11 牙を剥く花
今回は、ちょっと大人風味となっております。
ご了承ください。
ベオーク自治国の過去のお話です。
「レイモンドール綺譚」の外伝です。
一話一話、独立した話になっております。
名前が今と変わっております。紛らわしくて申し訳ありません。
ユリウス・・・ベオーク時代 「カルラ」その後「イーヴァルアイ」
ラドビアス・・ベオーク時代 「サンテラ」その後、「ラドビアス」
(十一)
綺麗な花には棘がある。
棘どころか、鋭い牙を持っている――知らない内にそれはしっかりと首すじに突き立てられているのだ。
「ねえ、インダラ。カルラがどこにいるか、知ってる?」
「いいえ」
部屋に入るやいなや、カルラの居場所を尋ねてくる主人にインダラは苦笑いを浮かべた。
「最近、逃げまくっているからな。なかなか会えなくてさ」
すらりとした長い足を長椅子に投げ出すようにインダラの主人、バサラは身を椅子に沈める。 先ほど昼日中からカルラの母アニラとの情事を楽しんでいた。 その名残の色香を体に纏わせながら物憂げにインダラを見つめる。
「今までアニラさまとお会いになってたのに、もうカルラさまの事ですか?」
「ふん、別にカルラと寝ようとしてるわけじゃないんだからいいだろう? だいたい、カルラはまだまだ子供じゃないか。子供に手を出すほどこらえ性がないと思っているんじゃないだろうな、インダラ」
憤慨したようにバサラは、顔を背ける。
「どうですかね。アニラさまは、主の子供が欲しいと仰ってます。このところ、他の方の寝所からのお誘いを断っているようですよ」
知ってる、そう言ってバサラは綺麗な顔を顰めて上半身を起こす。
「そういうの、困るんだよな。他の兄たちの不興を買うのは避けたいからな。だいたい、わたしの子供はカルラに産んでもらう事に決めてるんだし。カルラが大人になるまでの遊びだと思っているのに煩いことだ」
長い亜麻色の髪を掻き揚げながら、ため息をつく主人の色香に、インダラは大きくため息をついた。
「嫌なら、だれかれ構わず、その過剰な色気を振りまくのをやめてください。そんなだから、相手をする女たちが誤解するんですよ。で、探せばいいんですか、カルラさまの居場所を」
「うん、そうしてくれ。それで、しばらくアニラから誘われても寝所へは行かない。上手く断われよ。放ってある仕事を片付けなくちゃあな。サンテラ一人に任せておくわけにもいかない」
「もっと早くその事に気づいて欲しいと思ってましたよ」
「うるさいよ、インダラ」
バサラは、言葉の割に笑顔のまま、軽く羽織っていた服を床に脱ぎ捨ててインダラに手を差し向ける。
「着替え、とって」
「はいはい。ところで、どれが優先なんです?」
「とりあえず着替え、かな」
バサラの執務室の机に積み重なる書類を前にサンテラは、今日何度目かのため息をもらす。 成人したバサラにも圧し掛かってくる書類仕事。 真面目にやっていたのは、初めの何年だったろう。 やれば、インダラや、サンテラ、ほかの次官など及ばないくらい迅速に仕事をするくせにバサラは、何かと出かけるいい訳を作っては仕事をさぼってしまう。 そのお供にはインダラが付く事が多く、結局仕事はサンテラがやる事になる。
「少し休むか」
呟いて窓に目を向ける。 晩秋の紅葉した中庭を挟んだ反対の回廊に見えたすがたに笑みがこぼれる。 奥の宮とここの回廊は近道になっている。 あまり知られていないせいか、見かけるのは見知った顔だけだ。
「カルラさま」
毎日、書類仕事に篭っていてもそのすがたが見えるだけで嬉しい。 彼がため息をつくのは、窓を見た先に彼がいないせいだから。 そんなに度々通るわけはないと思っているのに、また、窓を見てはため息をついている。
濃い紫の胞を着て両手に大きな本を抱えて歩くその少年にサンテラは心を奪われていた。
十五歳になり、そろそろ子供の体から大人の体になろうとしている。 本人の意向はともかく、それはどう見ても女性へと変わっていくように見えた。
