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第五章 第三話 小夜子危篤

健と喧嘩別れした小夜子は、東京から来たヤクザの友人と行動を共にする。

第五章 月が泣いている 第三節  小夜子危篤 


「やっぱりな、お前! 橋本を何処に隠した。言え!」

 安田は顔を背ける。松本は安田を馬乗りになって更に殴りつけた。安田は顔を覆って防いでいる。安田はもがいたが松本は流石に強かった。あのスナックの時とは違う。  相手が強すぎたからだ。もがく安田の動きを封じて尚も殴りつけた。小夜子は思わず顔を背けたくなるほどだ。やがて安田は抵抗力をなくし顔が腫上がって怯えていた。

 「松本さん。いつまでもここに居ては危険だわ」


 確かに危険であった。安田の仲間が駆けつけるかも知れない。小夜子と松本は近くに停めてあるレンタカーに安田を車のトランクに乗せて、そのコンビナートを後にした。

 しかし連れて行く場所が問題だ。日本とは違って連れて行く場所が分からない。松本達は安いホテルを仮宿にしていたが、そこでは人目に付く。そこで思いついたのが、人が居ない貯水池の側で白状させる事にした。

 シンガポールはは山ない。川らしいのは海水を引く為の用水路みたいな物でシンガポールは沢山の貯水池に雨水を確保する。その貯水池はシンガポールの面積の二割にも相当すると言われている。安田は後ろのトランクで暴れているのか、ガタガタと車が揺れる。小夜子が運転を代わって松本が一旦、車を止めトランクを開けて安田を殴りつけると大人しくなった。さすがにヤクザだ。やることが恐ろしい。


 「小夜子さん。その貯水池って近いのかい?」

 「ええ、車で十分くらいの所よ。この時間なら誰も居ない筈だわ」

 「それにしても小夜子さんが、居なかったら探せなかったよ」

 「いいえ、気にしないで。でも橋本さんは一体、何処に消えたのかしら」

 「なあに、こいつに吐かせれば分かりますよ。こいつは友人面して橋本を罠に嵌めたんだよ。きっと新日本同盟に雇われたんだろう。昔からのよしみで橋本に近づいたんだよ。とんでもない野郎だ」


安田は後ろ手をガッチリと縛り、サル口輪をしてあったが、その貯水池の片隅に安田は車のトランクから引きずり出された。もうグッタリとしている。なにしろ気温が高いからトランクの中は蒸し風呂状態だった。だが、松本は怒っていた。橋本の事を考えると松本は普段、見せない鬼の形相になっている。仲間を卑劣な手段で拉致された事に。

「オイ安田! お前も疲れたろう? いい薬を飲ませてやろうじゃないか」

松本はポケットから何やら白い粉を取り出して安田の口に持って行った。

安田は眼を大きく見開き激しく抵抗した。安田はそれが何か分かって怯えたのだ。小夜子も驚いた。白い粉とは麻薬だろうと思った。どうして松本が持っているのかと、確か矢崎組は麻薬には手を出さないと聞いていたからだ。


 「松本さん!? まさかそれって・・・」小夜子が聞く。

 「そのまさかさ、オラ! 安田飲めや」

 「か、勘弁してくれ! そればっかりは止めてくれ」と哀願した。

 「おうそうか全部吐いたらな、俺もこれは高いから使いたくないんだが」

 安田は覚せい剤の恐ろしさを知っているのか、やっと白状する気になった。

薬漬けにされた人間を何人も見て来たからだろう。白い粉ならその道の人間は一番分っていたからだ。麻薬を扱う者にとってそれは使い方によっては恐怖だ。

一呼吸して安田は話し出した。その安田から飛び出した言葉は予想もしない事だった。新日本同盟は松本達がシンガポールに派遣された理由をすでに察知していたのだ。


 更に安田は新日本同盟に一年ほど前に雇われた準構成員だった。矢崎組の情報が漏れていたのか、そこで橋本の知り合いである安田が、巧みに罠を仕掛けて橋本を連れ出した。松本の怒りは頂点に達した。いつも一緒の橋本が罠に掛けられて新日本同盟に捕らえられた。奴等の事だ。生きているかも定かではない。今は矢崎組と新日本同盟とは戦争状態なのだ。その先遣隊として送られた松本と橋本だった。


