第四章 シンガポール 第一節 ハイジャック
ヤクザと親しくなった健と小夜子は犯人がシンガポールに居る事が確実となり
いよいよシンガポールに向かうが、ハイジャックに遭遇する。
第四章 シンガポール 第一節 ハイジャック
平成十年一月、成田空港第二ビルの出発ロビーに二人の姿があった。
堀内健二十五歳、一八五センチ、坂城小夜子二十六歳、百七十二センチ二人ともスラリとした長身だ。
欧米諸国に比べて小さいと言われる日本人も、この二人なら特に大きいとは言え難いが、その体内に秘めた武道の技術は超一流であるだろう。
だから異国の地でも敵と戦える自信を持っているのだ。新たなる旅立ちが今ここ成田空港を飛び立った時から始まるのだ。
二人揃っての海外旅行これが新婚旅行ならどんなに楽しいだろう。
しかしこれは小夜子の両親に誓った弔いの旅である。
今はまだ、そんな甘い夢を見ている時ではない。
シンガポールに到着した時から戦いは始まるのだ。
成田空港を飛び立った旅客機は、空港上空で大きく旋回して銚子沖の太平洋上に出て、南の方面へ機首を向けた。
飛行機が雲を突き抜けて上昇すると急に明るくなった。銀色の翼に太陽の光が当たって時々、雲の合間から見える下界が小さく見えた。所詮は人間の出来事なんて小さな出来事のように思える。出来るものなら、小さな出来事であって欲しいと願うのだったが。
やがて右の翼の下に富士山が二人に別れを告げるように雄大な姿を見せていた。
健と小夜子は極めて明るく振舞っていた。二人で飛行機に乗るのは始めての事だ。
だが気を緩めていたら、とても犯人に立ち向かえない。
心は冷たく非情でなくてはならないが、まだ二人は若い。
気持ちの切り替えはその場その場で出来る。
それが合気道から学んだ精神の修行でもあった。
「健、シンガポールに着いたら最初に何を食べたいの?」
「え? 何をと言われても・・・どんな食べ物があるのかなあ」
「もう〜ムードがないんだから、一つくらい何か無いの!」
小夜子は、拗ねて見せたが顔は笑っていた。心の奥底に秘めた犯人への復讐の心は、少しだけ眠らせて置こうと小夜子は思っていた。
そう思ったにも関わらず、すでに何かが機内で起き始めていた。
成田を飛びたった飛行機はフィリピン近くを飛行していたが、誰もが座席で想い想いに雑誌を読んだり、眠っている人がいる。
乗客たちはシンガポールに着陸するまでの時間を思い思いに潰していた。
だが神様は、健と小夜子には休息の時間を与えてくれなかったようだ。
そして機内で事件が起きたようだ。それは突然だった。突然、機内で大きな悲鳴が上がった。
乗客達は、その悲鳴の聞こえた方向に目を向けた。
それは誰もが目を疑うような光景が目に飛び込んできた。
フライトアテンダントの後ろに二人の男が、どこで手に入れたのかナイフをフライトアテンダントの首筋に当てている。健と小夜子は後部座席の方に座っていたが、二人の男は機内の中央付近で周りの客をナイフで威嚇している。
乗客が言った。「ハイジャックだわ!」そんな声がザワザワと聞こえる。
その囁き声を黙らせるようにハイジャック犯の一人が大きな声で怒鳴った。
「静かにしろ! 騒いだ奴は殺すぞ!」
そう言ってナイフを振り回すと、近くの乗客の首にナイフをあてがった。
そのナイフを首筋にあてがわれた。白人で中年の女性が獣じみた悲鳴をあげた。
「ギャア〜〜〜」まるで断末魔のような叫び声だ。
隣の座席に居た女性も連鎖反応のように悲鳴を機内に響き渡らせた。
機内はパニック状態になって物凄い甲高い声が余計に恐怖をあおる。
お陰で他の乗客までもが連鎖反応を起こしにパニック状態になった。
ハイジャック犯も、吊られるように興奮して怒鳴る。
ハイジャック犯も興奮してつい、その白人の女性の首筋を切ってしまった。
血がタラリと零れると、発狂したかのように白人女性は暴れだして、犯人も気が立っていたのか、そのナイフの柄で思いっきり頭を殴った。
その白人女性はグッタリとなり気絶してしまった。
健と小夜子はまさか、ハイジャクに遭遇するとは夢にも思わなかった。
しかし現実には、目の前にその光景が冷たい空気を漂わせて機内に緊張が走っていた。
