<第1章> 祝祭と悲報 (When I was 12 years old,...) 01
私に縫わないで、お母さん。
赤いサラファンを。
手間をかけないで、そんな無駄なことに。 『赤いサラファン』(ロシア民謡より)
「ねえ、ソーニャ(ソフィアの愛称)は来月のお祭り出る?」
ある日の学校からの帰り道、ユーリャはそう切り出した。
年に4回行われるその祭り。いや儀式という側面の方が強いだろう。
軍事教練の最終試験を終え、一人前と認められた男子はそこで生涯の伴侶を見つける。女子は月の巡りが始まると、この祭りに参加することが許される。
いわば、村の少年少女が大人になるための通過儀礼だ。
「うーん、どうしよう。いきなりお祭りで知り合った男の人と結婚とか、なんか実感湧かないんだよね」
私は並んで歩くユーリャを見る。
横からだと彼女の綺麗な目が余計に美しく見える。
目尻から出る睫毛がピンと空に向かって反り立っているからだ。
「ソーニャは大丈夫だよ。村長の娘なんだから」
背中の真ん中あたりまで伸びるユーリャの髪の毛が、春風にたなびいている。
そういう彼女の方こそ、参加すればきっと男を選り取り見取りだろう。
今年の村娘なのだから。
「ユーリャは参加するの?」
私たちは幼馴染みだった。物心がついたときにはいつも隣にいて、どこに行くのも二人一緒だった。私のことを誰よりも知っているのは彼女で、彼女のことを誰よりも知っているのは私。そんな関係だった。
私が「ユーリャと結婚したい」と言うと、決まってユーリャも「じゃあ、私もソーニャと結婚する」と言った。けれど彼女からその言葉を聞いたことはない。いつも私の言葉を鸚鵡返しするだけのユーリャ。
果たして彼女は今でもあの言葉を覚えているのだろうか……。
「私、結婚ってもっと遠い未来のことだと思ってた。けど、もう目の前にあるんだよね」
二人の間に重苦しい空気が流れる。
そもそも私たちの村には産業がない。
人口わずか200人に満たない村民のほとんどは、傭兵を経済基盤にしている。この村は19世紀から――ロシア帝国に併合された時から――何も変わらない。どれだけ時代が進んでも結局のところ、剣を預ける相手がツァーリから総書記に、そして大統領に変わっただけ。男たちは自分の命を売り、家族を養う。女は新しい命を育む。21世紀を迎えてもこの村の生活は、未だに未開発のままだ。
「じゃあさ!」
ユーリャは、私の手を突然握った。
「二人で、壊しちゃおうか」
「何を?」
「お祭り。私たち二人はまだ、結婚する気がないことを宣言するの」
ユーリャの目は輝いていた。
そして彼女は笑顔で言う。
「だってソーニャ、小さい頃は私と結婚したいって言っていたでしょ?」
――どきっとした。
そう。私はその言葉をずっと待っていたんだ。
初めて彼女からその言葉を聞いて、私は体が自分のものではないような感覚に浸った。まるで飛んでいきそうなくらいの多幸感に包まれていた。
「うん!」
私は首を縦に何度も振り、彼女の手を強く握る。
「じゃあ、決まり! 私たちはずっと、ずーっと結婚しない同盟ね」
ユーリャの声が弾む。
そうして、私たちはまた帰路を進んでいく。
「でも、流石にお祭りには出ないとダメじゃない?」
私の中で押さえ込んでいた良心が顔を覗かせる。
私は村長の娘だから。それにユーリャだって。ユーリャのお父さんが従軍して村を離れているのだから、早く結婚しておばさんを安心させる方が良いのではないだろうか。
「うん、そうだね。欠席はできない。だからお祭りには出よう。けれど目星い男はいなかったって言えば良いんだよ。そうだな……」
ユーリャは真っ赤な舌を少し出し、下唇を軽く舐めた。
彼女の癖だ。何か妙案が思い浮かぶといつも舌なめずりをする。
「きっと、楽しいお祭りになるね」
彼女は私の方を見て、笑った。
ユーリヤ・パブロエヴァ。
私の幼なじみ。二人で結婚しないことを誓い合った仲。
そして私の好きな人。
けれど、その思いはいつ伝えられるのだろう……。
「ねえソーニャ、見て」
ユーリャと繋いだ手が、急に空へ振り上げられた。
「エルブルスは今日も綺麗だね」
私たちの目の前にそびえる山を見上げる。
エルブルス山。
コーカサス山脈に属するロシア最高峰の山だ。
私と繋がった彼女の腕が真っ直ぐそこに伸びる。太陽光線に透けてしまいそうなほど、色白い彼女の腕。私はエルブス山よりもそっちに見惚れてしまった。
「そうだね、とっても綺麗」
この村で、私はユーリャと二人で生きていく――この頃の私はまだ、そんな夢を見ていた。