 橋本がやられて、おオメオメと日本に帰れる訳がない。なんとして助けなくては。

 「よくも、やってくれたな安田! それで橋本は何処に居るのだ。吐け!」

 「さっきの事務所で監禁している。俺を放したら連れて来てもいいぜ」

 「冗談じゃねぇぜ。お前は人質だって事を忘れるな。橋本と引き換えなら考えてやるぜ」

松本は迂闊に事務所には忍び込めない。他に何人居るか確認しないと近づけない。人質交換に持ち込んでも良いが、だが応じなかったら、どうせ奴等は安田なんか失っても痛くも痒くもないだろう。奴等はそう云う連中だと松本は思っていた。

 「いいわ、松本さん。私が事務所の様子を見てくるわ」

 「そりゃあ駄目だよ。危険すぎる」


 松本は慌てて止めた。しかし小夜子は松本が言い終らないうちに、表通りに出てタクシーを拾った。松本は引き止めようとしたが、安田をそのまま置いて行けない。

 「あっ小夜子さん。危ないヤメロッ!」

 必死に呼び止めようとしたが松本は安田を放し訳にも行かず、ただタクシーが消えて行くのを見ているだけだった。小夜子はタクシーの運転手にコンビナートへと告げた。

 小夜子はタクシーを降りて安田を誘い出したプレハブの事務所の裏に廻った。事務所の裏手には裏口のドアがあった。小夜子は周りに気を配りながら裏口のドアのノブを静かに回す。なんと簡単にドアは開いた。鍵は掛かってない。


 そっとドアを押しながら中に入る。夜の八時を過ぎていたが電気は点けられたままだ。誰も居ない。安田だけが留守番していたのか、まさか罠か。それにしては人の気配が感じない。小夜子は静かに耳を澄ましたが、やはり話し声が聞こえて来ない。

 本当に安田一人だったのかと思いながら、次の部屋をそっとガラス窓から覗くが。

やはり人は居ない。では橋本はどこに? グズグスしていたら誰か帰ってくると焦った。

 一番奥の部屋だけがガラス窓が無い。ひょっとしたらここに橋本が居るかも知れない?


 小夜子はそんな事を考えて、そのドアのノブを回すが。だが此処だけは鍵が掛かっている。小夜子は小さくドアを叩く、そして・・・耳を澄ますと、だが応答が無い。

 「橋本さん?・・・小夜子です」

 と小さな声で呼びかけて見る。今度は中から唸り声が微かに聞こえた。

たぶん橋本は猿口輪かなんかされて声が出せないのではと思ったが、しかしドアには鍵が掛かっている。

(どうしょう)と小夜子は考えた。大きな音を経てれば誰か飛んで来るかも知れない。いつ戻ってくるかも分からない。小夜子は焦った。見つかったら最後だから。

 「橋本さん待って居て、いま助けるからね」


 そう云って小夜子はその場を離れた。他に人が居るか確認する為に事務所の中を見て回る必要があった。そして六分。やはり誰も居ない。

事務所の留守番は安田だけ一人だったのか、小夜子は橋本が居る部屋に戻りドアに体当たりした。一回、二回、三回ミシッと音がして開いた。もんどりうって中に転がり込む。橋本が縛られてもがいていた。小夜子は橋本を覗き込み。

 「橋本さん大丈夫? 歩ける」と橋本に声を掛ける。

 「ああ、なんとか大丈夫だ。ちょっと腕と顔をやられただけだ。ありがとう」

  小夜子は急いで縛られていたロープを解こうとするが、きつく縛ってあるので、なかなか解けない。それを解くに七、八分の時間が掛かってしまったが、やっと解けた。


 なんとか二人は事務所から脱出出来た。小夜子は橋本の手を取って外に導く。

 「急いで! 松本さんが車で待っているわ」

 松本とは貯水池で別れ、いや勝手に橋本を救出に向かったが、きっと松本は来てくれると信じていた。二人は走った。橋本は体力が消耗しているらしく、その足が重い。

 松本「オイ、こっちこっち」

 松本が、やはり来てくれた。松本は車を物陰に移動して待っていた。

 「早く、早く乗れ!」

 先に橋本を助手席に乗せ小夜子が後部席のドアを開けた。その時だった。


 数人の人間が何か叫びながら走ってくる足音が聞こえた。なんといきなり発砲して来た。ズキューンと拳銃の発射音が闇から響く。と同時に小夜子がスローモーションのようにアスファルトの上に崩れて落ちた。

