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<第1章> 祝祭と悲報 (When I was 12 years old,...) 02

 その日はお祭りにふさわしい晴天だった。雲一つない空の下、村の中央広場に歳若い男女が集められた。

 女たちは皆、サラファンと呼ばれるロシアの伝統衣装に身を包んでいる。

 一方で男たちは、ルパシカと呼ばれるスモックタイプのシャツを着る。

 こちらも由緒正しいものなのだが、サラファンに比べ少々見劣りする。そのため思春期真っ只中で見栄っ張りな彼らの間ではカーキ色のルパシカを着て、胸元に軍事教練が修了したこと意味する水色のリボンを付けるのが流行っている。要は軍人を気取っているのだ。

 私が広場に着いたとき、もう何人かの女の子は広場の隅で固まって、広場の中央にいる男たちの値踏みを始めていた。


「みんな、おはよう」


 私もその輪の中に入り、下馬評を聞いて回る。

 どうやら今年はかなり人気が分かれているそうだ。


「そういえば、ユーリャの姿が見えないけれど。まだ来てないの?」


 私が彼女の名前を出すと皆一斉に驚いた。

 みんな口々に不平を言葉にする。


 「ユーリャが出たら、私たちには残り物すら残らない」とか。

 「今回の参加は控えようかな」とか。


 村の娘たちの多くは、この日をずっと待ち焦がれていた。少女から女性に変わる日。親元を離れ、一生添い遂げる相手を見つける日。彼女たちにとってこれ以上の祝祭はない。だからこそ母親たちは皆、自分の娘が少しでも目立つよう胸元の刺繍に意匠を凝らしている。


「安心して、みんなよく似合っているわよ」


 声のする方向へ向く。

 私を含め、この場所にいる全ての人間が愕然とした。


「ユーリャ、それ……」


 赤と緑が支配するこの広場で、たった一人彼女だけは黒色を身に纏っている。

 何色を混ぜても変わらないその色は、何かを訴えているように見えた。


 ――私は、誰のものにもならないと。

 

 鐘が鳴った。男たちは、広場の中央で互いに背中を向けて円を作る。

 いよいよお祭りが始まる。伴侶を選ぶことができるのは、女性の特権だ。

 男は相手を選べない。ただじっと、自分のもとに手が差し出されるのを待つしかない。


 女の中にも決まりがある――誰が最初に選ぶことができるのか。

 こんな閉鎖された村でわざわざ村娘を決めるのはそのためにある。村娘に選ばれた女性は最初に男を見定める権利が与えられる。

 今年の村娘は、ユーリヤ・パブロエヴァ。つまりユーリャが最初に男たちの周りを回るのだ。


 コツコツコツ……と革靴の底が石畳を叩きながら、彼女は広場の中央に歩みを進める。男たちが肺いっぱいに息を吸い込み、胸を張った。皆、少しでも勇しく見せたいのだろう。


 ユーリャがある男の前で足を止めた。

 団子鼻で頬にはニキビ跡が残るその顔は、すでに紅潮している。彼女の御前で息を吐き出すタイミングが掴めないのだろう、あまりにも不釣り合いな男だ。当然他の女性からの下馬評も低い。

 彼女は右手をそっと差し出して、男の左頬に当てた。そして男に向かって笑いかける。男の瞳は輝いた。自分が選ばれた。今年の村娘が自分を選んでくれたと、そう思ったのだろう。けれど彼女の仕打ちはあまりにも残酷だった。


 男が頬に触れられたユーリャの手に、自分の手を重ねようとしたその刹那、彼女は頬から手を離したのである。

 そしてまた歩き出す。

 隣の男にも同じように頬に手を添え、数秒の後に消えてしまう。彼女はその行為を繰り返し、男たちの円を一周回ると、最後は黒色の裾を靡かせながら広場を後にした。恋人を見初めるこの祭りで、今年の村娘は誰も選ばなかった。前代未聞の出来事に、四方八方から驚きの声が上がった。