犯人達は何が目的なのか、また犯人は何人居るのか、まだ分からない。
フライトアテンダント達は、最後部の方へ全員移された。男の乗務員達はどうしたのか?と、他の乗客がヒソヒソ話している。そ
の答が、まもなく分かった。なんと二人の乗務員が手首を縛られて三人目の男が、やはりナイフを突きつけているではないか。
もはや、操縦室も制圧されている事だろう。
一体、警備体制はどうなっているのかと、乗客達は警備の甘さを呪ったことだろう。
最後部にいる犯人が大声で叫んだ。東南アジア系の男が訛った英語でわめく。
成功したと思ってか、得意げに機内マイクを持ってハイジャック犯が喋り始めた。
「機内の諸君、見ての通り我々はこの機をハイジャックした。このまま諸君達は大人しくして居れば危害を加える事はない。我々の目的の為に機長始め乗務員、及び諸君達に協力してもらう為に監禁させて貰う。また、誰か我々の行動を邪魔する者が居たら諸君達は不幸な事になるだろう。これより機はインドネシアに向かう。以上だ」
どうやら、機は完全に制圧されているようだ。どの乗客も今度は静かに座って居る。
いや、そうせざるを得ないのだ。なにしろ逃げ場がないのだから、どうしても自由になりたければ、犯人を逆に取り押さえるしかないのだ。健と小夜子は顔を見合わせた。
「健・・・困った事になったわね」
と心配な顔で健を見つめる。健は黙って小夜子の手を握って小夜子の心を落ち着かせた。
「大丈夫だよ。心配しないで、絶対に小夜ちゃんを守るから」
と小さな声で小夜子に優しく囁いた。まもなく飛行機は旋回し始めた。進路を変更したようだ。
犯人は中央に一人と後部に二人、それから一時間経過しても他に犯人らしい人物が見当たらない。
と云うことは犯人は三人だけなのだろうか?
乗務員も機の後部に移されフライトアテンダントと一緒に全員、手首を縛られ座らされていた。
一人はナイフで威嚇してリーダー各の男が、機の後部から乗客達の様子を伺っている。怠りがない。
三人目の男が中央付近でナイフを振り回しながら周りに目を光らせている、余程この計画を丹念に練ったと思われる。
まもなくリーダー各の男が操縦室の方に歩いて行った。
多分(言う通りにしなければ乗員の命は保証しない)とでも脅して居るのかも知れない。
健は考えていた。何の目的か知らないが、このままインドネシアに行き無事に済む筈がない。
多分、空港には武装警官が大勢で待っているだろう。犯人が、すんなり投降する訳もなく乗客を盾に、何か行動を起こすだろう。
着陸してからの方法も考えているだろうが。
それでは危険が大きすぎる。もしかしたら怪我人や死人が出るかもしれない。
何か方法はないものかと健は思案していた。そこに小夜子が小さい声で言った。
「犯人は三人に、ナイフが二本よね・・・」
小夜子の言葉に健は囁いた。何の計算をしているかのと。
「小夜ちゃん、まさか? 変な事を考えていないよね」
健は疑問に思っている事を小夜子に小声で囁いた。
「そのヘンな事よ。ケン」
「やっぱり・・・小夜ちゃん。けど失敗は許されないんだよ。まったく!」
小夜子の正義感と言うか、相変わらずの無鉄砲さには健も改めて驚いた。
だが、それは小夜子の自信から来ている。
父から授かった合気道の精神の強さがハイジャック犯を前にしても怯える事はなかった。
「じゃあ健は黙ってこのままでいいの? 安全は誰も保障してくれないわ。それにこれからシンガポールに行っても危険が待っているのよ」
小夜子の強い決意の表われだった。シンガポール行きは遊びじゃない。
犯人と戦う為に行くのだ。今ここで両親の仇、犯人と戦ったと思えば、それぐらいの決意がなければ小夜子には、あの時の両親の叫びが聞こえてくるのだ。
(わたし絶対に許せない! 犯人達が)
小夜子はすでに戦闘モードに入っていた。先ほどまで健との甘い夢に浸っていた小夜子は、もうどこにも居ない。小夜子の並々ならぬ決意を健は見た。
そして健は改めて小夜子の強い心を知らされる思いだった。
もはや戦いは始まっているのだ。まだ見えない敵にそして目の前の敵を、仮想の敵は、あの新日本同盟の浜口孝介と沖田勝男と思えば闘志が湧いてくる。
