6 砂漠からの風
「レイモンドール綺譚」の外伝です。
一話一話、独立した話になっております。
名前が今と変わっております。紛らわしくて申し訳ありません。
ユリウス・・・ベオーク時代 「カルラ」その後「イーヴァルアイ」
ラドビアス・・ベオーク時代 「サンテラ」その後、「ラドビアス」
(六)
吹き付ける風が熱を持っている。
砂漠からの挨拶の一端なのか。
それとも異郷に踏み入る者への威嚇なのだろうか。
焼けるような痛さを頬にもたらした一陣の風に驚いて、クロードは後ろのラドビアスを伺うように見る。
「ラドビアス、今の風は?」
「ああ熱砂の風と言われる物ですよ。もう、そんな風の吹く土地に入ったのですね」
ラドビアスは感慨深く言うと、通り過ぎていった風の軌跡を目で追った。
「ここは、西側と東側の文化の境目なんですよ。地域的にも西側の国からハオタイ皇国になります。ハオタイの首都キータイに入る前に砂漠がありますからね。そのせいでしょう」
「ハオタイ? そうか、ハオタイに入ったんだ」
目指すベオーク自治国はハオタイ皇国の一部だ。 その、ハオタイに足を踏み入れたことに嬉しさを感じてクロードは歩みを速める。
「ハオタイと言っても、この国はこの大陸のほとんどを占める広大な国ですからね。ここなど、まだ西側の方が近いくらいですよ、クロードさま」
「そうなの?」
ラドビアスの宥めるような言葉に、少し落胆して立ち止まったクロードを追い越してラドビアスが先に行く。
「ここは、わたしの故郷なんですよ」
ぼそりと言ったラドビアスの一言。
「だってラドビアスはベオーク自治国の人じゃないの? ベオークからレイモンドールに来たんだろう?」
ええ、とうなずきながらラドビアスはクロードに答える。
「ベオークに行く前に、十歳までわたしはここで暮らしていたんです」
ラドビアスは、街を少し外れた大きなお墓の前に立つ。
古くて文字さえ、消えかかっている黒曜石に彫られた名前。 それを懐かしそうに指でなぞる。
「何て書いてあるの?」
「クラビア・ガイン・ゴラハト、そう書いています」
「知り合いなの?」
「はい、クラビアはわたしのいとこです。ここの領主になったようですね、良かった」
立ち上がって大きな墓廟を見上げる、ラドビアスの様子にクロードはなかなか話しかけられなかった。 朽ちそうな昔の領主の墓に立つ彼の心情はどうなのか。
クロードには推し量るのも難しいが。 知り合いなど全て歴史の中に埋もれるほどの昔。 彼はその時代の人なんだ。
知っていたが、実感が今までわいてこなかった。 だが、この砂に埋もれてしまうのではないかと思うほどの古い墓廟に眠る人と生きていた――一気に時間の波に飲み込まれていくような錯覚の中、クロードはただ、佇む男を見ていた。
「彼は、わたしの母の兄のこどもでした。二つ上で仲が良かったんですよ」
唐突にラドビアスが話し出してクロードは、彼が過去に戻っていくのだと思った。
遥か昔、五百年以上前のダルファンに。
「ラドビアス! どこ?」
茶色の髪を編みこんだ少年が、開放的なアーチ型天井から伸びる柱の間を縫いながら走っていく。
「ラドビアス? 降参だよぉ、早く出て来いよ」
降参の声にくすくすという笑い声がして。 声を頼りに少年は天井を仰ぐ。 すると少年の鼻の先へストンと褐色の髪の少年が飛び降りてきた。
「なんだぁ、上に隠れてたんだ」
「下ばかり見てるから見つけられないんだよ、クラビア」
偉そうに笑う自分より二つ下の少年をがしりと捕まえるとクラビアは、脇に手を伸ばす。
「兄さんにそんな偉そうに言うやつはこうしてやる」
「わああ、やめて、やめて、ごめんなさい、クラビア」
こそばされて体をよじりながらラドビアスは必死で自分を拘束する腕から逃れた。
「ねえ、侍女たちが探しに来る前に部屋に帰ったほうが良くないかな」
「ラドビアスはまじめちゃんだな。でも怒られるのは僕も嫌かも。じゃあ帰ろうか」
「うん」
二人の少年は長い回廊を奥へと進んだ。
ハオタイの西の端、ダルファンはハオタイ皇国に多いハオ族と違い、西側と同じアーリア人の多い地域だった。 話す言葉も西側の国で使われている古代レーン文字から発展してきたアーリア語である。 勿論、公用語はハオタイで使われている藩語なのだが、市井の者などそんな事は知る由もない。
しかし、この砂漠近くのダルファンを支配している一族の長、アウバール・ガイン・ゴラハトの屋敷に住むこどもにおいては、しっかりと藩語も習っているはずだろう。
長男のクラビア、そしてアウバールの妹の息子、ラドビアス。 二人はここの支配階級に属しているのだから。
長めの金糸で隙間なく刺繍された袖なしの上着にゆったりとした裾を絞ったズボン姿の二人の少年。彼らは、自室の部屋の長いクッションにごろりともたれながら銀の皿から葡萄の粒をちぎっては口に入れていた。
「きみは、このままここの領主になるんだろうなぁ。でも僕は? 僕は何をしたらいいんだろう」
