15 占い
(十五)占い
その日は、クロードは朝からついてなかった。
始まりは、野宿した洞窟内で水が漏れて、しかもそれはクロードの頭上だったことから。
そこで頭を洗おうと外に出たら、サウンティトゥーダの尻尾を踏んでずっこけて鼻を擦りむいて。
「なんだよ、おまえ笑ってるんだろ」
鼻の上に皺を寄せたアウントゥエンに因縁をつけてたら、盛大にクシャミをされて顔中べちゃべちゃに。
「なんだよ、一体」
ぶつぶつと文句を言いながら川まで行くと、あっと言う間に発生した鉄砲水にクロードは体を攫われる。 それは、まさに「あっ」という間の出来事で、ついていったアウントゥエンもサウンティトゥーダも髭の一つも動かせなかった。
さっきまで、暖かい手が額に当てられていた。 おれは夢を見ているのだろうか? 眠りの縁を漂っていたクロードの両手が、いつも傍らにいる魔獣の感触を探す。だが、荒い織り目の敷布をなで擦るだけ。
「ラドビアス?」
目を開けると古い天井板の無い吹き抜けの屋根の裏側がじかに見えた。 顔を横に向けるとベニヤを重ねて強度をつけるように作ってある板壁に手づくりしたような机と椅子が置いてある。
「ここはどこだ?」
それに答える者もいないようで、クロードはため息をついて体を起こす。 果物を入れていた木箱をつないだ物に板を置き、何枚かの敷布を敷いただけの硬い寝台を降りる。
ここが一体どこなのか調べるために、そこら辺を覗くと、机の中に見慣れた物が入っていた。
「これは、羊皮紙」
中を見ると、レーン文字が書かれている。 大陸では、レーン文字はまったく見かけないために、クロードはしばらくそれに見入っていた。
「なんでここにこんな物が」
「あんた、そこで何してる?」
いきなり、女の声がしてクロードは「ふえっ?」というわけの分からない声を上げる。
「それには触らないで欲しいんだけど。あたしの宝物なんだからさ」
「宝物? 羊皮紙が?」
声のしたほうに目を向けると、土色の長い髪をくるくると巻いて頭に高く結っている若い女。 朝黒い顔だが、アーリア人の血が入っているようで美しい様子の女性。
「それは、あたしが見つけたんだ。あたしはここで占いとかやってる。そこに書いてあるのは、きっと昔の凄い魔法の呪文かなんかなんだよ、きっと」
女が手を出すと、つけている金属の細い腕輪がもシャラーンと音を立てた。 耳にも大きな輪になっている金の装身具がついている。 それは、砂漠に近い地方の装束だった。 砂漠に住む種族には、土地を定めず、移動する者が多い。 水を求め、オアシスにつくと踊りや歌、博打など娯楽を提供して金をもうけてまた、次のオアシスに行く。
「あんたは、沙族の血を継いでいるんだね」
「良く知ってるね。そうだよ、あたしの父ちゃんが沙族だった。母ちゃんはアーリア系だったらしいけど」
女に渡す前に、チラリとクロードは羊皮紙に目を通す。
「ねえ、それは多分たいした事は書いてないと思うけど」
「あんた、読めるのこれ?」
うんと頷くクロードの肩を勢い込んで女は掴む。
「痛いよ」「ああ、ごめん」
もう少し、見せてと滲んだインクの後を指でたどる。 もう何百年も経っているのだろう。 かなりセピア色に変色している上に、掠れていて読みにくい。
「名前らしきものが書いてある。ロレイン・キール……、それとキリ……ア・ランドルフ」
そこまで言って、クロードは顔を上げた。
「キール・ランドルフ商会の創業者の名前じゃないかな。何で大陸屈指の貿易商がレーン文字なんか書いているんだ?」
レーン文字は、この世界で使っているのは、レイモンドールの魔導師たちだけだったはず。 キール・ランドルフ商会といえば、知らぬ者はいないというほどの豪商だ。 確か、元はレイモンドールの大陸の出先商として、大陸に進出したと聞いた。 キールとランドルフという友人が共同経営して本家より、大きくした出世話として聞いたことがある。 もう二百年ほど前の話だった。
「なんて書いてあるの?」
「名前が書いてある」
その先は、二人の名前の下に契約を示す魔方陣が描いてある。この二人が二人の間で何かの契約を交わした証明と言ったところか」
「とにかく、術は、この二人にしか効力は無いし、個人的な事だと思うけど」
明らかに落胆の色を見せた女に、クロードは苦笑する。 占いでは、この羊皮紙に書かれていることは分からないのかと思ってくすりと笑った。 だが、クロードは魔導師しか知らないはずのレーン文字を使っていた、ロレインとキリアという商人に興味を抱く。
そこに――。
「クロードさま、一体そこで何をしていらっしゃるんですか」
窓が、がくんと大きな音とともに開けられて、見慣れた顔がクロードを怒ったように見降ろす。
「おれ、水に流されたんだよ。この人に助けられたんだ。窓壊すなよ、ラドビアス」
「今にも壊れそうなこんなところにいる方が危険です。早く出てください」
助けてもらったお礼などうっちゃって、ラドビアスはクロードに家を出るように言う。
「ああ、そうそうおまえ、二百年前の事って覚えてる?」
「二百年前ですか?」
女は、クロードの言葉に仰天した。 この細っこい綺麗な少年は、頭がおかしいらしい。 こんなに可愛いのに天は、やはり二物を与えないのだと女は思う。
「二百年前? 事によります。わたしだって全て覚えているなんて無理ですから」
おかしいのは、少年の連れもだったと女は二度驚く。 二百年前の事を聞く少年に真面目に答える男――かなりネジが緩んでる。