 突然の事で小夜子自身、何が起こったのか分からず身体中がカッと熱く感じた。

 「なんなの? 熱い・・・健 タ、ス、ケ、テ」

みるみるうちにアスファルトに血が染まって行く・・・。

「さ! 小夜子さ〜ん」

松本が運転席から降りて小夜子を抱き起こしたが、小夜子の眼の視点が定まらない。

「橋本! 大変だ。小夜子さんがやられた。早く車に乗せろ」

松本と体力が弱っている橋本で、なんとか小夜子を車に乗せ車を急発進させた。

なんとか追っ手から逃れたが小夜子の呼吸が荒くなり、抱き起こした手には血がベットリと付いていた。小夜子は意識がもうろうとなり、健の顔が浮かびそして消えて行く。何かの苦しみから解放されたような笑顔にさえ見えた。それでも健と買った銀のネックレスを無意識に握っていた。やがて小夜子の意識が薄れて真っ暗な闇が訪れるのだった。


 その頃、堀内健とラザリナはカフェバーで談話をしていた。

 「君の店に飲みに行った時は精神的に参っていたが、でも君のお陰で今は、気持が楽になったよ。本当に感謝しているよ。ラザリナ」

 「私もよケン。前も話したけど両親が離婚して母一人で私は育てられ、今は母が働き過ぎて入院しているから、どうしてもお金が必要だったの。だから余り好きでもない仕事をして頑張っているのよ。ケンはね今の仕事が自分に合わないと思って、それで悩んでいるのでしょう。お金の為じゃないね。きっとその内いい事あるわ。だから我慢も必要よ」


 健は返し言葉がなかった。ラザリナのように自分の為じゃなく親の為に、好き嫌いなど二の次で生きる為に働いているのだ。東南アジアでは、まだまだ貧困に喘ぐ人々が沢山居るのだ。それ故、家族の絆は深く親が子を、子が親を助け合う愛情も人一倍強い。今の日本人には家族が助け合う事さえ忘れ去られたのだろうか。健は己の甘さに反省した。そしてこんな良い子が・・・けな気な。健は改めてこの神秘的な女性の魅力に魅了されて行った。

 翌日、健はT.T探偵事務所に出勤した。やはり気持ちは沈みがちになったが。


そこにジミーサットンが顔色を変えて飛んで来た。健は怪訝な顔をしてジミーを見た。

 「健! 昨夜から探していたけど連絡が取れなかったよ。何処に行っていたんだ?小夜子さんが大変だ。早く行ってあげないと」

 健は小夜子とは、もう三週間近くも連絡を取ってないし逢ってもいない。

 あれ以来、気まずいのと気持がラザリナに傾きかけていたからだ。

 「えっ小夜ちゃんが・・・どうかしたの」

 ジミーの表情は真剣だった。いつもの陽気なジョーク違っていた。

 「昨夜、日本人の男から電話があって小夜子さん重傷だって。命が危ないと泣きそうな声で言っていた。早く健を呼んで来てくれってさ」


 それを聞いた健の表情がみるみる変わっていった。今までの甘さがいっぺんに飛んだ。

 「えっ小夜ちゃんが! 今どこに居るんだ。何処に行けばいいのだ」

 健はジミーに詰め寄った。いったい小夜子に何が起こったと云うのだ。

 健は自分を責めた。自分は何をしていたんだ。いつも側に居て守ると約束したのに。

 「健、落着け。いま説明するから」

 ジミーは、こんなに取り乱した健を見るのは初めてだ。ジミーは場所を記したメモと目印などを教えた。健はそのメモを手に凄い形相で探偵社を飛び出した。駐車場から車に乗って大通りに出たが、こう云う時に限って渋滞していた。イライラしながら車の運転をしてやっと辿り着いた。その場所は、あのコンビナートから五キロ程離れた総合病院だった。健は病院に入った。どうやら緊急治療室に居るらしいが、その病室の前の長椅子に見慣れた二人の男が立ったり座ったりとソワソワと歩き回っている。

 走ってくる健に、松本と橋本は気づいて健の側に駆け寄って来た。

 「堀内くん。待っていたよ」


 松本はなんとも言えない顔で健に声を掛けた。

 「えっ松本さんに橋本さん? どうして此処にいるの。小夜ちゃんは?」

 「訳はあとで話が、まだ面会も出来ない状態なんだ」

 「小夜ちゃんは、小夜ちゃんは大丈夫なのか?」

 健は小夜子の容態が心配でならない。居ても立って居られなくなり、その緊急治療室の扉を勝手に開けた。そこにはベッドに横たわって沢山のパイプや医療器具などが小夜子の体に繋がれていた。口には呼吸器が付いて眠っているように見えたのだが。

