第二章 第二節 小夜子ひとり
健と小夜子は恋人同士になったのも束の間、小夜子の両親が何者かに射殺され、健を巻き込みたくない小夜子は一人で犯人を捜そうとしていた
第二章 戦いの日々 第二節 小夜子ひとり
だが健と小夜子には、おおよその見当がついていた。決して要山和尚夫妻は人に恨まれるような人間ではない。要山和尚が亡くなって得をする人間は誰か? 多分あの盛田開発の土地買収問題と関係あるのかも知れない。その証拠を裏付けるように警察の捜査が怠慢になって来たように思える。盛田開発社長、盛田一政はこの辺の街でかなりの権力を持っていた。M市の市長や教育委員会や警察署などには多大な寄付をして、その見返りとして法に触れることがあっても、多少の事は見て見ぬ振りをすると言う噂が流れていた。
健と小夜子は寺の整理も一段落して、ほっとするも束の間その翌日から小夜子が忽然と姿を消した。今は健が一番頼りになる筈なのに、誰にも言わずに小夜子は健の前から姿を消してしまったのだ。健は心当たりを探したが依然として行方は分からなかった。
まさか小夜子まで誘拐されたなどは考えにくい。健は和尚の門弟達に聞いてみたが一向に分からず、仕方なく小夜子から連絡あるまで寺で待機する事にした。
M市の夕刻、盛田開発商会の事務所の近くに一人の長身の女性が現れた。
健の前から姿を消した小夜子だった。もうこうして一週間になる。
単独で盛田開発に疑惑を持って監視を始めたのだ。その日の夕刻、大した手掛かりもないまま小夜子は、仮住いのアパートに引き上げようとした時だ。小夜子が夜道を歩いていると、薄暗い公園に差し掛かった時だ。小夜子は気づいていた。
三人いや四人が後ろから尾行して来る。誰が何の為に尾行されなければならないのか。それ事体が不自然ではないか、と小夜子は思った。
突然、男達が走り出て前後に小夜子を取り囲んだ。小夜子は薄暗く誰も居ない公園の中に逃げるように入った。処が彼等も公園に入ってきて小夜子を取り囲んだ。
「お姉ちゃん。遊んで上げようか」
男たちはニヤニヤしている。とても遊ぶなんて雰囲気じゃなさそうだ。
「あの・・・私になんの用でしょうか?」
「とぼけるなよ。てめえが内の事務所を何度も見張るとは、どう云う了見だ?」
小夜子はそれには応えず黙って相手の様子を臆することなく伺う。しかも大の男、四人に囲まれてだ。やはり森田開発には知られたくない事情がある。これで明らかになった。
「てめえ、女だって容赦しないぞ!」
「私が何をとぼけたと云うの? あなた達こそ何か隠しているんじゃないの」
「なっ何もねぇよ! 事務所の前をウロウロされちゃ迷惑なんだよ」
そう云いながら小夜子の肩を掴もうとした。だが男は触ることも出来ずに、腕を捻られ体落としのような技で路面に転がっていた。他の三人の男は一瞬何が起きたのか、その状況を把握出来ずにいる。三人は一斉に小夜子に飛び掛るが、しかし空気を掴むように、小夜子に触れる事も出来ず路上に叩き伏されていた。まさに一瞬の出来事だ。三人とも呻き声を漏らしている。合気道(八双飛送返し)だ。恐るべき要山流合気道! その技の真髄である。小夜子は呼吸の乱れさえ感じない。小夜子は倒れて呻いている男に詰め寄り、左の肘から肩に小夜子の手がスーっと流れるように見えた。ギャアーと大の男が悲鳴をあげた。そう! 小夜子は肘の関節を外したのである。
すでに他の三人は足に激痛が走り動けないでいた。男達は何が起きたか判らぬ間に倒されたのである。大の男四人は苦痛に顔が歪む。
「私は許せない! 例え警察が動けなくても分かって居るのよ。私には・・・」
暗くて分らないが小夜子は女とは思えない冷たい言葉を浴びせた。小夜子は強張った表情で別な男の関節を容赦なく外した。 ギャー獣のような声を放った。
