5 祭りの夜
「レイモンドール綺譚」の外伝です。
一話一話、独立した話になっております。
名前が今と変わっております。紛らわしくて申し訳ありません。
ユリウス・・・ベオーク時代 「カルラ」その後「イーヴァルアイ」
ラドビアス・・ベオーク時代 「サンテラ」その後、「ラドビアス」
夏の気配が近いこの頃。 朝夕はまだまだ肌寒いが昼間はむっとするほど。
その森に張った結界の中で繰り返す術。
クロードの放った炎が結界の中のブナの木を一瞬に燃やしつくす。
「今日はこのくらいでお終いにしましょう」
あっさりと指の動き一つで大きな炎を消すとラドビアスは結界を解いた。
「お疲れでしょう? 朝から休まないで練習されていたんですから」
「うん」
緊張感から解き離れてクロードは、ほっと息をついて辺りを見回した。 暖かい空気はそのままに、それでも太陽は暮れていくとあっという間にその姿を消す。
足元を取られないように気をつけながら歩いていくと、村に向かう手前の潅木もまばらな中に何人もの若者が二人連れで入っていく。
「何? 何なの、ラドビアス?」
ああ、そう言ってラドビアスは決まり悪げにクロードを見下ろす。
「だから、何なのさ」
重ねて聞くクロードにラドビアスは、ため息をつきながらわずかに歩みを速める。
「今日は、この辺の村の祭りです」
「で?」
「クロードさま、ここら辺で祭りの晩っていうのは、男女が思いを遂げる機会でもあります」
早口でまくしたてるラドビアスにクロードはへえーとのん気な声をあげて。
「それってどいいう?」
クロードの質問にラドビアスはぎくりと立ち止まる。
「クロードさま、あんまりこどもっぽい事を仰るとわたしも怒りますよ。暗がりで若い男女がやることなんて決まっているでしょう」
大声を出すラドビアスに、今度はクロードがうろたえて宥める。
「うわあ、ごめん。そうだよなあ。わかったから、声小さくして。お願い」
早くこの危険地帯を抜けなくてはとクロードはごくりとつばを飲み込んだ。
その潅木の林の反対側の使われてない猟師子小屋に落ち着いたクロードは、ラドビアスが熾した火の前でうつらうつらしながら寛いでいた。
「クロードさま、お休みになったら毛布のところまでお連れしますから横になってください」
「うん、そうする」
暖かい火の前で横になった少年を見るラドビアスは、ふとこんな事が前にあったのを思い出していた。
それは、もう五百年前の事。
ベオーク自治国から逃げた二人は、目立たないように旅を続けていたため、野宿も多い。
ここのところ野宿が続いて主人の疲労は頂点のようだった。 そこに見つけた作業小屋。
心からほっとして中をのぞく。
「カルラさま、お休みになられるのでしたらあちらに敷布を敷いておりますよ」
こくり、こくりと頭が揺れる主人にサンテラは声をかける。
山中でやっと見つけた無人の小屋をざっと片付けて火を熾すと、さっそくカルラは船を漕ぎ出したのだった。
「カルラさま」
「うーん、寝たら連れていって、サンテラ」
カルラはむにゃむにゃと口の中でそう言うと構わず横になる。 それをだめですと言いながらため息をついてながめていたサンテラだったが。 火の粉が主人に飛んではと、膝をついて庇うようにカルラを抱き上げた。
「こんな硬い床でお休みになられたら、明日体が痛みますよ」
そこでサンテラの動きが止まる。 カルラの長い亜麻色の髪が抱き上げた事によって覆っていた額から滑り落ち、肩に流れた。
さらさらとすべるように流れる髪。
この髪は昨日自分が丁寧に洗ったものだ。 カルラは、必要なく体に触れられることを極端に嫌う。
だから、サンテラは何かと理由をつけてカルラの世話をする。 手をかけ、言葉をかける。
髪をこうやって梳くのもお世話しているのだからと自分に言い訳をしながら、髪に手を差し入れる。
そして残された数本の髪を払おうと顔に指を近づけて……。
わずかに開いた唇が目に入ってしまう。 暗闇の中、炎に照らされて上気した頬。 長い睫。
誘うような唇。
はっと慌ててサンテラは顔を背ける。
――今、わたしは何を考えていた? この方はわたしの主人だ。
そう言い聞かせて、顔を戻す。 しかし、自分は正式にはまだカルラの兄のバサラの僕なのだった。 背中にある龍印はバサラの物だ。 なぜ、主人を裏切ってカルラについて来たのだろう。 龍印を受けた僕は普通主人以外に興味を持つことは無い、そう聞いていたのに。
