ムキムキ女僧兵が呪われたショタ御子を守りながら息も絶え絶えに呪いを解くため賢者の住む山までたどり着いたらチートなゴブリンがゆるゆるキャンピングしててなんやかんや助かってカップラーメンを食う話
「こんなところでは死ねぬ……!」
ベルベット・マルティンは馬を走らせていた。山中の道である。
瀕死の重体と言っても過言ではない。腹には穴が開き、折れた槍の穂先が突き刺さっていた。
治癒術を修めてはいるが、魔力は底をついて久しい。追っ手の姿が見えないことだけが、唯一の救いだろうか。
彼女は懐に抱いた"男児"を必死に抱きすくめた。この子だけは、絶対に救わなければならない――それが、彼女の決意であった。
山を抜ければ、賢者の棲み処があるという。数少ない信用できるものから、その賢者を教えられた。賢者様ならば、呪いも解けるであろう、と。そこまでたどり着ければ――と、そう思い、意識を必死に繋ぎとめて、ここまで逃げてきた。
しかし、彼女がそうであっても、その愛馬まで不屈というわけにはいかなかった。愛馬にも傷があったのだ。それも、ベルベット同様に深い傷が、だ。走りは鈍り、足はもつれ、木の根に蹄を取られた。勢いよく投げ飛ばされ、地面に叩きつけられる寸前、彼女は子を抱きすくめ、守った。ずくり、と熱が腹部に広がる。槍が、先ほどより深く刺さっていた。いや、それよりも。
彼女は男児に傷がないかを見、ほっと息を吐いた。
――よかった。
――御子殿に傷はない。
しかしながら、その小さな体躯には、思わず目をそむけたくなるほどまがまがしい瘴気が、ぎちぎちと纏わりついていた。
ベルベットは満身創痍で立ち上がり、男児――"御子"を背負った。
――夜明け前に賢者の家までたどり着かなければ、呪いが……。
彼女は"御子"のことをよくは知らないが、少ないながらも交流はあった。彼こそが御子だ、聖人だと言われても、ピンとこない。だが、子供らしく笑い、庭で子犬と遊んでいる彼は、一度見た。それだけで命を賭すに十分な理由だ。
――思惑が多すぎるのだ。国も、軍も、教会も――民草でさえ!
首で振り返り、横倒しになった愛馬に目をやる。愛馬はこちらを見て、するどく一度鳴いた。
行け、と言っているのだと、わかった。振り返るな、と。おまえまで倒れては、走った意味がなくなってしまう、と。
――すまない。
ベルベットは、背中の重みをしっかりと感じながら、歩き始めた。
意識朦朧としつつも、必死に足を進め、ふと、ベルベットは顔にあたるものに気づいた。冷たいものだ。降雪が、始まっていた。御子を背から腕抱きに移して、なるべく雪からかばって歩いていく。
体温が、奪われていく。もはや、足を動かすことすら、ままならない。一歩一歩に、尋常ではない尽力が必要であった。
それでも、歩く。歯を食いしばって。
そうやって歩いて――彼女は、見た。
道に、一匹のゴブリンがいる。
緑色の顔を、こちらに向けている。
――そんな。
平時であれば、一刀のもとに退治できる。そんな魔物だ。けれど、今は違う。立っていることも奇跡。そんな状態だ。
良い運も悪い運も、尽きたのだと……ベルベットは、そこで悟った。
一度心が折れてしまえば、意識を手放してしまうのも、無理からぬ話である。せめて、御子を抱えた前側に倒れず、後ろへと倒れようとしたのは、彼女の最後の意地のようなものであった。
――けれど、なんだろう。
ベルベットの視界に、最後に映ったあの魔物。
確認する術はもうないし、第一、荒唐無稽でおそらくは幻覚じみたものだろうが――違和感があった。
――拙僧もこうなれば、妙な物を幻視てしまうのだな。
ベルベット・マルティンは雨天を仰ぎながら、自嘲した。
――まさか、派手な色の服を纏い、傘を差したゴブリンなど、いるわけもないだろうに。
それが、ベルベット・マルティンが、暗闇へと意識を落とす前の、最後の思考であった。
〇
