第五章 第二節 再会
小夜子の前から姿を消した健は、現地の女性とデートを重ねていた。そんな事を知らぬ小夜子は、きっと立ち直ると信じて
日本から来た、あのヤクザの友人と再会する。
第五章 月が泣いている 第二節 再会
ここは〔さくら旅行・シンガポール支社〕
小夜子はいつものように、お客に旅行のスケジュールなどを笑顔で説明していた。
小夜子はもう健と二週間以上も話をしていない。内心は穏やかではない。
初めて見た健の苛立ち。小夜子は分かっていた。健の性格からして探偵屋の仕事に疑問を抱いていた事を。
小夜子はこのくらいの事で健は挫けたりしないと信じていたが。
その時にはシグナルを送っていたのか。それを小夜子に問い掛けた事を。
でも小夜子は、何もアドバイスしてあげられなかった事を悔やんでいた。
健には小夜子の厳格さに自分の心が入っていけなかった。
自分が小夜子に甘えてはいけないと感じたのだろうか。
もう健と出会ってから六年の月日が流れているのに、まだ分からない部分が多い。
小夜子は父、要山和尚に教わった小さい頃から精神の強さを学んだ。
だから健は小夜子の心の強さには敵わない。健はもどかしさを感じたのだろうか。
健には小夜子の優しさ、強さ、気品、全てを満たした女性に思えたのだ。
しかし小夜子は予想以上に傷ついていた。
最愛の両親を無くし異国の国で健と二人で犯人を探して両親に報告する事だった筈なのに・・・。
健は仕事に迷った。しかし小夜子の心は考えられなかったのか?
もちろん健とて完璧な人間ではない。ただ小夜子の心の中が見えなかった。
先日誕生日を迎えて健も二十六歳、大人でもあり、未熟さの残る青年なのか?
健とてまだ未熟なのだ。未完成の二十六歳の若者だった。
「坂城さん電話ですよ。東京から見たいですが」
シンガポール支社の同僚から、そう言われた。
その受話器を取ると、懐かしい池袋支店の友人、笹本啓子からの電話だった。
「坂城さん元気? 今こちらも仕事中でね、大きな声では言え無いけど。あの矢崎組の松本さんがシンガポールに行くそうよ。
それで都合が良ければと、だから場所を教えておいたから。仕事中だから用件だね。じゃあまたね」
電話は用件だけで切れた。出来るならもっと東京の友人と話をしたかった小夜子だった。
今の小夜子は落ちいる。だが今の電話で松本達を思い出した。
ヤクザの世界に住んで居ようと、あの男気が好きだった。彼等は喜怒哀楽が激しい。
本能の赴くままに生きている。本能の赴くままに生きられれば本来は、それが一番楽しい生き方かも知れない。
敵には命を張って戦うが味方や友人には普通の人以上に気を使ってくれる。
でも松本がシンガポールまで、ただ観光に来るとは思えない?
あの新日本同盟と衝突でもあったのか? 会って話を聞いてみないと来る理由が分からない。
ともあれ彼等なら、一時でも小夜子の暗い心に光を与えてくれかも知れないと、小夜子は松本達の再会を楽しみにしていた。
それから三日後、矢崎組の松本と橋本がシンガポールに現れた。
国立競技場に近いカニング・パークの辺りのホテルのロビーに小夜子は駆けつけた。
シンガポール海峡に面した所にある。
「ハロー、ハロー小夜子さぁん。ここだよ」
あの陽気で厳めしい顔の松本と橋本が手を振っていた。
それにしても派手な服装だ。松本は真っ白なスーツに真っ赤なネクタイだ。
橋本は白のスーツに、なんと黄色のネクタイと、まるでチン問屋のようだった。
その陽気な松本に小夜子は飛びつき、そのまま松本に抱きついた。
「なぁ〜に? そのハローハローって? 松本さん」
松本は驚いた。嬉しかったけど小夜子らしくない行動だった。松本はボーとなった。
もういつ帰国してもいいくらい満足だった。
小夜子は健の事を考えているうちに心が暗くなった処に、気が許せる友人が来てくれたから、本当の兄のように思えたかも知れない。
松本は岩のようなゴツコヅした顔だが、小夜子よりは年も十歳近く年上だ。
精神面で弱った時には本当に頼れる人物なのだ。
勿論それなりにヤクザ社会で修羅場を潜り抜けて来た人間なのだ。
その点では命をいつでも投げ出し覚悟が出来ているのだ。
だからヤクザは怖い。でもそんなヤクザでも小夜子は本当に嬉しかった。
相変らず陽気で頼れる人物だった。
「あらぁ! 橋本さんも一緒なの?」
「ゲッ! 小夜子さん。それはないぜ。俺は松本のオマケかよ」
橋本は屈託なく笑って三人は再会を喜んだ。
三人はホテルのレストランで食事をしながら話をした。
シンガポールに来て半年以上が過ぎ、小夜子は地理もある程度覚えた。
若い女性らしく、お洒落な店は調べてあった。
店や食事処はチェックしていたから、すぐに松本と橋本を案内出来たのだ。
「へえー小夜子さん。こんな店も知っているんだ。シンガポールには慣れたの? もう何ヶ月になるかなぁ」
「ええ、食べ物屋さんと洋服屋さんは、ちゃんと調べてあるわ。フフッ。それで森さんは元気になりましたか?」
橋本「あぁ森は、すっかり元気になって彼女と宜しくやっているよ」
松本「今回こっちに来たのは組長の命令で、いよいよ新日本同盟のルート潰しなんだ」
矢崎組と新日本同盟は何かと衝突している。今回は密輸ルートを探りに来たのだった。
