執念
「っ! 逃げ……」
急ぎ逃げようとしたが、即座に距離を詰めてきたセルジャンに首を掴まれる。
喉に指が食い込み、息ができない。血流が止まって頭の中が白くなっていく。
「おいおい、本当に逃げられると思っているのか?」
歪んだ笑みを浮かべるセルジャンに、そのまま持ち上げられる。俺は、気道を確保しようと両手で腕を抑えたが、びくともしない。
眼球が抜け落ちそうな圧迫感が顔にせり上がった時、手を離され、俺は床に崩れ落ちた。
むせ返り、胸を抑える。拘束を逃れて尚息苦しく、まともに呼吸ができない。
「けほっ、なんで……」
俺がそう言うと、セルジャンが愉快そうに笑った。
「なんで? 面白い事を言うな。俺がお前を誘ったことに気づいていないのか?」
セルジャンは嗜虐的な笑い交じりに続ける。
「簡単な話だ。お前には裏をかこうとする癖がある。俺が貴様を逃がした時、王女の護衛として貴様を見た時に確信した。だから俺は、お前が裏をかくだろうとオラール領方面へ捜索を絞れた」
セルジャンの言葉に、嵌められたことを理解した。
「だからお前は、町の周囲以上に捜索をさせていなかった」
「なんだ、俺に説くという美酒に酔いしれさせてはくれないのか」
僅かな違和感があった。町の周囲以上に捜索させていなかったことだ。
拠点として活用しているのならば、町周りだけでなく、そこから広範囲に捜査を広げても良いはずなのだ。なのに、松明の明かりは町周り以上には見られなかった。不可解に思っていたが、俺が裏をかこうとすると理解していたならば納得がいく。それは、町への侵入は不可能だ、と見せつけてきていたのだ。
まんまと俺は、町内部に入れば、と思考を誘導され、侵入することになった。結果、内部には何もなく俺は安心し、裏をかくという意図を持つ、隠されたメッセージを信用させられた。
全ては俺が、裏をかこうとする事を逆手にとった罠だ。悔しさに歯をぎしりと鳴らす。
「悔しいか? だろうな。まさか俺もこんなところで、お前を捕らえる事になるとは思わなかった。ああ惜しい、あともう少しだったのになあ?」
腸が煮え繰り返るが、息を吸って心を落ち着ける。
だめだ。怒りに我を忘れれば、そこで終わりだ。冷静さを保ち、どこか隙を伺え。
こんなところで、とセルジャンは言っていた。ここまでの罠を張って置いて、捕らえられないとは思っていないだろう。だとすれば、この町に辿り着けると思っていなかった、もしくはこの町に立ち寄るとは思わなかった、という事が考えられる。
脳裏に一つの可能性が浮かぶ。
セルジャンは、全ての町に同じ罠を張っていたんだ。
オラール領方面に絞った捜索、加えて、町周りのみを捜索させる権限、これらの事実から、セルジャンが捜査権を握っていることはわかる。なら、全ての町に同じ罠を張る事はできる。
次に、逃走して来た経路がわかっていない事は、こんなところで、という言葉もヒントになる。奴の頭の中では、旅路を続けるなら、どこかで俺たちが物資を得るはず、そんな考えが存在したのだろう。全ての町に罠を張る利も理解できる。
では何故、見計らったように、セルジャンがここにいるのか?
惜しい、あと少し。これだ。
ここは、ドレスコード領と最も近い町、つまりは最後の罠だ。だからこそ、奴は『惜しい、あと少し』と言ったのだろう。
ここにいる理由は、セルジャンからすれば単純な話だ。他の町で引っかかれば、逃げられても追跡が可能だが、ここで逃せば完全に逃げ切られてしまう。だからここにいるだけのこと。
今置かれている状況は整理できた。だが、そうだとするなら、理解できないことがある。
「どうしてお前はそんな手を使った? 捕らえるなら、誘う場所に多くの兵を伏せさせて置くべきだ」
ここにいた老主人もとてもじゃないが、兵士とは思えない。ただのこの店の店主にしか見えなかった。安心していたとはいえ、怪しければ流石に疑念を抱いた筈だ。
それに、大きな音を立て、こんな会話をしているのにもかかわらず、老主人はなんの反応もない。兵士ならば、様子を確認しに来るはずだ。それでも来ないということは、やはり老主人はただの庶民で、金でも握らされ、黙っているのだろう。
詰まる所、他に気配を感じない今、この建物内には3人だけだ。セルジャンは一度逃げられたのだから、尚更そうしておくべきだ。なのに、セルジャンは意識的に一人でここにいる。
「俺がどうして……一人でここにいるかだって?」
セルジャンは頬をひくつかせた。表情は、憎悪と怒りに塗れたものに変わる。
この世のものではない、異形の怪物に殺気を向けられたようだ。恐怖に襲われ、全身に鳥肌が立ち、圧迫感に呼吸が荒らぐ。凍てつきそうなほどの寒気にも見舞われる。体は震えたがるが、黒曜石のような忿怒の瞳で睨まれ、それすら許されない。
「何故? いいだろう教えてやる! お前ら全員を殺す為だ!」
怒鳴り声に空気がビリビリと震えた。
「お前達は俺を欺いた! 諜報の一族の最高点に立つこの俺をだ! 全てを欺いてきたこの俺に傷をつけやがって!」
セルジャンの言葉にさらなる恐怖が体中を駆け巡り、気が狂いそうになる。
「他の兵士に知られれば、貴様はともかく、残りは人質に拘束される。王女に至っては、公爵の濡れ衣を晴らすために、生き延びるだろう! 許せるかそんなもの! 生まれてから欺き騙す事のみが全てだった! その俺を欺いた奴らを絶対に生かしておくか!」
押し潰されそうなほど重い、暗い感情が伝わってきた。更に息が苦しくなり、意識が薄れてゆく。
耐えろ、呑まれるな。抗え。
己を鼓舞して、必死で正気を保つ。
「殺してやる! 侯爵と伯爵の娘は死ぬまで犯し、貴様は王女の目の前で手足を捥いで殺してやる! あの王女にはこの俺を欺いた事を後悔させて殺してやる!」
まだ終わっていない、終わらせたくない。
逃げる事を考えろ。何か手を出せ、口を開け。
「……何故、俺が一人でいると思うんだ? 俺以外は全員死んだ」
「クソが! 此の期に及んでまだ欺こうとする気か! 舐めやがって!」
「本当だ。どうしてそう言い切れる」
「じゃあ聞いてやる! お前一人が、ここに来る理由はなんだ!? ドレスコード領近いというのに、一人ならばなぜ物資を欲しがる!? 町によらなければならない程に困窮しているようには見えないがなあ!?」
「安心しきっていたせいだ。少しでも休憩がしたくて」
「巫山戯るな! そんな質の低い嘘が通るとでも思っているのか! ああ、今すぐ殺してやりたい! 王女がこの場にいれば眼球を引き抜き、鼻を削いでいるところだ!」
そう言ってセルジャンは憤りから、天を仰いだ。
ここだ!
俺は立ち上がると同時に、腕を伸ばして首を狙う。
「馬鹿が!」
俺の腕は首には届かず、代わりに蹴りを喰らう。
「ぐっ」
そのまま俺は部屋の外まで飛ばされ、壁にぶつかって止まった。腹から背中に衝撃が貫通し、体内の空気が押し出される。同時に咳が出るように血を吐いた。腹部と背中に焼かれるような痛みが駆け巡る。
俺は痛みに耐え、すぐに立ち上がり、階段を飛び降りた。
次回は土曜日21時です。