まだ手術が終わって間もないだろうか、それとも手術も出来ない状態なのだろうか。

「小夜ちゃん! 死ぬな! 死ぬんじゃない」

 健は涙声で叫んだ。そこに女性看護士が病室に入って来て咎めた。

 「あなた! 何をして居るのですか。此処は立入り禁止です。すぐに出て下さい」

 看護婦が慌てて入って来て健に厳しく注意した。健はその看護士に訴えた。

 「彼女は、彼女は助かるのですか」。


 看護婦はその問いに顔を横に振り健を病室の外に連れ出した。そして看護士は健に小夜子との関係を尋ねた。だが健は興奮している。落ち着くようにと看護士は尋ねる。

 「貴方は坂城さんの身内の方ですか」

 健は一瞬その問いに迷ったが身内以上に、いや誰よりも心配している。

 「そっそれは・・。僕にとって最愛の人です」と答えた。

看護士が言った。恋人と受け止めたのだろうか。とにかく落ち着くようにと看護士。

「貴方しか居ないのですね。ではナースセンターへ来て下さい」

 そのナースセンターで、ここで待ちようにと看護士は出て行った。

 まもなく待っていたら担当医師がやって来た。また落ち着いてと医師が言う。

 「今、坂城さんは大変に危険な状態にあります。最善の努力はしていますが、今はなんとも申し上げられません。彼女の幸運を祈るだけです。だから貴方も祈って下さい」

 その医師の説明に健は呆然とした。もう神に祈るしかないのかと。


 「先生、お願いします。彼女を助けて下さい。僕の命と引き換えにしても、お願いします。先生、お願いします」

 そんな事は出来る筈もないが。健はそう言わずに居られなかった。

 健はうな垂れて廊下に出ると、二人の屈強な男に声を掛けられた。健は怪訝な顔をして、その二人を見た。どうやら私服の警官のように思われた。

「私たちはシンガポール警察の者です」

 どこの国でも、そうだと思うが、銃で撃たれて病院に運ばれれば、すぐ病院から警察に連絡が入る仕組みになっている。多分それで聞き込みに来たのだろう。

「ハイ・・・どう云うお話なのでしょうか」

「いや今、調べて判った事なのですが入院されている坂城小夜子さんは、あの時のハイジャック事件の功労者ですね。先ほど本部に問い合わせたら名前が同じだったもので。すると貴方は・・もう一人の英雄? かな」

 「別に英雄じゃありませんよ」

 「いや失礼、いまは彼女の容態が心配でしょう。しかし、どうしてこんな事になったのですか? 貴方ならご存知じゃないですか」

「ええ、それが私も仕事の都合で彼女と暫らく逢ってないので、慌てて駆けつけた処なので状況がよく分からないんです」


 その警官は、それ以上は訊かなかった。心中察するものがあったのだろう。何せシンガポール警察の語り草になっている人物だ。健に気を使ったのだろうか。

「そうそう、ジョイ・ハミルトン警視が貴方の事を良く話していましたよ。ではまた彼女が快復次第また来ます。彼女の幸運を祈りますよ」

 そう言って二人の警官は、健の肩をポンポンと叩き励まして帰って行った。

 健は気落ちしたまま待合室へ向かう。其処には松本と橋本が待っていた。

 橋本「すまない。みんな俺が悪いんだ。小夜子さんが俺を助ける為に新日本同盟の事務所に来て俺を救い出して、松本の車に乗りこもうとした時に何処からか拳銃が発射されて小夜子さんに当たったんだ。俺を助ける為に」


 松本「いや俺が小夜子さんを呼んだ。俺が悪いんだ。勘弁してくれ」

 二人は健に悲痛な思いで何度も詫びるのだった。しかし誰が詫びようが健がどんなに祈ろうと、その状況は変らないのだから、今更二人を責めても小夜子が命を取り留める保障はどこにもないのだ。

考えてみれば一番悪いのは自分なのだ。いつも一緒に行動しようと約束してシンガポールに来たのは何の為なのか、仕事に迷いを感じて小夜子を一人にした責任は自分にあるのだ。小夜子は心が病んでいる自分を、これ以上傷つけたくなかったのだろう。

