<第4章> イデオロギーは生きている (At the last month,...) 03
マルティネス2等曹長はゆっくりと縦にうなずいた。
「黙っていて、申し訳ありません」
「ルイス少佐は、このことをご存知なのですか?」
彼は黙って首を横に振る。
「きっと、私の忠誠心を試しているのだと思います」
なるほど、あの少佐もなかなかどうして面白いことをするじゃないか。
すると私の右隣に座っていたドミンゴ1等曹長が声を荒げた。
「貴様、裏切ったな!」
先ほどまでアルコール濃度の高い酒をあれほど入れても顔色一つ変えなかった彼が、耳を真っ赤にして部下を詰っている。それだけこの事実が彼に与えた衝撃は大きい。可愛がっていた後輩が敵のスパイだったのだから。モズがカッコウの雛を育ててしまったようなものだ。
いよいよ彼がものに手を伸ばそうとしたので、私はそれを制止した。
「公務員が特定の政党に入ること自体は何も問題ではありませんよ、ドミンゴ1等曹長」
「しかし、少尉。こいつをいますぐ更迭しないと、作戦内容が全てあちら側に筒抜けです。第一、彼はわれらを裏切ったのだ。何の情けをかけてやる必要がありましょう!」
血の気を増すドミンゴ1等曹長。
「確かに私はFEPAの党員ですが、決して作戦の内容を漏らしたりなどはしていません」
マルティネス2等曹長は必死に自身の弁明を試みている。
「私から一つ、尋ねたい。君はどうしてFEPAに所属していながら、軍に入ろうと思ったのです? 誰かに命じられてですか?」
「いえ、違います」
彼は首をふった。「私の意思で、軍に志願しました」と。
「そんな話が信じられるか!」
「少し静かにしていてください。ドミンゴ一等曹長」
私の注意に彼は一瞬驚いた顔をしたが、軍帽を深くかぶって目元を隠すと、ちびちびとグラスの中のラム酒を味わうことに専念し始めた。
「では、マルティネス二等曹長はなぜ自分から軍に志願したのですか?」
「食い扶持のためです。少尉殿はこの国の失業率をご存知ですか? 38%です。それに対して物価は1ヶ月で190%も上昇する。こんな世界で生きていくには、軍に入るしか道がなかったんです」
私は涙ながらに語る彼の姿に、ふと自分の故郷の男たちと重ねていた。私の村も産業が育たなかった。だからこそ男たちは己の体を資本に家族を養っていた。
思えば彼らの自由はどこにあったのだろう。男として生まれた時から、傭兵として家族を養うことを求められ、12歳という年齢で過酷な訓練を課される。コーカサスの越境訓練を終え、一人前の兵士と認められても彼らには嫁を選ぶ自由はなかった。ただ、向こうが伸ばした手を掴むことしか許されない。そんな村の伝統に、いったい彼らは何を感じていたのだろう。彼らにとっての幸せとは一体何なのだろう……。
「私がFEPAに入ったのは、この国を変えたいからです。ベネズエラはかつて南米随一の繁栄を誇っていた。豊富な石油を背景に、どこよりも豊かな生活を享受していた。けれど今は違う。一部の特権階級が国を私物化している。それは許される行為ではない。国家は私たちのものだ。私は現政権を打倒することを誓った。FEPAに入ったのはそのための手段です」
そこまでを一息で話すと、彼は大きく息を吸い込んだ。少し声の調子を落として、また私たちに語りかける。
「矛盾した行動をとっていることは百も承知です。私は軍人ですから上官の命令には絶対服従します。けれどできることなら私は、カロリーナ氏を殺したくはない……」
これにはドミンゴ1等曹長も共感する部分があったのか、何も反論しようとはしなかった。
「なるほど、それが君のエゴイズムというわけね……」
私はふふっ……と一人笑った。
「少尉?」
それまで黙って聞いていたドミンゴ1等曹長が顔をあげ私を見た。
「マルティネス2等曹長。君は自分が何をすべきなのか、よく分かっているじゃない」
私は机を挟んで対峙するマルティネス二等曹長に微笑みかけた。彼は目を輝かせる。自分の思いの丈をこのロシア人は理解してくれたとでも思っているのだろう。そして言葉を続ける。
「けれど今の君はあまりに自分勝手よ。本当に叶えたいことがあるのならば、命をかけるべきではないかな?」
私は机の下で静かにピストルに玉を込める。一発で十分だ。リボルバーをセットして、撃鉄を引いた。私の右隣にいるドミンゴ1等曹長は、これから起こることを予期して席を外した。
「さて、マルティネス2等曹長。私のエゴイズムはね、国家に尽くすことで生贄を得ることなのよ。これってお互いのエゴイズムの衝突じゃないかしら?」
私の問いかけにマルティネス2等曹長は何も返してこない。
彼はただ目に涙を浮かべ、私を見ていた。
「いま、あなたには二つの選択肢がある。このまま私に付き従ってカロリーナ氏を殺す手伝いをするか、それとも軍を去って私たちの前に立ち塞がるのか。いま選びなさい」
私の非常な宣告に、マルティネス2等曹長は首を横に振るばかりだった。
「そんなの選べるわけがないでしょう。私にも家族がいます。私の給金をあてにする父と母が。私には家族を養う務めがある」
「では、いまここでその信念を捨てなさい。国を変えるという誇り高き精神を、自らの手で殺しなさい」
20歳を超えた立派な男が、鼻の頭を赤くして泣いている。彼は、頬を伝う涙を拭こうとはしなかった。ただ、その濡れた瞳で私をじっと見ている。
「あなたの信念は立派よ。けれど何かを失わないで、何かを得ようだなんて考えてはいけない。本当に大切なものがあるなら、それを守るために他は全て捨てなさい! トマサ・マルティネス2等曹長、選びなさい!」
私の声が響く。だんだんと残響が減衰していくと、途端に店の中が暗くなったような気がした。彼にすすり泣く音以外、何も聞こえない。私も呼吸音すら消し、彼の回答を待った。
やがて落ち着きを取り戻し、両腕の袖で涙を拭いた彼の顔には決意の色が見て取れた。
「私は、今回の作戦には参加できません」
彼は軍帽をテーブルに置き私に敬礼をすると、そのまま店の入り口まで歩いて行く。
全く運がない男だ。もっとうまい立ち回りができたろうに。正直者は時に損をすることを、最期に知りなさい。
私は机の下に隠していた銃を彼に向かって構えると、躊躇なく引き金を引いた。
乾いた銃声が店内に響く。背中から入った銃弾は、身体を貫通し店の窓ガラスを突き破った。厨房にいた女性が悲鳴を上げる。それと同時に自動ドアが開いて、彼の体は店の外に上半身が出るようにして倒れた。
私は暗い店内と、銃口から上がる白い煙の綺麗なコントラストに見惚れていると、先ほどまで席を外していたドミンゴ1等曹長が戻ってきた。
「やはりこうなりましたか」
閉まりかける自動ドアに何度も身体を挟まれる男の姿を、彼は無表情で眺めている。
「私の部隊に、裏切り者はいらない」
銃を仕舞い軍帽をかぶると、席を立った。店の入り口まで進むと、動かなくなった男の姿を見下ろす。そして彼の骸を踏み締めるようにして、私は店を後にした。




