シュレディンガーの猫
俺は大きな都市から少し離れた小さな村に産まれた。それほど豊かではなかったが、特に苦労もない幸せな少年時代を過ごした。
子供の頃の夢は『冒険者になる』こと。
鋼の剣と鎧に身を包み、信頼する仲間たちとともに大型モンスターを狩り、伝説に名を残す――
その頃の小さな俺はそんな黄金の未来に胸を焦がしながら日々を過ごしていた。
「イオス、10歳の誕生日おめでとう! 冒険に役立つスキルが手に入るといいね!」
優しい両親が俺を祝福してくれた。
そう、10歳になると神から『スキル』が授けられる。
スキル。
それはその人間に与えられた特殊能力だ。料理ならば料理がうまい、剣術ならば剣の扱いがうまい、魔術(水)ならば水系の魔術に才能がある。
どんなスキルが与えられるかは完全にランダム。
できれば自分の夢見る未来に近いスキルが欲しいとみんな願う。
戦士を目指している俺は『剣術』ならいいな、せめて『耐久力アップ』くらい欲しいなと妄想する日々を過ごしていた。
それから1ヶ月後、俺は大きな都市へと向かう馬車に乗っていた。
スキルの鑑定をおこなうためだ。
同乗しているのは村に住む10歳の子供たちと引率のおとなだ。
「イオス、いいスキルが手に入るといいな」
そう話しかけてきたのはグレイルだ。
グレイルは俺の幼馴染みで、茶髪の少年だ。そして、俺と同じ冒険者を目指している。
いつも一緒に剣の練習をしている友達で――ともにパーティーを組もうと誓った仲間だ。
グレイルが笑った。
「一緒に神スキル引こうぜ!」
「うん」
「俺とお前で神スキル2つだ。そうしたら最強じゃね?」
「最強だね」
「伝説だ! 伝説を作ろうぜ! 今日はその1歩目だ!」
自分の輝ける未来を信じ切ったものの言葉だった。
俺もまた信じていた――俺の輝ける未来を。
やがて馬車は都市についた。その足で俺たちはスキル鑑定をしてくれる大きな教会へと向かった。
にこやかな笑顔で年老いた司祭が俺たちを迎えてくれる。
「君たちの前途に祝福がありますように。それではスキル鑑定をおこないます」
村の子供たちが前に進み、テーブルに置いてある水晶球に手を差し向けた。
水晶球が薄ぼんやりとした光を放つ。
司祭が順にスキルを読み上げた。
「ホルスのスキルは『乗馬術』!」
「アックのスキルは『木こり』!」
「ファイのスキルは『着火術』!」
子供たちの反応は悪い。どれも優れたものではないからだ。だが、それが普通なのだ。有用スキルですら珍しく、神スキルなんて一生に一度の幸運のようなものだ。
やがて、グレイルの番が来た。
「神スキル引くって祈っててくれよ、相棒」
俺の肩をぽんと叩くと、グレイルは緊張した足取りで水晶球へと向かった。
手をかざす。
水晶球が光を放った――それは大きくはなかったが、今までの誰よりも強い光だった。
「おめでとう」
司祭はにこやかな顔で言い、そして続けた。
「グレイルのスキルは『剣術』!」
「おおおっしゃあああああああ!」
グレイルは握りしめたこぶしを天高く突き上げる。
剣術。剣を扱うとき、攻撃力に補正がかかるスキル。戦士の上位職である剣士への道も広がる。
戦士を目指すグレイルならば嬉しくないはずがない。
それは決して神スキルではないが、充分に『当たり』と呼んでいいスキルだ。
満足げな様子でグレイルが戻ってくる。
「イオス、次はお前だ。俺に続けよ?」
「もちろん!」
俺は水晶球の前へと進んだ。
手をかざす。
水晶球が光を放った――それは今までの誰よりも、グレイルの光すらもはるかに凌駕する輝きだった。
これは、いったい……?
「……こ、このスキルは初めて見る。なんだ、これは――?」
司祭が顔を引きつらせる。
少しの間を置いてから、司祭がスキル名を告げた。
「イオスのスキルは『シュレディンガーの猫』!」
シュレディンガーの猫?
その頃の俺はスキルの名前を見ながら未来の自分を妄想する日々を送っていた。だから結構な数のスキルを覚えていた。
なのに。
そんな名前のスキルは記憶になかった。
記憶にあるはずがない。
なぜなら――
「イオスくん、これはおそらくユニークスキルだ」
司祭はそう俺に告げた。
ユニークスキル!?