自分はどうして違うのか。 ほんの幼いカルラを見たときから。 心はカルラの物だった。
あの時、必死で逃げるカルラを見過ごせなかった。
一番上の兄を殺したと思い込んで逃げる血まみれのカルラを助けたいと。
いや、このまま離れるわけにはいかないと。
これは、まさか恋情なのか。 わたしはカルラを、愛しているのか。
二人で逃げる先に何があるのか。
しかし、サンテラには悲壮なカルラとは別の甘い感情をいだくのを抑えられなかった。
わたしだけを頼って。
わたしだけを見て。
例えそれがしもべという立場だったとしても。
この世の中で二人きりという究極の立場に今は――いたい。
それで十分だと思っていたのに。 人というものの欲望の際限ない事にサンテラは苦く笑う。 一つが満たされたらその次、そしてまたその先へ。
自分のこの思いを伝えたい。 そしてその次は……。
考え事をしているサンテラに抱かれて眠るカルラは、寝ぼけているのか、その手をサンテラの襟元にのばしてぐいっと引っ張る。
あと少しで触れようとするその距離にサンテラは、抗えずに固まる。
「カルラさま」
掠れるような声は、本当に主人を起こそうとする声なのか。
この先を自分は見たいのか。 それとも避けたいのか。
口付けの後は。 自分の欲はどんどん先に行けと叱咤するだろう。 だが、主人は、カルラがそれを望むことはあり得ない。 だが、一回きりなら。 蔑まれても嫌われても思いが適うなら本望なのではないか。
バサラの事を悪し様に言えない自分。 それは自分も同じだからだ。
同じように無理やり、思いを遂げてしまう。 それでいいのか。
自分を愛すことは、本当に無いと言えるのか。 一方通行ではない関係を。 築けると思うのは欲張りな事なのだろうか。
サンテラは顔を落とすと触れるだけの口付けをして。
「カルラさま、敷布の処までお連れします」
そっと抱き上げて出来るだけゆっくりと歩く。 包むように抱いているカルラの体を刻むこむようにゆっくり。
「――サンテラおやすみ」
「お休みなさいませ」
体を下ろされたことで眠りの縁から寸の間戻ったカルラに、そっと言うとサンテラは断ち切るようにその場を立った。
その時のことが鮮明に胸の痛みとともに思い出してラドビアスは顔をしかめる。 あの判断は正しかったのだろうか。
あれから五百年もの長い年月を共に過ごしはしたが。
しつこいのはヴァイロンにこだわっていたカルラのほうか。 自分のほうなのか。
主従ともに報われないことにこだわっていたものだ。
「ばかみたいですね」
一人ごちてクロードを軽々と運ぶとラドビアスは、猟師小屋の戸を開けて闇へと消えた。
「お早う、ラドビアス」
大きく伸びをして起きたクロードは、壁にもたれ掛かるように座り、足を投げ出しているラドビアスを見る。
「お早うございます。クロードさま」
うっすらと笑う従者の男の顔にくまがあるのに気づいてクロードは心配げに声をかけた。
「ねえ、寝られなかったの? おれのせい?」
「いえ、寝られなかったのは本当ですが、それはクロードさまとは関係ありません」
「ラドビアス?」
なんでもありませんよと笑いながら立ち上がった彼は、クロードにその先を答える気はまったく無いかのよう。
「昨日は皆、幸せだったのかなあ?」
クロードの問いにさて、とラドビアスは応じるとそそくさと出立の準備を整える。
「この山をさっさと越えてしまいましょう。クロードさま」
小屋を出て峠に差し掛かったクロードは、超えてきた山々を振り返ってうっと声をあげる。
クロードの目前に広がる荒涼とした荒地。
そういえば何か焦げたような匂いも。
「あそこは、昨日は林だったところだよね。何で? どうして一晩でこんな事に」
助けを求めるように向いた先にいる従者の顔を見てクロードはごくりとつばを飲み込む。
「ラドビアス?」
「クロードさまの精神衛生上よろしくないと思いまして」
「だからって」
「これで見通しがよくなりました。さあ、行きましょう。魔獣も我々を見つけやすいでしょう」
晴れ晴れと語るラドビアスに二の句が告げない。
祭りの晩は恋人が思いを育むんじゃなかったのかよ。 昨日の晩はいきなりあがった炎にさぞかし大騒ぎだったのだろう。
何があったのか。
考えたくない、クロードだった。