10 いるか、いないか
「レイモンドール綺譚」の外伝です。
一話一話、独立した話になっております。
名前が今と変わっております。紛らわしくて申し訳ありません。
ユリウス・・・ベオーク時代 「カルラ」その後「イーヴァルアイ」
ラドビアス・・ベオーク時代 「サンテラ」その後、「ラドビアス」
(十)
人でない何かの存在を感じる。
身近に、いつもいつも。
もしかしたら、自分もすでに人ではないのかもしれない。
「妖精って信じる?」
「妖精ですか?」
「そう」
真面目な顔で見あげる年若い主人の問いに、ラドビアスは怪訝な顔をして見返す。
「いませんね」
「いないの?」
いかにもがっくりといった風情に含み笑いを漏らすが、しっかりと主人に聞かれてしまったようだ。 不満そうな声が即座に返る。
「なんだよ、いるかもしれないじゃないか。どうしていないと断言できるんだよ」
「何をそんなお伽話みたいな事を仰っているんですか。花の妖精、草、木、風、そんな物がそこらじゅうにいるとしたら煩くて大変です。一体なんでそんな事を考え付いたんです、クロードさま」
「だって、今そこに寝そべっている奴らだって、まさに異形の物じゃないか。魔獣がこの世に存在するなら、妖精だっていたっていいだろう。なあ、おまえたち」
クロードの言葉に赤い大きな翼を持つ魔獣は、はっはっと舌を出して尻尾を振る。 その横のドラゴンは、軽く後ろ足の鉤爪で頭の後ろをぼりぼりと掻いてまた丸くなった。 その反応にまたもむくれる。
「なんだよ、おまえたちまでおれをばかにしてる?」
ちぇっとクロードは、ふくれて立ち上がると雑木林の中へ足を踏み出す。
「どこへ行かれます?」
「すぐ戻ってくる」
ざくざくと音をわざと立てて歩いていく少年の後姿に、ラドビアスはやれやれと肩を竦めて寝そべっている二つの塊に向かって低く言う。
「クロードさまについて行け。悟られぬように」
返事を返す間も無く、二頭はすがたを消した。
「何だよ」
目の前に伸びている野葡萄の蔓にさえ、文句を言いながらガサガサと枝を掻き分けてクロードは歩いていた。 別に目的があるわけでは無い。 だいたい、クロードにしても妖精が本当にいるなんて考えていたわけではない。 自分やラドビアスが、あるいは魔獣がそうであるように。 何か、人の範疇では捕らえきれないものがいたらと。 そう、自分たちが異端の存在だと感じるからこそ、そんな物がこの世には珍しくもなくいるんだったら。 そう思いたかったのだ。
「ちえっ」
手に持っていた棒切れを滅茶苦茶に振り回す。 周りの木々に当たってぼきぼきと音がする。 その音さえ、いまいましく思ってクロードは思い切りよく放り投げた。
「痛っ」
その声に、ごめんと反射的に謝ったクロードは、言った後に自分の周りを見回すが何もいない。 二つ先の大木の上をリスが逃げるように走っていくだけだ。 今の声は誰が?
「リ、リスじゃないよな」
上を見ていたクロードに後ろから、ぐるると低い唸り声が注意を即すように聞こえる。
「アウントゥエン、サウンティトゥーダおまえたち来てたの?」
さらに黒い鱗に覆われた前足がクロードの足元を軽く叩く。
「何? サウンティトゥーダ?」
足元に目をやったクロードは、そのまま動けなくなる。 クロードの足元にある、いや、倒れている物は――何だ?
