9 願望―前編
この回は前編と後編に別れています。
長くなってすみません。
「レイモンドール綺譚」の外伝です。
一話一話、独立した話になっております。
名前が今と変わっております。紛らわしくて申し訳ありません。
ユリウス・・・ベオーク時代 「カルラ」その後「イーヴァルアイ」
ラドビアス・・ベオーク時代 「サンテラ」その後、「ラドビアス」
(九)
おまえの望みは何だ。
叶えてあげると言ったらおまえはどうする。
でも、それは――本物ではない……。
「この先の山に登るのは止めたほうがいいぜ、旦那」
「だめなの?」
呼びかけた男の側にいた少年の問いかけに猟師の男は、重々しくうなずく。
「ここは、霊山だ。この奥にある泉に願をかけると願いが叶うという噂がたって、何人もこの山に入った人間がいたが――」
「どうなったの?」
興味津々といった少年を、厳しく咎めるように咳払いをした猟師は先を続ける。
「ある者は、半月も山を歩き回ってほとんどの記憶を無くしていたし、だいたいの者は、泉の存在など確かめる間もなく、山に住む狼か、野犬に食い殺されてしまう。少し遠回りになるがこの先を迂回したほうがいい」
「狼がいるんだ、ふーん、どうする?」
「時間がかかるのは嫌ですね。ここを行きましょう」
「おい、おまえ。人がせっかく忠告してやったってのに」
猟師が大声でどなるのを目の前の青年は虫を追い払うように手を振る。 それでも口調はどこまでも丁寧で。
「ご心配ありがとうございます。先を急ぎますもので、この道を行かせてもらいます。あなたからそのお話を伺いましたので、充分注意しながら行く事ができます。では、失礼します」
ぽかんとする猟師を尻目に青年は、行きますよと少年の背中に手を置く。 話を聞いていたはずの少年さえ、怖がる素振りも無い。
まったく、語り継がれている事に耳を貸さないとは困ったもんだ。 そういう類の話には何かのわけがあるものだ。
「わしは確かに教えてやったんだからな。あの世で後悔するんだな」
彼の中で、あの二人は死んだも同然だった。 肩をすくめながら猟師は、尻尾を丸めて動こうとしない自分の犬たちに目をやる。
「どうした? 何をそんなに怖がっているんだ。まさかわしの話に驚いたのか?」
その近くに異形の物がいた事に彼は気づかなかった。 狼なんかより、野犬よりもやっかいかもしれない――少年の連れが。
誰も通らないと言われるだけあって、道はもう道の形状をとどめていない。 獣道のような道。 先を行くアウントゥエンが目の前の枝を小さい炎で焼いていく。 枝くらい自分たちには何の障害にはならない。 これは、クロードが怪我をしないようにとの魔獣なりの心遣いらしい。 霊山に対しての畏敬の念などないのだから。
「狼かあ、アウントゥエン、出て来たら一緒に遊ぶ?」
その気持ちを知っているのかと、クロードの言葉に赤い魔獣は、ばかにすんなよというように一声吼える。 彼といえば、あははと笑ながら鬱蒼と茂る広葉樹の中を行く。 だいたい、クロードやラドビアスが前にいたレイモンドール国。 そのハンゲル山にしても霊山だった。 禁忌の山というところなど、彼らに恐れる理由などない。 禁忌とされる理由があるにしても、それが何かという疑問がわくだけ。 恐ろしいなどと思うクロードたちでは無かった。 と、いうより自分たちこそがまさに恐ろしいもの、であるのかもしれないのだから。
ラドビアスが、疲れたとうるさいクロードに根負けして、途中から二人は魔獣に乗って居た為あっという間にその山の頂上近くに着く。
だいぶ上に来たようで、景色は一変している。 下では褪せたような色だったのが、ここの広葉樹の葉は、目もくらむほど紅葉していた。 何か別の場所にいるような。 山が隠してきた自分の宝をつかの間見せびらかすような、感嘆する言葉しか見つからない。 そんな風景にクロードもラドビアスも魔獣から降りるとしばらく声も無く見つめていた。
