現状2
わざとらしい咳に焦る。
「う、うん。それじゃあ、クレアは今の現状を侯爵に話しに帰るということでいいかな?」
咳をした人間に厭わしげな眼差しを送っているクレアに声をかけた。すると、クレアは不服そうなまま答える。
「ああ。それでは、この部屋から出させてもらう」
クレアは部屋から立ち去ろうとしたが、扉の前で足を止めて振り向いた。その表情は、どこか物欲しげな顔をしている。
「私は去るよ、クリス」
「うん」
「クリス、去るからな。でもこれは、仕方ないんだ」
「うん」
「これはあれだからな。クリスの為を思って……」
何となく言いたいことがわかる。クレアが俺を裏切るわけではない、という必死の弁解……とはかけ離れた、俺からの、わかっている、待ちだ。つまるところ、さっきの甘い感覚のおかわりを欲しているのだろう。
一言言えばいいだけなので、いくらでも言ってあげたい。ただ、咳をされたばかりなので、こっちとしては躊躇わざるを得ない。
「……ワカッテルヨ。アリガトウ」
ごちゃごちゃと考え過ぎて、感情の籠らない言葉を送ってしまった。だがクレアは満足したようで、大きく「うん」と頷いて、部屋から出て行った。
閉まった扉の奥から、廊下をスキップする音と鼻歌が聞こえなくなると、隣にいたハルがこっそり耳打ちしてくる。
「クリス様、本気であんなのが好きなのか?」
ハルにそう問われ、何だか虚しいような悲しいような感覚を覚えた。しかし本心としては変わりないので、ハルに耳打ちで返事する。
「本気で好きだよ」
ハルは肩を竦めた。
またも虚しいような悲しいような感覚を覚える。けれどもクレアに持っている感情は何も変わらないので、まあいいか、と切りかえる。
「えっと、今後のことについて話そうと思うんだけど、ミストもいい?」
「そうだねえ、私も部屋を出た方がいいかな?」
「まあ、案を出してくれたりすると嬉しいから、俺としてはいてくれた方がいいけど」
「じゃあ居ることにするよ」
ミストがそう言った時、俺はほっと息をついた。ハルの顔にも安堵の色が浮かんでいる。
クレアは味方になるかわからないから部屋から外へ出て行ったのだ。ここに残るということは、ピアゾン伯家がドレスコード家側についてくれる、ということだ。
俺たちを裏切るつもりなら、むしろ悪い状況だけど、感覚的にそうではないと信じられる。だから俺は安堵し、ハルも、ミストが実質的に伯爵である事を伝えていたので、同じように安心したのだ。
「あれ、何で安心しているのかな? 私もただの伯爵家の3女にすぎないんだけれど?」
ミストの言葉に胸がどきりとはねる。
ミストがピアゾン伯だと知っているから、と言ってもいいのだが、それを隠していたので凄く言いづらい。
どう答えようか焦っていると、ミストがニヤニヤしている事に気づいたので、素直に吐く事にする。
「ごめん、大分前から気づいてた。隠しててごめん」
「知ってるよ。私も気づかれてないって思ってるほど馬鹿じゃないからねえ。いやあどんな反応するかワクワクしてついからかっちゃったよ!」
そう言って、ミストはからからと笑った。
苦々しい顔のハルから「あんなのが好きなんですか?」と再び尋ねられる。俺はそれに「本気で好きだよ」と返した。
ミストは笑い終えると、真面目な顔になり、はっきりとした口調で話す。
「ピアゾン伯として、ピアゾン家は君たちの側に立つと約束する。でも、オラール家との戦いには参戦できないと思う」
「東のトーポ帝国と接する複数の貴族家をピアゾン家は纏めていますからね」
ユリスがそう言うと、ミストは「正解」と頷いた。
「オラール家に呼応して、帝国が攻めてこないとも限らないからね。多分私はそっちの対応で一杯一杯になると思うよ」
「ミスト、大丈夫?」
「大丈夫かどうかはわかんないよ。でも、私はより大きいもの得るため、帝国と戦えるように、王族側につくつもりだったんだ。それなりに準備はしてきてる」
そしてミストは「そんなことより」と続ける。
「クリス君は私の心配より、自分達の心配しないと。ドレスコード領がオラール家に突破されると、私たちは挟撃にあうんだからねえ」
「いや、ごめん。ミストが大切だから、どうしても心配しちゃって」
「クリス君、びっくりするくらい気持ち悪いよ」
ミストの言葉に傷つく。流石に自分でも引いてしまうような台詞だった。だが、ミストの顔を見ると、耳まで真っ赤に染まっており、照れ隠しの言葉なんだと気づく。
すると、俺まで恥ずかしくなってきて、はにかんでしまう。ミストも釣られて笑い、二人の間で甘い空気が流れた。そして、態とらしい咳が聞こえて窘められた。





