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最終章 君の為に 第一節  日本帰国

いよいよ最終章。最後の戦いが幕を開ける。

シンガポールで健と小夜子は目的を果たし、そして二人は結ばれた。そして帰国する。

 まだ日本は朝の七時だった。成田空港から電車で東京駅に出て、健と小夜子は東京駅で一端、降りて軽食を注文した。

 久し振りに飲む珈琲は本当に美味かった。

 小夜子もだいぶ回復してきたが、いま暫く休養が必要だった。

 東北新幹線に乗り換えて、やまびこ号は滑るように盛岡駅ホームに到着した。

 故郷の景色は、しっかり晩秋を迎えていた。四季のある日本はやはりいい。


 正堂寺の面影を残した門が見えて来た。今は主を失った別棟の小夜子の生家に一年振りの部屋に明かりが灯る。

 二人は部屋中の窓を開けて森の空気を部屋に入れた。

 そして小夜子が両親の仏壇を開けて、位牌を前にしてロウソクを灯すと。

 線香から煙が部屋に広がった。仏壇にゆっくりと手を合わす小夜子。


 「お父さん、お母さん長い間留守にして御免なさい。健と私はシンガポールに行って来ました。そして健の、お陰で二人を警察に引き渡す事が出来ました。もう少しです。どうかその間、私立ちを見守っていて下さいね」

