8 雪だるま
「レイモンドール綺譚」の外伝です。
一話一話、独立した話になっております。
名前が今と変わっております。紛らわしくて申し訳ありません。
ユリウス・・・ベオーク時代 「カルラ」その後「イーヴァルアイ」
ラドビアス・・ベオーク時代 「サンテラ」その後、「ラドビアス」
(八)
広大な美しい枯山水の庭。 陽の光を受けて眩しく光る、池を模して敷かれている石は大小の青玉。 道を表す白い小さな石は加工された大理石。 そこにあるものは、本来ならば屋敷の中に大事に置いてあるような高価な品ばかり。
だが、あたかも普通の砂利のように扱われている。 ――それも今は一面、白い雪の覆いがかかっているせいで見えはしないのだが。
ベオーク自治国はハオタイ皇国の首都から北へ僅かに逸れた高地にあるため、冷涼な国である。 そのため教皇の正装は、雪豹の毛皮のついた分厚い外套を羽織ることになっているほどだ。
そして季節は、新年を迎えた頃。 ピンと張り詰めた糸のような寒さがベオーク自治国の宮殿、朝陽宮にも遠慮することなく隅々まで入り込んでいる。 しかし、教皇の一族の居室は、張り巡らされた結界によって寒さとも無縁の暖かさなのだ。
一年を迎える新嘗祭の宴が行われている大広間の近くの一室。 そこには、いつも大陸のどこかへ出かけていたりと全員集まることはない教皇の一族が集まっているせいで、彼らの随従たちも久しぶりに顔を合わしていた。
「あらインダラ、お久しぶりね」
「ショウトラか」
「ハイラさまが大陸の南へお出かけになっていたから、ここに戻るのも一年ぶりなのよ。もっと嬉しそうにしてもいいじゃない」
「なんで嬉しそうにしなきゃならないんだ?」
さも、嫌そうに細い目を一層細めて、四男バサラのしもべ、インダラは横を向く。 相手にされていないのも一向に気にするでも無く、次女ハイラのしもべ、ショウトラはその太くて短い首を傾げてみせた。
その仕草は、少女や、妙齢の女性であったなら、思わず笑みがこぼれるものだったろうが、やった人物が悪い。
しもべは主人に似るものなのか、ハイラを主人に持つショウトラは、驚くほどがっしりとした身体をしていた。 主人であるハイラは女性であるのだが、外見はそこらの兵士などよりもよほど男らしい肉付きをしていた。 そのため、激しく女物が似合わない。 そのしもべであるショウトラは男である。 元来魔道師には女性はなれないのだから当然なのだが、主人を上回るたくましい体を持つしもべの心は女だったようで。 それが問題といえば問題なのだ。
しもべは、主人に自分の所有であることの証、龍印を施されて不老と不死に近い体になるが、影響はそれだけでは無い。 彼らは龍印を体に刻み付けられた時点から身も心も主人の物なのだ。 いつも主人の事を想い忠義をつくすようになっている。
が、ショウトラの興味は他の男たちにも向く傾向があった。
バサラのしもべであるインダラもサンテラもこの時にはまだ龍印は刻印されてはいない。 だが、だからといって、インダラがショウトラを受け入れるはずも無いのだが。
「ねえ、インダラこの後暇?」
「おまえに向ける時間なんてあるわけがない。気持ちの悪いことを言うのはやめてくれないか」
自分に無いものを求めるのか、ショウトラは細身の男が好きらしい。 媚びた視線に耐え切れず、インダラは座っていた椅子から立ち上がると、窓辺に凭れていた男の方へ行く。
「あいつ、どうにかしてくれよ。気色の悪いことったらないぜ」
「……なに?」
インダラに話しかけられた男は、外の様子に目を奪われていたせいか、インダラの話についていけずにおざなりの返事を返す。
「聞いてなかったのかよ。で、何を見ていた?」
