クレアの帰宅
「クリス様、領民の戸籍、現在領内にいる人間の調査報告書を纏めておきました」
「その書類はハルに回して。今後出て行くかどうかの予測の書類も作らせて」
「武器の在庫、鉄、資材の数量の報告書はどうされますか?」
「それはもらっておくよ。そこに積んである書類に重ねておいて」
「商人頭のサザビー様から、お話をしたい、という話が来てますが」
「会議で決まってから行く。明日、いや明後日にうちにくるように言ってくれ」
「できるだけ早く、と申されていましたが……」
「それが最速って伝えといて。いつもありがとう」
立ち上がってそう言うと、浅黒い肌の文官は、ぺこりと礼をして、部屋から出ていく。その足取りはふらついており、疲労が見て取れる。
分が悪い戦争になる、と彼らは知っているが、ヤクトから送られてきた文官達は変わらず、一生懸命に働いてくれている。
どうしてか聞いたところ、2つの理由を聞かされた。自らの手で発展させてきたドレスコード領に愛着が湧いていること、そして、王子に送られてきた自分たちが、役割を放棄して帰れば居場所がなくなると言う理由だ。
元々、燻っている、重用、優遇されていない、という理由で働きにきた彼らだ。プライドが高く、熱意もある。所謂、仕事に生きる人たちなのだ。帰ろうとしないのも頷けた。
感謝と酷使させて申し訳ない思いをしながら、ふらつきながら室内を出ていく後ろ姿を眺める。部屋から出ていくと、机の上に積まれた書類の山を眺める。
会議を終えてから二日目、寝ずに今後の予測と現状を纏めた書類を家臣総出で作っているが、中々終わりそうにない。挫けそうになるが、早くしなければならない。時間が進むにつれ、公爵が王家内を固めていく。完全にそうなる前に動かないと意味がない。
再びペンを走らせた時、部屋の扉が開いてクレアが部屋に入ってきた。鎧を身に纏っており、腰には剣を差している。戦場に行ってもおかしくないような無骨な格好だが、伸びた綺麗な黒髪が肩にかかっていて何処か艶やかさを感じる。
「クリス、準備が整ったから、私は帰ることにするよ」
「うん。馬車と護衛はつけるけど気をつけて。それに足はもう大丈夫?」
スキップしてたくらいなので、もう大丈夫だとは思ったが、一応尋ねてみた。
「ああ、もう大丈夫だ。無事帰って父に味方してくれるよう頼んでくるよ」
「ありがとう、クレア」
「もし、父が駄目でも私だけは来るから! せめて、クリスが不利にならないように宝具を奪ってくる!」
「う、うん。ありがたいけど、無理して捕まらないようにね」
俺はそう言うと、ふと気づいた。
「なあ、クレア。宝具を奪ったら、クレアが使えるようになるの?」
「クリスは継承してるのに、知らないのか?」
俺は頷く。するとクレアは不思議そうにしながら話しはじめた。
「所有者が宝具に血を垂らすことによって権利を放棄するか、所有者が死なない限り継承はできない」
なるほど。父は儀式を終えてから、俺に宝具を渡した、と言うことか。
「だが継承の儀は権利の放棄と、血を継ぐ者が手にするまでを合わせてしている筈なのだが……」
「……もしかして、それが普通?」
「普通と言うか、正式な手続きなのだが……もしかして、していないのか?」
俺は黙って頷いた。
何となく気まずい空気が二人の間で流れる。そんな空気に耐えかねて、慌てて俺は話をそらす。
「そ、そうだ、クレア! 道中の食糧とか確認した?」
「ああ、確認したよ」
「そっか。それじゃあ、旅の懸念とかってもうない?」
「大丈夫だ。安心していい」
「そっか、じゃあ寂しくなるけど、出来るだけ早く会えるように願ってるよ」
「ああ、私もできるだけすぐに戻る」
そう言いながらも、クレアは部屋から出て行く気配はない。
「う、うん気をつけて帰ってね」
「気をつけて帰るよ」
「そ、それじゃあ、また」
「それじゃあまたなクリス」
別れの言葉の筈だけれど、クレアは扉の方へと歩こうとしない。どころか、じりじりとにじり寄って来る。顔は紅潮しており、息は荒い。恐怖を感じて、反射的に後ずさってしまう。
「なあ、クリス。昨日から私、果物しか食べていないんだ」
「へ、へえ〜、そうなんだ」
「ああ。それに今日は、200回程うがいをしたんだ」
「は、はあ、多いね。流石に多いね」
「多分、クリスと離れることになるのに、このままじゃ私の心が耐えられなくなるんだ」
クレアの意図が理解できたが、こう迫られると、恐怖の方が勝ってしまう。クレアが近寄る度に、反射的に下がっていたが、壁に背中がぶつかって止まった。
壁に目を向けた時、顔を両側からがしりと掴まれる。首を回され、クレアの顔とまっすぐに向かい合う。とろんとした瞳と、つい出た瑞々しい唇が目に入る。
「ち、ちか……」
そう口を開いた瞬間に唇を奪われ、文字通り気を失いそうになる程長い間、絡め取られ続けた。
離れると俺は壁に沿って崩れ落ちる。白くなる視界の中、満足そうにるんるんとスキップして部屋を出て行く後ろ姿を捉えた。