 小夜子は在りし日の両親の笑みが想い浮かべていた。

 続いて健が仏壇に向かって手を合わせた。線香の煙が部屋中に漂う中、正同寺に来た日を想い浮かべていた。

 「師匠、ご無沙汰しております。小夜ちゃんと力を合わせて、これからも生きて行きます。間もなく良い報告が出来ると思います。ご安心ください」


 二人は簡単な報告を終えて縁側に座った。その庭で稽古した日が蘇る。

 健が初めて訪れた時の正堂寺は、師弟達で活気が溢れていた。だが今は誰も居ない。

今は池も寂しく、周りの樹木も晩秋の寒さに、落ち葉も池に散って在りし日の光景が二人の脳裏に浮かんだのだった。

 今も稽古の掛け声が聞こえくるようだ。


 しばし沈黙のあと、健がポチリと小夜子に言った。

 「小夜ちゃん・・・俺、盛田開発の周辺を探って見ようと思うのだが」

 「じゃ、私も行くわ」

  小夜子の眼は早くも退院当時の弱々しい表情は消えて、あの機敏で合気道の有段者の顔に変っていた。

 もう少しだと云う気負いもあっのだろうか。

 「小夜ちゃん。まだ体調が戻ってないし、第一危険だから無理だよ」

 「私は大丈夫よ! 健の気持ちは嬉しいけど私だって健に任せてジッとして心配ばかりして居るのが耐えられないわ」

 「・・・しかし」


 健も返答に困った。小夜子の気持ちは充分に判るだけに心苦しかった。

 暫し沈黙が続くと・・・その時、二羽のキジが池の後ろの森からバタバタと飛び立っていった。

 一緒に行くという小夜子を説得して、健は翌日に要山和尚の以前門弟のひとりだった佐田義則を訪ねた。

 佐田はバイク屋〔佐田モータース〕の若主人だ。今では子供も二人居るらしい。

 「こんにちはー」

 と、店内に入って行った。その店には新車のオートバイが沢山並べられている。

 奥にツナギを着た佐田が、油まみれでバイクの修理をしている姿が見えた。


 「こんにちは、お久し振りで堀内ですが・・・」

 「おー堀内くん。いやぁ本当に久し振りだなぁ。シンガポール行って居たんだって、小夜子お嬢さんは元気かい?」

 当時の佐田は要山師匠の高弟だった。

 最初の頃は健を指導してくれる程の腕前だったが、その後は健の上達がめざましく佐田でさえ、歯がたたない程になって健に一目おいていた。


 健と佐田は居間に席を移して、昔のなつかしい話を語り合った。

 「確か、お嬢さんもシンガポールに行ったんだよね。そうか帰って来たのか。それで結婚はしたのかね?」

 「いやそれは・・・まだですが。ちょっと頼み事があって来たのですが」

 「そうか、あの盛田開発の事だな。相変わらず評判が悪いけどなぁ」

 「僕はどうしても師匠の無念を晴らしたくて、何か情報を得られればと思って来ました」

 「知っている事ならなんでも協力するよ。で、どんな事だい」


 「あの師匠夫妻を射殺した一人と、沖田勝男と盛田一政の二人です」

 「沖田と言うのは? 盛田のなんだい? 用心棒か何か。そう言えば最近見た事があるなあ盛田の側でサングラス掛けて居たけど、気味が悪いのが居たような多分そいつじゃないかな。やっぱり盛田が依頼して以前、暴漢に襲われたから雇ったのかな」


