015 襲来
胸まで伸びる青臭い草原の真ん中で豪雨の中見上げる空は、岩が敷き詰められているかのようにゴツゴツした暗黒の雲に覆われて、休み無く走る稲妻と島のどこかに落ちる雷撃。体に叩きつけられる雨粒からは、何時にも増して生臭い腐敗した臭いが刺し込み、油断していると意識が朦朧とする。雨が降る日は、屋外へ出てはいけないと言われた理由もうなづける――。
「 そのうち慣れるとは思うけど、大丈夫ぅーー海晴? でも、その傘はいいでしょ?」
「はい、多少でも雨風をしのげるのは違うと思います」
「いいでしょそれ。化け物に対する、防御効果もあるらしいわよ~~。ただし、三回だけねっ」
大鎌の少年に促されるまま豪雨の屋外に出ようとした時、フェレリアス様は『ちょっと待って、良い物がるわ~~』と呼び止めて、押入れの中に入ってごそごそ物をあさると、背の丈をゆうに超える2メートル以上ある大きな和傘を一つ持って出てきた。あまり馴染みが無く詳しくないが、真紅の柄に重厚な漆黒の骨組みというのは、特に和傘において普通なのだろうが……傘布にあたる部分、そこには、色褪せた和紙に朱色と墨の墨で書かれた札が無数に貼り合わせられていた。
フェレリアス様の話によれば、前任者の巫女は大地の穢れを浄化する時に、浄化の力を付与した神札を多用していたらしい。その前任者が任を終え、島を離れる直前、持ち込んだ神木と残った御札を貼り合せ和傘を手作りしたらしい。もともと、傘は穢れから高貴な人物を守るもの、必ず役に立つでしょうと2本作って、置いていったと。
「こんな傘の状態になっても効力を維持する御札……前任者の方も、そうとうな実力の持ち主だったのですね。その辺の話も聞いて――」
「残念だけどぉ 来たみたいよ、海晴」
穢れの不快感も忘れ精巧に作られた傘に心を奪われていると、フェレは背中をやわらかかくしなやかな指先で叩かれ、切迫した状況に置かれている現実にいる状況を再認識。周囲の黒き化け物の気配を探ろうと意識を集中させるが、豪雨と周囲に悶々と漂う穢れにかき乱され『どこから、どこにいるんですかッ』と 尋ねようとした時だ。
「君さ、ぼーっとしてると、細切れ肉になっても知らないよ? 上だよう・え!!」
「う うえ?」
ギュオオォォーーーーッ!! ギョゴギャーーーァァァアーーヅッ!!
それは、雷鳴のような鼓膜を突き刺さる炸裂音のような。ただ閃光は無い、だがほんの瞬きの間、衝撃がすぐ目の前の地面に落ち、揺れより早く陣風が襲い傘を持つ手が後方へ引かれよろめいた時、その咆哮は轟いた。
けたたましい咆哮は、島の片隅まで届き多くの同類の化け物達ですら驚かせただろうと。そんな恐ろしく奇怪な声に、今までに感じた事無い恐怖心で足元が覚束ないひ弱な巫女を見かねたのか、島最強の魔女フェレは巫女服の首根っこを掴み上げそのまま浮かび上がると、すぐ後方の大岩の影に共に隠れた。
「へぇ、空を飛ぶタイプなんて……いまどき珍しいね」
そんな声だけで恐ろしい黒き化け物に、目の前で対峙する大鎌の少年は、動じる事も無く、表情こそ見えないが風音にかき消されるほどの声で笑っている。そんな少年とは対照的な自分。お守り代わりに持たせた和傘の手元を地面に突き立て、空いた右手に自身の左手を絡ませ握り『落ち着いて 深呼吸』と冷静に声を掛けてくれるフェレリアス様。
「いい、海晴ッ? 目を逸らしたら ダメッ。あの子がこれからしようとしている事……この状況で分かるかもだけど」
「それが、おかしいあの子の正体で、あのこの願望、この島の目的そのものでもあるの。だからぁッ、よーーぉく 見ておくのよ! 知りたいんでしょ、海晴」
「えっと、その……フェレが傍で一緒に居てくれるな――らァ」
右手を伸ばし、わしゃわしゃと髪を掻き乱すように頭を撫でるフェレリアス様。やめて下さいと振り払いたいところだが、生憎手が塞がっていてなされるがまま。ただ、フェレリアス様はとても笑顔というか、頼られてうれしげと言うのか――。
本当はきっとこの傘を作った前任者のような、黒き化け物にも動じず、フェレリアス様と共に立ち向かうようなそんな巫女がいいのかもしれないが、今の自分にはとても無理だから。
「ふふ~~ 本当に怖がりなのよね~~ みはるぅ。言われなくても、海晴を守るのが私の役目でもあるのッ。傍にいてあげるの 当然でしょ?」
「ッ…………ふぁい」
直ぐ横で見せるその声と微笑みに、こみ上げる恥ずかしさと火照る熱の膨張で、思わず変な声が漏れ出る。その声としどろもどろする俺をみ見て、さらに、歯を見せさわやかに笑うのだった。
「お楽しみのとこ悪いけど、そろそろ始めていいよね? 向うもヤル気満々みたいだし」
「ふふっ~~~う いいわよ、多少なら今日は多めにみるわ」
「……そうですか。 いいですよ、始めますよ。じゃあ、いく ゾっ!!」
ご機嫌なフェレリアスの了承を得ると、少年は地面を強く蹴り、片翼の生えた黒き化け物の懐へと、大鎌を突き立てて一直線に切り込んだ。