王女の演説
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視界の上半分は淀んで垂れた雲、下半分は無数の人の頭が占めている。誰もが演説台を見上げ、そこに立っている金髪の美しい少女を眺めていた。
独特の緊迫感、熱気がある。雨後の蒸し暑さと人の吐息で濁った空気で汗をかく。俺とアリスの護衛以外の子爵家の従士らは最後尾にいた。それでも、熱気はいやと言うほどに感じる。
即席の議会に招集された人らはアリスを見て口々に噂をしている。村で畑仕事をしていた学生じゃ、庶民の気持ちになるために倒れた王女様だ、そんな声が方々から聞こえた。
アリスが登壇してしばらくたつ。時間が経つにつれ、緊張感が増していた。嘔吐きそうになるのを我慢して、ただひたすらに祈っていたが、じっとしていられずユリスに声をかける。
「ことを進める準備は出来ているか」
「はい。昨晩のうちに総出で準備を整えました。クリス様の鎧も備えてあります」
演説が成功することに賭けていた。演説で徴用を通し、士気の高い工兵で陣地を作る。その時間を稼ぐために敵軍を奇襲して行軍を遅らせる。最後は野戦でオラール軍との決戦を行う。
徴用、訓練、工事、それぞれにハート家の三兄妹とマクベスが担わなければならない。だから、夜襲の指揮は唯一手が空いている俺が任されていた。
領主が夜襲に出向くなど、正気の沙汰ではない。ただ俺自身は大将に近いけれど、決してそうではない。あくまでも王女であるアリスが総大将だ。危険性はあれど、俺しか人材がいないのだから仕方がなかった。
「そうか、あとは演説が成功するかどうかだな」
「はい。成功しなければ、全ての手筈は無駄になり、じわじわと死にゆくだけの篭城戦が待っています」
ユリスの言葉でぐっと気が引き締まる。この演説に全てがかかっている。未来も生死も冗談などではなく、全てがかかっているのだ。
緊張に意識がすり切れそうになった時、アリスの凛とした声が届いた。
「今日は第一回の議会に集まってくれてありがとう。招集したのは皆に案の賛否を募りたいからなの」
案? 賛否? と色々なところから声が上がった。案の賛否を問うとはドレスコード領内で耳にしたことのない言葉だろう。誰もが困惑し、耳を傾けている。
「でもその前に、聞いてほしいことがある」
そう言ってアリスは独白を始めた。
「私はずっと自分が王女になることに違和感を抱いていた。だって特に何が出来るわけじゃないから」
突如始まった独白に民衆は困惑するでもなく、静かに聞き入っていた。それほどアリスの声は重く、体の芯揺るがすような響きを持っている。
「時には、耐えきれなくなって、城から町に降りたりした。自分が王女だって思いたくなかったから」
リズムの良い言葉運びで紡がれる。
「そんな私の悩みは小さいものじゃないのか、って思った。ここ数日、食事も抜いたし、服も身に纏わずにいた。生きることに真剣な皆の気持ちになりたかったら」
それで倒れたのか、という声がそこら中から聞こえた。中には王女様が私たちのことを、と感動するものもいる。ただ多くはまだ、何も響いていないようで、ただひたすらに王女の次の言を待っていた。
「だからこそわかる。やっぱりそこで抱いた感情は、生きていたい、だった。ワラにもすがって、何を捨ててでも、楽になりたい。苦しみから救われたい。どうしようもなく、死ぬことが怖くなった」
その言葉には、多くのものが頷いた。俺だって頷いた。それがいわゆる、『生きることに真剣』であることの真意だった。人は、死の恐怖、苦しみに抗えず、生きるということ自体が救いになっている、と本能的に理解している。
アリスは死と遠い生活を送ったことしかなく、それに気づいていなかった。だから、生きることで十分に救われていることを知らず、生の先にある遥か遠い理想が民衆に響かないことをわかっていなかった。
だが、今は違う。それはさっきの言葉でわかる。民衆も子爵家の連中もアリスが『生きることに真剣』の理解していることは把握していた。
「今だって怖い。ここに立ってたら、矢に射抜かれるのではないか、と恐ろしくて仕方がない」
その時、俯き加減でいたアリスは顔を上げた。
「でも、私はここに立ち続ける。食事を抜くことも、倒れるまでやめなかった。止めることが出来なかった。どうしても。どれだけ苦しくても、死にかけても消えなかったの」
声は今までよりも強く、はっきりと響き渡り、瞳には激しくて強い輝きが点っていた。
「私はずっと自分が王女らしくないことに囚われてきた、だから胸を張って王女だって言いたい! その思いだけは死にそうになっても全く消えなかった。言えないくらいなら死んだ方がマシ。私は生き地獄の中にいる、私だけじゃない、皆だって同じ!」
全ての人が顔をこれでもかというくらいに上げた。皆が様々な感情を抱いたことは、手に取るようわかった。生きることの大切さを理解して何故なのか、どうして死んだ方がマシなんて言うのだろうか。人混みの中には怒りや悲しみ、感動まで様々な感情が渦巻いている。それは言葉となり、莫大な熱気が立ち上る。
てんでばらばらな感想を吐き出していても、民衆は誰もがアリスの方を向き続けていた。最後の、皆だって同じ、という言葉で一気に惹きこまれていたのである。
「生きるために諦めてばかり、諦めて受け入れることが普通、そんなの地獄に変わりない! だったら、『生きることは諦めること』なんかじゃない!! この世に地獄があってたまるか!!」
アリスの怒声が民衆の雑音を裂いた。
ガツンと頭を叩かれ、脳が揺さぶられたようだった。アリスの言う通りである。いつの間にか『生きることに真剣』である生き方は、『生きることは諦めること』に据え変えられていた。だったら救われていない。生き地獄に変わりない。この世に地獄があるはずがない。
「私は物語のように立派で人々から愛される王女になりたい!! 私の悩みはちっさくなんてない! 生きることは諦めることなんかじゃない!! 諦めてなあなあで生きてくことなんか死んでもしたくない!! ないない尽しで何がなんだかわからない!! でも、王女になりたい!! 食事も抜いた、布も身に纏わず寒い思いをした、辛い、どうしようもなく辛かった! 二度とそんな思いをしたくない! だけど!! 私は立派な王女になれないくらいなら死んだ方がまし!!」
言葉が途切れると、同時に民衆も息を飲んで静まりかえった。静寂はアリスに惹きこまれていることの象徴だ。
アリスは『生きることに真剣』であるより、理想を求める、『真剣に生きる』ということを選んだ。
臭い。青臭い、ガキ臭い。だけどどうしてか、壁を越えた人間に感動を覚えずにはいられない。
「もう一度言う!! 生きることは諦めることなんかじゃ決してない!! 違うと言うなら、生きることが諦めることだと思う奴がいるのなら出てこい!!」
またしてもの静寂。だがしばらくして、ぽつぽつと「生きることは諦めることじゃない」と声が上がり始め、しまいには莫大な声が町中に、地面を揺るがすほどに響き渡った。
「だったら否定して見せろ!!私を王女にすることで生きることは諦めることなんかじゃないって!!」
歓声があがる。これ以上ないくらいの声援に負けじとアリスは叫んだ。
「招集した理由はただ一つ! 私を王女にしろ!!」