"女傑"ベルベット・マルティンは、生後間もないころから神童と呼ばれてきた。
女神の加護を四つも賜り、生まれながらにしてその魔力量は魔術学院を卒業した賢者に匹敵するほど多く、それでいてけっして驕らず、魂は清らかで誇り高い。十歳のころにはその力で民草を救うのが己がさだめである……と悟り、教会にて洗礼を受け、魔物を狩りつつ神の教えを説く、宣教僧兵となった。
西に魔獣あれば、行ってそれを討ち払い。
東に悪人あれば、行ってそれに教えを説く。
そんな生活を十五年送り、あまりに多くの功績ゆえに、国から贈られた名が"女傑"であった。軍属の騎士にならないか、との誘いは幾度となくあったが、そのすべてに否と返し、業を煮やした軍閥貴族が「味方にならぬならいっそ」と手練れの暗殺者を送り込むも、ことごとく返り討ちにしてしまった挙句、その半数以上がベルベット・マルティンの後ろ盾の元、洗礼を受け僧に転身してしまったというのだから、その規格外さに国も理解らせられたものである。
名を贈ったのは、いわば苦肉の策であった。
軍属でもない身で、一国を翻弄する武力など、国内にあっていいはずもない。さりとて、排除も管理も不可能で民からの信も厚いとなれば、せめてベルベット・マルティンが国家よりも下であるという姿勢は示さねばならない。
だから、名だ。国という立場で名を贈り、それを彼女が受け取りさえすれば、対外的には上下関係のように見える。国は教会へと頼み込み、教会はベルベット・マルティンへと頼み込んだ。
頼むから、名前くらいは受け取ってくれ、と。
すでにベルベットは教会内の不正や利権争いに見切りをつけていたが、いらぬ騒乱の元になるのも民に迷惑だろうと、不承不承ながら、いらぬ名を受け取った。
そういう過程でついた名だが、彼女なりのささやかな救世の旅が国家に認められた――少なくとも、民草からはそう見える――ということでもある。いらぬ横やりが入らないまま、彼女はまた魔獣をちぎっては投げ、悪人をちぎっては投げ、と活動していた。
そんな中、信用できる知人からの密使が彼女の元を訪ねてきた。冬の始まりごろだった。
曰く、「"女傑"様とも交流ある、"女神の御子"様が狙われている。疾く戻り、助けてほしい。」とのことだった。
御子とは、数度、会っている。互いに女神の信徒で、加護を受けた身だ。行かぬ理由は、なかった。
〇
ぱちぱち、と炎のはぜる音で、目が覚めた。
重たい頭を横に傾けると、焚火があった。ぼんやりとそれを眺めて、数秒後、ベルベットはしっかりと覚醒した。慌てて起き上がろうとするも、体が動かない。視界には、テントとタープ、焚火、小さなサイドテーブルや組んだ棒に布を張った簡易な椅子などがあり、まるで富商の野営のようだ、とベルベットは思った。
「……ギ」
そして、焚火の向こう側に、ゴブリンがいた。上下に鮮やかな緑色の服を着用した、ゴブリンだ。こちらの目が開いたことに気づき、安堵している様子だった。
野外だが、もうすでに体に寒さはない――焚火のそばだからというのもあるが、ベルベットは己が大量の毛布で巻かれて、タープの下に潜り込むように、木々の間に渡されたハンモックに寝かされていることと、さらに腹から痛みが消えていることに気づき、笑った。
「……ゴブリンよ。いや、ゴブリン殿と呼ぼう。助けてくれたのだな」
ゴブリンは頷きつつ、小さなテーブルに置いてある金属製のマグカップを手に取り、ベルベットの近くへと寄った。背に手を回し、その小さな体躯からは想像できないほど力強く、彼女の背を支えて、口にマグをあてがう。ベルベットは、素直にそれを飲んだ。殺すならば、とっくに殺しているだろう。であれば、このゴブリンは敵ではない――それに、拒否できるほどの元気もない。
カップにはほんのりと温かい、甘い乳が入っていた。牛の乳だろう。それだけではない。じわりと芯に染み入る香味がある。
