背後4
始まった白兵戦は激化する一方だった。
崩れゆく鈍い音が彼方此方でなる。血の匂いと泥の匂いが混ざり合った異臭にえづきながら、鬨の声をあげる。
剣から伝わる肉を裂く感触、鋼鉄を受け止める感触がなくなってきた。腕の悲鳴もとうに聞こえなくなり、意識だけで振り回している。頬が裂け、脚が裂け、あとはどこの傷口が開いているのだろう。
脳は焼き切れたように完全に馬鹿になった。弓兵を下がらせられた所までは覚えているが、もう味方がどうなってるかなんてわからない。ただ彼方此方で鉄がかちあって上がる火花に激戦が続いていることだけはわかった。
かっと熱くなった体が、敵の姿を見るにつけ、勝手に動く。剣が振り下ろされる前に切り倒す。横からの剣を屈んで躱す。上から、下から、前後ろ。襲いくる風圧を感じながら、余裕が出来ては剣を返す。
戦い始めてどれくらいたっただろう。左右は押し込まれ、中央にいた歩兵隊もいくつか姿を消している。いくら奮戦すれど、敵の勢いは増していく一方で息をつく余裕すらない。
降りかかる刃の数が増える。躱し、いなし続けるのも無理になってきた。身に纏った鎧の至る所で鉄がすれ合う音がなっている。
それからも死戦ギリギリを彷徨い続けていると、耳が悲鳴に慣れてきてしまった。もはや、誰の声も金属がかちなる音も聞こえない。ただ、襲いくる増えた敵兵の数だけが自軍の劣勢を教えてくれる。
ここを抜かれては、早期に敵軍を退却させねば、全てが終わってしまう。戦う前にあれほど強く思っていたことが、薄くなって見えなくなった。
死にたくない、戦うしかない。敵を倒すしかない。
そんな、その場だけの感情に、いや、感情というほど意識を割かれていない。顔に何かが迫った時、つい目を閉じてしまうような本能だけしか、自分の中にない。
足が重い、肺が苦しい、剣が振り遅れる。頭が思うように、全身が動かない。そんな時点は通り過ぎた。もはや何の感覚もない。
走ってきた騎士が繰り出した上段からの刃を半身になって躱す。その際下げた足を、今度は前に出して、逆に上段から騎士の脳天目掛けて剣を振り下ろす。今度は左から来た騎士の横薙ぎを、後退りして躱す。そこを狙っていた別の騎士から突きは、剣を振り上げて弾く。投げ槍が飛んできたので、屈んで躱すと、気づかないうちに後ろに回っていた騎士に刺さった。
これだけやっても攻撃はやまない。続々と新たな敵兵が四方八方から押し寄せてくる。
助けを求めて周りを見るも、圧倒されている味方ばかりが目に入る。不慣れな武器を手にした農民は数人がかりでも騎士に軽くいなされ、中央の密集した歩兵は震える手で槍を突き出したまま固まっている。
そんな時だった。
後ろからかけられる異様な圧力。地面を揺るがす数多くの足音。そしてびりびりと空気を震わせるほどの兵士の声。
「全軍、前の部隊の助けに入って」
対峙していた騎士が、腕を下げて棒立ちになった。そのおかげで、俺は振り返ることができた。
後ろから軍勢が迫っている。その先頭には白馬に乗ったアリスがいる。
数は百程度。それでもこの戦況を変えるには十分なほどの援軍だった。
本隊が勝ったのか? それで援軍を送ってきてくれた?
そんな筈はない。敵軍の退却を告げる声も、味方の勝鬨も聞こえていない。無我夢中で戦っていて、耳は聞こえなくなっていたから断定できないけれど、おそらく違うだろう。
だとすれば、どこからあの百人が出てきた。本隊をさらに減らしてこちらに回してきたのか。いや、それも違う。こちらに回せるほどの余裕はないはずだ。
残る選択肢は一つ、非戦闘員だ。俺たちがここに来るまでに通った補給地、そこにいた非戦闘員が援軍に駆けつけてきたに違いない。
だがそうだとすると、何もこの戦況はかわらない。彼らは、防御陣地を築くために戦地に赴いた町民である。何の戦闘経験も積んでいない彼らが参戦したとて、ただ犠牲が増えるだけだ。
それに、アリスがいることも負の要素が大きい。勝が決まった戦場に敵の総大将がいるのだ。しかも逃げずに立ち向かってくる。これほど敵にとって美味しい状況があるだろうか。
「王女様を捕らえろ!! さすれば、この戦、我らの勝利だ!」
敵指揮官に呼応して、敵兵も「おお!」と声を上げた。
こうなればもう、死力を尽くして、アリスを守るしかない。と言っても、元々出し切っている。これ以上は無理だ。でもやるしかない。
絶体絶命の状況に思えたが、それは杞憂に過ぎなかった。
「王女様だ! 王女様が駆けつけてくださったぞ!」
「王女様を絶対に守れ!」
至る所で大声が上がる。どこにそんな力が残っていたのか。気力を取り戻した味方の兵が、各所で奮闘する。たったの数分で、一方的だった戦いは、徐々に押し返し始めた。
アリスにここまでの力があるとは。だが、戦いはまだ五分程度、気を抜けばすぐに敗れてしまう。
勝手に緩んだ口元を引き締め直した。
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