閑話 帰宅1
セルジャンを倒してから、闇に紛れて歩き続けた。ドレスコード領にたどり着き、街道に入ると、蹄の音が聞こえ出した。
緊張感が走る。逃げるか、立ち向かうか逡巡する。馬相手に逃げきれない、と思い、何があっても対応できるよう身構える。
やがて、前方から馬に乗った騎士が駆けてきた。距離が近づくにつれ人の姿がはっきりとする。長髪に長身、体の特徴から、誰が乗っているか理解する。
安心して、俺はほっと息をついた。
「ぐりずざまぁ……よくぞご無事で!」
涙混じりのマクベスの言葉が胸に沁み、目頭が熱くなった。自然に頬が緩むのを感じる。
「助かったよ、マクベス。どうしてここに?」
「ぞりゃユリス様の命で、ずっと見張っていまじだがら!」
「ユリスの命?」
「はい、相手の動向が不自然なので、何か異変があれば駆けつけるように、と。もう我慢できませんクリス様!」
マクベスは馬から降りると、抱きついてきた。俺はそれを手で制し、背中に視線を向ける。
「ごめん、ミストを担いでいるから」
「クリス様、代わります。皆様はご無事で……とは言えませんね」
マクベスは俺の後ろに視線を向けてそう言った。振り返ると、疲労困憊のアリスと、片足を怪我したクレアがいる。
「うん、だから出来るだけ早く、迎えを寄越してほしい」
「わかりました。それでは、急いで馬車を用意してまいります」
***
馬車から降りると、領主館の前でハルとユリスが待ち受けていた。辺りは未だに暗い。ハルの服装は寝間着姿で、ユリスはいつもと変わらないメイド服だ。
二人の姿を見ただけなのに、体温が上がる感覚を覚えた。
「おかえりなさいませ、クリス様」
「クリス様、おかえり」
声を聞いた瞬間、温かいものがぐっとこみ上げてきた。
「ただいまユリス、ハル」
ユリスが視線を俺の後ろに向けたので、振り返ると、馬車から、クレアとアリスが降りてきていた。続いて、マクベスがミストを背負って出てくる。
説明しようと口を開きかけた時、ユリスが声を発した。
「事情はわかりませんが、クリス様が誘拐した、という噂は届いています。部屋を用意していますので、お二人は私についてきてください」
ユリスはそう言って、先導するように領主館に入って行く。アリスとクレアが俺に視線を合わせてきたので、コクリと頷いた。すると、二人はユリスの後を追って歩いていく。
「医者は応接室に呼んである。マクベス、そこまで頼む」
ハルがそう言うと、マクベスも領主館内に入っていく。
「さあ、クリス様。事情はまた明日聞く。今日は早く寝てください」
「いや、今から話すよ」
俺がそう言うと、ハルは優しく笑った。
「そんなボロボロの人間に聞けるわけないだろ。取り敢えず今は寝てくれ」
ハルは俺に背を向けて入っていこうとしたが、俺は呼び止める。
「待って、ハル」
ユリスが、噂は届いている、と言っていた。それでも噂を信じず、問いただすこともなく、怪しむこともなく、何事もなかったかのように、淡々と動いてくれる。皆が俺を信じて待っていたことを実感して、胸が熱くなる。
「信じてくれてありがとう」
「何を言ってんだか……それは俺だけじゃなくて、クリス様もだろ?」
ハルは溜息をついて続ける。
「心配なはずの伯爵令嬢をマクベスに、王女様と侯爵令嬢も妹に任せただろ。そもそも、ここ目指して帰ってきたんだ。そんだけでも信じられてることはわかるって」
ハルは照れ臭そうに「いい年したおっさんにガキ臭いこと言わせんな」と顳顬を掻いた。俺はそんなハルの姿を見て笑みが溢れる。
「確かにそうだ。ちょっとキツイものがある」
「言わせといてそれはないだろ、クリス様!」
ハルと共に領主館内に入り、途中で別れ、久しぶりの自室に戻った。疲れと睡魔に襲われ、ボロボロの衣服を脱ぎ捨て、ベッドに直行する。
ただの毛布とベッドなのに、やけに柔らかくて暖かい。寝そべっただけでも感極まってしまう。ああ、いつぶりのまともな寝床だろうか。
すぐに目を閉じる。
ハルと話してから、信じてくれないかもしれなかったことに、やっと気がついた。
ずっと帰ることを考えていて、帰った後のことを考えていなかった。と言うよりは、帰っても待っていてくれている、と安心していて、考えにも至らなかっただけかもしれない。
オラール家の派閥に入る、と出て行ったのに、王女や王族派閥の貴族令嬢と共に消えたのだ。真相はどうあれ、信じて待つ、なんて中々できることではない。だから俺は、信用されなかった時のことを想定しておくべきだったのかもしれない。
けれど、賢く想定しておくことは大間違いで、愚かで考えが至らなかったことが正解だと思う。
そんなことを思うと、自然に笑えた。
ハルはガキ臭いと言ってたけど、すぐにこんな事を考える自分は、本当にガキ臭いのかもしれない。でも、それが自分なんだから、それはそれでいいような気もする。
何はともあれ、皆んなが信じてくれている、ということを実感できた。その事が本当に嬉しい。
俺は変な心地良さの中、眠りについた。