「はちみつと生姜入りか。なんともありがたいが……いったい、どこの貴族様なのだ、ゴブリン殿は」
「ギギ」
ゴブリンは白い歯を見せて笑った。温和な笑顔だ。ベルベットの言葉はわかるようだが、人間の言葉を発音することはできないらしい。ベルベットはゆっくりとホットミルクを口に含み、少しずつ飲み込んだ。喉を通る温かさが、心地よい。
「ゴブリン殿。御子殿は……拙僧と一緒にいた男児は、どうなった?」
「……ギ」
ゴブリンは、困ったように眉を寄せ、閉じたテントを指さした。それから、立ち上がってテントに近寄り、入り口の金具を引き上げて幕を開いて、中からベルベット同様、毛布に巻かれた男児を抱いて出てきた。
ベルベットが最初に安堵したのは、御子がまだ生きているということ。そして、重ねて安堵したのは、
「……解呪済み、か。そうか、では、やはり……」
御子にかかっていた重い呪いが、解かれていた。残滓は感じるが、御子にまとわりついていた瘴気のごときまがまがしい呪詛が、剥がれていたのだ。
「ゴブリン殿は、賢者様の手の者なのだな?」
半ば確信しつつ問う。ベルベットも、過去に数度、見たことがある。魔術に長けたものの中には、魔物の使役が可能なものもいるという。緑の賢者はその類であろう、とベルベットは考えた。この野営地は人間としても上位のものだろう。野外だが、「野外を快適に楽しみたい」という、ある種矛盾した気概を感じるたたずまいだったからだ。
大型のタープも、職人が作ったと思しき見事な曲線のテントも、わざわざ専用の焚火台の上で燃え盛る炎も、己が横たえられているこのハンモックも、雪をかぶらぬように、風が当たらぬように、木々の並びと地形を計算された場所に設置されている。
「拙僧が寝ている間に、賢者殿が祓ってくれたのだな……よかった……」
胸をなでおろしたベルベットに、「――いえ」と、細い声がかかった。御子だ。薄く目を開け、弱弱しくはあるが、声を発している。
「……御子殿? ご無理は……」
「祓ってくれたのは、そこのお方です……」
はっと、ゴブリンの方を見る。やはり困ったように目を背けている。
「……ゴブリンが、ですか?」
「ええ。そちらにおられる、緑のお方が……」
緑の――。
「――では。ゴブリン殿、貴殿が――その、緑の賢者本人……いや、本ゴブリンであると?」
「ギ」
ギ、ではわからん。
だが、首をかしげるベルベットに対して、御子は笑い、うなずいた。
「……『賢者呼ばわりはやめてくれ』だそうです」
「わかるのですか?」
「私には【万語理解】のスキルがありますので。人間の……統一語の聞き取りと理解はできても、話すことができないのですね?」
また、ゴブリンは「ギ」と言った。首肯と同時だったので、それが「そうだ」の意味だと、ベルベットにも分かった。
「では――ゴブリン殿。マゼンダ……マゼンダ・フェンデルという女性をご存知か?」
首肯。
であれば、とベルベットは理解した。そして、痛む身体を無理やりに起こし、地面に膝をついた。
「大変失礼をしました。では、貴殿こそが――"革新魔導"、マゼンダ・フェンデルが師匠と仰ぐ、緑の賢者殿なのですね……!」
信じられないことではあるが――まさか、下級の魔物であるゴブリンが、緑の賢者であり、あの大魔導マゼンダの師匠であるという。だが、目の前にある現実はそう示しているのであれば、ベルベットはそれを信じるしかない。それに――たとえ、このゴブリンの言うことがすべて嘘だったとしても、ベルベットの命を救い、御子の呪いを祓った大恩人……いや、大恩ゴブであることに変わりはない。
ベルベットは己の視野狭窄を深く恥じ、土に頭をつけた。
ゴブリンはベルベットが下りたハンモックに御子を横たえ、それから短く「ギギ――ギ」と苦笑付きで言った。モンスターとは思えぬ、穏やかな笑みであった。
「……『だから、賢者呼ばわりはやめてくれ』とのことです。それから、『アレは弟子じゃなくて付き纏う者』だそうです」
