クレアを説得
鐘がなり、今まで喧騒に包まれた教室は次第に鎮まっていく。しかし、俺の胸中はざわめきが大きくなるばかりだ。
待って。なんでクレアが出場しないの!? もしかして怪我とか体調不良とかかな?
クレアの方を見るが、いつも通り背筋を伸ばし凛と座っている。そういうわけでもなさそうだ。
だったらどうなんだよ!? 本当なんで出ないのマジで!? 模擬戦みたいな機会なんて二度とないだろ!?
授業が終わり、放課後まで最後の休み時間になるが、クレアに動く気配は一切ない。
やばい。やばい。やばい。こいつ本格的に出ないつもりだ。それなら、なんとか出させないと。でも、出させるにはどうしたらいい?
焦る俺をあざ笑うかのように時間は刻々と迫る。
もうだめだ。待てない!
何も思いつかないが席を立ち、クレアの元へと向かう。すると、クレアは俺の方を見て顔を真っ赤に染め上げる。
「クレア! なんで、模擬戦に出ないんですか!?」
「ひゃ、ひゃい」
すぐ隣に立つ俺にクレアが上ずった声で、ただ返事だけをした。少し待つが、答えを聞きたいのに、口をパクパクするばかりで話す気配がない。それどころか、目線を反らせて目を合わせようともしないし、落ち着きもない。
本当に落ち着いて欲しい相手はクレアなのに、本当に落ち着いて欲しくない休み時間のざわざわした教室がしんと静まる。いうまでもなく、クラスメイト達の視線は俺とクレアに釘付けになっていた。
普段なら絶対に忌避したい光景だが、いまの俺にはそんなことより大切なことがある。ここで、クレアに出てもらわないと、俺には未来がないんだ。マジで。
「なんで出ないんですか?」
俺が再び尋ねると、クレアは椅子に座ったまま伏し目がちに俺を見上げて口を開く。
「な、なんでそんなこと聞くんだ?」
頼む。質問を質問で返さないでくれ……。
まさか、クレアの好意を他の男に向けるために出てくれなんて言えるわけがない。
時間への焦りが思考回路を鈍らせ、理由が思いつかない。
「なんでもいいじゃないか。俺はクレアに出て欲しいんだ。本当に。お願いします」
「そ、そんなこと言われても。だって、私クリスと違うチームになったら敵対するじゃないか……」
それが目的なんだよぉ。本当に頼むよぉ。
クレアが顔から湯気が出そうなほどの熱を帯びて俯くと、女子達からは煩わしいキラキラとした眼差しが突き刺さり、男子からは厳しい視線が突きつけられる。
おまけにミストからは氷のような冷たい眼差しに、アリスは……なんか泣きそうになってるけどどうでもいい。
これで、本当に出てもらわないと、出て他の男に好意を向けてもらわないと困る状況になった。もうやだ。本当に逃げたい。
だけど、逃げたら余計に辛くなる。なんとかしないとと口を開く。
「なあクレア。いいじゃないか。別のチームになっても。俺は敵対しないよ」
正しくは、別のチームになってクレアの好意だけ別に向けて、アルカーラ侯爵家と敵対したくないよ。
「……ク、クリス……」
クレアが瞳をキラキラと輝かせて見上げてくる。女子達の一部からキャーと歓声が上がる。
いらない。本当にいらないその歓声。今なら、キャーと引かれた方がまだマシだ。
クレアはそんな歓声に浮かされ、腰を上げかけるも、未だ悩むのか再び腰を落とし顔に影を落とした。
「だ、だが、私は勝負になると熱くなってしまうんだ。もし、本気になったらクリスを傷つけてしまうかもしれない……」
あ〜もう! メンドくさい!
そもそも、俺が直接クレアと戦う訳ではないから、他の男が傷つこうともそれは仕方ない。ほら、傷つくのが称号になるんだろ! 名誉じゃないか頑張れ男子諸君! と言ってやりたいが、ぐっと飲み込んで曖昧に告げる。
「そんなこと気にしないでくれ。絶対に大丈夫だから!」
「クリス……」
クレアがポーッと蕩けた表情で俺を見つめてくる。
なんだか居心地が悪くなり、周りを見渡すと、ハンカチで目を抑えている女子や、「純愛よねとか」言ってコクコクと頷いている女子達の姿が。
男達も「あの武で有名なアルカーラ様にそこまで言えるとは」と、憧憬の眼差しを送ってきたり、悔しそうに膝を地面につけている。
痛い……。本当に胃が痛い。マジで失敗できない。
あと一押ししないと。でも、何を求めているのか言葉が出ない。もう時間がない。何か言わなきゃ!
「ほら。もしかしたら、同じチームになれるかもしれないじゃないか。その時はほらなんだあれ、守るから!」
「クリスぅぅ! わかった私は出るぞ! 私は出るからな!」
ふにゃふにゃにふやけた顔をしたクレアはすぐさま立ち上がり、跳ねるような歩みで表の下へと向かった。
クレアが書ききると同時に鐘がなる。なんとかギリギリ間に合ったようだ。
全く見えないというのに、痛みが胃の正確な位置を懇切丁寧に教えてくれるので、よしよしと撫でながら自分の席に帰った。
席に着くと、大きく息を吐いて自分の机の上に倒れこむ。机と瞼のわずか数センチの真っ暗な世界に入ると、思考が渦巻いた。
ああ、本当に失敗できないようになった。クラスメイトの誤解も解かないといけない。いや、それはクレアが別の男に目を向けるようになれば自然と解消されるか? 何はともあれ、模擬戦でどうやって……
その時、俺の腕に魚が釣りエサをついばむようにツンツンとしたリズムで感触を受ける。
横を向くと、何かを悟ったような顔のミストが白い指で俺の腕をつついていた。ミストは俺が顔を向けたのを見ると、声も出さずに大きく口を開けた。
お・つ・か・れ・さ・ま
なんだ、気づいていたのかミストは。
問題が一つなくなったのが嬉しいのか、努力を労われたのが嬉しいのか、目の前がほんの少しだけ滲んだ。





