奇跡
ああ、奇跡だ。
瞳と胸が熱くなる。朝の陽射しに暖かさも感じる。
しかし、体は正直で、水中から外へ出た寒さに歯がかちなり、体が冷えている事を実感した。ただ同時に、寒さが感じられることに症状が軽い事に安堵した。
俺は川辺に横たわるミストの様子を確認する。顔は青白く唇も紫に染まっているが、体は震えており、肺が膨らんだり萎んだりし、小さく上下していた。ミストの目の前で手を振ると、すぐに瞬きが帰ってきた。意識もはっきりしているし、まだ暫くの猶予はある。
今度は、クレアとアリスの容態を確認する。症状は、ミストよりも軽く、クレアは足の怪我で不可能だが、アリスは立ち上がれている。
こまめな休息、全てのカロリーを摂取したことで、助けられたのかもしれない。
だがそれでも、本当に奇跡としか言いようがない。可能性がほんの僅かに生まれたに過ぎないのだ。
「茂みに入ろう。アリス、クレアを頼む。もう少しだけ頑張ってくれ」
アリスとクレアにそう告げ、できるだけ揺らさないよう、ミストを抱えた。そして、少しでも寒さを凌ぐため、直ぐに川辺からすぐ近くの林へと場所を移す。
林の中、胸くらいの高さの低木を見つけた。横に伸ばした枝には深緑の葉がびっしりと生い茂り、先にはミストと同じ髪色の小さな花が咲き乱れている。初春に咲く花の柔らかく甘い香りが漂って来て、心が落ち着く。
俺は、ミストをゆっくりと、その低木の下へおろした。木の葉や背が高い草の茂みが、川から運ばれてくる冷たい風を防いでくれる。
少し離れた位置まで移動し、手で地面に落ちている枝葉を払いのけて、適当に転がっていた枝を拾う。剣で削って迅速に火口を作ると、石で火をつけた。火種が燃え上がるのを待たずして、落ちていた小枝を置く。やがて火は燃え移り、大きな炎に変わった。
「待ってて」
俺はそう言い残し、薪を拾いに行った。ある程度集めるとすぐに戻り、炎に薪を焚べる。勢いは増し、ようやく寒さから解放される。だが、急激に体温が上がる事を恐れ、すぐに離れた。
低木の下に目を移すと、クレアとアリスがミストと共に入っていた。
俺はクレアに問いかける。
「クレア、足は大丈夫?」
「なんとかな。ブーツを履いていたお陰で傷は浅いが……あいつら噛む力が凄いんだな」
そう言ってクレアは苦々しげな笑みを浮かべた。
すぐに回復する見込みはなさそうだ。だけど、下流に流されたことで、距離は大幅に短縮されている。もう少し我慢して貰えれば、たどり着く事ができる。
「仕方ないね! この私が助けてあげる!」
アリスは元気よく高慢に言った。そんなアリスに、俺もクレアも和まされて頬が緩んだ。同時に、本当に辛い筈なのに、どうしてそこまで、といつか感じた思いが蘇る。そしてまた、胸が焦がされた。
「クリスは入らないのか?」
「いや、俺はまだいいかな」
「どうして?」
真っ直ぐに向けられたクレアの瞳に、声をどもらせてしまう。
「え、えと、クレア達に服を脱いでもらわないといけないから……」
いつまでも濡れた体のままでいられない。出来るだけ早く気化熱による体温低下を避けないといけないのだ。だから服を絞り、それで体表面の水分を拭き取った後、火の近くで服を早急に乾かしたい。
だが、かと言って、衣服を脱いでは急激に体温を下げてしまう。ただ、今の様子を見る限りわずかながら余裕はありそうなのだ。どちらにせよ駄目なら、まだ可能性がありそうな方を選ぶ。
早急に川辺の背の高い雑草を刈り取り、それを毛布がわりにして出来るだけ保温する。そして、できるだけ圧迫されないように寄り添うことでゆっくりと体温を上げたい。多分、準備にかかる時間は4、5分程度。正直、そこまでする必要があるかと問われたら、答えることが出来ないし、やることが正解なのかもわからない。
しかし、どのみち、緩やかに体温が上がるまで、火のそばには行かせられないのだ。だったら、服を乾かし、その間に樹皮で鍋でも作って、煮沸した飲み水でもつくろう、と考えた。
まあ、そういう意図で言ったのだが、妙な罪悪感が湧いてしまう。
「ク、クリス」
案の定クレアは恥ずかしそうに照れた。
「い、いやそういう意図じゃなくて」
「わ、わかってる。冷えるからな」
そう言いながらも、ふしがちな瞳を向けてくるクレアが可憐で、鼓動が早くなる。だ、駄目だ。心拍数を増やし、心臓に負担をかけてはいけない。
ほんの少し前までひりつくような危険に襲われていたが、今度は間が抜けているのに気が抜けない危険に肝を冷やす。
「ご、ごめん、すぐに戻ってくるから」
俺はそう言って、毛布がわりの草を刈りに急いだ。