ゴブリンの賢者は、ゆったりと座れる布張りの椅子をベルベットに寄越して、自分は小さなテーブルへと向かった。
「ギッ」
「……なんと?」
「ええと、『夜中に食う飯は美味い』と」
御子は恥ずかしそうに小さく笑った。
「先ほど、私のおなかが鳴ったのを、聞かれてしまったようで」
〇
小さな火の出る魔道具を用いて、ゴブリンは薬缶で水を沸かし始めた。
ベルベットの見たことのない道具だ。非常にシンプルで、金属製の小さな円盤と細い棒を組んだだけに見えるが、円盤部分からは音を立てて炎が上がっており、薬缶は三角形に組まれた細い棒に支えられていた。道具の下部から伸びた管が、太い金属製の丸い筒に接続されていて、そこにからくりを感じる。
折りたたまれた状態で取り出して、組み立て、火をつけるまでに五分とかからなかった。ベルベットは旅僧である。その道具のすばらしさは、すぐにわかった。小さて、早くて、見たところ湯を沸かすほどの火力もある。
「……珍しい魔道具ですね。ゴブリン殿の自作ですか」
ゴブリンは首を横に振った。ということは、自作ではないということか。それならば、手に入れることもできるかもしれない。
「どこで手に入れられたのです?」
「……ギギ」
ゴブリンは――癖なのだろう――また困ったように頬を掻いて、御子の方を見た。御子はハンモックでゆったりと休みつつも、こちらの会話には耳を傾けていたようで、「ええと……『密林で買った』と。密林とは、どこかの場所を指す言葉でしょうか」と、通訳をしてくれた。
「その密林というのは、どこでしょうか」
「『通販サイト』だそうです」
「……つうはんさいと、とはなんでしょうか」
「ええと……い、いんたーねっと? てんせいちーと? プライム会員なら送料無料? ……すいません、私が無知なゆえでしょう、ゴブリンさまの言うことがよくわからず……なんとお伝えすればいいのか」
「いえ、御子殿のせいでは……おそらく、なにか特別なことをして得られる神器のようなものである、ということなのでしょう」
しかし、だとすれば――視界に入る目新しいモノがすべてそうなのだとすれば、それは恐ろしいことである。ベルベットは、あまりにも無駄のない形状の薬缶を見て、唸った。これだけの数の神器級アーティファクトを持ち、致命と思われた己の傷を完全に塞ぎ、理外の魔術師と名高い"革新魔導"がさじを投げた解呪すらあっさりとやってのけるゴブリン。
――なるほど、マゼンダが師と仰ぐわけだ。
当のゴブリンは、白いコップ型のアーティファクトを三つ取り出して、「――ギギ?」と鳴いた。
「『醤油とシーフード、どっちがいい?』だそうです。……しょうゆってなんでしょうか」
「わかりませんが……食べ物、でしょうね。おそらく」
魚介と並び立って選択肢に上がっているのだから、食材でないわけがなかろう――と、ベルベットは考えた。そして、その正体不明の食材に、興味が湧き上がってきた。人里離れた地で、こんなにも贅沢な野営を行うゴブリンの賢者が食べるモノ――いったいいかなるものであろうか、と。
「……拙僧はショウユをいただけますか」
「では……私は、塩を」
ゴブリンは頷き、ぱりぱりとコップ型アーティファクトの天辺についている紙のようなものを、半分だけ剥がした。それから、湧いた湯をコップ型のアーティファクトの中に注いで、蓋を戻して、その先端を折って留めた。
「『三分待て』とのことです。――それから、『マゼンダと連絡はとれるか?』と」
「人里まで行けば、なんとか。そこから早馬を飛ばせば、三日以内には……いや、ですが、いまや教会から協力を得るのも難しいでしょう。となると、大きな町に出て、彼女の連絡員からの接触を待つのが得策やもしれません」
ゴブリンはいやそうな顔をした。それから、やれやれと頭を振って、魔力を励起させた。あまりにも自然に、けれど無詠唱で放たれた魔力は、すぅ、と夜闇へと伸びていき、そして、