「取り敢えず外に出よう。話はそれから聞かせてもらいましょう」


 健は少し冷静にならなければ何も始まらないと考えたのだろうか。深呼吸してフーと溜息を漏らす。三人は一旦、病院の外へ出て近くのカフィに入って行った。

 松本と橋本は、これまでの経過を話した。その松本と橋本の話の内容はこうだった。

 小夜子が車に乗る寸前に撃たれて、橋本は小夜子を抱き抱えて車に乗せた。松本は追っ手から車をフルスピードで、なんとか脱出してそのまま病院に連れ込んだ。


 もちろん警察にも届けた。いろいろ聞かれたけど、こっちは被害者と言う事で、後でまた事情を聞く事になっているらしい。それから四日目の事だ。幸いにして危険な状態からは脱したようだ。毎日病院に通い、その夕方、小夜子の病室に向かった。病室に入る寸前に、小夜子を担当の看護士が健の方に走りよって来た。

 「看護士さん、どうしたのですか? 慌てて」

 健は一瞬、不安がよぎった。状態が悪い方へ急変したのかドキリとした。

 「ちょうど良かったわ。一時間程前に坂城さんの意識が戻ったのよ」

 看護婦は誇らしげに、健に告げて健の次の言葉を待った。

 「えっ本当ですか!? 本当に意識が戻ったのですか」

 「ええ間違いないわ。但し、まだ絶対安静に変わりはないけどもう大丈夫よ」


 健は急に真っ暗な闇夜から光を感じ、胸が込み上げて瞼が熱くなった。

そして看護士の手を取って何度も何度もお礼を述べた。シンガポールに来て、こんなに苦しくこんなに嬉しかった事があったろうかと・・・。

小夜子にもしもの事があったら、生きて行く自信さえ失いかけていた健だった。

 「看護士さん彼女に逢えますか? いや逢わせて下さい。お願いします」

 「いいわ、でも長い時間や興奮させない事さえ守ってくれればOKよ」


 看護士は笑顔で健を病室の方に押しやった。そして個室の病室のドアを開けたると、小夜子はまだ眠っていたが。看護士が静かに窓のカーテンを開けて窓も開けた。外から新鮮な空気が入って来て小夜子の頬を撫でる。小夜子が無意識に腕をベッドに掛かっている毛布から手を伸ばした。看護士は小夜子にそっと、その毛布を三分の一ほど捲りあげると。体に何か感じたのだろうか、小夜子は静に目を開けて顔を動かした。

