塔の中
側防塔の中へ逃げ込むと慌てて鉄扉を閉めた。中にはアリスとユリス、それに数人の護衛が身を寄せるように立っていた。
「クリス様、様子を見に行ってきますので、合図があるまで閂を外さないでください。ここにいれば絶対に安全ですから」
マクベスは最後にユリスに向かって「クリス様と王女を頼みます」と伝え、塔の中にいる護衛を引き連れて外へ出て行った。
3人だけが取り残された仄暗い塔内。俺が螺旋状に伸びている階段に腰をかけると、ユリスとアリスは、部屋の中央にある机の下から椅子を引いて座った。
刺客には十分注意していた。元から戸籍の管理など、諜報員がいるかどうかの確認は怠っていない。考えられるのは、身内に裏切り者がいる可能性、それかオラール家の息がかかった商会があるかの二択だ。アリスを領主館に押し込めて存在を秘匿してきたので、領主館で働く身内と、議会の話を通した商会から、今日王女が演説する情報が漏洩したと考えられるからである。
とすれば、前者と後者を徹底的洗い出せば、犯人は見つかる。そしてそいつを追い出せば安心できる。ただ、そもそもの話、刺客に街内部に侵入を許すこと自体が問題で、これを解決しないことには篭城ができない。
「ユリス、野戦で戦うとしたら勝ち目はあるかな?」
そう言うと、ユリスは意外にもこくりと頷いた。
「オラール家は重装騎兵が主たる戦力です。まともにかちあえば蹴散らされるでしょうが、策を練りあげれば万に一つくらいあります」
「よくこんな状況で冗談を吐けるな」
「冗談ではなく事実しか話してません」
「そうですか」
「はい。うちは私塾で育成された練度の高いパイク兵と長弓兵が主戦力です。決戦地に最高の防御陣地を築きあげれば戦えなくはないです。まあ、絵空事ですが」
ユリスの言う通りの絵空事である。俺も考えるには考えたが、どうしても陣地を作る時間が足りない。
人手が集まれば、そう考えた時、アリスの存在を思い出す。
「アリス、怖くないか?」
「う、うん。それほど……かな? 今は安全だし」
アリスは普段と変わらぬ様子でいる。存在をつい忘れてしまうくらいの自然な雰囲気でいる。そしてそれは、やはり不自然であると言わざるを得ない。
「やはり、王女様は真剣に生きていますけど、生きることには真剣ではありませんね」
ユリスがそう言うと、アリスは首を傾げた。
「? どういうこと? それって何が違うの?」
曖昧な言葉だが明確に異なる意味を持つ。でもそれが、アリスは理解できていないのだろう。
演説の時、よくわからない顔をしていた民衆の表情が蘇ってきた。
真剣に生きることしか知らない人間の言葉が、毎日を生きることに真剣な民らに響かないのは当然だ。そして王女という肩書も、民との心の距離を遠ざけている。そんな演説が成功するわけがなく、もしかすると、刺客に襲われて救われたのかもしれない。
「貴方は自らの意思で気高くあろうだとか、上を目指そうだとかはわかりませんが、とにかく遠くを見て生きています。目の前のことが見えていないんですよ」
「うーん。よくわからない。私は今を真剣に生きてるし、演説だって、死に物狂いで頑張って練習したよ?」
「そこですよ。自分の命の重みを知らないということですよ」
「いや、殺しにきてたメイドにそんなこと言われたくないわ」
「そんなつもりはないのですが、殺しにきてたと思うならば逃げようとするのが普通です」
ユリスにジト目を向けられたので、俺は目線をそらした。逃げてきた俺を非難しているのだろう。
ユリスはため息をついて再びアリスの方へと向く。
「もう一度言いますが貴方は自分の命の重みを知らない。自らの意思でこうなりたい、と行動する。それは美徳ですが、今この状況においては悪癖です」
アリスの瞳が揺らぐ。
「わかんないよ。わからないことを言われてもどう直していいかも、何していいかもわかんない」
そのあと、アリスは小さな声で「このままじゃ駄目なことだけはわかる……」と言った。
もともと小さいアリスがさらに小さく見えた。
アリスは真剣に生きている。普通の人間である自分が王女という重荷を捨てようと街へ降りていた。命を捨てることになっても自分の意思を貫き通そうと俺についてきた。なんだって、遠く未来を掴もうと今を生きている。
今だって、立派に演説をしようと思い悩んでいる。それは、王女にふさわしい誇り高い人間になろうとしているのだからかもしれない。
アリスとの会話が思い返された。
ユリスの言う通り、アリスの生き方は間違いなく美徳だ。俺や街の皆、村民、全てが持ち得ない生き方である。皆が皆、今を生きようと必死で、遠く先の未来のために努力するなんて、考えもつかないくらい難しい。特に、様々な改革に適応しなければ生きてこれなかったドレスコード領の民なら尚更だ。
だから演説の時、皆諦めていた。また何か始めることに適応しなければ、と諦めが常になった人らは、演説内容などどうでもよく、ただ議会を開くと言う事実のみに関心が向いていたのだ。
俺も結局、演説が響かないことを知っていても、どうしようもないと諦め、アリスに促した。それは生きるために必要だったからだ。最高の未来を掴むための行為ではない、今思い返しても、それ以外の選択は取れなかっただろう。
だが、アリスならどうだ。響かないことを知っていたのなら、声を枯らし、涙を流し、なんとしてでも響かせようと演説したのかもしれない。いや、きっとしたに違いない。
そう思うと、自然に感動の鳥肌が立っていた。ぞくりとしびれるような感覚。今間違いなく、アリスの存在に美しさを感じている。
こんな素晴らしい人間が小さく見えるなんてありえない。
「クリス様、提案があるのですが」
「ユリス、多分、俺も同じことを思ってる」
そう言うとユリスは「ではお任せします」と口を閉じた。俺はアリスの目をしっかりと見据え、言葉を発する。
「アリス、もう一度演説の機会を設けよう」
「で、でも、私はこれ以上何していいか」
「大丈夫。俺が成功させる……って言ってもアリスに頼むことになるけど」
「う、うん。私はやるけど……できるかは」
「安心してくれ。成功させる方法がわかったから」