しばらくして何かを促すようなサウンティトゥーダの声。 耳を澄ます、ラドビアスはかすかな水音に気づく。
「喉が渇きませんか? クロードさま。近くに水場があるようです。待っていてください、汲んできますから」
「早くね、喉からからだよ」
クロードの返事に、わかっておりますと笑いながら応えてラドビアスは、音のする方へ足を進めた。
乾いた落ち葉を踏む音が次第に湿り気を帯びてきて、黄色や赤のカーテンをくぐるようにラドビアスは歩き続けた。 くぐる度にどこか空気がしっとりとしているように感じる。 どこか違う場所に入り込んでしまったという感覚。 それを振り払うように頭を振ったラドビアスは、目の前の光景に思わず声を上げた。
「これは」
探していた水場だったが、目の前にあるのは、人為的に作られた物だった。 壁は石で補強されていて、竜の口から透明な水があふれ出ている。 その前に広がる丸く石積みで作られた小さな泉。 これが猟師の言っていた泉なのか。
もっと神秘的なところかと思っていたラドビアスは、自分の思いこみに笑みを浮かべた。 昔、旅人のために作られた水場だろうと見当をつけて、その透明の水を水筒に移す。
「なんと言っていたのだったか、あの猟師は――」
確か願いが叶うとか。
ばからしいと笑う自分のどこかに、ここで言ってみようかと思っている自分がいた。
自分の願い。
長命でもなく、普通の人間の自分。 そして普通の人間であるあの方と出会う。
「ばかな、わたしときたら何を言って……」
心の中で言った自分の願いを即座に打ち消すように首を振った。 そのせいだったのか、急に目の前が暗くなる。 だめだと、そう思っているのに体はそのまま泉の中に倒れこんでいった。
*
次に彼が目を開けたのは、陽が暮れた後。 自分が寝台に寝かされているのに気づいて、困惑気味に周りを伺うと亜麻色の髪が目に入る。
「起きたのか?」
「カルラ――さま?」
「何?」
自分が口にした名前に、覚えが無いことにラドビアスは首を傾げた。 カルラとは誰だ? それより自分は、誰だ?
「ここはどこでしょう」
「どこって、どうした? やはり頭を打ったんだな。おまえ、庭の噴水の所で倒れていたそうじゃないか。このところ忙しそうにしてたから、無理を重ねたのかもしれないな」
心配そうに見下ろす彼女は、ラドビアスの手を取る。
「ここは、ランゲルダー子爵の城だ。わたしは、ここの長女のエレン。庭の泉の側で妹がおまえを見つけたらしい。おまえは、執事の息子のラドビアス。父上が今年亡くなってから事務方で働く事になった。――まったく覚えてないのか」
わずかにハスキーなアルトの声に、ラドビアスは話の内容など何も入ってこなかった。 ただ、懐かしくて、嬉しい。 どうしてそう思うのかも分らないのに、胸が締め付けられるほどの幸福感にまたもや彼は戸惑う。
「おい、こら、何をぼけっとしている?」
頭をはたかれて、ぎくりと目の焦点を合わすと、エレンと名乗った女性がもう一度ラドビアスの頭をこづく。
「おまえ、いい加減にしろよ……」
そこへ、盆の上に何か汁物をのせて十四、五歳くらいの少女が入って来た。
「姉さま、また乱暴な口きいて。外まで聞こえていましたよ」
「聞こえたっておまえとラドビアスしかいないだろ」
ふんっと盛大に鼻から息を出してエレンは、それでも妹に自分の場所を譲る。
「わたしは、領主への上納金の遅延の釈明文を書かなきゃならないんだ。もう執務室に戻る。気分がいいなら後で来てくれ」
エレンは、もーと頭を抱えて見せて戸を開けてそう言うと、出て行った。
姉の言葉を受け、ラドビアスが体を起こす。 驚いてシャロンは押しとどめようとするが、それを片手で止めてラドビアスは起き上がった。
「熱は無いようですし、エレンの部屋を教えてもらえますか。書類を書くくらいなら、お手伝いできると思います。記憶はやはり戻ってきませんが」
「……わかったわ」
シャロンは、困りながらもうなずいた。
部屋をノックすると、うるさいと中から一喝された。 それだけでシャロンは、申し訳なさそうに、引き返そうとしたが、ラドビアスは構わず、戸を開ける。
