パン作り!(パンは自分では作りません)
良く見慣れた、木で出来た階段を登る。片手は長旅で疲れた腰を支え、その自分を片手で手すりを掴み階段を足でトントンとならして執務室に向かっていると、静かではあるがハッキリとした声を掛けられた。
「おかえりなさいませ。クリス様」
「ただいま。ユリス」
無事、入学試験から帰宅した俺は、自領に帰ってきた。
入学試験の結果は学園の方でも発表されるが、郵送でも送られて来るので、俺は自領に即行で帰ってきた。
王都で何もせず、即行帰ってきたのには理由があった。
「ユリス、酵母の様子はどうだい?」
「はい。ついに、良い酵母が培養出来ました」
「本当!?よっしゃ!」
そう独自で酵母を培養していたのである。
☆☆☆☆☆
時を遡れば、数ヶ月前。
「クリス様、お食事の用意が出来ました」
「ふぅ、休憩か」
ユリスが、お盆に食事が盛り付けられた皿を乗せて扉を開き近づいてきた。
俺は、机の上にあるインクで書かれた文字が殆んど真っ黒になってしまっている紙と、膨らんで、元々の大きさがわからなくなっている本をそそくさと仕舞った。
仕舞い終えると、空いたスペースにユリスがお盆をポンと置いてくれた。
「本日は、ジャガイモのスープに小麦で出来たパン、それに、白身魚のソテーです」
お盆の上には3つの皿が乗せられていた。
一つ目は、湯気を立て、味を染み込みそれでもってホクホクとした大きめに切られたジャガイモのスープ。
二つ目は、こんがりと両面を焼かれ、見るからに外はカリッと中はフワッとし、その上にソースがかけられた白身魚のソテー。
最後に、焼きたてで、小麦で出来たパンが乗せられていた。
「いやぁ、我が家も裕福になったものだなぁ」
並べられた皿をみて感慨にふける。
「そうですね。今までの子爵家では考えられませんよ。最近では、ネジの方が予想していた客層と異なり、貴族相手に驚く程高値で取り引きされましたしね」
「そうだね。今までは、具のないスープと硬いパンだけだったもんね。何処かのメイドは、週一くらいでこの食事と同じくらいの物を食べてたけど」
「ふむ。このレベルの食事を週一で食べられるなんて何処の大貴族のメイドですか?」
よくも、まあぬけぬけと。俺が気づいて無いとでも思っているのか。
俺が子供の時、台所に忍び込んで、美味しそうな料理が作られているのを見て、「うわぁ、今日は何かのお祝いごとなの!?」と尋ねた時の料理長の何とも言えない顔。
それが、俺の食事に並ばなかった時の絶望。
そして、ユリスから香る美味しそうな料理の匂い。
絶対に忘れる事は無いだろう。
しかし、今更、恨み言を吐いても仕方ないので冷める前に料理を食べる事にする。
「まぁ、いいや!頂きます!」
まずは、ジャガイモのスープとジャガイモをスプーンに乗せてふぅふぅと冷まして口に運ぶ。
「くぅ〜美味しい」
スープは、様々な野菜が煮込まれ、まろやかな甘みと溶けて見えなくなってしまっているが肉の旨味がハーモニーを奏でていた。
さらに、それを吸い込んだ、ホクホクとしたジャガイモに歯を立てると口の中一杯に野菜と肉の芳ばしい香りが広がり、さらにジャガイモ本来の味を引き出し、頰が落ちるかと思うほど美味かった!
続いて、白身魚のソテーをナイフとフォークで切り分けて口に運んだ。
噛むと、カリッとした皮からオリーブオイルの上品な油が放つ芳香が口の中に広がり、魚の臭みを消すどころか混ざり合い、さらに上等な香りへと昇華させる。
さらに歯を進めると中にはフワッとした白身が存在し、淡白な白身魚の身の旨さをソースが引き立たせる。
「これまた滅茶苦茶美味いな!」
こんな、贅沢して良いんだろうか?いやいや、領内活性のためだ!ジャガイモも魚も全部、この領内で採れたものだから!
余りの旨さに、己を騙し、正当化してしまった。
それじゃあ、パンを食べるとするか……
パンは焼きたてでフワッとしてもっちりとした良い食感だった。
だが……
「酸っぱい!」
「うん?そんなはずないと思いますが、では一口。うん、いつも通りじゃないですか?」
ユリスが俺の食べかけのパンをちぎって口に入れて感想を述べた。
「いつも通りじゃ駄目なんだ!」
「はぁ……」
ユリスがついに勉強のし過ぎで、気でも触れたかと言うように俺の方を見てくる。
人は欲望が満たされると新たな欲望が出てくる、醜い生き物である。勿論、俺も例外では無い。
硬いパンから柔らかいパンになっただけじゃ物足りない!美味しいパンを食べたい!
顕微鏡が開発されていないこの時代、微生物の概念がない為、パンを発酵させる為には自然の酵母が発酵させてくれるのを待つしかない。
現代であれば、イースト菌を人為的に加え、発酵を促すが、この時代においては、それが出来ない。
パンにワインなど、酒類を加えて発酵させているところも有るが、そこには、パン作りに適さず、パンを酸っぱくしてしまうものや上手く発酵させ辛い種が含まれるため、思いのまま美味しいパンを作る事は出来ないのだ。
「ユリス、うちの領って、人口や訪れる人々は増えたけどその人達が買う程の特産品って無いよね?」
「はあ?蒸留酒にジャガイモ、リバーシなどの遊戯で相当稼がせて貰ってるじゃないですか?」
「いや、そいつらは、言ってしまえばこの領内から輸出も出来るじゃないか。輸出出来無いものを作りたいんだ」
「成る程。其れを目当てに領内に滞在し、それ以外でもお金を落として貰おうという事ですか?」
「そういうことだよ!その特産品を滅茶苦茶美味いパンにしたいんだ!」
「パンですか?パンなんて、そこら中に腕の良いパン屋が山ほど居るでしょうに……」
「いや、そいつらに圧倒的に勝つ程のパンだったら?」
「仮にそう出来たとすれば、パンという馴染みの深い食品ですから、どんな人でも食べたいとは思うでしょうね」
「だよね!?だから、経費と人員を下さい!」
俺は、ユリスに綺麗な土下座を決めた。





