演説2
アリスが壇上に現れた瞬間、群衆から上がる声の質が変わった。動揺からくる騒めきは収まっていき、皆は息を呑んで顔をこちらに向けている。アリスの美しさに呑まれたのだろう。皆の頭の中はアリスで一杯一杯になっている筈だ。
頃合いを見計らい、俺は口を開く。
「この国が悪の手に陥落しないでいられるのは、王女殿下の生存が不明だからだ。王家に忠義を捧げるものは巨悪を討つ旗印を求め、王女の復帰を待っておられる。そんな忠義に篤い人々がオラール公爵を阻んでいるのだ!」
そう言うと、群衆は勘づいたのか、各地で「あれは王女殿下では」と口々にした。
「その通りだ。ここにおられる方は、王女殿下である。俺は、平和を乱さんとするオラール家に、非道の刃を向けられていた王女殿下を救い出し、危険な旅路を終え帰ってきた」
まるで英雄譚を語る詩人のような口ぶりで話した。後で思い返して自嘲したくなるような言葉を精一杯に紡ぐ。
「悪逆の騎士をこの手で倒して王都を脱し、飢えや死の誘惑に堪えて山中を抜け、敵がひしめくオラール領から見事逃げ切り、ついには王女を救い出したのだ」
歓声が上がる。一方で、不安の声も聞こえた。
「お、王女様を救い出したことは凄いけど、ここにいると知られたらこの街が狙われるんじゃ……」
不安はお伽話に酔う感覚よりも簡単に広がる。遠い話よりも近くの声に敏感になるからだ。
「どうしてクリス様は王女殿下を救い出したんだよお。こんな素敵な町が兵隊らに荒らされちまう」
「そ、そうだ。確かにクリス様は立派なことをした。だけど、それじゃあ俺たちの生活が……」
負の感情は、頬に暖かいものを当てたときのように、じんわりと伝染していく。不安は不満へと変貌し、憤りとなった言葉があちこちから聞こえた。
こうなることは想定していた。だから、いつオラール家に生存を脅かされてもおかしくない、ということを民衆にしらしめるために英雄譚の前振りをしたのである。
俺はあらかじめ用意していた言葉を吐くため、思いっきり息を吸い込んだ。
「分かっている!! この領が危険になることなんて百も承知だ。だけど、これは巻き込まれたこと、悪はオラール家にある! 今回俺が王女を救わなくとも、巨悪のオラール家にうちが荒らされることなんて容易に想像できる!!」
「むしろ、今後我々を脅かすオラール家を倒す潜在一遇の機会だ」
大部分が押し黙った。俺の行動の正しさを理解したのだろう。だがそれでも、どうして戦争に巻き込まれなければいけないのだろう、そんな不満は間違いなくある筈だ。
そう思ったが、違和感に気づく。
不満の人間が持つ特有の空気感がない。今の群衆が持っている感情は、何だ?
なにせ命がかかっている、いない筈がない……ああそうか! この感情は!
慌ててアリスを見る。練習通り、凛とすましている。
駄目だ。今のままだと、演説は群衆に響かない。俺に響いてこなかった理由も理解した。
人は見えない壁を越える打ち破る瞬間にどうしようもなく惹かれる。だが、今の演説の内容のままじゃ、議会の開設は美しいものとして人の目に映らない。アリスの言葉なら尚更だ。
けれど、どうしようもない。今更演説の中身を変えることはできないし、議会の設立を宣言する約束を破れない。
俺は自らの中にある感情が、群衆が今持っているものに酷似していることに気づき、自嘲の笑みを浮かべたのちに声を出した。
「だがそれでも、どうして上の都合で巻き込まれないといけないのか、と不満をもつものはいるだろう。だからそのために王女殿下に約束を取り付けた」
アリスに目配せをした。すると、頷きがかえってきた。
「王女の名の下、この領に民が上の決断を諮問し、拒否することができる議会の設立を許可します」
声は澄んでいるのよく通り、不思議な魅力を持っている。立ち振る舞いも美しく、それでいて王女特有の威圧感もある。
感動的な瞬間の筈だった。勿論、感動している人間がいないわけではない。だが、ほとんどが響いていない。よく理解していない顔をしている。
「貴方たちは常に貴族や権力者にふりまわされて生きてきた。自分の意思を奪われ、明日のことも決められず。ただ自らがまっとうすべきと思い込んでいることだけを……」
「危ない!!」
そんな声と共に大盾を掲げたマクベスがアリスの前に走り込んできた。そしてすぐに高い金属音が近くで鳴る。見ると、弩の矢が盾に突き刺さっていた。
「アリス、壇上を今すぐ降りろ」
「う、うん!!」
矢が飛んできた方向を見ると、阿鼻叫喚の騒ぎとなっていた。その場からすぐに立ち去ろうと、押し合いひしめきあう中、沈みゆく一人の男の姿を捉えた。
刺客が毒薬を飲んで死んだかっ!!
「クリス様もすぐに壇上を降りて!!」
「マクベス、今降りる! だが少し待ってくれ!」
そう言ってから、再び息を思いっきり吸い込む。
「生きるためにはどうすればいいか!! それを考えてくれ!!」
混乱の渦中にいた市民に向けて叫び、護衛に守られながら、塔の中へと逃げ込んだ。