「おまえ、だめだと言ったろう。今は忙しいんだから」
言いながら振り返ったエレンは、相手がシャロンではないのが分って表情をやわらげた。
「いいのか、もう」
「それを――見せてもらえますか? お手伝いします」
強引に奪うように書類を取り上げると、ラドビアスはさっそくエレンの横に座ると書類に目を通し出す。
「これは、結構余分なものまで上納要求されているようですが、訳をお聞きしてもいいですか」
「それは、前年度足りない分も加算されているせいだろう。おまえ、ぜんぜん思いださないのか。他人行儀だな」
「はい。それより、二年前の時点では、ここの土地には三分の比率でしか、計算されていないのに、前年からは二分の割り増しになっておりますよ。領地の地図と、請求額の書類を全部出してください」
事務的にきっぱりと言われて、エレンは棚から書類箱を取り出すとラドビアスの目の前にドンと置いた。
「おまえ、急に仕事ができるようになったじゃないか」
「恐れ入ります。なんとなく分るんですよ」
「ふーん」
それでも何かいつもと様子がおかしいと、ラドビアスが書類に向かう間、真横でエレンは身じろぎもせず、彼を見ていた。 今年から見習いのように事務の仕事をするようになったはずなのに、この幼馴染の青年の様子は、確かに――おかしかった。
「何かわかったか」
「ええ、上納金はこの半分でも多いくらいです。叔父君の所領分まで払っているようですよ、エレン」
「か、貸せっ。どこだ?」
ここですと地図をしめした場所にエレンが手を伸ばしてにラドビアスの指に触れた。 ラドビアスは自分が、主人の娘に敬称をつけていないのに気づく。 ただ、自然に口をついて出たからだ。 たぶん、普段のわたしも彼女を呼び捨てていたのだろうかと彼は思った。
――しかし、そんなことをして失礼ではないのか。 彼女たちとわたしが幼馴染とさっき言っていた。 それが関係しているのか?
頭でそんな葛藤をしていることをおくびにも出さず、ラドビアスは、確認するようにエレンを見る。
「ここは、うちの所領だろう」
「いえ、この登記文書と照らし合わせてみると叔父君、バースタイン男爵の所領ですよ。しかも、ここは閑地でしょう。所領とみなされるほうが負担ばかり増える。そんな土地です。だから、わざと移したんでしょう」
「くそっ、あのたぬき親父め」
「近くその場所に行ってみようと思います。実際見てみないとどうとも言い逃れできますからね。しかしまずは、この未処理の書類を片付けていきましょう。なんでこんなに溜まっているんです」
「だって」
わけが分らないんだと、膨れるエレンにラドビアスは、一つ一つ、封書を開けて読みながら説明する。 なんで分るのか、自分でも分からない。
結局、夜中すぎまで仕事をしたが、エレンに教えながらの作業でそんなに容易く終わるものでは無かった。 気がつくと、彼女は机に突っ伏して寝入っている。
まだ、十七、八の彼女にこの城と領地を守っていくことなど、至難の技だろう。 側に誰か、しっかりとした後見人がいる。
それが自分だったなら……いきなりそんな思いが沸きあがる。 もしかして、わたしはエレンに特別の感情を持っていたのかと思い至る。 慌ててその考えを打ち消して、ラドビアスは立ち上がった。
「エレン、寝るのなら寝室へ行きましょう」
「ううん」
起きないエレンにため息をついてラドビアスは、部屋の長椅子に彼女を抱き下ろす。 エレンの部屋がどこかも思い出せない。 だが、はっきりしていることがある。 わたしは、この少女に好意を持っている。 自分の上着をかけてやると、自室に戻ろうと廊下に出る。
長い廊下には、必要最小限の明かりしか無く、足元は暗い。 廊下に灯す蝋燭まで削っている姉妹の生活に、少しでも助けになりたいと彼はため息をつく。
それより、あのまま彼女を椅子で一晩明かさせる訳にもいかないと思い直し、ラドビアスは踵を返した。
後編に続きます。