インダラが窓をのぞく。 そこにいたのは、亜麻色の髪を肩下に流した黒の絹地に金糸の刺繍を施した豪華な式服を着た、まだ十歳くらいのこども。 式典に退屈したのか抜け出して庭で遊んでいるらしい。
「あれは、カルラさまだな。この宮でこどもなんてカルラさまか、ハイラさまの食事しかいないからな」
「お寒くはないのかな? まだカルラさまにはしもべはいないけれど、御つきの者はいるだろうに」
そう言うが早いか、インダラの横にいる男は窓を飛び出していく。
「おい、サンテラ。待てよ」
言ってはみたものの、追いかける気も無くインダラはやれやれと肩をすくめる。
「カルラさまがお可愛いのは認めるが、あの執着はどうかと思うぜ。わたしには分からないな。わたしは、やっぱりバサラさまがいいし」
呟きながらインダラはまたも目を細めて窓の外を面白そうに眺めた。
*
「風邪を召しますよ、そんな薄着で外にお出ましになられては」
しゃがんで一心不乱に雪を固めていたこどもが顔を上げる。
「おまえ兄さまのしもべの一人だな」
「さようでございます。サンテラと言います」
「ふーん、おまえ、雪をたくさん集めろ」
大人に見つかったのにまるで驚くでもなく、そのこどもは声をかけてきた男にそれだけ言うとまた作業に戻る。
遊びを止めるように言うつもりだったサンテラだったが、仕方なく雪だるまを作る要領で転がしながら雪を集め出す。
こどもの背丈ほどの雪玉を三つほど作って、今も作業に没頭中のこどもの元に転がしていく。
「このぐらいでよろしいですか」
「……おまえっ」
顔を上げたカルラの強い声に叱責を受けるのかと思ったサンテラだが、その顔に浮かんでいたのは歓喜の表情。
「これ、おまえ作ったの? どうやったの?」
「はあ。こうやって転がしただけですが」
あまりに子供らしい反応に口元が緩むが、そこはぐっと堪えて真面目な口調でサンテラは先ほどやったように雪玉を作っていく。 と、雪玉に手をつくサンテラの横に伸びる手。
「わたしもやる。転がせばいいんだな」
「はい。でもお手が冷えますよ」
「うるさい、黙ってやれ」
いつの間にか、カルラと二人してそこら中の雪を集めて巨大な雪玉がいくつも庭に出来ていた。
「たくさんできましたね」
腰に手をやりながら、薄っすらとかいた汗を懐から出した綿布で拭っていると、こちらを見上げて笑うカルラと目が合う。
サンテラの主人、バサラの十歳年下の同腹の弟。 初めてバサラにサンテラが会った時にこのこどもはそっくりだった。 あのときも自分はバサラの美しさに驚いたものだったが。
こうやって弟を見ても同じようにサンテラは、感嘆のため息をついてしまう。 しかし、バサラに対しては感じなかった気持ちが確かにカルラに対してはある。 そのことに前から気づいていた。
動いてほかほかしていた体が急速に冷えていくのを感じて、サンテラは急いで上着を脱ぐとカルラに着せ掛ける。
「恐れ多いことを申し訳ありませんが、部屋にお戻りになるまでこのままでご容赦ください」
「ふん、重いな。靴が濡れて冷たい。おまえ、わたしを部屋まで抱いていけ」
尊大な口をきいて手を差し向けて見上げるそのすがたは、なんとも愛らしいのにと、サンテラはまたしても口元が緩むのだった。
軽々と自分の服ごとカルラを抱き上げて庭にある東屋に向かい、中にある椅子にカルラを降ろす。
「濡れた靴を脱がせますので失礼します」
「早くしろ」
式服と同じ絹張りで刺繍が密にしてある靴は、冷えてぐっしょりと濡れて肌に張り付くようになっている。 これではあかぎれになってしまうだろう。 靴を脱がせて自分の服の内側で丁寧にぬぐう。
一連のサンテラの行動を見ていたカルラが焦れたようにサンテラの首に手を回してきた。
