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第二話 憧れの絵師様

 駅から歩く。ほどなくして見えてくるのが目的地である展示場だ。その独特な建築物を目にすると、「あぁ、来たんだ」と改めて思い、胸が躍る。ここにはそんな思いを抱いた人が集まるのだと思う。


「ねぇねぇ、小春ちゃん。写真撮ってもいい?」

「そうだね。でも、邪魔にならないようにしなきゃ」


 二人は自身のSNSに投稿するために、立ち止まり、通行する人の邪魔にならないよう、素早くスマホのカメラを起動し、撮影ボタンを押した。人波の絶えない場所で立ち止まるのはマナー違反になってしまう。撮るなら素早く。萌はそう心がけている。

 心がけているのはそれだけではない。会場に入場して自分のスペースを確認したら、まず、スペースの設営を始める。今回萌は『売り子』での参加のため、渚のアシスタントに徹する。机の上に置かれた大量のチラシを一纏めにして机の下へ。これは時間ができたらゆっくり見ればいい。そして、渚が持参した布を敷く。そして二人は慣れた手つきで、お互いの本を並べ、値札を貼り付け、サンプル用の本も用意する。

 小説本を手にしてもらえるのは難しい。漫画やイラスト本であればパッと見て、気に入ったイラストであれば買えるが、小説本となるとそうもいかないのが難しいところだ。これについては事前準備を怠れない。こんなものを売りますよ。というお品書きをSNSに載せて、小説投稿サイトにはサンプルを載せる。「こんなお話です」というのをアピールすることが必要になる。こうした宣伝を繰り返し行って、やっと本を置ける。とは言え、やはり無名の文字書きの本を手に取ってもらえるのは僅かだ。

二人はてきぱきと準備をした。あらかた準備も終わり、渚と世間話をしていると、二人の前を二人組の女性が通り過ぎた。萌の視線はその二人に釘付けになった。一人は黒髪ロングで、どこかいいところのお嬢さんのような、和服が似合いそうな、そんな印象で、もう一人は茶色がかった髪を頭頂部でお団子にしている女性。元気のよさそうな印象だ。二人とも一見、どこにでもいるようなタイプと言えばそうなるが、萌はその人物を覚えていた。人を覚えるのはあまり得意ではないが、彼女は覚えている。黒髪ロングの方が憧れの絵師様、香流水流(かなれみつる)だ。


「ど、どうしよう、渚ちゃん……香流先生だよぉ……可愛い、すごく可愛い……」

「あの黒髪ロングの方だよね? うんうん、なんかそれっぽい」

「今年は一言でもお話しできるといいな……」


 萌の淡い期待をのせて始まったイベントであったが、蓋を開けてみれば挨拶なんてできる状況ではなかった。香流水流のスペースは開始早々、列ができ、なかなかの盛況ぶりであった。それに加えて、渚の本もコンテストに応募した経緯もあり、香流水流とは比べ物にならないが、それなりにスペースを訪れる人はいた。お客さんの対応をしながら、視線は香流水流のスペースをチラチラ見る。

香流水流とお団子の女性は、購入をしてくれた人に丁寧に頭を下げ、握手を求められれば応じ、スムーズにお客さんを捌いていく。この分だと、自分が買う分はないかも知れない。でも、この機会を逃したら買えない。そんな焦りが萌にはあった。


「小春ちゃん、行っておいでよ。今ならあちらも空いてるみたいよ」

「うん。ごめんね、じゃぁちょっとだけ」


 渚の厚意に感謝し、萌は香流水流のスペースに並んだ。もちろん、自分の本を手に。受け取ってもらえるかは分からないけれど、やはり『小森小春』という人物を知ってもらうためには作品を渡すのが早い。ただ、こんな人物がいるということを知ってもらいたかった。

 欲を言えば、やはり香流水流に絵を描いてもらいたい。だが、それを言えるようになるには、自分はまだまだ力不足だ。とにかく今は知ってもらうことが重要だと萌は思うのだ。

 萌の番まであと3人というところで机の上にあった本はなくなってしまった。完売である。せっかく楽しみにして来たと言うのに、これはあまりにも残念だ。残念だが、こうも思う。自分の好きな作家さんがまた一つ人気が出る。これはファンにとっては嬉しいことだ。と考えても、やはり割り切れないのが人の性。萌の前に並んでいた人も、後ろに並んでいた人も残念そうにその場から去っていく。


「ごめんなさい。完売してしまって……」


 お団子の女性が申し訳なさそうに頭を下げた。


「いえ、残念ですが大丈夫です。あの、これよかったら貰ってください。私の書いた本ですが……」


 香流水流は本と萌を見て、にっこりと微笑んだ。


「昨年も買って下さった方ですよね? これ、よかったらどうぞ。わざわざ感想まで丁寧にいただいて、とても嬉しかったんです。だから、今年会えたらお渡ししたくて」


 香流水流が差し出したのは何の変哲もない茶封筒。そう言って手渡しをしてくれることから、それが完売した新刊だろう。


「で、でもっ……」

「いえ、私からのお礼です。御本までいただいてしまって、とても嬉しいですし、あなたのような方にお渡しできたら私が嬉しいです」

「あ、あっ……ありがとうございます! 大事に拝見させていただきます! それから、これからも頑張ってください!」



 萌は大事に大事にその茶封筒を鞄にしまい、イベントを終えた。憧れの絵師様とお話できただけでも十分なのに、新刊をいただいてしまった。それに、自分の本もちゃんと渡すことができた。なんて素敵な夏休みだろう。そして、いつか、香流水流のイラストで本が出せたら。そのためにも、いい作品を書こう。そう思うのだった。



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