017 休息
「もう黒き化け物は逃げたの、出てきていいわよ海晴」
黒き化け物が北の山に去るのと時を同じくして、雷鳴と風雨が少しずつ収まっていく中、フェレリアス様に促されるように巨岩の岩陰から周囲を警戒しつつも、指を指す位置へと歩む。目の前には、不機嫌さを隠すまでも無く収まらない殺気を漂わせながら草原の上に胡坐をかき、油断無く突き刺した大鎌の柄にそっと右手を添えたままの少年が見えげてくる。
もし隣にフェレリアス様がいなければ、首を掻き落とされてしまうだろうか。そんな只ならぬ空気が周囲を包む。その張り詰めた空気に押しつぶされそうになりかけた時、
「お腹一になって満足したかしら? なんなら、そこに転がってる化け物の手足の2、3本持って帰ってもいいのよ?」
「へへっ いいの? すいぶんと気前がいんだね、なら有り難くお土産に持って帰るけど……今更ダメ、とかはなしだよ」
「好きにすればいいわ。その代わり、暫く大人しくすること いいかしら、いいわね!」
そう言われて大鎌の少年は露骨に機嫌を良くし、それは宝物でも拾うかのように方に背負い開いた両手で、先ほどまでの吹き荒れる豪雨の中格闘し切り落とした黒き化け物の切れ端を抱え込む。そして、一頻り拾い終えると『またね、巫女くん』とそう一言い残し、暗闇に同化するように姿を消した。
「あんなに大事そうに抱えて……」
錯覚する様だがあれは間違いなく、黒き化け物の体の一部であり、穢れの塊そのものなのだ。
肉片が落ちていた地面の草木どころか、その周囲には穢れの黒い霧が纏わり着くように立ち込め、地面を抉る。それだけでは収まらず、魔女の魔力によって作られたこの島を穢れで溶かし消化するように、抉られ穴が開いた地面から淡く青白く光る文字の様な幾何学の模様が浮かび上がるかと思うと、光を失い灰色の灰、そして最後はそれすら残らず消える。こうして見ている間にも穴は、ゆっくりだが確実に、蟻地獄が大きく広がるように周囲の砂や石など全てを中央にみ込みながら拡大していく。
「もう全く、派手に暴れてくれたわね。こんな事毎回続けたら、あっというまにこの島なくなるわよ……」
少年が過ぎ去り、フェレリアス様も同じ場所に視線を見ながら、独り言を呟くようにため息混じりに言った。そして、その直ぐ後、こっちに向き直り、なぜか頭を撫でてから、
「分かったでしょ、あの子がどんな子か。 あの子が大事そうに持ち帰ったあれ、勿論食べるのよ? 戦いの中でも、あの鎌で穢れを削ぎ落とし取り込んでるの」
「あの子は黒き化け物を殺し力を奪いたいと思いながら、欲し、求め、戯れる事を望んでるの。あの化け物と交わってしまったその時から。黒き化け物無しにはあの子は生きられない、哀れな子なの」
「分かりましたけど、どうしてそんな――」
「疲れたわ。早くこの場所を浄化して、帰りましょ、私達の家に。聞きたいことはあるでしょうけど、今はやるべき事をやって海晴」
言葉を無理やり遮り、普段には無い強い命令口調で言うフェレリアスに、分かりましたと答える他にはなかった。でも確かに、初めてこのときフェレリアスの表情が疲れているように、暗闇でハッキリとではないが、そんな気がした。
フェレも人並みに悩む事があるのだろうか……?
「手伝って……」
思わぬ態度に戸惑い、言葉に詰まってしまう。だが、『疲れた』と吐露するフェレを何時までもこんな場所に、穢れが漂う場所に居させるわけにわいけない。魔女にとっても穢れは良くないのならば。
「手伝って、もらえますか フェレリアス様?」
「ええ、それはもちろんよ。」
恐る恐るフェレリアスに尋ねるが、何事も無かったの様に、いつものフェレリアス様に戻っていた。さっきの態度は勘違いだったのだろうかと。
考えていても仕方が無い。とにかく、まだ止まない風雨の中、黒き化け物と大鎌の少年が戦ったこの場所で自分がやらなければならない事をしよう。
フェレの炎の魔法で下草共共、周囲を焼き払い灰と化した凸凹の大地に、晴海神社の社より湧き出た清き清水の入った枡に神木の枝先を水で浸し、透明で魔法を起源とする術式文字を大地に描き、清き巫女の祈りの言葉とありったけの霊力を解き放つ――今此処で出来る、自分自身のありったけの力を込めて、黒き化け物によって穢れたこの場を祓い清めるために。
「終わりました……これで、大丈夫だと思います」
時間にすれば30分程度だったかもしれない。フェレリアスの力も借りて、週の穢れは無事取り払われ、早くも灰なった台地が再生し草やコケ、大小様々な石ころ、蠢く小さな生き物が周囲から這って来る。確認のため魔術で照らした光の中で、島は再生しているのが分かった、もうこの場所は大丈夫だろう。それでも心配なら、また明日見に来ればいい、この島で暮らしているならいつでもみにこれるのだと、納得させながら。
それを見届けて、歩きにくい草原を避け中に浮かぶフェレリアスと共に、何と言う事も無い談笑をしながら急ぎ居住の家へと歩みを進め、着いた頃にはすっかり真夜中となっていた。
「フェレ……フェレリアス様拭き終わりましたか?」
「んーーもうちょっと間って、最後に胸、ふきふきしてるから」
「言わなくていいですからッ!! 早く拭いて寝ますよっ」
夜でも明かりをつけようと思えば、フェレの魔法で部屋の中を照らせるのだが……。真っ暗闇の中、フェレに背中を向け念には念を入れて、目をつぶる。
なぜそんな事をしているかと言えば、外はまだ生憎雨風が収まりきらないため。そうなると、この無人島の唯一のお風呂は離れの屋外にある五右衛門風呂のため、簡易な屋根はあるが雨が吹き込めば、体を洗っているのか汚しているのか――。
おまけに、穢れを祓う儀式からの疲れでとても風呂を沸かし雨が止むのを待てる余裕はない。
なので、部屋を真っ暗にし、貴重ではあるが清き清水を布に染み込ませ、体を拭いて寝ることにしたのだ。もっとも、魔女であるフェレリアス様は、時折漬かる薬草水で1ヶ月は体が清潔に保てるとからしいのだが、清潔好きだと言い張り、真似をしてお互い暗闇で姿が見えないようにして、体を拭いて汗を取り、敷いた布団へと倒れこむようにして就寝となる。
「ふふ~~っう、じゃ、海晴。おやすみーーーー」
「ふぁ~~ はい、フェレもおやすみ……」
辛うじて残る意識の中、就寝の挨拶を被った布団の中で交わす。穢れを祓った疲れからか、直ぐに意識は遠くなり、寝てしまった。そんな寝息を立て始めた海晴を見て、フェレリアスは『良い夢を、海晴……』と一言呟く。
そして俺は、二人の魔法使いと一人の魔女の夢を見るのであった――