俺だけではない。背後にいる村の子供たちもざわついた。
ユニークスキルとは既存のスキル体系に存在しないスキルのことだ。もちろん、それは『激レア』を意味する。
幼い頃の俺の心に昂揚の火が付く。
まるで自分が神に選ばれた人間のような。俺は今、誰も手にしたことがない力を手に入れたのだ。
だが、気になることがあった。
自分だけ見ることができるステータスからスキルを確認するとこう書いていた。
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シュレディンガーの猫
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閉鎖空間にある猫1匹の存在を曖昧にする。
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スキル効果の意味がわからない。
それでもユニークスキルはユニークスキル。滅多にはない幸運だ。
親友と喜びを分かち合いたいと思って振り返ると――
グレイルは唇を引き結び、冷めた目で俺をじっと見つめていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
12歳で冒険者学校に入学した俺は5年間の教育期間を満了後、冒険者となった。
それから1年がたち――
18歳になった俺は幼馴染みのグレイルを含んだ5人組パーティーでダンジョンに潜っていた。
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名前 :イオス
レベル:15(戦士)
攻撃力:250(+100)ブロードソード
防御力:205(+100)バックラー/チェインメイル
魔力 :175
スキル:シュレディンガーの猫
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俺たちは遭遇したゴブリン5匹と戦っている。
ゴブリンとはわりとポピュラーなモンスターで背丈は150センチくらい、人間と同じ2足歩行の生物だ。肌は茶色く頭は大きい。瞳のない黄色い目と耳元まで裂けた大きな口と牙が特徴だ。
「マジックアロー!」
仲間の女魔術師ミーシャの放った白い矢がゴブリンに命中する。
それとは別のゴブリンが俺たち前衛の隙間を突破、ミーシャへとナイフを持って突っ込んでいく。
「ちょ、ちょ、ちょ! 助けてえええ!」
悲鳴を上げて逃げ惑うミーシャ。
「俺が行く!」
俺は振り返ると、ミーシャを追いかけるゴブリンに斬りかかった。
「くらえ!」
ブロードソードを振り下ろすも、ゴブリンが素早い動きでかわす。
「ギギィ!」
耳障りな声をあげてゴブリンが短剣を振りかざした。俺はそれを小盾――バックラーで受け流す。
俺とゴブリンがそんな感じで戦っていると、
「ったく、ザコ相手に何やってるんだよ!」
そんな声が飛んできた。
相手にしていたゴブリンは倒してしまったのだろう。猛然とグレイルが割り込み、俺が苦戦していたゴブリンを一撃で切り捨てた。
強い。
レベルは俺と大差ないはずだが、剣術スキルの差が歴然だ。固定で攻撃力+100で、おまけに攻撃力全体を20%底上げする。
グレイルの攻撃力は540――俺の約1.5倍だ。
グレイルが中心となり、あっという間にゴブリンは全滅した。
「……足ひっぱんじゃねーよ!」
「ごめん」
ちっと舌打ちするグレイルに俺は謝る。これはいつもの光景だった。いつの頃からかグレイルは何かと俺に辛く当たることが増えた。
だが。
今回はそれだけで終わらなかった。
「……やっぱ、ねーな」
「え?」
「おい、イオス。シュレディンガーの猫、やってくれよ」
「え?」
意味がわからなかった。このタイミングでシュレディンガーの猫を発動する理由がない。
「いいじゃねーか。リーダーの俺がやってくれって言ってんだ。仲間に見せられねーってのか?」
「……いや、いいけどさ……」
俺は背中に背負っていたバックパックを開き、紐でとじた空っぽの袋を取り出した。
「猫は入っていない」
袋の口を開いてグレイルたちに見せた後、俺は袋を閉じて『シュレディンガーの猫』を発動した。
もこり、と袋がふくらむ。
「出ておいで」
開いた袋から一匹の猫が現れた。
俺が学生時代から飼っている毛が長い猫だ。名前は『ニャンコロモチ』。体毛の柄は黒と白のハチワレだ。
「にゃああん」
ニャンコロモチは俺たちを見てかわいらしい声で鳴いた。
「はぁ、はぁ……かわひい……」
女魔術師のミーシャがぷるぷる震える。
ミーシャはニャンコロモチが好きらしく、ひんぱんに「かわいい~」と言いながら触っている。
これがシュレディンガーの猫の効果だった。
存在を曖昧にすることで、猫を出したり消したりできる。ただそれだけ。それ以外には何の効果もありはしない。
本当に、それだけの。
シュレディンガー――伝説に名を残す聖人の名前だ。この能力は彼が言った言葉をそのまま表している。
『世界とは君たちが思うよりも曖昧だ。箱の中にいる猫が今も本当に存在するかどうか、それは箱を開けてみるまでは確定しない。有るとも、無いともね』
どうせなら、猫以外のものを例えに使って欲しかった……。
漂いかけた牧歌的な空気を――
グレイルの大きな笑い声が吹き飛ばした。
「アッハッハッハッハッハッハ! あー、やっぱねーな、なんだよ、そのクソスキルは! シュレディンガーの猫? 猫だしてどーするんだよ! クソの役にもたたねー。これなら、着火術とかのほうがまだマシだっつーの!」
そして、最後にこう付け加えた。
「やっぱ、ねーな。お前は俺に必要ねーわ」
いきなりの言葉に俺は動揺した。
グレイルは何を言ったんだ、今?
そんな俺のことなどお構いなしにグレイルが続けた。
「追放だ、イオス! てめぇは俺の前から消えちまえ、邪魔だ!」