初めは、巨大な蝶かと思った。 または、緑の虫。 だが、ガラス細工のような透き通った羽がついている体はむしろ人に近い。 まさかと思いながらもクロードはしゃがんで、その緑のものをそおっと手に持って立ち上がった。
壊れるんじゃないかと恐々触ったのだが、以外にもそれ、はしっかりとしている。 あくまでも透き通る緑の羽は、陽の光を受けて、きらきらと多彩な色をのせる。
「おれ、夢見てるのかな? どう思う」
問われて、赤い魔獣はクロードの手の中の物に鼻先を近づけてくんくん匂った。 そして、顔を上げるとふっふっと息を吐く。
「分んないよ、それじゃあ」
クロードは、それ、を手にのせたままどうしようかと途方にくれる。 でもここに放っていくわけにはいかないよな。 おれのせいだし。 そう思ってそっと人差し指で頭らしきものを撫でてみる。
「う、ううん」
緑の生き物は、その刺激に気がついたように声を出した。
「だ、大丈夫?」
言葉が通じるのかなんて、この時は考えもしない。 それほど驚いていたから。
「いきなり、でかい丸太が飛んできて……あんたが助けてくれたの?」
「でかい丸太?」
普通に丸太を思い浮かべているクロードに、サウンティトゥーダが地面から先ほど彼が投げた棒切れを咥えて見せた。
「ああ、それか。それで大丈夫、怪我はない?」
大丈夫と頭をふるふると振って。 それ、はクロードの手の上に立ち上がる。 緑の触覚のような二本の長い髭みたいなものがゆらり、と揺れた。
「助けてくれてありがとう。あたしは、ラシュエンダ。あなたは?」
「おれは、クロード。実は、あの棒は……」
ラシュエンダと名乗った物はひらひらと、クロードの周りを飛び回って、彼の鼻先で空中に止まる。
「あたしを助けたって事は大変な事なのよ」
「え?」
大変の意味が分らず、クロードはラシュエンダの言葉の続きを待つ。
「妖精の森にご招待よ」
ラシュエンダが笑い声で言うのを途中まで唖然と聞いていたが――。
「ちょ、ちょっと待ってよ。おれは行かないし、だいたい助けたんじゃなくておれは……」
眩しい光が、クロードと魔獣たちを囲む。 あまりの眩しさに目を閉じたクロードは次の瞬間、どさりと地面に投げ落とされた。
「いたたた。アウントゥエン、サウンティトゥーダいる?」
二頭が小さく吼えたのを確認してゆっくりとクロードは、頭をめぐらせる。
「ええと、さっきの景色とそれほど変わったようには見えないけど」
そのほうがいいに決まっているのに、何か驚いて損をしたと思っている自分を持て余しながら、クロードはぶつぶつ文句を言う。
「だってさっきと同じ場所だもん」
そんな声に、抗議しようと後ろを向いたクロードのまん前にいたのは、緑の透き通った髪の少女だった。 顔は、蝋のように白い。 緑の透ける膝までの布を体に幾重にも重ねて着ている。 裸足の足が目にまぶしいくらい白い。
「で、君だれ?」
「ラシュエンダって言わなかったかしら?」
「ラ、ラシュエンダってあの小っこい虫みたいな?」
「虫は余計よ。変わったのはあんたの目よ。妖精の本当のすがたが見えるようにしたのよ」
「へ、へえぇ」
「ついて来て、クロード」
「嫌だ」
「いや?」
ラシュエンダは、思ってもみなかった少年の返事に驚く。 今まで妖精に会わせてやると言ったら、みんなほいほいとついて来たのに。 こういう場合はどうしたらいいの? おばあちゃん。 彼女は心の中で助けを呼ぶ。
「妖精と会えるのよ。それに、妖精の宝物を見せてあげるわ。ね?」
「別に。妖精なら、今君を見たからいいよ。宝物も別に興味ない。おれ人を待たせているし、じゃあね」
「待って、えっと。とにかく待って」
ためらいもなく元来た道を帰ろうとする少年に、すっかり調子を狂わされてラシュエンダは、クロードの手を掴んだ。
「ねえ、お願い。来てくれないとあたし、村のみんなに怒られるのよ」
「怒られる?」
「そうそう、そうなのよ。みんなしてあたしを打つわ。あんたのせいよ」
泣き落とし、果ては脅迫と、ラシュエンダは必死で言葉をつなぐ。 その甲斐あってクロードが肩を落として彼女の方へ向く。
「ちょっと行くだけだ。長居はしないよ」
「うん、うんそれでいいわ」
どんな手を使ったって、人間がその気にさえなればいいのだ。 ラシュエンダは、ほっと胸を撫で下ろした。
だが、ラシュエンダに手を引かれて歩き出したクロードに、二頭の魔獣が前に回りこんで行く手を阻む。
「どうした? ちょっと行くだけだ。勿論おまえたちもおいで」
「ええ? この獰猛な生き物も行くの?」
「獰猛? ぜんぜん怖くないよ。こいつらが行かないなら、おれも行かないけど」
クロードの隣で、威嚇するように大きな口を開けている魔獣。 それのどこが、獰猛じゃないのよと思いながらもラシュエンダは、笑って見えるように口を精一杯横に広げた。
*