『――あ! お師匠さま!』
唐突に、空中に声が響いた。ベルベットはその声に聞き覚えがあった。マゼンダ・フェンデルその人の声であった。
「……これは……?」
「おそらくですが――、魔力の糸をマゼンダ・フェンデルまで飛ばし、その糸を概念的に振動させることで、意思を音として出力している……のでしょうね。拙僧、同じ仕組みの魔術を一度、"革新魔導"に見せてもらったことがあります」
「なんと。魔術とは、そのようなことも可能なのですね……!」
ベルベットは頷きつつ、「もっとも、繊細過ぎてマゼンダ以外には使えぬようですし、そもそも相手がどこにいるのかを知っている必要もあるので、距離が遠すぎると、それこそ千里眼でもない限りは使えぬようですが……」と注釈した。あるのだろうな、と思った。千里眼。この賢者には。
『お師匠さまから連絡が来るということは、救っていただいたのですね! 感謝感謝!』
「ギ。ギギ」
『……いえ、まあ、利用したと言えばそうなんですけれど、そこはお師匠さまの優しさを信じていたというか……。そもそも、こちらからお師匠さまに連絡するのが不可能な以上、「お師匠さまがいまいる山にアタリをつけて送り出すか、あとはお師匠さまに見つけてもらってなんとかしてもらう」以外に方法がなかったといいますか……』
「……ギ」
『ありがとうございます! いやー、お師匠さまならそう言ってくださると思っておりました! ……ところで、大変厚かましいお願いにはなるのですが、もうひとつ、よろしいでしょうか』
「ギ?」
『ええとですね、実はまだ、人間どものほうでイザコザが続いておりまして……その、御子さまもベルも、罪人として指名手配されております』
ベルベットは目を剥いた。
「は? おい、マゼンダ、今なんと――?」
「"女傑"さま。落ち着いてください。これは予想できたことです。王都の政治屋連中が考えそうな手だ。それに――我らの声は、マゼンダどのには届いていないのでしょう?」
冷静な御子の言葉に、ベルベットは一度目を閉じ、深く呼吸をした。
「――失礼いたしました。続けてください、賢者殿」
ゴブリンは目礼し、「ギ」と鳴いた。
『そこで、お師匠さまには、二人の保護をお願いしたいのです。どうか、いましばらく、お師匠さまの旅に二人を同道させてやってはくれませんか?』
「ギ? ……ギギ?」
『なにをおっしゃいますか。この世界で一番安全な場所は、お師匠さまの野営地です。それに、御子さまもベル――そこの筋肉女、ベルベット・マルティンも、お師匠さまと同じく女神さまの加護を受けた者です。どうかお慈悲を……!』
「ギー……。ギ」
『……ありがとうございます……!』
どうやら、受け入れられたらしい――と、ベルベットは思った。せっかくマゼンダがお膳立てしてくれたのだ。否を言える立場ではない。それに、御子もベルベットも手負いの身だ。傷を治してもらいはしたが、精神も魔力系統も万全であるとは言い難い。それに、
――戻ってどうなる状況でもなさそうだ。
政治屋が根回しをして、教会も抑え込まれているのであれば、できることは多くはないだろう。いずれ、正さねばならないにしても、力が足りない。ならば、この賢者のもとで身を休め、学び、機を伺うほうがいいだろう。ベルベットはそう考えたし、どうやら御子も同じ考えであると、顔を見合わせて悟った。
『むろん、返礼は誠心誠意やらせていただきます! 不肖このマゼンダ・フェンデル、お師匠さまの獣欲――いやゴブ欲をこの身にて解消させていただきたくですねウヒヒ』
「ギ」
『あ待って切らないで今の冗だ――』
ぷつ、と糸が途絶え、マゼンダの声が切れた。ベルベットは、最後の言葉を反芻し、思った。
――あの干物女、いつまでも結婚しないと思ったら、ゴブリンに焦がれていたとは……!