「ユーリャ……ユーリャ!」


 私は彼女の後を追いかける。

 広場を見下ろす丘まで来ると、彼女はこちらを振り向いた。


「ふふっ……ふふはははは」


 ユーリャが腹を抱えるようにして笑った。


「はぁー面白い。見た? あの男たちの顔」

「ユーリャ、ちょっとやりすぎだって……」


 まだ15歳の男子にとって、彼女の仕打ちに耐えうるものは果たして何人いるだろう。特に最初の男の子。彼にとっては一生モノのトラウマになりかねない。


 それに他の女の子たちに対しても。一度手をつけたものを、あとは野となれ山となれと言った感じに押し付けて……。そこまで波風立てる必要はなかったのではないか。


「だって、目星い男がいなかったんだもん、ね?」


 左目をつぶって、こちらにウィンクをする彼女。

 ユーリャはこういう娘だった。自分の愉悦を満たすためには、残虐にも残酷にもなる。

 私はただ、引き笑いをすることしかできなかった。


「さて、今頃お祭りの方はどうなっているかしらね」


 ユーリャはスノードロップが咲き乱れる草原に腰を下ろした。

 私も彼女の隣に腰を下ろす。

 眼下に広がる広場では、赤と緑が入り混じっていた。ユーリャが起こした混乱も次第に落ち着きを取り戻し始めているのだろう。私たちはまるで神様になったみたいにその祭りの成り行きを眺めた。

 あの子が誰を選んだとか。

 どの男が売れ残っただとか。


「ねえユーリャ、ごめんね。私も黒色着てくればよかったね。一応形だけはと思って赤色のサラファンにしたんだけど……」

「別にいいよ。これは私が勝手に決めたことだし」


 彼女は遠くの空を眺めていた。

 心ここにあらずといった返答に、私は妙な感覚を覚えた。彼女に見限られたくないと、その時は思っていたのかもしれない。だから言葉を、釈明を、上書きする。


 「私も次からは黒色のサラファン着ていくね」と。


 その言葉を聞いてユーリャはやっとこちらを向いてくれた。


「そうだね、私たち結婚しない同盟だもんね。赤いサラファンを着るのはおかしいよね」


 冷たい声が響いた。目を細めてこちらを見る彼女。

 妙な焦燥感に駆られた。何か返さねば、早く彼女を納得させる言葉を返さねば、と。

 私は急いで彼女の言葉を復唱した。


「うん。私とユーリャは結婚しない同盟……」


 ほんの少しユーリャの表情が柔らかくなった。それでも、まだ不十分。彼女はまだ満たされていない。それはユーリャの表情を見ればわかる。だから私は懲りずにまた、言葉を重ねる。けれど彼女に認められたい、彼女を私だけで満たしたいという思いが早まれば早まるほど、私の言葉は空回りしていく。

 もどかしい。

 思いを言葉にするのは難しい。だからいつも誇張した表現に頼ってしまう。

 今回もそう……。


「私とユーリャは、ずっと一緒だよ。()()()()()()()()()()


 私は思わず、目を見開いた。

 顔中の毛細血管が膨らみ、頬が染まるのを感じる。

 自分の口からまさかそんな言葉が出るとは思わなかった。

 もちろんユーリャも。


「死が二人を分かつまで……」


 ユーリャが、私の方を見ながら口に出して反芻する。


「あの、これは――」

「いいね、その言葉」


 満足げに頷く彼女。


「結婚しない同盟よりよっぽどいい言葉だよ。死が二人を分かつまで。二人の合言葉にしよう」


 ユーリャが私の手を取って笑った。艶かしく目蓋を少し閉じて、唇を歪曲させるその笑顔。そして舌舐めずり。

 彼女の中で私はすでに、まな板の上の鯉なのだろう。


 ユーリャはあまりにも人身掌握に長けていた。

 その美貌と、コロコロと変わる表情と、時々発する冷たい声。それを使って彼女は、私たちの中でカリスマ的ポジションを築いていった。彼女の虜になった者は多い。私はそんな幼なじみの姿が眩しくて、いつまでもずっと一緒にいたいと思ってしまっていた。だから彼女のためなら、なんだってする。彼女の所望するものは全て差し出し、彼女の求める言葉を耳で囁く。そうして私だけを……。


 この気持ちに整理がつくのは、言語化できるようになるのは、もっとずっと後の話。そして私とユーリャが同じ景色を見ていたのは、この時までだった。


 ――悲報は、雷鳴とともに訪れる。

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