いま仮想の敵はこの飛行機の中に存在するのだ。
浜口と沖田の制裁を邪魔する者は同罪と見なす。
小夜子はハイジャック犯を仮想の浜口と沖田に見立てるとフツフツ怒りが込み上げて来た。
「分かった。小夜ちゃん何か対策を考えよう」
小夜子は、もはや笑ってはいなかった。コクリと頷く。
「ねぇ、ハイジャックの犯達、三人バラバラだと一度に倒せないわね」
「そうだね。二人と一人の時が一番チャンスがあると思うけど」
健と小夜子は、あらゆる手段、方法を思案していた。絶対に失敗してはならないからだ。
万が一失敗したら誰かが命を落とす事になりかねない、それは絶対許されない。
「小夜ちゃん一人を頼むよ。僕は他の二人を何とかするから」
「分かったわ。チャンスが来るまで待ちましょう・・・」
その時だった。健と小夜子の話声が聞こえたのだろうか、ハイジャック犯の一人が近づいて来る。
ギロリと睨むと二人に向かって大声で怒鳴った。
「オイ! そこの二人。何を話しているんだ」
言い終わらないうちに、いきなりナイフを持った男が健の前に立ちと強烈なパンチが健の顔に飛んで来た。
バシッ〜 健の口の回りから何処か切れたのか血が飛び散った。
健は交わそうと思えば出来たが、それでは面倒な事になる。健は口元を抑えて、わざと怯えた表情でうつむいた。犯人は健の怯えた顔を見て、満足気に元の場所に戻って行った。
乗客は余計に恐怖心を煽られて、犯人に視線を合わせまいと下を向いてしまった。
小夜子は何も言わずに、健の膝に手を充てて(大丈夫)と心配そうに健の顔を見た。
笑いはしなかったが。なんとウインクをしてみせた。(どうって事はない)そんな顔だった。
そのハイジャック犯の三人が一番後部の方で何やら、ヒソヒソと話し合っている。
数分して機体が激しく揺れ始めた。乱気流が発生したのだろうか。
後部座席に健と小夜子が座っている場所から、ハイジャック犯との距離は約五メートル。 ハイジャック犯達三人が一緒に居たが、余りに揺れるので一人が操縦席に様子を見に向かうのか前に歩き始めた。
ナイフを持って乗客を見ながら進む。健と小夜子の前を通り過ぎた。
待っていたチャンスが来た。二人と一人にハイジャック犯が別れたからだ。
健は小夜子に眼で合図を送った。この機会を逃したら次のチャンスがあるかどうか分からない。
作戦は小夜子がその一人を。健は後部の二人を襲う手はずだ。
健と小夜子は戦闘態勢に入った。健が通路側に座っているから健が先に走り出した。
健は操縦席に行く男には眼もくれずに、後方に居る犯人の方へ勢い良く飛び出す。
小夜子は逆に、操縦席に向かった一人の男を目がけて飛び出した。
乗客達は二人の男女が急に通路に飛び出したので、驚きの声よりも唖然として見ていた。
フライトアテンダントや乗務員達の前に居る二人のハイジャック犯は、健が飛び出して来て驚いたのか咄嗟の判断に遅れてしまった。
慌てたハイジャック犯は、健に向かってナイフを振り回しながら向かって来たが、健にはそれがスローモーションのようにしか写らなかった。
リャアー 奇声と共に健の右足が男のナイフを蹴り上げていた。
そのナイフを蹴られ、体制を崩した男のナイフが宙に舞う。
ナイフが落ちてくる前に、健は二人目の男への正拳突きが胸元をえぐっていた。
次にナイフを蹴り上げられた男が背後から襲う。しかし無駄だった。
健は振り向く事もなく前屈みの状態からの後ろ蹴りが決まる。
男は吹っ飛んだ。間を置かずに健は倒れている男の後 頭部を蹴るとグッタリとなった。
その時間は数秒の出来事であった。
一方の小夜子は、気配に気付いた犯人が小夜子にナイフを振り回した。
小夜子の脇腹をすり抜ける。いや小夜子が咄嗟にかわしたのである。
次の瞬間、小夜子の手刀が相手の首筋にヒットした。犯人はひと呼吸おいて床に崩れ落ちる。その光景を固唾を飲んで見ていた乗客から歓声があがった。
小夜子は倒れた男からナイフを奪い取ると健の方を振り向いた。
健も小夜子を見てホットした表情を見せてニヤリとした。健はフライトアテンダントや乗務員に右手をあげてVサインを送った。