しかし、今までの行動を見るに、このゴブリン、ゴブリンであることを除けば、マゼンダが惚れるのも――魔術師として胤を欲しがるのも、理解できる話ではあった。
「……ギ」
「『ついてくるかは任せるが、もしついてくるならば安全は保障しよう』と」
「……あの、先ほどから鳴き声の長さと情報量が一致していないのは、なぜなのでしょうか」
御子は首を傾げ、ゴブリンを見た。ゴブリンもまた、御子を見、首を傾げ、空を見上げ、ややあってベルベットを見た。
「――ギ」
「『それがゴブリン語だから』だそうです」
「なるほど……!」
そんな遣り取りの中で、ゴブリンがはっと目を見開いて、先ほど湯を注いだカップ型アーティファクトを手に取り、中を検めた。
「『……少し伸びたかもしれない』と。麺類のようですね」
「ほう。それは興味深い」
「『否、パスタではない。ラーメンだ』とのことです。らーめん、という料理なのですね?」
ゴブリンは頷き、金属でできた細工品を二人に手渡した。それは折り畳み式のフォークであった。ベルベットはその折り畳み機構の細やかさと滑らかな動作に驚き、いかなる職人の手掛けた高級品かと少しだけ気にしたが、今更であると思い出して、ありがたく使わせてもらうことにした。
その麺類は、白くて軽い、少しざらついた不思議な手触りの容器の中で、温かいスープに浸されていた。『ショウユのらーめん』である。腹に響く、かぐわしい香りがしている。なにか、鶏骨を煮てとったスープのような香りもする。暗い夜の山が背景だからだろう、立ち上る白い湯気が、まぶしいくらい視界に染みた。
――賢者殿の食事というからには、霞でも食うのかと思っていたが。
どうやらそうではないと、ベルベットは香りだけで理解した。
ふと、視線を感じて目をやれば、御子がちらちらとベルベットを見ていた。まだ『魚介のらーめん』には手を付けていないらしい。
――怖がっている……というより、困惑しているのだな。食べていいのか、わからないのだろう。
思えば、御子は野営などするわけもなく、基本的には教会で衣食住満ち足りた生活を行ってきたはずだ。腹が減っているのに、健気なことである。しかも、未知の料理となれば、なおさら困惑は大きくなる。であれば。
「女神さまの恵みに感謝致します。では、ゴブリン殿、ありがたくいただきます」
ベルベットは、知る限りにおいて最も短い祈りを捧げて、フォークを容器に突っ込んで回し、麺を絡めとって、湯気の立ち上るそれを一気に啜った。
まず感じたのは、熱さ。そこから、想像をはるかに超える塩味が舌の上に載った。ただしょっぱいだけではない。豊かな風味と旨味を感じる。すっきりと鼻に通る、まさに冬の空気のような味わい。
――なるほど、これがショウユか。
ベルベットは頷き、そして、また一口、啜った。うまい。スープはいささかしょっぱすぎる気もするが、疲れた身体にはこれくらいの塩分が嬉しいものだ。具はいり卵のようなもの、肉をミンチを固めたような謎の四角いモノなど、不思議なものが多いが、そのどれもが美味い。特に謎の肉のようなモノは、ざらついた食感と肉の味が口の中に広がって、それが楽しい。
「……めっ、女神さまの恵みに感謝致しますっ。ゴブリンさま、私もいただきますっ」
御子も短く祈りを捧げ、口をすぼめて引き上げた麺に息を吹きかけて――猫舌なのだろう――啜った。それから、驚いたように目を見開き、ぱっと花咲くように笑った。
「――美味しいです!」
