侵入!
月明かりすらない新月の晩。夜目がかろうじて捉えるロープに手をかけた。ロープは何重にも重なり、見るからに頑丈で、なおかつ梯子状に編まれており、建物の壁に沿うように垂れ下がっている。
上を見上げれば暗闇であるが、ある一室から伸びていることは知っていた。
手を掛けた後は足を掛け、足を掛けたら手を掛けるの繰り返しで登っていく。ロープは小さくぎいぎいと鳴り、揺れる。そのうち風が強くなり、揺れが大きくならないよう慎重に壁から離れないことに気をつけて登る。
ついにロープがくいと直角に曲がっている窓枠を見つけ、腕を伸ばしてがしりと掴む。そして懸垂する要領で上半身をあげた後は、転がり込むようにして室内に乗り込んだ。
ぼふりと音をたて柔らかい反動を受け、手や腕にはサラサラとしたシーツの感触。
俺は窓際に配置されたベッドに転がり込んだのであった。
ベッドから降りて広い室内を見渡す。室内は天井から垂らされた消えた蝋燭のシャンデリア。壁際に配置されたソファーと大きな鏡の前に配置された机。いたるところに置いてあるチェアー。振り返ると、窓際に寄せられた天蓋付きの大きなベッドとザ・王女の部屋って感じだった。
しかし、ただ一つ似つかわしくないのはベッドの足に厚い布を挟んで何重も巻きつけられたロープが窓の外へと伸びていることである。
そうキョロキョロと見渡していると、掠れるような小声が聞こえた。
「あ、あんまりじろじろと見ないでよ」
「アリスいるのか?」
「そりゃいるわよ。私の部屋だから」
声がした方を見る。そこには、ベッドの上に毛布の塊があった。
暗い中、毛布が片隅に避けられているようにしか見えなかったが、よくよく見ると、その毛布に身を包んでいるアリスがいた。
王城に忍び込み、俺は今、アリスの部屋にいるのであった。
しかし、忍びこむと言っても一筋縄にはいかなかった。
それは、アリスに城内の話を聞いて、王城に侵入するにあたり大きく二つの問題が見えたからだ。
1つ目は跳ね橋である。
広い王城はその周囲を聳え立つ城壁と掘りで囲まれており、日が落ちると唯一の侵入経路である跳ね橋が引き上げられてしまう。
そうなると、城壁を登ろうとする不届きものを探すため、壁上の通路を松明を持った見張りが徘徊し、そもそも城壁を登るのは厳しく侵入は不可能と言えた。
次に居住区への侵入である。
城門を抜けた後の正面から居住区へのルートは、吹き抜けの長い廊下に面する中庭の庭園を越え、幾多の扉を開き、階段を登ってようやく目的の居住区へとたどり着く。
流石に長い移動の最中にバレるだろうということだ。
そこで、なんとか出来ないかアリスから色々話を聞き、目星をつけたのが馬車の倉庫である。
馬車は王家の人間があまり歩かなくてすむように居住区の裏に収納されていると聞いた。そこからも幾多の扉と階段があるにはあるが、運よくアリスの部屋が外に面していたのだ。
これらのことを踏まえ計画を立てアリスに事前に3つのことを頼んだ。
まず、馬車の座席を開けて空間ができるように細工したものを、王都に出店しているサザビー商会に売り出してもらう。
それを手筈通り、アリスに買って貰い、この馬車で毎日登校したいと言わせた。
次にアリスに新しい鞄を買ってもらい、その鞄を気に入ったと肌身離さないようにしてもらった。
これは、編んだロープを入れる鞄を侍女に持たれ、気付かれるのを恐れたためだ。
そして、ベッドの位置を窓際へと移動してもらう事を頼んだのだ。これは、ロープを登る際、もしもベッドがずれて音を立てることを気にしたからである。
そんな仕込みをして、ついに今日。下校時、アリスに揉め事を起こしてもらい、その隙に俺は馬車に忍び込んだ。
座席の下の空間に隠れ、跳ね橋と城門を抜け無事侵入した後は、夜になるまでそのまま息を殺していた。
夜になると倉庫の外へ出て、外壁の松明が過ぎ去るのを待った。
去ると、アリスの部屋の窓に一つだけ小石をぶつけ、手筈通りにその半刻後、アリスに窓からロープを垂らして貰い、それを登る事で無事侵入出来たのであった。
「我ながらここまで上手くいくとは……」
俺は成功したことへの感動とも驚きともつかない感情から、独り言を呟いた。
「何言ってんの?」
アリスはそんな俺の呟きを聞き取ろうとしてか、毛布を巻きつけたまま芋虫のようにベッドを這って近づいてくる。その時、俺は窓の外から手が伸び出してきているのが見えた。
危ないっ……と言おうとしたのもつかの間、影が転がりこんできた。
「ぷぎゃ」
影はアリスにのしかかり、アリスから、息を吹き出したかのような小さい悲鳴をあげさせた。
「流石に王女のベッドだね。さすがに広いや。でも、あんまり柔らかくなくて、ちょっと硬いかな」
そう言ってやるなよ……。
失礼な事を言ってのけた影……窓から侵入してきたミストに心の中でそう声をかける。
結局、ミストもこの侵入に参加したのであった。
一度は断ろうとしたものの、いつもと変わらない調子で「へえ? 別にいいけど仲間外れにするんだ? 私はちょっと悲しいなぁ」と言われ、なぜか勝手に膝が震え出し、俺もアリスも認めざるを得なかった。
そして、俺の座席とは反対の座席に入って、俺の後でロープを登ってきたというわけだ。
アリスの上に転がり込んだミストは身体を起こし、アリスの上に座り直す。
「やっぱり硬いなあ」
「硬いなあじゃないわよ!」
アリスはミストのトーンに合わせ、ひそめた声で憤慨した。
「ああ。お姫様だったのか。ごめんねえ。でも私だったらもっと柔らかいかも」
「何!? 貧相だって言いたいの!? ていうか退きなさいよ!」
「いやいやそうは言ってないよ。でも、お姫様が知りたいのなら試してみようじゃないか? クリス君どっちが柔らかいか試してみてよ」
ミストはそう言って、さあと両手を開きたわわな胸へと誘ってくる。
俺は今すぐ飛び込みたい欲求に駆られたが、ぐっと飲み込んで二人を窘めることにする。
「こんなことしてる場合じゃないだろ。夜が明ける前に情報を手に入れなきゃいけないんだから」
そんな俺の態度にミストは悪戯がバレた子供のような取り繕った笑みを浮かべた。
「ちぇ。良かったねお姫様。クリス君に私の体と比べられなくて」
「ど、どどどどどういう事よ!?」
「静かに」
「ーーーーーっ!」
声が大きくなりつつあったアリスを少し咎め立てると、アリスは歯噛みして、うう〜と唸りをあげた。
ミストは全く気にしてないのか、ひょいとアリスから降りて、服の埃をぽんぽんと静かに落とし、口を開く。
「それじゃあ、王の私室へ行こうか」
俺はミストに頷き返し、アリスに向かって言う。
「じゃあ、アリス。王様を部屋から連れ出して、時間稼ぎしてくれ」
アリスは俺が何を言っているのかわからないのか、ぽけえと間抜けな顔をした。
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