それで矢崎組の妨害報復の為に、松本と橋本が先遣隊として派遣されたのだ。
「小夜子さんが探している、浜口と沖田が居るかも知れないから、もし見つかったらすぐ知らせるよ。処で堀内君は元気かい?」
「ありがとう・・・まだ浜口と沖田の事は何も判らなくて。とにかく仕事を優先させないと自分達の生活も出来ないでしょう。それから調べるしかないと思っていたの」
「そうだよな、警察なら給料を貰えながら仕事が出来るけどなあ。民間人じゃあなぁ」
「ええ・・・ごめんなさい気を使わせて」
「なんか小夜子さん元気ないようだけど、どうかしたのかい?」
「ええ・・・それと健とは・・・暫く逢って居ないの」
小夜子は健の事を聞かれて困った。でも聞いて貰いたかった。
もう二週間以上も逢ってない。知らない国で今は一人ぼっちの小夜子だった。
「えっ堀内君がどうかしたのかい ?病気か何か」
「あのね。二週間くらい前にちょっとあって、それ以来逢っていないの」
橋本「へぇー小夜子さん達でも喧嘩するのかい、それは寂しいねぇ」
松本と橋本は小夜子を慰めてくれた。ありきたりの慰め言葉だったが小夜子を心配してくれるだけで嬉しかった。
特に久し振りの日本語で話せると心が落ち着くのだった。
松本と橋本は矢崎組が手配してあるホテルに向かうと云って食事のあと別れた。
時々連絡を入れる事を約束して小夜子は社員の寮に帰ったが一人なると寂しかった。
数日後それは早朝であった。小夜子の部屋の電話が、けたたましく鳴った。
まだ朝の六時である。普段は六時三十分位に起きるが、それより三十分程早かった。
健かな?・・・一瞬そう思って受話器を取る。しかし、それは違っていた。
「朝早くからゴメン松本です。実は昨日から橋本が見当たらないんで、今朝になっても連絡もなくホテルにも居なくてさぁシンガポールには、まだ来て日が浅いし、どう探そうか困って小夜子さんに電話したんだ。悪いね。こんな時間に」
「え? 橋本さんが! どうして」
「一昨日かなコンテナ・コンビナートの方に日本同盟の事務所があるだろうと二人で行ったんだが、それであの周辺の日本人にから聞いて歩いたんだ。偶然にも橋本が知り合いに会って、と云っても同じ世界の人間で堅気じゃないんだが。橋本とは昔のダチとか云っていたなあ、積る話しもあるだろうと、それで俺は遠慮して先に帰って来たんだが、それっきり行方知れずさ」
「そう、じゃ今日の仕事が終わり次第一緒に探しましょうか」
「悪いな小夜子さん。あまりシンガポールは詳しくないし、前に観光で来た事はあるけど何しろ英語が、からっきし駄目だしさ、探しようがないんだ」
小夜子は仕事が終わって松本と一緒にコンビナートの方に出かけた。
そこは巨大な広さのコンビナートだった。流石は金融と流通の都市だけの事はある。
小さい国と言っても国際都市が其のまま国になったようなシンガポールだ。
小夜子は健にも協力して貰えればと頭に浮かんだが、いま健は精神的に参っている。
そっとして置こうかなと思った。きっと健なら立ち直ってくれると信じていた。
今は松本と二人だけで橋本を探そうと、このコンビナートを訪れたのだった。
松本は橋本の知り合いの顔は知っている。安田とか言う名前だと記憶している。
二人はその近辺の人間に片っ端から聞いて廻った。
勿論、日本人とは限らず小夜子の通訳を入れて聞き廻ったのだ。
そして翌日になって安田らしき人物が居る場所をやっと探り当てた。
そこは大きなプレハブの宿舎みたいな所だった。
小さな看板には英語でallianceと書かれてある。
日本語で同盟だ。間違いない用心の為に面識のない小夜子が、その事務所のドアを開けた。
「あの〜すみません。こちらに安田さんと云う方は居られますか?」
日本人らしい男が出て来た。あまり人相は良くない。
小夜子をジロリと一瞥してから、誰だ? この女はと探りを入れるような目つきで。
「俺が安田だが、あんたは誰かね?」
怪訝そうな顔して安田が聞いた。上から下まで舐め回すような嫌な目だ。
小夜子は、それには答えず後ろ手で松本に合図を送った。〔居る〕と云う合図だ。
松本は右の親指を立てて、了解と返事を返したつもりだが、後ろ向きの小夜子には見えない。
「ハイ、私。安田さんに言付けを頼まれた者なのですが、よろしいでしょうか」
小夜子は事務所の外に誘った。安田も女だと思って安心したのか外に出て来た。
二分くらい歩いて其処は、暗い波止場の灯りが燈って居るだけだった。
「オイオイ姉さん。何処まで行く気だい」
いくら女とは言え妙な方へ進むので安田は怒鳴った。
その時だ。松本が暗闇からヌッと不意に現れた。安田はギョッっとなった。
「悪いなぁ呼び出して、橋本の事を知らないかい。アンタと一緒だった筈だろう?」
安田の顔色が変わった。次の瞬間、安田は事務所に逃げようと走りかける。
だが松本は予測していた。とっさに安田に足払いを掛けて倒した。
流石に喧嘩慣れしている松本だ。すかさず倒れた安田の上に馬乗りになって二、三発殴りつけた。
もはや安田は抵抗の気力さえ失せていた。
ヤクザと小夜子の連係プレー、犯人を追うが小夜子は銃弾に倒れる。