さすがの男達も震いあがった。こんなに美しい女性が信じられんと男達は思った。
「わっ分かったから、もう止めてくれ」
恥も外聞もなくなって、ついに白状した。事件に関与した男達は三人と分かった。そう小夜子の父母を殺した三人である。その三人は東京の池袋の話しをしていたと云う。その中に(宮崎)と呼ばれていた人物の名が挙がった。しかしM市にはもう居ないらしい。盛田開発の社長が指示したかは知らないと答えた。取り敢えず、新たの情報を掴む事が出来た。
小夜子は、うごめいている男達を後に闇の中へと消えて行った。小夜子! 非情なり。
小夜子は健を巻き込みたくなかった。彼は長い間、苦しい思いをして来た。ただ幸せになって欲しかった。健はやっと罪の償いと云う闇から這い出そうとしているのに。
その為に健は正堂寺に来たのだから。ただ幸せになって欲しくて。
私に同情する事はない。私が側に居れば健は私の為に戦うだろう。危険な目に合わせる訳には断じてして欲しくなかった。それは誰よりも健を愛するが故に。
お寺の財産の一部を処分して、小夜子は以前から密かに準備していたアパートを借りて健には(貴方の幸せを祈ります)と書き残して姿を消したのである。
健なら強く生きて行けるだろう。そんな思いを込めて消えていった。
小夜子流の優しさである。これから続くであろう戦いの日々が、小夜子は思い浮かべた。 これから何をするべきか、そして女一人で何が出来るのか・・・と。
まず三人の行方を捜す事から始めなければ、しかし何処に居るのか見当もつかなかった。
それでも探さねば、誰にも迷惑は掛けられない。優しい父母のへの恩返しの為にも。
あの警察だって盛田一政の圧力に屈したのか? いずれ盛田一政は政界に出て国会議員になるであろう。それだけの地盤を築いてきたのだから。敵は巨大な権力もっている。
彼にはこの街では、もう誰も逆らえない。それなら父から授かった合気道の力を借りて一人で戦い、両親の無念を晴らすのだと小夜子は覚悟を決めている。
もうあの幸福だった日々は戻って来ない。優しかった両親も居ない。自分は命を捨てても惜しくはないと胸に刻む小夜子であった。
小夜子は父の門下生の一人、山本祐一を尋ねた。彼等、門下生は要山師匠に合気道だけじゃなく色々と相談に乗って貰っていた。武と心に渡っての師匠と慕われていた。
ひょっとしたら火事の時、誰かが見ているかも知れないと思った。
その一人の高弟だった彼は、M市内で酒店の長男だと聞いた事があった。
今夜はゆっくり休んで明日にでも尋ねるつもりでいた。そう簡単に事は始まらない。
疲れた身体を風呂に入って・・・ふっと浮かんだのは、やはり健の存在であった。
「御免ね。ケン。貴方には幸福になって欲しい。それだけ、ただそれだけ・・・」
今頃どうしているのだろうか。気になってはいたが、その一方で健なら強く生きて行くことが出来ると信じていた。しかし健を失いたくない気持ちと、危険な目に合わせたくない気持ちが交差する。そんな小夜子の女心を愛しさが揺さぶるのであった。
翌日、小夜子は要山師匠の高弟である山本裕一を訊ねた。
「こんにちは、あの〜こちらに祐一さんはいらっしゃるでしょうか?」
「あっ、お嬢さん。どうして居たのですか。心配していたんですよ」
心配そうに小夜子を見つめる。小夜子は勝手に飛び出した事を弟子達にも誰にも知らせていなかった。
「すみません。私は大丈夫ですよ。お久し振りです。それより時間を少し取れますか?」
勿論、山本は仕事を休んで近くの喫茶店に小夜子を案内して入った。
落ち着いた雰囲気の店で静かなメロディーが流れていた。その曲は(雨に唄えば)古い曲だが小夜子の好きな曲だった。一九五二年のハリウッド映画、(ジーン・ケリーとデビー・レイノルズ)の主演で、その映画は今でもミュージュカルとして蘇り、そのメロディーは雨が降っても人の心を和ませるメロディーだった。