 「坂城さん・・・お客様ですよ」

 まだ意識が朦朧としているのだろうか、虚ろな眼で病室を見渡しと、その先の健の姿を見て少しずつではあるが、しっかりと健を視線で捉えた。

 健は小夜子の手をそっと握って小夜子の瞳を見つめた。健は涙で霞んで小夜子が良く見えない。小夜子も健に気づいたのか。その瞳は潤んでいたが健の手を握り返した。


 「小夜ちゃん良かった。本当に良かった」

 健はもう言葉にならなかった。小夜子のその手が、また健の手を握り返して囁く。

 「わ、私・・・もう・・・健に逢えないかと思ったわ」

 「小夜ちゃん。ゴメンよ、本当にごめん。もう一人にはしないよ。絶対に」

 看護士は二人の再会を確認すると気遣って病室を出ていった。

 「私、生きているのね。良く分からない内に意識が薄れて」

 小夜子はあの時、撃たれて意識が遠のく時もうすべてが消えて永遠に目が覚めないような感じがしたと思ったようだ。

 「早く元気になって美味しい食事をまた一緒にしたいね。小夜ちゃん」

 「そうね。健と一緒に食事が出来るといいね」

 二人は手を握り合ったまま語り合った。その手は暖かくもあり熱くもあった。

 もう小夜子を悲しませたりしない、どんな事があっても絶対にと健は心に誓った。


自分さえしっかりして居れば小夜子を、こんな目に合わせなかったのにと全ては自分に責任があると。思い詰めた健は涙が止まらい。もうすでに面会時間が過ぎていたが。

 「小夜ちゃん。もっと一緒に居たいけど身体にも障るし、そろそろ帰るね」

 「ウン分かった。でも又、来てくれるでしょう・・・?健」

 「もちろんだよ。時間の都合がつく限り小夜ちゃんの側にいるよ」

 健も小夜子も名残惜しそうに、手を離して別れを惜しんだ。小夜子は笑顔で健を見ていた。やがて廊下に出ると二人に気を使った看護士は待っていた。

 「あっどうも看護士さん。本当にありがとうございました」

 「良かったわね。病室に入ろうと思ったけど入りにくかったわ。フフッ」


 看護士は二人の、その雰囲気に入るのをためらった程に二人は熱かった。

 「本当に先生や看護士さんには感謝しています。ありがとう」

 健の言葉は本当に、言葉で言い表せない程の感謝の気持ちがこもっていた。

 「うれしいわ、私達は、そんな言葉を貰えると仕事に誇りを持てる時なのね。患者さんや家族の方に感謝される度に、この仕事に生き甲斐を感じるの。もう彼女は大丈夫よ。後は心のケアは貴方の仕事よ。お願いしますね」

 看護士は健と入れ替わりに小夜子の病室に入って行った。健は日本式に深くお辞儀した。

 風習の違う外国人の彼女には、その姿はどんな風に映ったのだろうか? 

少なくとも日本式の、お辞儀は彼女にも好感もたらした事だろう。

翌日、松本に小夜子が回復した事を電話で報告した。その松本が電話口に出た。

 「ハイ? おっ堀内君、小夜子さんの様態は・・・おう、そりゃあ良かった。橋本なんか何度も手を合わせて祈っていたよ。橋本には命の恩人だものな」

 「そうですか。橋本さんにもそう伝えてください。松本さん、じゃ後でそちらに行きますので」

 それから健が、松本達のホテルに着いたのは夕方だった。

 「おっ来たなぁ、今、橋本と安田で話し合っていた処だ」


 安田の話によると月二回、日本へ出航する便があるそうだ。その時に新日本同盟のリーダー各の浜口孝介が現れると安田から、そんな情報を得る事が出来た。

 「で、今度はいつなのですか。浜口が現れるのは」

 すでに健の表情は険しくなっていた。小夜子が退院するまでに何とかしたかった。

やっと探し得た一人の情報が入って、シンガポールに来た最初の目的が晴らせると。

その部屋には松本と橋本と、もう一人知らない人物が居た。

健は怪訝な顔をした。矢崎組がもう一人日本から送り込んだ人間なのかと思った。

 「堀内くん勘弁してくれ。こいつが悪いんだ」

 橋本はいきなり健に誤った。こいつと云って、指差した相手は安田だった。

健と安田は初対面だ。橋本が何を云っているのか健は飲み込めないでいた。

 それにしても、どうして安田が寛いでいるのか? 縛られて居ないのか松本が詳しく説明した。


 「詳しく話しと、この安田が仕事がなくてフラフラして居る処を新日本同盟に雇われて、事もあろうに自分の兄弟分の、橋本の拉致に利用された訳さ」

そう聞いて健は安田に視線を移した。安田は健と視線が合って気まずい顔をした。

負い目があるからだろうか、目が合った瞬間に頭を掻きながら健にペコリと頭を下げた。松本は、その仕草を見ながら話を続けた。

「でっ、こいつが」安田を指差すと、またまた安田は頭を下げた。

「それで小夜子さんと俺で新日本同盟の事務所を捜しあてたら、この安田が事務所の番をしていた処を、逆に俺と小夜子さんで安田を拉致したんだ」


 健は黙って聞いていた。橋本は少し離れた窓際の椅子に座りタバコを吸って話を聞いている。安田は体の置き場がないのか、ついには正座してしまった。

「それで安田を貯水池に連れて行き、橋本の居場所を吐かせようとしたけど。その時に小夜子さんが橋本が事務所に居ると確信して、一人でタクシーに乗り込み新日本同盟の事務所へ再び戻り、橋本を見つけて救出したんだ。俺も慌てて車で後を追ったら丁度、小夜子さんが橋本を救出して来て車に乗る寸前に、新日本同盟の奴等に撃たれたんだよ」

「そうだったんですか。相変わらず彼女は無茶をするなあ、東京に出て来た時だって、僕に心配かけまいと単独で新日本同盟を一人で探っていたんです」


 橋本「小夜子さんは俺にとっては、命の恩人ですから本当にこの安田の野郎を海に沈めてやろうかと思うくらいに憎んだよ。でも話を訊いている内に、この馬鹿が新日本同盟に森と同じく麻薬漬けされかかって仕方なく奴等の言いなりにされ、安田は俺たちに謝って、新日本同盟の事を何でも聞かせてくれたから勘弁してやったんですよ」

