7 二つの竜印
「レイモンドール綺譚」の外伝です。
一話一話、独立した話になっております。
名前が今と変わっております。紛らわしくて申し訳ありません。
ユリウス・・・ベオーク時代 「カルラ」その後「イーヴァルアイ」
ラドビアス・・ベオーク時代 「サンテラ」その後、「ラドビアス」
(七)
とうとう、その時が来たのだ。待ちにまった瞬間が。
クロードは、自然に湧き出した温泉に足をそっとつけながら後ろにいるはずの男の様子に全神経を集中させる。
「あちっ」
思ったより湯の温度が熱くて、大きな声をあげてしまう。
「大丈夫ですか」
駆け寄ろうとする従者の気配に、クロードはあわてて声をあげる。
「だ、大丈夫。は、早くラドビアスも服を脱いでおいでよ。結構慣れると気持ちいいからさ」
何が見たいってクロードはラドビアスの裸の姿が見たいのだ。 お湯が大きく揺らいでラドビアスが入って来たことが分かり、クロードの緊張も高まる。
「ああ、本当ですね。少し熱いですがいいお湯です。このところ、水浴びだけでしたから気持ちがいいです」
後ろを振り向かなきゃ。 ええと自然に振舞え。 ゆっくり……。
「クロードさま?」
クロードの気持ちなんかに関係なくラドビアスがいきなり、そういきなり回り込んできたのだ。
「ラ、ラドビアス、な、何?」
「何って、はい、綿布ですよ。体こすってください」
「あ、ああ」
湯気に邪魔されて良く見えないが左胸には何の痕跡も無い。 それは、そうだ。 自分の胸元に目を移してクロードは目を伏せる。
――ユリウスのしもべである証の竜印があるわけもない。 彼は死んだのだから。
「おれが……殺した」
もう、酷く落ち込むことなんて無いと思っていたのに。 彼を失った悲しみと自分の犯した罪は、引いていたかと思うと自分を飲み込むほどの大波になって帰ってくるのだ。逃げられない。 否、逃げてはいけない。 だけど――おれは。
彼を愛していたのに。 兄だと、家族だと、ユリウス、おれはもっと君にいろいろ教えてもらいたかった。 それだけじゃない。
「魔術だけじゃ……ない」
「クロードさま」
ラドビアスの気遣う声にクロードは、はっと深い意識の奥から引き上げられた。
「どうか、しましたか? 気分でも悪いですか」
自分に伸ばされた手をやんわりと振り払ってクロードは、思いついたように大声を出す。
「ねえ、ラドビアス。背中流してあげるよ」
「なんか企んでるんですか、クロードさま。でも遠慮なくそうさせていただこうと思います」
でもその前に、とラドビアスはクロードの背後に回った。
「先にクロードさまの背中を流してからにします」
「おい、それじゃあ見えない」
「見えない? 何がです?」
口をすべらせたとクロードは気づいたがすでに言った後だ。 言葉は自分の口には返らない。
「いや、なんでもないよ」
乳白色に濁った湯の中で大人しくラドビアスに背中を流してもらいながらクロードは、ふと考える。
――ユリウスってよく、ラドビアスにおまえなんか嫌いだと言ってたけど。 本心じゃないよな。 だったら、あんなに長く一緒にいられないよな。 何が気に入らなかったんだろう?