学生時代なら友達と映画の話や、音楽の話題に咲かせたものだったが。
まさか両親の犯人探しで、こんな曲を聴くとは思わなかった小夜子だった。
二人は店の角の席に座り、小夜子はこれまでの経緯を話した。
山本の話では師匠殺しの犯人を捕まえる為なら、他の門下生達はどんな事でも協力すると云ってくれるとの事だった。要山和尚の人柄が門下生の心にも心頭していたのだ。
山本が直接見た訳じゃないが、その犯人と思われる三人は、土地の人間じゃなさそうで、市内のスナックで三人が飲んで居たらしい。その時もやはり池袋の話が出たとか。
新たな手掛かりを聞く事が出来た。小夜子は山本祐一に、お礼を言って別れた。
これで、その三人は池袋周辺に居ることが確実となった。
やっと犯人の行方が見えて来た。だが、全て盛田一政の意のままに動かされている。
警察もこの街では役に立たない。リゾート地として欲しかった土地は、どんな非合法的な方法でも権力と金とで相手をねじ伏せて、のし上がって来た人間なのだ。
今や、この街の二割以上が盛田開発グループの仕事に就いていると言われる。それに間接的に関る人間も沢山いる。本当の犯人は盛田開発の社長、盛田一政だと思うのだが。
解って居ても県会議員の肩書きといずれ中央(国会)に出るそうだ。今では大臣クラスまで太いパイプを持っている人間だ。確たる証拠無しでは逆に告訴されかねない。まずは、その辺から探るしかないと判断した。それに実行犯は三人そこから始めるしかないと小夜子は夜空を見上げた。〔小夜子がんばれ〕父母がそう言っているようだ。
「お父さん、お母さん」と星を眺めながら小夜子は呟いた。父と母のあの優しい笑顔が脳裏に浮かんでくるのだった。翌日、正堂寺の父母の墓前に小夜子の姿があった。
「お父さん、お母さん。私は犯人を探しに東京に行きます。きっと無念を晴らして報告します。必ず、そして私を見守ってください」
墓前には誰かが花を添えてあった。それは誰か分かっていた。
「ケン・・・御免なさい。貴方を巻き込みたくないの」
その花に健の姿を思い浮かべ寂しさを断ち切るように小夜子は静かに腰を上げた。
小夜子は悲しみを堪えて眠る父母の墓前を後にした。住み慣れた故郷を離れ、これから始まるであろう苦難の旅が。それでも行くしかないのだと小夜子は決意した。
翌日は久し振りの快晴だった。それとは裏腹に小夜子の心は複雑だ。しかし気持ちの整理がついて何故か漲る勇気が沸いて来た。そしてM市の駅のホーム、大学時代通ったこのホームも今はただの想い出。同じホームでもこんなにも違う雰囲気は何故だろう?
そんな思いを断ち切るように列車が入って来た。
列車は小夜子を乗せてゆっくりと動き出した。住み慣れた街が遠ざかる・・・。
あの健と出会って小高い丘で座禅を組む健の姿、二人で初めてキスをしたあの砂は、二人ともウブだったのか、互いに生まれて初めてのキスだった。窓際で小夜子は想いに耽る。
高校時代、大学時代いつも使う列車だった。ジーゼルエンジンの音が高くなり列車がスピードを上げる。見慣れた景色の街が、川が、山が少しずつ後へ後へと消えてゆく。
学生時代なら、また夕方には同じ景色が観られたものを、今度この景色を観られる時はどんな気持で眺められるのだろうか。それは一人でそれとも健と二人でか・・・。
「ごめんね。ケン・私のわがままを許して」
小夜子はM市から犯人を捜して東京へ。辛い過酷の旅立ちだった。
第二章 第三節につづく。
次回、第二章 第三節
小夜子は犯人を捜して一人で東京に行く。
ところが友人がヤクザに絡まれ・・・・・・




