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<第5章> 帰郷、あるいは地獄めぐり (2 weeks ago,...) 04

 翌日の朝食の時から、私と母のいざこざがなくなった。

 お互い示し合わせたように結婚のこと以外のことを話題にあげた。


 私はモスクワでの一人暮らしについて。クリスマスの時は赤の広場のイルミネーションがきれいだったとか。近くの行きつけのバーで飲むモスコミュールが美味しいとか。


 母は最近の村の暮らしについて聞かせてくれた。先月ようやく隣町から電線が伸びたこととか。今年は川魚の収穫量が芳しくないこととか。


 父はそんな私たちの様子を見て首を傾げていた。


「今日、ユーリャのお母さんに会いに行こうと思うんだけど……」


 私は両手の中にある、空になったマグカップを見つめながら切り出した。


 ユーリャの母と私の母は竹馬の友だった。私が子供の頃、ユーリャの家族は正月の朝一番にうちへ新年のご挨拶に来るくらい付き合いが深い。だからなんとなく内緒で会うのは気が引けた。


「何か用事でもあるのかい? もしあれだったら私も行こうか?」

「ううん。ちょっとユーリャのことでね。軍からの伝言を頼まれたから」

「ユーリャのことねぇ……。あんた伝え方には気をつけるんだよ。最近やっと()()()()()()()()()()()()()()()んだから」


 ユーリャの死亡通知が村に届いた時、ユーリャの母は膝から崩れ落ちて泣いたという。旦那を失ってわずか4年で最愛の娘もなくした彼女は、それから何度も自殺未遂を繰り返した。最初は薬で、次は手首。最後は首を吊ろうとしていたという。特に最後の首吊りは、ちょうど母が様子を見に来たときに椅子から足を外したらしい。それから母は幾度も我が家での同居を提案しているが、彼女はユーリャの育った家に固執している。


「やっぱり心配だから、私も行くわ。昨日の残り物を詰めて持って行ってあげましょう」

「さすがに軍紀に関わることだから、お母さんの前では……」

「だからその時は席を外すわよ。私はただイヴァンの家にお茶会をしに行くだけ」


 そうと決まれば、と母はいそいそと支度を始めた。まぁ、席を外してくれるなら構わないか。私も自室の帰ると私服に着替えた。


 もちろん軍からの伝言などありもしない。私は自身の立場を利用して何かユーリャに関する情報を聞き出せないかと思っていた。それにユーリャが生きているかもしれないという情報は必ずしも彼女の母にとって悪い話ではないだろうから。


 階段を降りるとすでに母は準備が終わっていた。帽子を被り、バスケットを手に持っている。まるで2人でピクニックに行くみたいじゃないか。私の格好を見て、母が一言。


「あんた、軍のお使いなのに軍服着ないでいいのかい?」


 背中につーっと汗が垂れた。私はなんとか落ち着いた声で言う。


「あの格好だと威圧感が出ちゃうから……」


 なんとかごまかせただろうか? 

 母は何も言わなかった。


 私たちは並んでユーリャの家に向かって歩く。そういえば母と並んで歩くのは6年ぶり。奇しくもそれはユーリャのお父さんの葬儀に向かう時だった。あの時は私が母の歩く速度に食らいつくのが精一杯だったが、今は余裕を持っての合わせている。私のペースが早くなったのか、はたまた母が歳を取ったのか……。


 母が扉に取り付けられたドアノッカーを2、3度叩いた。しばらくして、ゆっくりとドアが開き、ひとりの女性が現れた。私は一瞬その女性が誰かわからなかった。あれだけきれいに手入れされていた金髪はボサボサで、顔はシワだらけ。腕の骨が浮き出るほど痩せ細っている。母と同い年とは思えなかった。10歳、いや20歳は老けてに見える。