それは事件が終わった事のVサインであった。
時間にして何秒の出来事だったのだろうか、瞬きをしている内に終わってしまった。
乗務員達は逆に三人の犯人を縛り上げて犯人を監視した。フライトアテンダント達も恐怖の 世界から開放されたが、未だに余韻が残っていて正常な状態に戻れないでいるようだ。
まだ体を震わせている者も居た。それでも健と小夜子に、お礼を言って業務に戻ろうと必死に乗客達へのサービスと、その責務に動きだした。
「乗客の皆様、お怪我は御座いませんか? ご安心ください。ハイジャック事件は勇気ある。お二方の力により解決致しました」
フライトアテンダントが乗客を安心させる為に機内にアナウンスを流した。
乗客も安堵したのか沢山の拍手が沸き起り、立ち上がって二人に手を振る者もいた。
がっ! その時、操縦席の方からパイロットを人質に、拳銃を持った男が突然現れたのだ。
健も小夜子も乗客達までが、まさか四人目の男が居たとは思いもしなかった。
やっと終わったと思ったのに、乗客たちは再び恐怖の世界へ呼び戻された。
それも拳銃を握ってパイロットに突きつけているとは流石の健と小夜子も、そこまでは計算出来なかった。
その拳銃を持った男も想定外の事が起こったのだ。
仲間三人がヘマをやって捕らえられた事だ。
しかし再び主導権は自分達にあると思ったのか、その男から強気の発言が飛び出した。
「ショーは終わりだ。我々を甘く見てもらっては困る。我々は目的が達成出来なければ、飛行機ごと諸君等と共に自爆する覚悟ある」
ハイジャック犯は高々と宣言した。機内に再び恐怖が訪れた。そして更に話を続けた。
「ところでヒーロー気取りの二人には制裁を与えなければならない」
犯人は健と小夜子に、側に来るように手招きしている。
名指しされた健と小夜子は顔を見合わせた。拳銃ではどうする事も出来ない。
「健・・・」と、心配顔で健の顔を見た。
「小夜ちゃん犯人が呼んでいる。悪いけど前を歩いてくれるかい。合図したら直ぐにしゃがんでくれるかい」
小声で囁いた。小夜子はえっと怪訝な顔で健を見る。
まだ何か策があるのだろうと小さく頷いた。
健と小夜子は両手を上げながら機内の前へと進む。健はその間ゆっくりと呼吸を整いていた。
フーと息を大きく吸い込む。全身から手にパワーを集中させていた。
拳銃を持っている男までの距離は七メートルとなった。
その目標の距離で充分だった。「ヨシ!」健の合図が小夜子に送られた。
小夜子は素早くしゃがんだ。小夜子の前方に拳銃を持った男が、その動作に反応した。
男は慌てて拳銃のトリガーに力を込めようとした。しかしその前に健は胸元から両手を押し出しように気合を放った。フーと息を吐き出すと同時に電気がショートしたような感じで、空気が圧縮され高速で犯人の方向へ流れた。
ピキーン〜健と犯人の空間が裂けたように、空気摩擦が起きた感じがした。
同時に犯人が三〜四メートル後方に吹き飛んだ。同じく拳銃も何処かに飛んだ。
ドカァーンと何処かの壁に男が激突して崩れ落ちた。機内が一瞬静まり返った。
要山和尚直伝の必殺技、波動術が炸裂した瞬間であった。
恐るべし! 堀内健。要山の魂が生きていた。それが波動術の凄さだった。
今度は乗客や乗務員は声さえも出なかった。みんなが固唾を呑んで、それを見ていた。
健が魔術を使ったのか? だが健の手には何も握られては居なかった。
それはマジックか? いや、やはり魔術としか言いようがない。
一瞬、時計が止まったように誰も動かなかった。
やっと我に返った乗務員達が最後のハイジャック犯を一斉に取り押さえた。
すべてのハイジャック犯人が逮捕されてやっと平穏が訪れた。
乗客たちは一斉に健と小夜子に再び拍手を送った。乗客達は互いに手を取って涙ぐむ人さえ居た。
乗務員や機長からは何度も何度も、お礼を言われた二人だった。
「アテーションプリーズ。乗客の皆様、当機はまもなくチャンギ国際空港に着陸致します。当地の気温は三二度、当機のご利用、誠にありがとう御座いました」
やがて機はシンガポールの百万ドルの夜景に向かえられた。
無事にハイジャック犯を倒した健と小夜子はシンガポールで活動を開始する。