少年――と言ったが、サンテラの主人の一族は皆、成人するまで女性、男性どちらにもなり得るのだ。 そして、カルラはバサラの望みどおり、このまま女性になるだろう。細い顎に華奢な肩の線。 服に隠されている体つきもたぶん。
亜麻色の長い髪も、色素の薄い水色の瞳もバサラにとても似ている。 同じ親を持つ兄弟だと分るそのすがた。 以前は、兄のバサラをあれほど慕っていたカルラだったが。 十二歳のある晩、兄と母の情事の現場を見てしまってから口をきくこともなくなった。
それは当然、サンテラとも会うことが無くなったということでもある。
カルラは母親の宮から自分の荷物を引き払い、さっさと独立してしまう。 数ある離宮の一つに居を構えて、長兄ビカラからの招へいにもまったく応じようとしなかった。 ベオークの一族にしては驚くほどの潔癖さにビカラもほとほと手を焼いている。
それは、ベオークの一族は血族内で婚姻関係を結ぶ必要があるから。 カルラも成人したあかつきには、いやおう無く親、兄弟と関係を結ぶことになる。
サンテラの見ている前で珊瑚色の美しい衣装の女性がカルラの後ろから声をかける。 亜麻色の髪を複雑にハオタイ風に結い上げている女性。 背後にぴたりといるのは、しもべだろう。 と、いうことは彼女はアニラなのか。 しんとした回廊は思いのほか声が通り、中庭を挟んでいるのにこちらまで声が聞こえる。
「カルラ、待ちなさい。いつまでわたしたちを避けているの」
「うるさい、名前を呼ぶな」
「カルラさま、お言葉が過ぎますぞ。母君に向かってそのような」
しもべの言葉に、振り返ったカルラが大きく手を振り上げてしもべの頬を殴りつけた。
「わたしに母親なんかいない。成人したらここを出て行くからな」
「そうね、出ていけばいいわ」
小さく言ったアニラの言葉にカルラが物問い気に立ち止まる。
「バサラのこどもを産むのはわたしだけでいいわ」
「――おまえなんか大嫌いだっ」
落とした本をそのままに、カルラは身を翻して走って行く。 その目に光ったものは涙だったのだろうか。 大変なところを見てしまったという罪悪感とカルラへの憐憫の情にサンテラはしばらく何も手につかなかった。
「どうします? 主のカルラさまへのご執着はとっくに分っていらっしゃるみたいですよ」
柱の影から成り行きを見ていたインダラとバサラは出て行く間合いを完全に失っていた。
「嫌だなあ。アニラのやつ。このままカルラとわたしの仲を邪魔されるのは堪らない。女の嫉妬って怖い」
「一つ質問ですが」
「何?」
「主とカルラさまの仲って、邪魔するも何も何にもありませんけど」
「これからあるんだよ。その前に障害は取り除かなきゃあね」
バサラの言葉にインダラはごくりと唾を飲み込む。 ああ、今主人はとても悪い顔をしている。
「今晩、アニラを私の寝所に呼んでよ、インダラ」
「いいんですか?」
「うん、今日はクビラと寝所を交換する。ねえ、クビラの事をアニラは何と言ってた?」
「変態だと言っておられましたね。寝所を共にするなんて絶対嫌だと」
「クビラにそのまま言ってやろう。どうなるか、楽しみだな」
「ビカラさまが知ったら大変なことになりますよ」
「仕方ないじゃない。クビラが殺っちゃったんならさ」
その晩、カルラの母、そしてバサラの母親アニラは死んだ。
「痛ましいことだな」
伝えに来た魔道師にそう言ってバサラは、うーんと背伸びをした。
「朝は、花茶がいいなあ。ねえ、インダラ」
にっこりと笑う主人に、インダラはわずかに寒気を感じて身を震わせた。 この豪華な大輪の花は、血を吸って生きているのだ。 誰かの犠牲を糧にして生きている。 棘よりももっと恐ろしいものを備えているのだと。
「花茶だなんて、誰かに見られたら大変ですよ。お祝いじゃないんですから。部屋を交換したのだって、どういう風にビカラさまに釈明する気です?」
「そうか、そこまでは考えてなかった。おまえ、いい案は無い?」
――ああ、自分もすでに喉元に主人の牙が食い込んでいるのだ。
インダラは薄く笑った。 では、もう仕方ない。 自分は喜んでこの花に喰われることにしよう。
それは、カルラ十五歳の晩秋の出来事だった。 その二年後、カルラはベオークから出奔する。