 「多分、間違いないと思います。沖田は僕も人相まで知らないのですが、盛田の側にくっついていたと聞きました。今までシンポールに居て、また戻ったそうです」

 「そうか、でも盛田は一応、県会議員だからな。余程の証拠がないと、まぁ、その師匠を殺した奴等と、関係が分かれば殺人供与になるから・・・しかし警察は動くかな?」


 佐田は師匠の為なら、なんでも協力すると言ってくれた。

 今でも要山和尚の人柄が、師弟達にも深く心頭していたのだ。

 健は佐田にお礼を述べて、その足で盛田開発の事務所の周辺にある喫茶店に入った。もちろん珈琲を飲みたかった訳じゃない。

 近くで見張っていれば、何か得られるかも知れないと感じたからだ。

 確かに地元の警察は、盛田に関して決定的な証拠がない限り充てに出来ない。

 その為には自分で動くしかないのだ。

 健は窓辺に座っていると、喫茶店内のスピーカーから静かに懐かしいメロディが流れている。

 シンガポールと違ってここは、ひと時の安らぎを覚えた。


 健は改めて日本にいるのだと感じた。

 シンガポールでは味わえない日本独特の雰囲気に〔やっぱり日本はいい〕そんなふうに思った。

 香ばしい香りの珈琲が運ばれて来た。

 シンガポール、マレーシアなどは何故か物凄く甘い砂糖をたっぷり入れた珈琲がある。

 やはり日本の珈琲は風味と渋味が良くて美味かった。

 外は曇り空の下、冷たい風が落葉を吹き流して晩秋の寂しさを感じた。


 小夜子は家で掃除や、荒れた庭や池の手入れをしながら、まだ完全に回復したとは言えない身体の回復に努めていた。

 健に言われて渋々と時間を潰していたのだ。

 健と小夜子はシンガポールで、あのリゾート地のホテルで約束した事がある。

 これから一緒に君と生きて行くと二人だけの婚約だった。誰にも話してはいないが。

 シンガポールと日本で二人を取り囲む知人、友人は当然、結婚すると思っている。

 あとは結婚がいつになるか、だけの事だった。小夜子もそれを願っている。


 その知人達は二人を心から祝福したいと思っているのだ。その中にはヤクザの松本と橋本も含まれていた。

 その二人は組に戻って、どうして居るのだろうかと小夜子は掃除しながら想い浮かべていた。

 あのレストランでの出会いが懐かしく思い出される。

 小夜子も早く一緒に生活がしたい。

 しかし、どうしても最後にやり遂げなければならない事がある。

 それが宿命と健と小夜子は思っている。


 健の暗い過去、忘れられない友人の死、自分の為より友人の為にも生きなければ、そして償わなければ、と生きて来た健だった。

 そんな健に家庭の素晴らしさを教えてあげたい。小夜子はそう思っている。

 健の心を立ち直らせ生きる事の意味を教えてくれた要山和尚。

 そして小夜子の存在がなかったら、健はまだ、さ迷っていたかも知れない。

 小夜子からは合気道と精神力と愛を貰った。そして愛する事を教えてくれた。

 今度は健が小夜子の為に幸せを贈る番だ。だが全てが犯人に罪を償って貰ってからだ。


 今日も健は喫茶店に張り付いていた。

 その時、黒塗りのベンツが盛田開発の事務所の前に停まった。

 健は喫茶店の窓際から、そのベンツを見てハッとした。何度か見たあの顔だ。

 あれは盛田だ。盛田一政が車から出て来た。あの脂ぎった顔が横柄な態度で歩いている。

 浅黒く眼光がするどい、議員と言うよりも暗黒の世界が似合っている風貌だ。

 事務所から人相の良くない数人と、一般の社員だろうか出向かえに出て来た。


 盛田は平然として周りを見る。目があった社員はビクリとして直立不動で立っている。

 まるで将軍にでも、なったかのように一瞥してから事務所の中に入って行った。

 健は(に見ていろ! 必ず制裁を加えてやると、その姿を焼き付けた。

 出来るなら今すぐにでも、胸倉を掴んで殴りつけてやりたい衝動に駆られたが。

 今そんな事をしたら、ただの暴漢に過ぎない。おまけに警察に突き出されたら元も子も無くなる。

 健は自分の心を制御する事に必死だった。偏見を除いても好きになれるタイプじゃない。


 正面から乗り込む訳にも行かない。何か方法はないかと思案する健。

 だが、今は手の出しようがない。ここはひとまず引き上げざるを得ない。

 何の為の一週間だったのか標的を目の前にして何も出来ず、健は身体を震わせて耐えた。

 その夜は帰って小夜子に盛田一政が現れた事を告げた。

 その悔しさは、きっと小夜子も同じ気持ちに違いない。

 やはり盛田の周りの人間から崩すしかないと意見は一致した。


 それとは別に小夜子から珍しいお客さんが来ると伝えられた。

 「あのね。健、松本さん達が遊びに来るって!」

 「えっ、どうしてまた? こんな田舎まで? あっそうなんだぁ。きっと幹部になった報告かな。きっとそうだよね。ハッハハハ懐かしいなぁ」

 先ほど迄の悔しい話題から一転、松本と橋本を思い出して二人の顔がほころんだ。

 「どうやら、あの人達とは縁が切れそうにないな。どんな格好で来るのかな」

「そうそう思い出したわ、シンガポールに来た時の服装を本当に派手だったわ。フフッ」


 最初は住む世界が違う人間だからと思っていたが。

 むろん今でも違う訳だが何故か相性があった。彼等もまた健と小夜子の強さに憧れていた。 あれは小夜子が東京に出て間もなくの頃、不思議な出会いだった。

 小夜子はどれだけ勇気づけられた事だろうか。


 そんな時,健が風呂に入ろうとしてTシャツを脱いだ時に、チャリ〜ンと音がして、小夜子と二人で買った、ペアのネックレスの鎖が切れて床に落ちた。

「ゴメンゴメン切れちゃった。風呂から上がった時にでも直しよ」

「もう! ケンったら、要らないの?」

 と、ふくれ面をして口をプーと膨らませ拗ねてみせた。茶目っ気タップリの小夜子だった。 金は健のネックレス銀は小夜子のネックレスを二人はいつも身に着けている。

 翌日は午後少し遅く出た。小夜子がいつものように「気をつけてね」と言って見送ってくれる。


 もう新婚の夫婦みたいだった。しかし今は二人とも働いていない。

 当分は食べるに苦労はしないが、要山和尚夫妻を死に追いやった犯人が法の裁きに掛からなければ、自分達の力で身を持って反省させる迄と。

 それが終わって始めて二人に本当に幸せがやってくるのだ。

 今は、それが全てに最優先と考えていた二人だ。


日本に帰国した健と小夜子は、一緒に犯人を捜すという病あがりの小夜子を労わり、健は一人で張り込みを始めた。

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