「ラドビアス? おまえユリウスが嫌がることをしたことがあるの?」
え? とラドビアスはいきなり降って来た謎の質問に背中を流す手を止めた。
「何の事ですか」
「あのさあ、ユリウスっておまえへの扱いが結構酷かったじゃないか。どうしてなのかなと思ってさ」
ああと安心したかのような笑顔になってラドビアスは作業を再開する。
「あれは、わたしに甘えていらしたのでしょう。あの方の側近で歳が上なのはわたしぐらいですからね。それにわたしはしもべなんですから別にどう扱われてもいいのですよ。そんなことではなく……」
「何? ラドビアス」
急に黙りこくった相手に驚いてクロードは後ろを振り向く。
「どうしたの?」
「主は、ユリウスさまはわたしのこの顔が気に入らなかったんですよ」
「ええっ?」
顔って言っても、紅顔の美少年っていう歳でもなく、白皙な美青年でもないが。 ラドビアスの顔が悪いとは思わないんだけど。 派手な顔じゃないけど落ち着いた大人の顔だ。
安心できると、頼みになると思わせるような穏やかな顔。 このどこが嫌なのかクロードにはさっぱり分からない。
「何か理由があるの?」
「さぁ、顔の好みだけはどうのこうのと言っても仕方ありませんからね」
ラドビアスは、口元を緩めたがクロードには笑っているようには見えなかった。 なんだか泣いているような。 この話には何か理由があるのだと分かってしまったが、強引に聞くわけにもいかない。
*
きまずい空気の中でいつの間にかクロードはのぼせてしまっていたようだった。気が付くと、広い岩場の上に敷いた毛布に寝かされている。
「あれ? おれどうしたの」
「ユリウス、最低と仰りながら倒れておしまいになったんですよ。はい、お水」
上半身を起こしたクロードにすかさず、水の入った水筒を渡してラドビアスは、クロードの腕に触れる。
「だいぶ、ほてりもおさまりましたね。魔獣たちも待っているでしょうから、戻りましょうか?」
「うん」
結局、何も分からなかった。
ユリウスが死んで竜印が消え、他の竜印を受けていたしもべは皆消えてしまったはず。 ところが――ラドビアスだけは生きているのだ。 バサラが生きているからなのか。
ユリウスの兄、バサラは自分がこの護法神の剣で殺したと思っていたが。 違うんだろうか、ラドビアスの最初の主人はバサラだった。 彼の竜印が残っている――そういうことなのか。
黄みがっかた白い肌に浮かぶ、龍の形。
前に見た、バサラのしもべインダラの背中にあった龍印。 それがラドビアスにもあると。
それを確かめたかったのだ。
「ラドビアス、おまえ誰に仕えているんだ?」
「それは、もちろんクロードさまですよ」
「じゃなくて、おまえが今生きているのはなぜなのかと聞いているんだ。おまえ、五百歳は軽く超えているんだ。何か理由があるはずだろう」
「それは……」
言いにくそうにラドビアスは続ける。
「バサラさまの印が――わたしには残っています」
――やはりそうか。 バサラはまだ生きているんだ。
思わずクロードは唇を噛む。 ユリウスが命を投げ出したのに。 彼が死んでバサラが残ったなんて。 だけどだからラドビアスも生きているんだ。 失ってしまったものと取り留めて置けたもの……どちらかを今更選べもしない。 おれにとってラドビアスももうすでに失いたくない、絶対に。 そんな存在なんだから。
「おまえにとって竜印を受けた主人ってどういう存在なんだ? ガリオールやルークは、絶対無二の存在だと言っていた。竜印を受けたしもべは、主人に絶えず惹かれ続けるのだと。おまえはどうなの?」
「わたし――ですか」
投げられたクロードの問いにラドビアスは、困惑の面差しを向ける。
「ユリウスさまをずっと想ってまいりましたが。バサラさまもわたしには大事な方です。命をお助けいただいてしもべにして頂いたのですから」
「でも、それは理屈のつかない思いとかじゃないだろ? 竜印って理屈で好きとか嫌いとかじゃないはずだろ? その感覚はおれにだってわかるよ。おれだって少しの間だったけどユリウスの竜印があったんだから」
一つに結び合っているような、鎖とかそんなものでなく、暖かい物でつながっている。 いつもユリウスのことが頭にあって、彼のことが気になって……。 しかし、このところ前よりは顔色が戻ってきたラドビアスは身の内に二つの竜印を持っていたのだ。
二人を主人に持っていた彼はどちらを優先していたのか、いないのか。 果たしてそんなことが出来るのか。
「それは――わたしにも分かりません。ユリウスさまをお慕いする気持ちに偽りはありませんが、バサラさまにも逆らえない。でも、抗えない、そういうのでもない。わたしは他の僕とは違うのかもしれませんね」
苦しそうに言うラドビアスにクロードは、もう何も聞くことができない。 何百年経ったところで、知りえないことはあるのだ。 一番それを知りたいのはラドビアス自身なのだから。
*
「クロードさま」
「何?」
「いい加減、服着ませんか?」
ラドビアスの言葉に我に帰るとクロードは自分が素っ裸だったことを思い出す。 別にラドビアスに見られたことが無いわけじゃないが。 気づけば自分だけ裸ってなんか――。
「ずるい」
結局、おれはラドビアスの裸を見られなかった。 いや、見たかったのは、裸じゃなかったんだがこの際、問題は裸だ。
「もう、一回温泉入ろう」
「はあ?」
「今度はぶっ倒れないぞ」
「何の宣言ですか、それは」
「だからさぁ」
「嫌です」
二人の問答は待ちきれなくなった魔獣がやって来るまで続いた。