「もういい。早く連れていけ」
「かしこまりました」
もう一度綿が入っている上着を着せようとすると、カルラにはじかれてしまい、驚いたサンテラが問うように見る。
「おまえが寒いだろう。おまえが羽織ってわたしを一緒に抱き込めばいいだろうが。頭使え、頭」
「それは――」
「なんだ、わたしと一緒に服にくるまるのは嫌か」
上目遣いで心配そうに見上げる顔は、言葉ほど大人ではない。 嫌なのかと兄のしもべ相手に気を使うすがたに湧き上がる感情。
そうだ、わたしはこのお方がいとおしいのだ。 バサラに感じている信頼、尊敬、親しみと言う名の物とは違う感情。 立場を忘れて抱きしめてしまいたくなる。 頭を撫でてこども扱いしそうになるのをぐっと堪える。
「いえ、カルラさまが仰ってくださったなら喜んでそうさせていただきます」
「じゃあ、そうしろ」
「はい」
しっかりと首に手をまわしてくるカルラを抱き上げて、上着ですっぽりと包むとサンテラは歩き出した。
「おまえの匂いがする」
ぼそりとつぶやく声。
「ご不快でしょうがもうしばらくお待ちを」
「不快じゃない」
「……そうですか」
笑顔のまま、カルラの部屋に戻る二人の前に回廊の先から現れた人物が声をかけた。
「おや、その腕の中の物はなんだ、サンテラ」
「兄さま」
いきなり足をばたつかせて落ちるように転がりおりたカルラが裸足のまま、その人物に抱きついた。
「カルラ、式典の途中からいなくなったので心配したよ。何をしていたの?」
ひょいと弟を抱き上げると、カルラは嬉しそうにバサラにしがみ付きながら彼の耳元でささやいた。
「そう? 雪で? それは楽しそうだったな。兄さまも今度は誘ってくれよ、カルラ」
笑いながら頭をなでて、視線はサンテラに向ける。
「カルラはわたしが部屋まで連れて行く。ご苦労だったな、サンテラ」
「いえ、それではよろしくお願いします。靴はあとで用人に渡しておきますので」
頭を下げるサンテラに思いもしなかった声が聞こえた。
「おまえ、またやろうな。楽しかった。おまえは良い匂いだし」
「匂い?」
「うん、抱いてもらってるときに――良い匂いだったよ」
「兄さまとどっちがいい?」
「え?」
カルラは、子供っぽい質問をするバサラに驚き、ちらりとサンテラの方を向いた。 見つめるサンテラと視線が寸の間絡む。
「兄さまに決まってるけど、何でそんなこと聞くの?」
「だってカルラの一番は兄さまでいたいからだよ」
バサラの言葉にカルラは嬉しそうに納得の表情を見せた。
「わたしの一番は兄さまに決まってるよ。誰よりも好きだもの」
そう言って縋りつく弟を抱く手にわずかに力を加えて、バサラは唇を引き上げてサンテラを見た。
――なんで、こんな目をするのだろう? まるで、見せ付けるような。
その時は気づかなかったことが、今では分かる。 バサラはあの時からすでにカルラを自分のものにすることに決めていたのだ。 女性にすることを。 自分の妻にすることを。 カルラが自分以外に目を向けることが無いように、自分のしもべさえけん制の態度を取っていたのだ。
そこまでしてもバサラの計画は成就しなかった。 人の心は縛れない――そんな簡単なことが、彼には分からなかった。
「あの雪の日は楽しかったな」
窓から見える重たい雲から落ちてくる白い粉雪を見ながらラドビアスはつぶやく。
「え? 雪? 雪が降ってきたの? わーい、積もったら雪だるま作ろう」
雪という言葉に反応して窓際に寄ってきたクロードが、十六歳とも思えないほど、はしゃぎながらラドビアスを見上げてくる。
「そうですね、たくさん作りましょう」
ラドビアスは満面の笑みでそう答えた。