っているのだろうが。
「なあ、ミーシャ?」
「うん?」
「そろそろD層に行ってみないか?」
つまり、下の階層へ。
より多くの経験値と――
新たなるレアドロップアイテムを求めて。
俺の言葉にミーシャは顔をぱっと輝かせた。
「いいねいいね! 楽しそうだよ!」
「だけど、ミーシャの安全が心配だ」
「だ、か、ら!」
びしっとミーシャが杖を俺に突きつけた。
「そーゆーの、いいから! 楽しくないって言ったでしょ!」
俺はふふっと笑った。
「そうだな。楽しくないな」
冒険は楽しくあるべし。それを俺たちの標語としよう。その言葉は意外と俺の胸に響いて心地が良かった。
俺たちはモンスターを切り伏せながら、D層に続く階段へと進んでいく。
そして――
その階段の手前にある部屋まで来たときだった。
俺はいつも通り、ミーシャを待たせて先に部屋へと踏み込んだ。
安全確認のためだ。
大きな部屋に入るときはまず俺が先に進み、状況を確認してからミーシャを呼ぶ。
そうしないとモンスターの不意打ちが怖い。
部屋に入り、俺は上下左右に目を走らせる。
……何も、いない。
よし、と思ったが。
俺の胸は不思議と不快にざわめいていた。何もないはずなのに。何かが違う。明らかにいつもと空気が違う。
「おーい、イーオース。どうだーい?」
部屋の外からミーシャのお気楽な声が聞こえる。
「……ああ……」
俺は煮え切らない言葉をこぼす。再び視線を走らせるが、どこにも何も見つからない。
……気のせいか……。きっとD層に向かうから気が立っているのだろう。
俺はそう納得するとミーシャへと振り返った。
「ミーシャ、大丈夫――」
そのとき、気がついた。俺が入ってきた入り口に、すうっと半透明のもやのようなものがかかっているのを。
これは――!
俺の背筋が凍り付く。
「くるな! ミーシャ! 絶対にだ!」
叫ぶと同時、俺は猛然とした足取りで入り口へとダッシュした。
半透明のもやに飛び込む、が――
ごん!
俺の方が固いものに当たったように弾かれた。
間に合わなかった――
『イオス! イオス! イオス! これ、これって――!』
どんどんとミーシャが固形化した透明の壁を叩いている。
「……ああ、エリアボス、みたいだな」
俺はため息をつくとミーシャに背を向けた。
部屋の前方――今まで何もいなかった空間に――大きなものの影が現れようとしていた。
エリアボス……か。
俺は腰から魔狼ブロードソードを引き抜く。
……今までのような楽勝とはいかないだろうな……。
俺は口の中に渇きを覚えた。
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