契約
心底楽しそうなミストを見て、俺はゲンナリとする。
ミストの人間性がわかった気がする。だけど、勝負事が楽しいなんて、俺には一生思えない。もともと勝負なんて失う可能性のあるものをしたくない。
だから、現代社会の競争に疲れ、忙しさも勝負もなにもない、ただのんびりとしたスローライフを目指していたのにどうしてこうなった……。
今置かれている自分の窮状に泣きそうになった。
「それで、私の目的もわかった所でどうするんだい?」
確かに目的はわかった。だけど、何を要求して来ているかっていうのは分からずじまいだ。
「目的はわかったが何を要求するつもりだ?」
俺がミストに率直に尋ねるとミストは、腕を組み、考えるそぶりをみせた。
そして、少ししてから顔を上げた。その顔は、太陽のようにキラキラと輝いていた。
「今度、私が君の領地に旅行したい時に君の領地を案内してくれないか?」
「へ?」
これだけの窮地を知られているにしては、簡単すぎる要求にあっけにとられ、情けない声を上げてしまった。
誕生日会の時もそうであったが、俺の領内には簡単に侵入できる。確かに、密偵が入り込むことも容易であるため、今はその対策を任せて来ているから後には入りづらくなるだろう。
そのため、領内の情報入手が目的ではないかと考えたが、情報を入手するためならば、自由に動ける様な要求をするはずで、行動が制限される案内して欲しいという言い方はしないはずだ。
「なんだか、意外そうな顔だね」
「そりゃそうだろ」
俺は本心のまま素直に答えた。
「簡単な話だよ。君の領地で最近、とっても美味しいパンが食べれるらしいんだよね!だけど、パン食べるためだけに行くのもつまらないじゃないか」
他人と関わりが持てない現状から世間の評価を知ることはなかったが、学園にいるミストがパンのことを知っている所を見ると、パンの事業はうまくいっている様だ。
まあ、確かにパンだけ食べに来るっていうのもつまらないし、領主自らが案内しているとなれば、他家に対しても懇意にしているというアピールにもなるだろう。
それならば、他家も招待すれば、辺境伯家だけ特別扱いせずにすむ話だ。どちみち、パンの収益をあげる上で、貴族御用達という箔をつけるために招待したかったので、悪い話ではない。
「本当にそれだけなのか?」
俺は、これ以上他意が無いように祈りながら、おそるおそる尋ねた。
「それだけだよ〜。このテストが終われば、休暇に入るしね〜」
確かにこの学園は、テストが終われば度々休暇に入る。というのも元々この学園の意義は、王家が貴族の子弟を人質に王都へ参らせることである。王家の力の衰退と共に長く学園に子弟を滞在させることを嫌った貴族によって、休暇が長く設定されているのである。
まあ、来てもらうとしても戦乱から遠い内の方がいいので、早く来てもらうに越したことはない。
「わかった。それなら、この契約を飲むよ」
「よかった。クリス君が飲んでくれて! クリス君が信用できないわけじゃないけど、一応、契約書を作っておこうよ!」
ミストがニコニコと笑って言った言葉に違和感を覚える。
契約書?一気に怪しさが増して来たぞ。たったこれだけの約束に契約書を取り出す必要があるのか?本当に俺は、この契約を飲んでしまっていいのか……
俺のサインが目的で偽造文書を作ることが本当の目的かな?だが、それならば対策できる。
「契約書を作るのはわかったけれど、契約書自体はこちらが用意させてもらうがそれでいいか?」
「もちろんそれでいいよ。契約書は、君が約束を破らないかの保証だからそんなに気にしなくてもいいのに」
ミストは本心からそう言っている様に見えた。
じゃあ、目的は本当にそのままの意味に取ってもいいのだろうか。まあ、念には念をだ。
「契約書自体は、こっちで用意させてもらう。それに、ミストはサインするだけだ。それでよければ、この契約を飲もうじゃないか」
「わかったよ。もう、クリス君は用心深いね。でも、契約書の内容が私の意にそわなかったらダメだから文自体は確認させてもらうよ」
チッ、見抜かれたか。さすがにそこまで甘くはないようだ。まあいい。本当の目的は、契約書自体に意味がある。特別な契約書を用意すれば全てが解決する。
そんな内心を微塵も感じさせないように告げる。
「まあ、当然だな。それで契約を結ぼう」
「わかったよ!いやあ、楽しみだねえ!」
嬉しそうに笑みを浮かべて承諾したミストに深く安堵した。そして、遅れて、今までかかってきた重い圧力から逃れられた反動で足が浮きそうになる。
よし!よし!よし!よし!上手くいった!未だに不確定事項はあるが、おそらくこれで上手くいくだろう。いやあ、笑いを抑えるのが大変だ!
「うわ〜、ものすごい悪そうな笑みしてるんだけど」
「んな、バカな〜」
ミストがジト目で見てきたが、茶化してごまかした。
どうやら、顔に出てしまっていたようである。危ない危ない。心変わりでもされたら大変だ。笑みを止めないと。
「いや、今度は顔をきりっとさせすぎだよ」
「んな、バカな〜」
再び、茶化してごまかす。
顔の変化を抑えるのが難しいなあ。今度、いつも無表情なユリスにポーカーフェイスでも教えてもらおうか。いや、なんだか嫌な予感がしたからやめておこう。君子危うきに近寄らずだ。
「クリス君、それは私を煽っているのかい?」
「んな、ば……」
俺は、再び茶化そうとしたが、途中でこれが煽っていると受け取られる原因と気づいたので、とっさに口を噤んだ。
「うん。途中でやめなかったら、ちょっと怒ってたかもねえ」
ミストは、そう言って冷たい笑みを浮かべた。その冷たさに、浮かれていた気分が急激に冷める。
あ、あぶねえ。やらかす所だった……
自分の不用意な行動を省みつつ、すぐに詫びの言葉を吐いた。
「す、すみません」
必死に誠意を示した俺を見て、故意ではないと理解したのかミストの目に暖かさが戻る。すると、変わって落胆したようにミストはため息をはいた。
「はあ、惜しいことをしたなあ」
そんなミストの様子に疑問を覚え、なぜか尋ねようとしたが、その前にミストは呟いた。
「クリス君がそこまで浮かれるくらいだったら、契約じゃなくて婚約にしても受けてもら……」
「じゃ、じゃあ合意した契約は、私が君の領地に旅行したい時に君の領地を案内してくれないか? ってことだよね? 一言一句覚えてるから安心してよ!契約書ができたら声をかけるから、それまで待ってて! やっぱり僕たち誇りある貴族は一度決めた契約を違えるなんて貴族のプライドが許さないよね!それじゃあ失礼します!」
俺はミストが全てを言い切ってしまう前に、早口でまくし立てて、颯爽と逃げた。





