018 夢の中の声
心地良い風が通り抜け、見上げれば青く澄んだ空、見渡せば黄金色に輝く草本が辺り一面に広がる草原の真ん中に一人ぽつんと立っていた。自分の周囲だけ、何故だが遠心状に草が刈り取られるように土が露出したこの場所に、なぜ自分は一人立ち尽くしているのか――考えては見たが、頭の中は白い靄が立ち込めているように、はっきりとした事が思い出せずにいた。
だが、それでも何故か思い出さなければと、そう思いが込上げてくるから――
「たしか…… 化け物を……みて、疲れて フェレと……話をしながら寝て――」
思い出そうとする度に、頭の中に稲妻が走るような痛みと轟音が走るような錯覚をした。でも、思い出してきた! そうだ、俺はこの島で新たな黒き化け物と、大鎌のしょうn――何かに気づく。
すぐ目の前、小石が混じりごつごつした茶色の地面が露出した大地。その上をゴロゴロと独りでに転がる珠。天高く上った眩しい太陽の光を取り込み、内部で乱反射し、再び外へと放ち青白く輝く水晶のような丸い物体。その奇妙な珠の魔力に吸い寄せられるように歩み寄り、傷一つ無いつやつやの珠肌を覗き込む。
珠に写った自分の姿、顔、そして瞳……。意識が蒼い眼に、自分の透き通る蒼眼に集中していくのが分かる、それ以外何も周りが見えなくって――
ギロリ!
眼の色が赤く、どこまでも吸い込まれそうな赤黒い目に変わった。その瞬間、心臓が強く波打つような鼓動ともに正気を取り戻した、この眼は魔女の眼、直視してはならないと教えられた人の意思を奪い取るとされる強大な力を持つ眼である!
……だがそのことを思い出した時は、足の力が抜け倒れ白く霞み薄れ行く意識の中、目の前に転がる珠の中にぼんやりと浮かぶ人影の姿を見て――意識はさらに奥深い場所へと落ちていった。
『魔女とは不老不死であるが、それは人のような生身の体を持たないからであるけども……ただそれだけの理由でもない』
どこからとも無く耳に囁きかけるように発せられるその声は、フェレリアスの声にも似ているが、穏やかで包み込むようなやさしい音で聞き心地の良い声。話そうとこっちも声を出そうとするのだが、何故だか言葉が出ない。ならそれでも構わないかと受け入れてしまい、その声の主の言葉を静かに聞くことにしたのだ。
『魔女は魔力の溜りより生まれる存在、だが生まれたばかりの魔女は、無知で無能、何の力も持っていない赤子と同じ。唯一持つものは、自らは魔女である意思のみである』
『でもそれは、どんな最強の魔女にでもなれるという可能性を秘めている事であるんだ。だからこそ、先を生きる偉大な魔女達は、生涯にたった一人幼い魔女を『弟子』として育てあげる。師匠でもある魔女の持つ、あらゆる知識・経験、魔力・魔術、ひいては自らの意識すら与え、その師匠の最期は『弟子』と一つになる。そうすることで、『弟子』の体の中でより偉大で強力な魔女となり永遠の命を繋ぐ事とする、それこそが魔女が不老不死と呼ばれる所以なのです』
声の主は、やさしく静かに……だが、一つ一つの言葉に力を込められているのがはっきりと分かった。
『だけど、僕は……ある偉大な魔女は禁忌を犯した』
脳に直接話しかける声で、体も顔も見えないけれど、声の主の表情が曇った気がした。とても辛そうで、申し訳なさそうに。でも、なぜか小さく微笑んで嬉しそうでもあって――
『その魔女は二人の『弟子』をとった、一人は生まれたばかりの甘えん坊でやさしい魔女。そう、もう一人は魔法が使えるだけのただの人間の男の子を』
『人間の子を連れてきたその日、先に『弟子』であった魔女の娘は怒った。『なぜ人間の子を弟子にするの』だと、『魔女の弟子は一人』だと……だが、僕は分っているつもりだったんだ』
声の主は思いを吐露するように、その時の出来事や感情の有り様を独り言のように呟くよう言った。偉大な魔女の弟子となった幼い魔女は、他の魔女と言葉を交わすことは勿論、自由もなく、友達もいない。言わば、師匠である魔女が生まれ変わるために、教育され拘束され生きているようなもの……。その事に気づいたとき、師匠はひどく心を病んだ。
だが、人のように子を産み育てる事の出来ない魔女にとって、師弟関係を作り上げるその一連の行為は遥か以前より脈々と続いてきた行為、儀式でもある。そのことは、魔女として生まれた存在でるならば、教えられるまでも無く、本能として精神に刻み込まれていて、幼い魔女も当然のようにそれに従っていた。
『そう分っていたはずだが……』
偉大な魔女は、どこかで種族は違えど同じ幼い子供同士。友達となって、ライバルとなって、お互いを尊敬し合い、競い合う良き家族となってくれる事を願ってしまったのだ。
『禁忌と分っていても……それでも、その師匠の魔女は二人の弟子を育て上げた。正当な後継者である魔女の子は勿論、人の子である少年も。その少年は、酷く真っ直ぐで強い願いを持っていたから。魔法という、願いを叶える力をもつ魔女にとって、自らを必要とする純粋な少年に惹かれてしまったから…………』
何か思うことがあったのか。徐々に力を失うように言葉尻にかけて声が小さくなり、最後にはは無音のこの空間にかき消されてしまう。周囲に何も見えないこの空間で唯一の景色、他人の姿であるその声が消えると、恐怖感に押しつぶされていく。永遠に覚める事の無いこの無の場所に一人閉じ込められるのではないかと、そんな事を思い始めた時だった、
『そして、ぎこちない師弟との関係も、一年余りのの月日が流れた。長い時を生きる魔女の時間の流れにとっては僅かな時間かもしれない、それでも最後は弟子二人と過ごした意味のある時間を。長く短い偉大なる魔女になるための修行を終え、師匠から弟子に魔法魔術、持てる全てモノを渡すその日』
『魔女の娘に自身の力を渡すその直前だ。立派な人間の魔法使いに成長した少年に、ご褒美でも上げるつもりで手渡す、師匠の魔女の力を宿した万物を刎ねるという大鎌を。だが、その大鎌で少年は――』
ガシャガガガッ――。
その時、耳に卑しく残る耳障りなノイズ音が走る。不快な音で思わず手で耳を塞ごうとするが、手に力が入らず感覚も無い、この空間においてはただ聞いている事しか出来ないまま。何十秒ほど続いたのだろうか、やがて遠ざかるようにそのノイズ音は消えていく。
それと同時に再び、あの声が聞こえてきて、耳を澄まし聞こえてきた言葉は――
『弟子アオイは、大鎌を振り下ろし魔女を殺した』
その言葉を最後に声は聞こえなくなり、夢の中であるはずの自分に睡魔が襲い、再び眠りの中へへと落ちてい言った。