「キール・ランドルフ商会の創業者のこと」
「ああ」
聞いた途端にラドビアスは、大きく頷く。
「ロレインとキリアの事ですか」
「彼らは何者?」
「魔導師だったんですよ。二人とも、中級魔導師で枢密使として、魔導師の不正を探索していました」
「魔導師が事業を起こしたの?」
「二人とも還俗したんですよ」
「記憶を消さないで?」
「あれは、ルークが勝手にやったことです。普通は、中級以上の魔導師に還俗の許可はでませんが、出た場合は魔術の漏洩を防ぐために記憶を消します」
「ふうん、何があったんだろう?」
「まあ、クロードさまはお知りにならなくてよろしいことです」
ラドビアスの言い方にクロードはむっとして口を尖らせた。 この体のせいでいつまでたっても自分は子供扱いかと思うと気が狂いそうだ。
「なんだよ、言えよ」
「魔導師も人間だと言うことです」
「……んなの分かってるよ。当たり前じゃないか」
「あんたたち、何者なの?」
今まで黙っていた女が、たまらず声を上げる。
「何者だか占ってもらおうか」
ラドビアスが懐から金貨の入った袋を取り出した。 その様子のあまりの悪役っぷりにクロードは、嫌な話題を振ったんだなと感づいた。
「いいわよ、あんたにする? それともぼく?」
ぼくと言われて、クロードは臍を曲げてそっぽを向いた。
「ほら、座って。手を見せてよ、手相を見るわ」
大人しく座ったラドビアスの手を取った女は、途方にくれるように顔を上げた。
「どうかしたのか?」
しらじらしく聞くラドビアスに女は、「生命線が無いわ。あんた、とっくに死んでいるはずの人間ってことに」言ったあとに、ばかよねと引きつった笑いを浮かべながら机の引き出しを開ける。 金貨をちらつかせている客を怒らすわけにはいかない。
机の上に何枚かカードを置いて、それを表に返してまたもや、女は固まった。
「あんたに死神がついているんだけど。誰かに魂を掴まれているって」
ああ、あたしはお金を貰い損ねたと青くなった女は、目の前の男が笑っているのに気づいて背筋が凍った。 その横にいた少年も笑いながら男の肩をつつく。
「あはははは、良く当たるなぁ。お姉さんの占いの腕すごいよ。生命線無いってさぁ」
「笑いすぎですよ、クロードさま」
ラドビアスは、クロードに怒った顔を見せて、金貨を一つ机に置いた。
「女、主人を助けてくれたそうだな。これはその礼だ、とっておけ」
もう女は言葉も出ずに、カードを捲って少年を見た。
「ひっ」そのカードには、少年が悪魔を連れていると出たのだ。
「どうしたの、お姉さん?」
「あ、あんた、悪魔を使ってるの?」
その答えを聞きたいのか、聞きたくないのか女にはもう分らなかった。 ただ、体の震えが止まらない。
「うん、可愛いのを二頭ね。見せてあげようか? お礼に」
その言葉に返事は帰ってこなかった。 ――女は失神していた。
「あのさあ、ラドビアス」
外に待たしてあった魔獣に乗って戻る道すがら、クロードは後ろからサウンティトゥーダに乗っているラドビアスに声をかける。
「おれにだって分るよ。キールとランドルフの関係くらい。おれだってもう十七歳だぜ」
それに、あの羊皮紙には続きがあった。
『ロレイン・キール、キリア・ランドルフ両名は、死が二人を分かつまで共にいることを誓う』そう書いてあったのだ。 それは、二人の愛の誓いの文章だと思う。 魔導師は男ばかりの世界なんだからそんなこともあるだろう。
現に自分の兄だったダリウスだって、男としてユリウスを意識していた。 ぼくは、女の子が好きだったけどと思ってから、アリスローザの顔を思い浮かべて即座にクロードは落ち込んだ。
もう、分かれてから二年も経つ。 きっと誰か好きな人ができたろう。 別れたときに十七歳、今はもう十九歳。 男女に限らず、この年代は一年で姿が大きく変わっていく。
その中で取り残される自分。
「おれはいつまで経っても見かけは、十四歳なんだよな」
「クロードさま」
いつの間にか横に並んでいたラドビアスが、心配そうにクロードの背中に触れる。
「クロードさまも、そういう事に関心のあるお年頃という事ですか。そういう処理の仕方とか、ご存知で?」
「な、何言ってんの?」
何を言っているのかなんて、クロードには分ってるけど、口に出して言うことなのかよとクロードは、恐る恐る自分の従者を見た。
「無礼な、我の主人は知っている」
今まで黙っていたクロードを乗せていた赤い狼が、ラドビアスに文句を言うように声をあげた。
「こ、こらっ、何言ってっ」
顔が信じられないくらいに熱い。 隣のサウンティトゥーダまでがうんうん頷いている。
「さようでしたか。それではそのうち、花街にでも行きますか?」
顔色一つ変えないでラドビアスが言った言葉にクロードは、消えたくなる。
「もう……勘弁してくれ」
今日は朝からクロードはついてなかった。
一旦、自分たちが人間の言葉を喋ると知られた二頭は、言って欲しくない場面を選んでいるかのようなタイミングで危ない発言をするのだ。
これなら、黙ってるときの方が良かった。
主人の面目を保ったと大意張りの二頭に、何を言ってもムダだろう。
横でこっそり噴出す、ラドビアスに気がつかないふりでクロードは、自分が置いていったものを思い出していた。
そこに、大型の猛禽が姿を現した。
「これは、使い魔ですね」
「レイモンドールから来たみたいだけど」
やっかいそうな来訪者にクロードは眉を顰める。
そういえば、今日は朝からついていない日だった――と。