ゴブリンがにこやかに笑って、「ギ」と返した。どういう意味か、ベルベットにはわからなかったが、きっと良い意味なのだろう。御子は夢中になって『魚介のらーめん』を食べている。
「あっ、見てください、"女傑"さま。ちいさいえびさんです」
「あら、本当ですね。ちいさいえびさんです」
「ちいさいえびさん、美味しいです。 ――"女傑"さまにもおすそ分けしますね」
「なんと。それは光栄の至り。では、こちらからは肉のようなものをお分けします」
二人はあっという間に『らーめん』――ゴブリン曰く『かっぷらーめん』なるものを食べきってしまった――スープまで飲み干してしまった。ベルベットは、は、と息を吐いた。満足していたが、それ以上に――生きて、また飯を食えていることが、なんだか感慨深かった。ほんの数時間前まで、死の淵にいたというのに。そして、それは御子も同じこと――。
「……御子殿?」
「……ギギ」
「寝てしまったようですね」
「ギ」
ゴブリンがテントを指さした。二人でそちらを使え、ということだろう。それから、ゴブリンは焚火台の前に椅子を動かし、どこからか取り出した紙に焚火の絵を描き始めた。ベルベットは絵の素人だが、その書き出しを見て、この写実は見事なものになるだろうな、とぼんやりと思った。『ここで絵を描いているから、気にするな』――と。そういうことだろう。
――なにからなにまで、本当に。
「かたじけない。賢者殿――と、お呼びされたくないのでしたね。ゴブリン殿。いましばらくは厄介になるかと思いますが、拙僧……ベルベット・マルティンは末代までこの御恩を忘れぬことを固く誓いましょう」
「ギ」
ゴブリンは手をひらひらと振って、軽く鳴いた。
――『気にするな』と。そんなところだろうな。賢者殿ではなく、聖人殿――いや、聖ゴブ殿と呼ぶべきか。
いや、とベルベットは己を否定した。その呼び方も、彼は嫌がるだろう。人となりならぬゴブとなりは、なんとなくわかってきている。彼は、謙虚なゴブ柄のゴブリンだ。敬われたいのではなく、対等であろうとしてくれている。はるか格上であるにも関わらず。
ベルベットは御子を抱き上げ、テントへと向かった。テントの中には、ふしぎな手触りの毛布が山のようにあり、くるまるものに困ることはなかった。
御子はすぅすぅと穏やかに寝息を立てて、眠っている。どこか幸せそうに、薄く笑みすら浮かべて。
「……らーめん……」
寝言が面白い。
ベルベットはくすりと笑って、自分もまた目をつむった。眠気はすぐにやってきた。
――ああ、しかし。
"女傑"は、意識が眠りに落ちる直前、思った。
この寝顔を救うことが出来て、本当に良かった、と。
それから、これからの旅路が、きっと良きものになるであろうな、とも。
面白かったり続きがきになったりしたら、感想で教えていただけるか評価ポイントを入れていただけると幸いです。
昨今サブカル方面でアウトドア系の作品が流行っていることもあって、「モンスターがグランピング(めちゃ豪華なキャンプ)のホストとして、ゲストの女騎士をもてなす」という話を考えていたのですが、「最近おねショタ食べてないし、おねショタ食べてえな……」と思ったのでショタが加わりました。
もしもご好評頂けているようであれば、『異世界ダイナー』2巻の作業が終わり次第にはなりますが、他企画よりも優先的に続きを書いていこうと思います。
あとグランピングの取材に行きます。
というかグランピングに行きたいからご好評ください。