何の変哲も無い森を歩いて行くと、いきなり視界が開けた。 そこにあるのは、片田舎らしい村の風景。 だが、クロードが村の入り口に足を踏み入れた途端、わらわらと村人が集まってたちまち囲まれる。
「よくやった、ラシュエンダ。少年じゃないか、上出来だ」
口々にラシュエンダを褒めながら、クロードはどんどん村の中に歩かされていく。 その最奥に、周りとは一線を画す、鐘楼を持つ古い建物がそびえていた。
「ここは?」
「妖精王の住まう城よ」
「ふーん」
分厚い扉が音も無く開く。 中に入るとわずかにかび臭い匂いがした。 階段を上っていくと、赤いビロードのカーテンが豪華に彩る広間に通される。 赤い色と金の刺繍。 その広間にある大きな椅子にゆったりと座っている男が、笑いながらクロードを手招く。
「おや、活きのいい男の子だね。こちらへおいで。わしの宝を見せてやろう」
「それ見たら帰れるんだよね。おれ急いでるんで早くしてよ」
あまりの言い草にこめかみに筋をたてるが、なんとか城主は笑顔を崩さない事に成功する。
「ほら、これだ。君の未来が見える鏡だ」
一抱えもある古い青銅製の鏡を、城主は少年の目の前に突き出して見せる。
「……じゃあ宝も見たし、おれ帰るね」
ところが、思ってもみなかった少年の反応に、城主はおろか、そこにいた者すべてが唖然と口を開けた。
「見たのか? しっかり見ろ」
「見たけど。だから?」
城主は、驚いた表情を貼り付けたまま、少年を通り越して、ラシュエンダに視線を移す。
「おまえ、人間を連れて来たんだろうな」
「え? あ、はい」
そう応えた後にラシュエンダは、クロードを盗み見る。
「おまえ、自分の未来を見て何も思わないのか。後ろにいるのは何だ?」
城主の声に応えて出てきた異形の物に、城の中は大騒ぎになる。
「これは、魔獣じゃないかっ。魔獣なんかを持っている奴が人間なわけがないだろう。おまえ何者だ」
指を突き付けられて、クロードは首をかしげながら応える。
「おれは魔道師だけど、一応人間じゃないの?」
「――魔道師」
ラシュエンダが絶句して後ろによろよろと下がる。
「そんな性質の悪い者を連れてきてしまったなんて」
「どういうこと?」
「わしらは、人間を連れてきてその鏡で正気を失わせた後、夢とか過去の出来事を頂いておるのだ。からっぽになった人はやがてすがたを変えてここの住人になる。久しぶりの食事だと思ったのに。――魔道師だったとは」
「騙してここに連れ込んでおきながら、なんか酷い言われ方だよな」
「何よ、魔導師もあたしたちも同じようなもんよ」
「どこがだよ」
「人を騙して操るところよ」
ラシュエンダがさも嫌そうに言うのを見て、クロードは噴出す。
「自分たちが、性質が悪いって宣言してるなんてさ。しかし妖精がこんなに性悪だったとはおれも残念だよ。じゃあ、帰るね」
「だめだ」
クロードの背中に城主が低く言った。
「秘密を知った者を返すわけにはいかん。死んでもらう」
大勢の虫。 ざわざわとその羽ばたきの音が城の中にまで聞こえる。 クロードは、はあとため息をついた。
「アウントゥエン、サウンティトゥーダ、好きにやってよし」
クロードの声が終わらないうちに、広間は阿鼻叫喚に包まれる。 逃げ出そうとする妖精たちが折り重なって倒れる。 その頭を左右に引きちぎりながら魔獣は、広間を横断すると窓を突き破って外に飛び出した。
「や、やめてくれ。帰っていいから。いや、もうどうぞ帰ってください」
城主の懇願にクロードはにまりと笑って、元は窓だった穴から外に顔を出す。
「おまえたち、もういいぞ。帰ろう」
窓から飛び降りたクロードを背中で受け止めたアウントゥエンが、不味そうに口から透明な羽を吐き出した。 折り重なる死体の山。 遊びで食いちぎられた頭が転がる。
それを恐る恐る物陰から見送る妖精たちは、二度と魔道師には手を出さないと誓った。
「それで、こんなに遅くなったと?」
クロードの前で腕を組んで難しい顔をしている青年は、ふんと鼻から息を出す。
「だって本当だもん。なあ」
クロードが助けを求めるように魔獣を見たが、二頭の魔獣は気持ち良さそうに丸まっていて知らん顔だ。
「だって、じゃありません。妖精のせいにして今日さぼった罰に、明日は一日魔方陣の勉強ですからね」
「ええっ、じゃあせめて印の練習にして」
「だめです」
ひいぃと弱音を吐いてクロードはしょんぼりと一番星が出た空を見上げた。
「妖精なんて大嫌いだ」
「なんです?」
「なんでもない。妖精なんか、いなくていいよ」
「だから言いましたでしょう? 妖精なんていません」
「まったく同感」
素直なクロードの言葉にラドビアスは、ちらりと笑った。
「げふっ」
サウンティトゥーダが満足そうにゲップをして、その拍子に口からバラバラと何かが落ちる。
それは、ガラス細工のような綺麗な羽――だった。