「おはよう、イヴァン。調子はどう? お茶しようと思って」


 母が手に持ったバスケットを掲げた。

 ユーリャの母はじっと私の方を見つめている。


「あぁ、昨日帰ってきたのよ。それで何やら軍のお使いがあるらしいわ」


 軍という言葉を聞いた瞬間、彼女は目玉が飛び出すくらい見開いた。


「ユーリャのことかい? ユーリャのことかい?」


 私の肩をがっしりと掴んで、こちらに迫ってくる。

 一体この体のどこにそんな力が残っているのだろうか。


「ああ……やっぱり娘は生きていたんだ! 生きていたんだよ、リーナ!(ソフィアの母の名前)」

「イヴァン、落ち着いて。さぁ、中に入りましょう」


 母が私の肩をむ彼女の手を解くと、そのままエスコートするように家の中に入っていった。私もその後に続いてお邪魔する。


 ダイニングにユーリャの母と向き合うように座った。

 母は勝手知ったる顔でキッチンに立ち、お湯を沸かしている。


「先ほどは取り乱してしまって、申し訳なかった」


 落ち着きを取り戻したユーリャの母が頭を下げた。


「それで、お話しというのは」

「今日お伺いしたのは、娘さん。ユーリヤ・パブロエヴァ少尉についてお聞きしたいことがあるからです。お気を悪くしたら申し訳ありませんが、もしかしたら彼女はまだ生きているかもしれないんです」


 私はそこからユーリャの母に自分の知っていることを全て話した。

 自分は軍の書類作成部にいたこと(もちろん今もいると嘘をついた)。

 あの死亡通知をタイプしたのは自分であったこと。

 そして上官から、例の噂についての裏付けを取ったこと。


「つまり彼女の所属していた部隊の隊員は皆、5回目の任務遂行後に国外でなんらかの事件事故で亡くなっています。もっと早くお伝えすべきでした。けれど確かな証拠がないんです。もしかしたら母親である貴方に、彼女から何かメッセージが送られてきているのならば教えてください」


 全てを話して、頭を下げた。相手の心を開くにはまず自分が持っているカードを開示すること。交渉術では初歩中の初歩だ。

 しかし、その頭上からは思わぬ言葉が返ってきた。


「なぜ、軍がそれを私に尋ねるのです? あなた方は死んだと判断したからこんなものを私に送ってきたのでしょう!」


 彼女は胸ポケットからしわくちゃになった紙きれをこちらに投げつけてきた。紛れもないユーリャの死亡通知だった。変色し黄色になったその表面には、所々インクが滲んで文字が見えなくなっている。


「あんたらは悪魔だよ。私から旦那を奪って、娘を奪って。それでいてこれ以上何か私に苦しみを与えようだなんて思っているのかい?」

「いえ、そんなことは――」

「――そもそもは、貴方がうちの娘を誘わなければ、娘は軍隊になんか入らないで済んだのに。なんで私たちだけこんな惨めな思いをしなくちゃいけないんだい。帰ってくれよ。もう、帰っておくれ!」


 ユーリャの母は声を上げて泣き崩れた。私の母はまるで幼子のような彼女を抱き抱え、ぽんぽんと背中を叩いてあやしている。


 ――その場所は、私のはずなのに。


 母がこちらに目線を送ってきた。

 私は頷くと、ユーリャの母に一礼をすると家を出た。彼女の泣き声は家の外まで漏れ出していた。行き交う人はその方向に見向きもしない。もう慣れてしまったのだろう。そして私の母は彼女が泣くたびに、小さい頃の私にやったみたいにあやしているのだろう。なんだか無性に私まで泣きたくなった。


「私が……悪いわけじゃ、ないのに……」


 ユーリャの方から、私を誘ってきたのに。

 なんで私が悪者みたいな扱いを受けなきゃいけないの?

 ユーリャの家から聞こえる泣き声がさらに大きくなっていく。

 もう、やめてよ! 泣かないでよ、みっともない。私だって泣きたいよ……。

 私は彼女の泣き声が耳にこびりつかないうちに、走って家に帰った。

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