ラドビアスの指から葡萄の粒を奪い取ってクラビアは、もぐもぐと口に入れる。
「ぼくの手伝いをすればいいじゃないか。嫌なの?」
「嫌じゃないけど」
ラドビアスは、そう言うと顔を逸らした。
「僕は――父無し子だもんな。何でみんな母さまにあんなに寛容なの? 僕だってとても大事にされている。だけど母さまは結婚もしていないのに僕を産んでさ。それってやっぱり人の道に外れているよね」
ラドビアスの真剣な顔にクラビアは、持っていた葡萄の房を皿に置いた。
「父親が誰だとかは、ぼくも知らないけど。ラドビアス、おまえはぼくのいとこじゃないか。誰が悪口を言うのもぼくが許さない。だから安心していいんだよ、ラドビアス」
「ありがとう、クラビア」
なんとなく、じんときて二人は手を取り合う。
僕はここに居ていいんだ。 ここに居てクラビアを助けていく。 ラドビアスは胸が詰まったような苦しい、でも嬉しい、そうこれは嬉しいんだと、目の前のいとこを見つめた。
しかし、感動の場面はいともあっさりと終わりを告げる。
いきなり、大きな衝撃音とともに窓枠を大きくぶち割っておおきな物体が飛び込んできたのだ。
「な、何」
手を取り合ったまま、二人はじりじりとあとずさる。 怖くて背中を向けて逃げることなんて出来ない。
うずくまった物体がゆっくりと体を伸ばした。 そう、ぐんっとおおきく伸びをしたのだ。
「豹?」
ラドビアスの声に応えるようにそれは喉を鳴らした。 雪のように白い大きな、実際、ラドビアスは豹など、図書庫にある図鑑でしか見たことなどないが。
それにしても大きな体だ。 そして、口からはみ出すほどの牙が見えている。
「おまえがダリアか」
一瞬、誰が声を出したのか分からなかった。
「おまえがダリアか」
同じ台詞を豹が……口にした。
「た、助けて」
クラビアは泣きそうな、いや、もうすでに泣いていた。 泣きながらラドビアスの手を振り払って部屋の隅に逃げて行く。 しかし、ラドビアスはその豹が言った名前に反応して一歩踏み出した。
「ダリアは僕の母だ。おまえは何者?」
「我は、使者だ。ダリアとダリアの息子を迎えにきた」
「迎えにって、どこへ」
「我の主人の元へ」
訳がわからないが、とにかくこの豹は害をなそうとするわけではないようだった。 尚も質問をしようとするラドビアスは、大きく扉を開け放って入って来た警備の兵たちによって引き離されてしまう。
「ラドビアス様、お早くお逃げください」
「待って、違うんだ。この豹は使者なんだ」
ラドビアスの声は大勢の兵士の大声と豹が吼える声によって掻き消える。
猛然と兵の中に踊りこんだ豹は、その大きな牙で次々と喉笛を噛み切っていく。
俊敏な動きに兵士の誰もついていけない。
「やめて! ねえ、違うんだから」
叫ぶラドビアスの目の前に出来ていく死体の山。 叫んでいたのはほんのわずかな時間だったのか。 気がつくと豹は、返り血を浴びて真っ赤に染まった体を軽々とラドビアスの方へ運こんできた。
「ダリアのところへ行く」
これ以上被害を出すわけにはいかないし、ラドビアスが逆らえるわけもない。
「わかった」
歩き出すラドビアスの背中に小さくかかる声。
「ラドビアス、行くな」
「大丈夫、話をするだけだから。待ってて、クラビア」
「……ラドビアス」
「どうなったの、それで?」
ラドビアスが黙った途端に問う声。 さっきまでの態度を変えてクロードは勢い込んで尋ねる。
「あれきり、ダルファンには帰れなかったんですよ。ベオークに着いたと思ったら、ユリウスさまの姉君ハイラさまに捕まって危うく、食べられるところで。そこをバサラさまに助けられたんです。それが縁でわたしは、バサラさまにお仕えすることになったんですよ」
「じゃあ、誰の使いだったのか分からなかったの?」
「ええ、母は何も教えてくれなかったんで」
「お母さんはどうなったの?」
「さあ、いずれにしてももう死んでいます。ベオークについてから生き別れて音沙汰もなし。あれから五百年以上経っているんですよ。何があったとしても大昔の事です」
そう言ってラドビアスは、もう一度墓石にそっと触れた。
「だけど、こどもを食べちゃうってユリウスの姉さんってどんな奴なんだ?」
クロードは気味悪そうに聞く。
「ハイラさまですか? 一言ではとても言えませんよ。破格な方です」
って、どういうこと? そう聞きたかったがラドビアスはさっさと歩き出した。
「それと」
「それと――何です?」
クロードは、目の前でくつろいでいる魔獣を指差す。
「おまえたち、しゃべれるんじゃないのか?」
アウントゥエンは軽く顔を背けて小さく炎を吐いた。 サウンティトゥーダは大きく口を開けてぐわっと一声出すと頭をヒラヒラと横に振って見せる。
「うーん、結局どっちなんだ?」
知らん顔をする二頭の魔獣を見ながらクロードは考え込む。
――果たしてしゃべることが出来たほうがいいのか、否か。
そこへ、また砂漠の風が吹き抜けて行った。