二人の話が言い終わると、その安田が改めて健に詫びを言った。

「堀内さん申し訳ない。俺のせいでアンタの彼女まで大変な目に合わせて、謝って済む事じゃないが許してください」

「いや、もういいですよ。誤るなら理由はともあれ友人の橋本さんに謝ってください。俺だって人に、とやかく言える身分じゃないですから」


健は忘れかけていた原田の事を思い出した。故意じゃないにしろ友人を殺してしまった。重圧に苦しんで来た健だったから、好き好んで加担した訳じゃない安田を責められない。

 「俺は大学時代に空手の練習中に、親友を誤って殺してしまったんですよ」

松本も橋本も、それは初耳だった。健の笑顔が少ないのは、そのせいかと改めて思った松本と橋本だった。

「それで大学を中退して小夜子さんの実家である、お寺に精神修行と友人の為に祈る毎日を続けていたら、今度はその恩人の和尚夫妻が新日本同盟の人間に殺されたので、小夜ちゃんと二人でシンガポールまで来たんです」


 「その新日本同盟の連中に殺されたのは聞いていたけど、堀内君が事故とは言え辛かっただろうな。まあ今はその犯人を捜しが先だな。なんでも協力するぜ」

 「それで、その犯人の居場所が分かったとか?」

「まあな、安田がみんな話してくれたから、こっちも仕事がやり易くなった訳さ。これは小夜子さんの親の弔い合戦と矢崎組との戦いでもあるんだ。互いに敵は新日本同盟だ。俺達はやるぜ。堀内くんには小夜子さんが居るだ。無理しちゃあ駄目だぜ」


 それから四人で一杯飲みながら作戦会議となった。その結果がこうだ。

 松本「ほうそれはいい、奴等に丁度似合うじゃないか十三日の金曜日は」

 橋本「今日は火曜日だから三日後だな、ようし一発ハデにやるか!!」

 「橋本、お前またドジ踏むのじゃないか。ヘッヘヘヘ」

 「あの時は安田だから、ちょっと気を許しただけだ。もうヘマはしないさ。心配すんな」 

 他愛の無い話をしながら計画は念入りに進んだ。

そして十三日の金曜日に、まず松本が事務所を夜七時に見張る事にした。この日はキリストがゴルゴダの丘で処刑された日、縁起が悪いとされている。彼等はきっと事務所に現れると読んでの計算だった。また貨物船から密輸を企てる日なのだろう。これが日本に持ち込まれると、また新日本同盟の力が強くなる。そうなると同じ池袋に縄張りを持つ矢崎組が不利になる。

資金力に勝る新日本同盟が、一気にのし上がるのを防ぐ為の水際作戦だった。


次に彼等は、どの船に積荷を運ぶか見届けなければならない。健と橋本、安田は埠頭の方で待機することに決めた。そして松本から最新型の携帯電話で連絡を待つ事になる手はずだ。その間に松本は、あの事務所に何かあると決め込んでいた。その証拠を探しつもりだ。相手は何人居るかは不明で、おそらく十名数名は居るだろうと想定していた。

多分、武器も所持して居ると思われ、そのまま現場を抑えても多勢では手が出ない。積荷の確認と船名、人数と顔を確認する。そのスキを狙って浜口だけでも奇襲攻撃を掛けて吐かせる。そのリーダーは誰か分からないが、多分、浜口孝介ではないかと思われ、その浜口孝介を見つけて尾行する。ただ浜口が一人になるとは限らない。それにリーダーとなれば、かなり腕が立つだろう。麻薬取引の証拠さえ握れば良いのだ。


 健は出来るだけ危険な行動はしないようにと三人に言った。それだけ健の力が際立っているからだ。こちらの襲撃チームは矢崎組の橋本それに安田と健の三人だ。

この中で一番腕が立つのは圧倒的に健だ。次にリーダー格の松本だろう。だが松本は事務所に乗り込む。そこで証拠書類を見つければ、すべて解決する。健は一番年下だが、その腕は松本等が十人分にも匹敵するだろう。多分、健が先頭を切って飛び出し事になるだろう。

 その四人は決行日と時間と場所など、再確認して健はホテルを後にした。


第六章 第一話へつづく


いよいよ犯人の一人と対決、重傷の小夜子を気遣いながら健と怒りが爆発する。出るか師匠直伝の波動拳?

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