選択
ミストが瞼を閉じると、林の奥へと歩いた。すると、木に寄りかかるクレアを見つける。
「クリス、何をミストと話したんだ? 顔色が悪いぞ?」
クレアは俺を見て、そう尋ねてきた。
「ミストは……」
俺はクレアに、ミストと話した内容を伝えた。クレアは聞き終えると、少し間をおいて話し出す。
「なるほどな。それで、クリスはどうするつもりなんだ? いや、どう思っているんだ?」
俺がどう思っているか……。わからない。
ミストのことを考えなければ、僅かに余裕が生まれるかもしれない。だが、相手が相手だ。万全の状態であったとしても、セルジャンに嵌められた俺が勝てるなんて思えない。
必死で考え、最善の策が思いついたとしても、全てはセルジャンの掌の上。さっきみたいに、逆手に取られて全てを無駄にしてしまうのが俺の限界だ。全員を生き延びさせるなんて、元々俺には無理だったんだ。
負けられないというのに、俺にはどうすることもできない。だから俺が何かしようとしてはいけない。何もできない俺には、叶えたいと思う権利すら持っていない。
結局、全て自分の無力さが、何をすることも許してくれない。
「わからないよな。私だって、何がどうともわからない。こういう時は、わかる事から紐解いて行こう」
そう言ってクレアは、顎に人差し指を当て、斜め上を向いた。
「まずは、そうだな。ミストが病気に罹った時まで遡ろうか。あの時、クリスはどう思った?」
「そんなに前から?」
「ああ。こういうのは、出来るだけ前の方がいい」
俺は素直に、ミストの体温に気づいた時のことを振りかえる。真っ先に思い浮かんだのは、悔しさと怒りの感情を抱いたことだった。
あの時ミストに、病に犯されていることを隠された、と誤解した。
ミストのことを信頼しているし、何があっても絶対に一緒に帰るつもりでいた。なのに、隠された、諦められていた、信頼されていなかった、と勝手に解釈し、悔しさが湧き出した。
卒業式の日からずっと、力がなく、愚かで、厚顔無恥な自分が許せないでいる。だからこそ、ミストを自分なんかの犠牲にしたくない、そう思っていた。なのに、ミストから頼りにならないと現実を突きつけられたように感じ、自己嫌悪に拍車がかかって、自分に忿怒の感情を抱いたのだ。
それだけに俺は、責任を果たす為、全員の気持ちと向き合わなければいけない。そう必死になっていた。今もその想いは変わっておらず、なんとしても、ミストが無事なまま全員に答えを出さないといけない。
だけど、何もできなくて、どうすることもできなくて、ミストを助けたいと思うことすら傲慢だと自らに叱責されている。
ぐしゃぐしゃになって何もわからない。ただ分かることは、自分が情けなくて弱いことだけ。自責の念が膨れ上がり、頬が震えてくる。
「なあ、クリス。あいつは、心配や同情が欲しくなかったんだ。なんでだと思う?」
クレアは、どこか懐かしむような目を俺に向け、問いかけてきた。そしてすぐに「いや、我ながら底意地の悪い質問だな。答えなくていい」と首を振る。
「本気だったんだよ」
しんしんとした口調でクレアは言った。
「病気なり、なんなりで、弱っている近しい者を見かければ、同情、憐憫の思いを抱く。それは、獣であっても人であっても変わらない。あの馬鹿は、そんな感情を向けられる事が嫌だったんだよ。一片のそういったものを抜きにして、只の自分を選ばせたかった。それだけの理由で、自分が病に侵されていることを言いたくなかったんだ。本当に大馬鹿なやつだよな」
嘲るようにクレアは言ったが、顔に浮かんでいるのは自嘲の笑みだ。
「私にもその気持ちは痛いほどにわかる。だから私は、クリスが気づかなければ、それはそれで、あいつの意思を尊重してやろうと思っていた」
クレアは間を置いて、「ただなクリス」と続ける。
「結局私はクレア=アルカーラで、不器用な人間なんだ。大馬鹿なくらいクリスを好きなあいつに、私がクリスを好きな気持ちは負けないと思ってる」
そこでクレアは「不本意ながらあの王女もだろうな」と付け加えて軽く笑う。
「だから、ミストより、王女より、私をクリスに選んで欲しいんだ。そんな想いがあって、死なせるわけにはいかない、とクリスに気づかせたんだよ」
クレアの言葉が染み入ってきた。胸の中に残っていた小さな火が、ゆっくりと勢いを取り戻す感覚を覚える。
皆んなはどこまで行っても、したい、という自分の気持ちを優先している。自らが不利になったとしても、極僅かに見える最大の成果を夢見て、愚直に進んでいる。
「まあ、そんな訳で。クリスが気づこうが、気づくまいが、私はあいつの体調をみんなに伝えていただろうな。一人でも減れば楽になるというのに、本当に私は馬鹿だよ。でもそれが私なんだ」
そしてクレアは何かを訴えかけるような瞳を俺に向けてくる。クレアが伝えたいことは、既に理解していた。そして同時に、しなければいけない、という想い以外の感情が、自分の中に存在していることに気づく。
「私はクリスがどんな判断を下しても受け入れる。だが、ここまでやれてこれたのは、私がクリスに選んで欲しいからだ」
クレアは言い終えると、俺の顔を見て表情を緩め「これ以上は振り返らなくても良さそうだ」と笑い「アリスに代わるよ」とこの場を去った。
酔いが覚めて、不意に頭の中が鮮明になる感覚。全ての靄がすっきりと晴れる。
全てを自己嫌悪だけで片付けられない。川を求めて獣道に進み始めた時、確実に答えを出せた状況で、なぜそうしなかったかの説明がつかない。自己嫌悪からくる責任感だけだったら、何もなくなる前に、と考えて、答えを出す筈だからだ。
皆んなは全員の中で、自らを選んで欲しい、という強い想いを抱いていた。だから、助け合うことに何の躊躇いも見せなかった。それは自分にも同じ事が言えるだろう。俺も皆んなが誰一人欠ける事なく、自分を選んで欲しかったんだ。
自己嫌悪に囚われるまでの生活に、自分達らしさを感じていた。そして、そのたびに、胸が焦がれていた。『ただ幸せな二人の生活が、夢が、精神的な支えになっているのかもしれない』と俺は考えていたけれど、結局、自分の事じゃないか。
「クリス」
声をかけられ目を向けると、アリスはぷいと顔を背け、唇を尖らせていた。
「私は何も話さない。こんな形でミストに勝ち逃げされるなんて嫌だから」
緊張の糸が切れ、笑いが込み上がってきた。
「そうだよな、アリス。嫌だよな」





